(13) 横たわる怨恨
第1章の最終話です…
・・・
.
「二度とお前の顔は見たくない………
と…
……そう言ったはずですが……
…何度言ったら…
…分かるんです?
………ジウ」
・・・
気弱そうな笑顔を浮かべたその男が、喉に詰まったモノを押し出すように、苦しそうに…そして重々しく言う。
言葉はジウへ向けられたものだ。
しかし、男は伏せ目がちで、その視線は決してジウの方へ向けられることはなく自らの足下へと落とされていた。
「…これが…私の仕事ですので…」
いつもの無表情でジウが答える。しかし、その声には男と同じように、やはり若干の苦い色が混じっていた。
「…ところで、フーさんは…どこに?」
ジウも、その男と目を合わせようとせず、その質素な部屋の中を見回しながら訊いた。
部屋の広さは、昔風に言えば6畳間程度。ただ、その向こう側にはやはり6畳程度の広さのダイニング繋がっている。
部屋の中にはベッドが1つ。
薄汚れて古びた感じがありながら生活感はあまり滲んでいない。おそらく、ここは旅人を相手とした安宿の一室なのだろう。
ジウが訪れたのは、TOP19(トップナインティナー)のランキング第2位、フーの常宿のハズだった。
しかし、尋ね人のフーの姿は無く、そこに居たのは…
・・・
「フーには…お前が現れる直前に、別の場所へ転移するように命じました。…お前と顔を合わせたら…面倒なことになりますからね…」
男の目はやはり伏せられたままだ。
しかし…男は今…何と言った?…「命じた」?
つまり、目の前の気弱そうな…どこかアスタロトにも似た…小柄な男は、TOP19の第2位であるフーに対して「命じる」ことができる者であるということだ。アスタロトは思念で疑問の色をジウに伝えるが、ジウからの応えは無い。
「…私が来ると………事前に分かっていたようなことを言いますね」
「ふ。なんとなく…ね。なんとなく…です」
「………わかりました。それ以上は聞かないでおきましょう。聞けば、知らないふりをするわけにはいかなくなるかもしれませんから…」
ジウの言葉に、男は初めて視線を上げ…少しだけ驚いたような顔をしてジウを見る。もっとも、それはほんの一瞬で、すぐにまた目を伏せてしまったのだが。
「…そうですか。お前も少しは変わったんですね。しかし…いまさら…です」
アスタロトは、いきなりのシリアスな二人の会話に、事情が分からぬながら…自分が出しゃばってはならない何か…を感じて、黙って見守ることにした。
無表情のようで、ジウの体が緊張で強ばっている。それはアスタロトにも伝わった。
・・・
「…用件は聞かずとも分かっています」
その男の語り口調は、どこかジウに共通するものがある。男は続けて言う。
「そして…それは今後も同じです。ですから、お前が俺の前にわざわざ現れる必要はないんです。………何度もいいますが…」
男はそこで一端言葉を切る。
どのような想いを胸の裡に秘めているのか。
無表情…とはまた違った微妙で曖昧な愁い。気の弱そうでいて…しかし、これ以上ないほどに明確な拒絶の意志をその体全体からオーラのように立ちのぼらせている。
永遠にも感じられる…ほんの数秒が過ぎ、男は続きを吐き出すように言う。
「…二度とお前の顔はみたくない。帰って…そしてもう来ないでください…ジウ」
「そう言わないでください。ミギハシ…」
「やめてください。その名前は捨てました…いいや…ミギハシという名の男は、もう…あの時に【死】んだんです………彼女…フウウと一緒に…」
「風雨さんの事は…本当に…申し訳けあ…」
「黙れよ!!!…ジウ。お前がその名前を口にするのか!?…彼女と…そして俺から…全てを奪った…お前が!?………」
ジウに「ミギハシ」と呼ばれた途端。その男の纏う雰囲気が豹変した。
気弱な笑みは消え去り、氷のように冷たい無表情へと。
・・・
「お前はシステム側の担当者でしょう?…ならば「デスシム」内のプレイヤーに対する呼び名は、現在の登録名か…現に使用されている呼称を用いる規則のはず。俺のことは、そのルールどおりに…ヒダリハシ…と呼ぶべきです」
男は、自らをヒダリハシと名乗った。
ヒダリハシ…ひだり…はし…
そこで、アスタロトはやっと気づく。
目の前にいる男が、何故、TOP19ランキング第2位のフーに、「命じる」ことができるのか…ということを。
この男こそが…現段階で「デスシム」のシステム側から、デスシム世界最強として認められた第1位…「左端」。
「…何故なんです?…ミギハシ。…そんな、子どものような…ひねくれた偽名を名乗るなんて…」
「…偽名?………ジウ。お前はシステム側の担当者でありながら…俺の真の名を確認できていないのですか?………なんという怠惰。何という愚昧。ならば、俺の真の名をおしえてあげましょう。俺の名は『ディ・左端・アモン』…。お前の知るミギハシなるPCは、くどいようですが…もういないんです」
「…ま…まさか…そんな…」
現在、体を共有しているアスタロトには、ジウの驚愕がダイレクトに伝わってきた。
ジウの思念の色が一瞬薄まり…そして、直ぐにまた元の濃さを取り戻す。
おそらく、システム管理者の特権をつかい「Face Blog ER」を確認したのだろう。
・・・
「…そんな…馬鹿な…。真の名が変わっている…だなんて…」
「ふん…。何をそんなに驚くことがある?…お前たちがお気に入りの…あの…アスタロトくんだって…真の名を変えたじゃないですか」
「し………し、しかし…それは」
「あぁ…。そうだな。特別な救済措置?…だってね。不公平極まりない…と言うのはやめておいてあげましょう。しかし…つまりは、ジウ。真の名が変更できない…というのは、お前たちシステム側の連中が勝手に決めてユーザーに強制しているだけのルールであって…システムの仕様上…絶対に不可能ってわけじゃない」
相変わらずジウを見ようとしない左端。その目は伏せられたままだ。
しかし、自らの足下あたりに向けられていた視線は、今、ジウの足下辺りを睨みつけるように、その角度を変えていた。
「…ミギハシ………あなた…システムの管理者権限を………」
「おっと。それ以上は言わぬが花だよ…ジウ。言えば…俺も、お前たちの後ろ暗いところを…洗いざらいぶちまけなきゃならなくなる。…お前たちが…アスタロトくんに知られたくないような…公になったらマズイようなことも含めて…全部ね…」
「…つ………」
「心配するなよ。俺は…もう…陽の当たる場所へは出ない。そもそも、俺はログアウトできないしね。この牢獄のようなデスシム世界で…守秘義務を遵守しながら…意味もなく生き続けるのが定めですから。お前たちが…そう決めたとおりに…ね」
「…み、ミギハシ…」
「くどいよ…ジウ。俺の名は左端。何なら右端の名は…お前が名乗ればいい…」
・・・
左端の口調は、徐々に不安定になっていく。
普段のジウに似た慇懃無礼な口調から、やや荒々しい口調へと…。
「神の名を僭称するあの男たちに傅き、デスシム世界の法の番人。正義を行う天使としての役目を担うお前にこそ…今や…右端の名は相応しい」
“右”という言葉には、何か深い意味があるのだろうか?
アスタロトには全く理解できない左端の台詞だったが、ジウにはその意味が分かったらしい。しかし、分かった上で、それでもしばらく答えに迷うジウ。
やがて…苦しそうに押し出した答えは…
「…………私の名前は…ジウ…です。最初から…そして今後も…」
至極、当たり前の台詞だった。
しかし、その答えを聴いた左端は、本当に驚いた…という表情をして、この時初めてジウに目を合わせた。ジウの左目の視界を受け取っているアスタロトも、必然的に…その視線を真っ直ぐ受け止めることになる。
白目と黒目の色合いが反転したような目だった。
それだけでも十分に不気味な目だったが、瞳孔の部分は血のように赤く淀んでいた。
だが…目線を合わせたのは、ほんの束の間。直ぐにまた左端は目を伏せる。
「…そ…う……か。お前は…ジウ。アレは当て字か。なるほど…ジウね…ははははは。最初から…そういうこと……か…」
・・・
「………隠すつもりは…ありませんでした…しかし…」
「黙れよ。…お前のことなど…どうでもいい。ただ、俺の今の名は『左端』。いいですか?…ジウ。もう俺は、お前たちが征く道の…遙か左の彼方に位置する者。神や天使を名乗り…この世界で必死に生きるプレイヤーたちを弄ぶお前たちになら…この名の意味がわかりますね?」
今の台詞により、左端の中の何かが…決定的に色と温度を変えたのがわかった。
その変化に、ジウは正常な呼吸を忘れ…喘ぐように呟く。
「ひ………ヒダリ………ハシ…」
やっとジウから現在の名前を呼ばれた左端。
満足そうに…しかし、どこか寂しそうに小さく頷き、また曖昧な笑みを取り戻す。
「そう。左端です。以後、よしなに…。もっとも…何度もいいますが…二度とお前の顔はみたくないと…言っているのですから…もう、会うことは無いと…思いますが…」
左端とジウの交わされない視線と同様、二人の未来も交わることはない。それが確定した事実として、部外者に過ぎないアスタロトにも痛いほどよく理解できてしまった。
「さぁ。無駄話をしている時間は…もうありません。フーが戻ってきてしまう。フーには、俺から用件を伝えておきますから、お前は早く帰ったほうが良い。…そして、もう二度と来てはいけませんよ。いいですね?」
・・・
それが、左端からの決別の言葉。
“サヨナラ”の代わりの言葉となるハズだった。
しかし
ジウが、名残を惜しみ、去ることを逡巡したことにより…
その言葉は…別れの挨拶とはならなかった。
・・・
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「今度あったら・ら・ら………
コロス…ス…ス
……って・て・て、言わなかったっけ・け・け?………
………ジウ・ゥ・ヴ〆」
・・・
特徴的な口調の女性の声に続き、目の前の空間が歪む。
それに気づくのが、あと僅かでも遅れたら…部位欠損クラスのダメージを負っていたかもしれない。
空間ごとジウを食いちぎらんとする竜の顎が突然に形を得て、直前までジウの立っていた空間で上下の牙を打ち合わせる。
突然、生じた【無】を、急いで埋めようと押し寄せる風の流れに翻弄されるジウ。
【彼の四肢を縛れ・れ・れ!双子の三角・く・く…】
突然ジウを「コロス」と宣言した…そのアルト・ヴォイスが詩的な一文を唱える。
ジウの上方、左右から赤と青それぞれに輝く正三角形が降りてくる。
風にバランスを崩されたジウがよろけた先。赤と青の正三角形は、大きさを増しながらジウを誘い込むような位置に展開する。
【…ヘキサグラム・バインド・フォーメーション・ン・ン…】
底辺と頂点をそれぞれ逆にした六芒星が生み出される。2つめの文を唱えると、弾けるように急激に大きさを広げる六芒星。形に意味と目的が込められる。一瞬後には、無限に広がり見えなくなる。…が
【六縛呪・じゅ・じゅ!】
次の瞬間。ジウの体を六芒星の縄が幾つも絡みつき、その自由を奪う。
・・・
マボや慈雨が得意とする芒星魔法。
その中でも慈雨が特に好んで使う【六芒陣】によく似た魔法だった。
本来、「デスシム」世界における六芒星の意味は「防御」や「魔除け」である。
それを、突然ジウに襲いかかった声の主は、逆用して攻撃の手段として用いたのだ。
結界となった六角形は、ジウを弄んでいた風の奔流を防ぎ…ジウをその場所にしっかりと固定した。
防御魔法は、敵からの魔法攻撃や物理的な衝撃などの被害から詠唱者を守ってくれるが、詠唱者自身が放つ敵への攻撃魔法は、当然のことなら何の妨げもせず透過する。
しかし、今、その守りの魔法に…動きを縛られているのはジウ。そして、その防御魔法を詠唱したのは…襲撃者の方だ。
つまり…詠唱者の魔法は…何の妨げも受けずにジウに届く。
「…くっ………し、しまった!」
ジウの声に焦りの色が浮かぶ。
仮想対実時間レートの引き上げをしたところで、思考速度が速まるだけで体が自由になるわけではない。
空間転移コマンドを実行したが、仮想世界を構成する描画エンジンは、ジウの体に強固な相互作用を及ぼす【六縛呪】の影響を優先し、コマンドをキャンセルしてしまう。
【六縛呪】により「そこに存在する」という状態が強く定義されてしまい、通常強度の転移コマンドでは、それを上書きできないのだ。
・・・
「バイバイ。ジウ」
別の手段での回避を試みるべく、通常のレートへと復帰したジウの耳に…襲撃者の声が魅力的なアルト・ヴォイスで小さく告げる。
必死に逃れようとするジウに、その隙を与えないためか、襲撃者は短縮詠唱と最小動作の手印魔法の複合により攻撃魔法を発動する。
【竜爪牙!】
一見、可愛らしい仕草にも見える…胸の前で両手を開いた状態から爪と爪を合わせるように指を折り曲げる最小動作。
いつの間にかジウの目の前に姿を現した女性襲撃者の口から紡がれる短縮詠唱とセットになることで、その最小動作は劇的な破壊を生み出す魔法となる。
【ぞぅ………ん!】
初撃と同様。空間に浮かび上がる竜の顎。
その顎から剥き出しになった鋭い牙には、猛獣を思わせる爪が付属している。
「ぐぁあぁっ…」
ジウの声とは思えないような、切迫した苦痛の声。
・・・
部位欠損。
無理な角度にまで顔を背けたことで、辛うじて頭部の欠損は免れたものの、ジウの右半身…首の付け根から右肩、右胸…そして右腕にかけてが、ごっそりと失われた。
血が噴き出したりはしなかった。
それは、ジウがシステム側の担当者だからか?
いや。PCを描画するエンジンは一般プレイヤーと同一であると言っていた。
ならば、その空間ごと削り取るような魔法の属性としての結果なのか?
しかし、猛烈な痛みに思考力の大半を奪われたジウとアスタロトには、その答えを考えている余裕はない。
失われたのはジウが支配する側の右半身。
左側の支配を預かっているアスタロトには、直接のダメージは及んでいない。しかし、一つの肉体に生じた痛覚だ。ジウと同程度かどうかは分からないが、アスタロトにも苦痛としてダメージが伝わってくる。
<<…あっぐぅ。痛っ…。くっ…こ、コマンドを…か、回復…じ、実行…>>
ジウがシステム管理者専用のコマンドを実行する。
痛覚が直ぐに消えることはない。欠損部位が即座に復元されるというものでもない。
だが、直接【死】に繋がるようなステータスの減少だけは辛うじて食い止められ、そして、おそらくはレッドの状態となったHPが上昇し始める。
瀕死…とはならないまでも、しかし、ジウの精神的は相当なダメージを受けた。
・・・
アスタロトにとっては、二度目の右腕欠損の感覚だ。
慣れる…などということは決して無いが、それでも正常な思考を保つことに一度目の記憶と経験が役立ったのは事実だ。
しかし、システム側の担当者として…滅多なことでは危機的状況に陥ることのないジウは、回復しつつある肉体よりも、むしろ精神に多大なダメージ…即ち「ショック」を受けて…正常な思考をすることに困難を生じていた。
『ま…まずい。ジウさん。駄目だ…意識をしっかり持って…』
マックスとラップの所で溶岩によるダメージを受けたとき、ジウとの会話からシステム側の担当者を倒す方法について脳内シミュレーションをしていたアスタロト。
今、この状況はまさに、アスタロトが思い浮かべていたシステム担当を倒す方法と一致してしまっている。
つまり、もし自分が襲撃者なら、この直後…立て続けに…
「…ふふふ。さすがにしぶといね・ね・ね。でも【竜爪牙】は単発攻撃じゃないのよ・よ・よ?」
アスタロトの予想どおり、ジウの右上半身を食い千切った巨大な竜の顎は、閉じられ口先を下に向けた状況のまま形を保っていた。
そして、徐にその巨大な顎を開くと、まるで満足していない…というように飢えた獣のような勢いでジウの体に噛み付いてくる。
【六縛呪】に回避行動を制限された上での【竜爪牙】による激しい攻撃。
・・・
奇跡的なまでの回避動作で、何度かの顎の開閉は躱したものの、ダイニングの大テーブルに後方への回避を阻まれ、ついに左肩も囓り取られてしまう。
連続された攻撃は止まず、やっと再生されたばかりの右腕をも再び呑み込まれる。連続した部位欠損。
欠損部位の復元が…ある意味逆効果となって、大ダメージを再びジウに与える。ジウの精神は落ち着きを取り戻す隙を与えられず、ほとんど恐慌状態に陥った。
魔法と違い、ジウたちシステム側のPCだけに許された回復や復元のコマンドには、詠唱や手印などの面倒な手順は必要ない。だからこその卑怯なほどの余裕だったのだが、立て続けのダメージに何とかコマンドの連続実行で凌いでいたジウの精神に、ついにほころびが生じる。
大きなダメージのあとの、さらなる大きなダメージ。ジウの精神に、コマンド実行すらできない空白の状態が訪れる。…つまりは、気を失ったのだ。
『じ、ジウさん!?…ま、まずい…こ、コマンドの実行が出来なきゃ…あぅ!』
しかし、その瞬間。幸運?にも、アスタロトから痛覚が失われた。
肉体への過度のダメージが正常な感覚共有に支障をきたしたのか?…本当のところはアスタロトには知る術もなかったが、お陰でアスタロトは冷静な思考を取り戻すことができた。…酷い表現をすれば、痛みを感じなくなったことで、ジウのダメージを他人事として客観的に分析できるようになったということだ。
もう、あと数回…部位欠損ダメージを受ければ、HPの数値は0を下回るだろう。
一般プレイヤーにとって【死】を意味し、即ち強制ログアウトとなるこの危機が、システム側の担当のジウにとって…何を意味するのかは分からないが…
・・・
「…あら・ら・ら?…やっと観念したようね・ね・ね…」
ジウの顔の右側は、血まみれとなっている。
だから、ジウの左目が諦めたように閉じられたのを見て、女性襲撃者はジウが両眼を閉じたと認識し、彼が【死】を受け入れたものと…理解した。
だから、攻撃を止めて、別れの言葉を彼女は唱える。
「…私はアナタの…フウウでは無いけれど・ど・ど………そのフウウの姿をした私に、コロサレルことを…せめてもの救いだと…感謝しなさい・ぃ・ヰ〆」
アスタロトには全く意味が分からなかったが、その台詞を紡ぐだけの時間はアスタロトにとって大きな猶予となった。
ジウの閉じた目蓋。その裏側。駄目もとで呼び出してみたリフュージョンタイプのシステム・コンソールは、アスタロトの最も使い慣れた操作系として期待どおり機能した。
ためらいなのか、感慨なのか…どんな想いが女性襲撃者の胸の裡に渦巻くのかは知らないが、彼女が攻撃を再開するまでの束の間、アスタロトはいくつかの簡単なバッチとスクリプトを即席で書き上げてコマンドラインに流す。
先ほどまで受けていた攻撃を分析して組んだ自動回避パターンとそれを自己学習により効率化するためのプログラムだ。
再開される攻撃への対処を、一か八かでそれらのバッチ&スクリプトに任せて、アスタロトはさらに大がかりなマクロの作成にかかる。そして、同時に…一縷の望みをかけて…あるモノを検索する。
そして、幸運にも…それはジウのツール・ストレージの中にしまわれていた。
・・・
暗い表情でジウが女性襲撃者「フー」に蹂躙されていくのを見ていた左端。
「ほぅ…?」
ジウの動きが、不意に予想外のものへと変化したことに気づいて眉を動かす。
いや。動きだけでなく、纏う雰囲気も…変わったような気がする。
「【死】を目前として…開き直ったか?…それとも…」
「…どうかな?…それを知るのは面白そうだが、さすがに、今、まだこの段階で、ジウをコロスのは…早すぎるんじゃないのかな?」
いつの間にか、左端の後ろに男性PCが立っていた。
「ベリアル………アル・ベリアル・リアルか?…何の用です?」
第1位のTOP19である左端に、直前まで全く覚られることなく、その背後に現れた第6位のTOP19。
しかし、それを特に脅威とも感じないのか、左端は古い友にでも話しかけるかのようにベリアルに問いを返す。
「いや。君の顔が急に見たくなってね。傷心している友のことを気に掛けるのは当たり前だろう?…で、来てみたら偶然…そう偶然、ジウを殲滅しかねない勢いの現場に遭遇してしまった…というわけさ…」
・・・
「ふ…。よくも…平然と………。まぁ良いでしょう。で、どうするつもりです?」
「だから…まだ時期尚早。今日のところは止めた方が良いと…これは助言。それを聞き入れるかどうかは、君次第だよ」
ベリアルの全く読めない顔色。左端はしばらく考え込んだが、直ぐに答えをだす。
「ふん。そうですね。まだ…早いか…」
「うん。君なら理解してくれると思ったよ」
「…まぁ、間違いなく奴らをコロセル…という確証だけは得られました…フーの鬱憤も少しは晴れたでしょう…。フー!そこまでにしておけ!」
左端が少しだけ大きな声で、フーに命じる。しかし…
「で、でも・も・も…」
フーは、突然の停止命令に困惑の色を声に滲ませる…
「頼むよ。今は、まだ…少し早いんです…」
明らかに命じていながら…しかし、高圧的ではなく、依頼の形をとる左端。
そして、フーはそんな左端に絶対に逆らわない。
にも関わらず困惑したのは………命令が手遅れだったからだ…
一度発動した魔法を取り消すのは困難だ。そして、致命の一撃がジウを襲った。
・・・
汎用AIライブラリを利用した自動回避スクリプトは、フーの攻撃を何度かは凌いだものの、【竜爪牙】自身にもインテリジェンスな攻撃パターンの自動改変能力が付与されていたらしく、直ぐにジウの体に致命傷が刻まれ始める。
アスタロトが多少時間をかけて組んだマクロは、システム管理者用の回復コマンドほどではないが、上位の回復魔法並みにはジウのステータスを回復していく。これも、ジウたちシステム管理者用に用意されたライブラリを使用できるからこそであるが、直接回復コマンドを起動できないアスタロトには、ライブラリを流用する手しか思い浮かばなかったのだ。
ジウが“気を失う”という状態にある間。何とか出来る限りの応急処置に尽力したアスタロトだが、これは焼け石に水という表現のとおり…一時しのぎにすらならない。
せいぜいが一瞬後に訪れる【死】を…数瞬後に遅延させる程度の効果しかない。
ジウの体の【死】が、自分の体に戻れない状態のアスタロトにどのような影響をもたらすのかは不明だが…それをさておいても、ジウのことを黙って【死】なせるわけにはいかない。…アスタロトは奇跡を祈りつつ、禁じられたツールの封印を解く。
首の両の付け根を欠損し、遂に顔を背ける回避すらできなくなったジウの頭部に、【竜爪牙】の顎が襲いかかる。
それは、左端の命令で攻撃を停止しようとしたフーの…魔法解除をしようとした直前の一撃だった。
ジウを喰らい尽くした状態で…満足げに?…かどうかは分からないが、やっと【竜爪牙】はMPの供給を絶たれて、その実体化を解かれ霧消する。
・・・
「…すいません・ん・ん。間に合いませんでした・た・た…」
申し訳なさそうに…しかし、スッキリした…という表情でフーは左端の命令を守れなかったことを謝罪する。
何らかの咎めの言葉を覚悟したフーだが、左端と、その後ろに立つベリアルの視線が自分に向けられているようで、少し焦点がずれていることに気が付き…
慌てて振り向いたフーの背後。
激しい攻撃の余波を受けてボロボロになったダイニングのテーブルの向こう側。
疲れたような顔をして、椅子に腰掛け、左手でぼりぼりと頭を掻き毟る男がいた。
「!!!………じ、ジウ…ぅ・ぅ…。な、何故・ぜ・ぜ???」
「………ぅ。あ?………これは?…いったい?」
そのやや惚けた語り口調と身に纏う雰囲気はジウのものに間違いない。
先ほど、一瞬だけ見せた別人のような気配は、全く消え失せていた。
「…何故だ・だ・だ。…なぜ…生きている・る・る?」
「酷いですね。死人と再会した…みたいな言い方しないで下さいよ」
そのジウの口ぶりから、聞いても無駄だと判断したのか左端が言う。
「…ふ。だからお前たちシステム側の担当者は………嫌いなんだ…もう、帰ってくれ」
・・・
今度こそ、大人しく左端の言うことを聞いて、ジウはその場から消えた。
いつものように忽然と。
苦虫を噛み潰したような顔で、再び目を伏せて足下を睨む左端。
部屋に残されたのは、左端とフー、それに途中から訪れたベリアル。
奇しくもこの場にTOP19の第1位、第2位、それに第6位の3人が揃っていた。
「…左端…様・ま・ま…」
「フー。悪かったね。折角の所を途中で水を差して…」
「い、い、いえ・ぇ・ぇ…め、命令に従わずに…ご、ゴメンなさい・ぃ・ぃ」
「良いんだよ。悪いのは…ジウ。…いや。ジウたちシステム側の連中だ。いつもね」
左端の言葉は優しい。足下に跪き叱られた犬のように頭を垂れるフーの頭を、優しく撫でてやっている。
「そのシステム側が、この先の展開として、何を意図しているのか…元ミギハシの君は…知っているか?」
「…お前も…その名で俺を呼ぶつもりなら…敵と見なしますが?………知っていたとしても…お前に教える必要性を感じませんね」
「そう言うな。呼び名のことは謝罪する。だが、元同僚の一人として…私は君の味方のつもりだ。…今までも………そして、これからも」
ベリアルは「では、協議の会場で…また」と付け加えて、その場から消える。
それを見送ることもせず、左端は、ただただ…何度もフーの頭を優しく撫でていた。
・・・
次回から、第2章へ。
章タイトル等は未定。
内容としては、TOP19による協議会の様子?を予定…です。
したがって第2章は数話で…第3章「己を知れば…」へ突入予定です。