(1) ナノテク論的人類進化学 概論
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古来、王侯貴族など時の世の支配階級は、自らの権勢を極めるとともに、長寿を望み、不老を願い…そして不死を祈ってきた。
しかし…究極の治療薬といわれる「ナノタブ」が存在し、必要とされていることからも分かるとおり、23世紀を迎えても、人類自体は【死】はおろか【病】からも自由になってはいなかった。
これは何故か?
科学技術は、19世紀後半から20世紀に加速的な発展を始め、21世紀から22世紀にかけては飛躍的に進歩した。その結果、生活環境は改善し、QOL(人生の質)も向上した。人的ミスによる事故も皆無となり、不治の病と呼ばれるものも…その多くは予防や治癒の方法が研究し尽くされ、脅威とはならなくなっていた。
それは間違いない。
にもかかわらず、人類の「不老不死」の夢に科学技術は何ら貢献をしなかったのだろうか?…長寿すら叶わなかったのだろうか?
記録上の最高齢には、自称や伝説も含めれば200歳以上生きた者もいるようだが、人類全体の寿命の話をしているのだから、ここでは平均寿命で語るべきでだろう。勿体ぶるまでもなく、世界中の平均寿命は21世紀の前半で頭打ちになり、20世紀後半から問題になっていた高齢化社会が、インフレーションを起こすことはついに無かった。
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ひょっとして…ある時を境に…人類は不老不死の夢を捨ててしまったのだろうか?
これは、ある意味で正解。ある意味で不正解。あたりまえか?
元々不老不死など、庶民が真剣に夢見るようなことではなかった。
アナタだって、毎朝起きる度に「よーし、今日も不老不死目指して頑張るぞっ!」なんて気合いを入れたりはしてないでしょ?
しかし、それでも巨万の富や一国の主などの権勢を極めた者たちや、貧しくて才能も無くても自己愛だけは異常に強い困ったちゃんなど…どの時代にも絶えることなく不老不死を希求して止まない者は必ずいるものだ。
なるほど!…つまり、その一部の者たちだけが不老不死を独占していて、下々のその他大勢にまで不老不死が行き渡っていないから平均寿命が短いままなのか!?
ブブーッ!(不正解の音)
残念。色んな意味で…。
少なくとも2206年時点では、誰一人として不老不死の秘術?を手にした者はいない。
それは何故か?
そろそろ解説を始めないとアナタたちが怒りだしそうなので、理由を述べていこう。
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その答えは、実にシンプルだ。
ANSWER IS 「人類が、未だに人類のままだから」
いや。怒らないで欲しいな。これは、別にアナタたちを馬鹿にした答えではない。
極めて真面目に、これ以上ない…というほど的確に一言で答えを述べようとすれば、どうしてもこれを答えとせざるを得ないのだ。
では、逆に聴こう。
アナタが考える「不老不死」とは、具体的にどのような状態を言うのだろうか?
ふむ。何年経過しても全く衰え老いることがなく…どのような怪我や病になろうとも死ぬことのない状態…ですか?
アナタ…それ、リアルに想像してみましたか?…地獄ですよ?…もし、本当にそんな状態になったら…
「何が?」と聴きますか?
だって、「どのような怪我や病になろうとも死なない」…って、右腕が千切れ飛ぶような大怪我をしたり、超高熱の炎に燃やし尽くされそうになったり…は大げさとしても、原因不明の病でいつまでも高熱を出し続けて………耐えられますか?
何?…違う?…そのような怪我や病も、たちどころに治るんだ?
恐っ!…それ、超恐っ!…体が真っ二つになった人が、目の前で元の状態へとみるみるうちに治っていく………きゃぁ~っ!…想像しただけでホラーじゃないですか?
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それって、もうアナタ…人類じゃなくて化け物のような気がしますが…どうです?
じゃぁ…はい。そちらの別の方。アナタはどう考えますか?
ふむ。ふむ。何年経過しても全く衰え老いることがなく…はい。そこまでは一緒ですか。
で?…そもそも、どんなことがあろうと怪我もしなければ、病にもかからない!!
おぉ!!…素晴らしい!何と素晴らしい!!…素晴らし過ぎて、もうリアルな想像が追いつかないですよ?…どうしましょう、アナタ?
「何が?」…と、アナタも聴きますか?
だって、想像してご覧なさい。足下に激突した隕石の破片に襲われても、虚空から突然現れる無数に飛び来る光の矢に射貫かれようと…しつこいようですが超高高熱の炎の壁に押し囲まれて燃やし尽くされそうになったりしても…全く平気な顔をしてピンピンしているなんて…想像できますか?
え?…そもそもの状況が、全くもって想像しづらい?
失礼。それでは、もう少し日常の中で起こりそうな危機的状況で想像してみましょう。
時速100Kmで走る車に激突されてもピンピンしている…とか、超高層ビルの屋上から落下しても傷一つ負わずに平然と歩き去る…とか。全く処理をしていないフグの肝を食べても平気だし、インフルエンザの患者100人に囲まれてクシャミを浴びまくっても全く感染しない…とか?
まぁ…最後の2つの例は、そういう人もいるかもしれませんね。
しかし、それ以外の例が、もし本当に目の前で起きたら…やっぱり、それはもう人類とは呼べないような気がしますが?…どうです?
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何なに?…それが当たり前の時代がくれば、別に誰も驚かなくなる?
ほう………。
アナタ。とても素晴らしいことを、仰いましたよ。今。
今の言葉。忘れない出下さいね。
他の皆さんはいかがですか?
はい?…「不老」と…ほう…「不死」を?…あぁ…分けて考えるべきだ…と?
なるほど。
先ほどのお二人の考えで、化け物じみてしまっている部分は、いずれも「不死」の方でしたね。「不老」の方だけだったら、「何年経過しても全く衰え老いることがない」という定義で、別に困らない。アナタたちは、そう考える訳ですね?
で…「不死」の方は…「不老」の延長線上にあるものであって、何をしても全く死なない…という意味では無いと。
はぁはぁ。了解しました。つまり、寿命で死ぬことは無いが、怪我や病気では死ぬ。
つまり、「不老」のみが可能で、「不死」は不可能…そう考えるんですね?
ナゼです?
え?…私が「不死」に難癖をつけるから?…心外ですねぇ。私は、単にリアルに想像すると…アナタたちの言うような「不死」は、化け物じみてる…って言っただけですよ。
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分かりました。では、「不死」については、私の最初に申し上げた理由に、ご納得いただけたという事でよろしいですね?
確認しておきましょう。
【人類が未だ「不死」でないのは…「人類が、未だに人類のままだから」】
この解釈で、私とアナタたちの見解は一致した。そういうことで良いですね?
では…「不老」についてのみ…もう少し考えてみましょう。
この「不老」には…「寿命で死ぬことは無い」という限定的な意味での「不死」が含まれる…ということで、よろしいですね。
だって、「不老」なのに、ある日突然に寿命で死んだりしたら…「寿命って何?」…という別の疑問が発生してしまいますよね。
え?…神様がお決めになった………ゴメンなさい。今日は、ちょっと…神様にはご登場いただかないようにお願いできませんかね?…一応、科学の講義なので。
一応、「寿命」というのは、体組織がある一定の水準まで「老化」した段階で訪れる生体の相転移であると…そう考えましょうよ?…ね?…ね?…ね?
ありがとうございます。
それでは、「寿命が存在しない不老」を前提として、「不老」を考えましょう。
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アナタたちの考えた「不老」の定義「何年経過しても全く衰え老いることがない」…については、リアルに想像しても…まぁ…特にホラーやスプラッターにはならないように思いますので、それは、それで良いのかもしれません。
では、何故…「不老」は実現していないのでしょうか?
少しアプローチを変えて検討してみましょう。名付けて「もしも作戦」。
もしも…「不老」が実現していたら、世の中は、どう変わっているでしょうか。またまた、未来に訪れるかもしれない「その時」をリアルに想像してみましょう。
誰も寿命では死なないわけですから、今よりも死亡率は明らかに低いです。ということは、人口は…どんどん増え続けますね?…だって、「不老」になったからって…男と女がいれば、することはするし…その結果として…子どもは生まれてくるでしょ?
はぁ…。最近、確かに…結婚しない人が多くなっていますね。大昔に「肉食系」なんて言葉がありましたが…現在はその表現を借りるなら老若男女あらゆる層で「草食系」が主流になってきましたよね。
話が…脱線したようにアナタたちは感じたかもしれませんが…これ、後で非常に重要なポイントになりますので覚えておいて下さい。「今、人類は草食系が主流だ」と。
で、話を元に戻しますが…人口が増えれば…食料が不足します。
単純に飢えて死ぬ人が出るでしょうね?…え?…何も食べなくても死なないようになる?………いや。だから、それって…もう人類じゃなくなってませんか?
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単純に飢える以前に、古来、歴史を見れば、食料の不足は戦争の原因になりますね。
そうそう。人口が増えれば、人口密度もドンドン上がっていきますから、土地の奪い合い…という意味での戦争も勃発するでしょうね。戦争が起これば、残念ながら「不死」ではないという設定ですから…人は死にます。
おそらく、「不老」を実感するよりも、かなり以前の早い段階で「奪い合いの戦争」は多発するでしょう。むしろ、人類の滅亡を早めかねないほどにね。
ね?…なんか「不老」も、人類が人類のままでは…難しそうな気がするでしょ?
では、さらに別の方向からも検討しましょう。
「不老」が実現可能として…科学者や技師を目指すアナタたちは、それをどうやって実現しますか?…未来の話です。今は、まだ「不老」とはほど遠い我々人類の肉体…と精神…を、アナタたちは、どうすれば「不老」にできると考えますか?
………
あれ?…急に、沈黙しちゃいましたね。難し過ぎたかな?…では助け船を。
ある物事の解決方法を探すには、まず、現状の課題や問題点を明らかにすることが重要です。…つまり、「不老」について考えている我々は、現状の「不老」ではない状態。つまり「老化」が何故起きるか…「老化」を引き起こしている問題点について知らなければなりません。
改めて、アナタたちに問いましょう。「何故、老化するのか?」…と。
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はぁ…皆さん…もう疲れたような顔をしていますね。難しいことを考えるのは、疲れますからね。…分かりました。いいでしょう。講義の持ち時間にも限りがあるので、ここからは私が解説することにしますね。
人類の肉体は細胞によって構成されています。非常に単純に言えば「細胞が傷ついて壊れていく」…これが蓄積し、頻度が増えていくことが「老化」だと言えるでしょう。アナタたちがお風呂で洗い流している「垢」。簡単に言えば、あれが死んでしまった細胞の末路です。
生まれて、子どもから大人へと成長していく段階でも、細胞は頻繁に傷つき壊れます。
「新陳代謝」という言葉を聞いたことがあるでしょう?…体が成長していくためには、古い細胞が壊れて場所を空けてくれないと…新しい細胞の入り込む場所がありません。大人のように体の大きさが固定されてからは…それでも良いかもしれませんが…子どもの場合、それでは大きくなることができませんね。
え?…古い細胞が…そのまま大きくなればよい?…なるほど。脂肪細胞はそうですね。
うん?…子どもと大人では細胞の数が違う?…別に壊れなくても増えていくだけで良い?…う~ん。そうなんですけど…ある時点で「子ども」という一つの生物として成り立っている状態に、細胞がどう増えて大人になるのか…については、一度、よく勉強してみて下さい。ここで、その話をすると…ちょっと長くなりますし、本題から逸れ過ぎてしまいますので…とにかく、ここでは大人より子ども、子どもより赤ちゃんは…成長のためにより激しく新陳代謝を繰り返している…即ち…細胞は死に、そして細胞分裂により入れ替わりながら増えていく…それを事実として受け止めて下さい。
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さて、今、アナタたちが提唱した、「不老」の時代の成長では、「細胞は死なず」に「細胞が大きくなる」か、又は「細胞の数が増える」という方法を実現するとして…それは、現時点での人間の成長方法とは違います。つまり、今の人間の細胞のあり方とは、違う細胞へと体を変えよう…と提唱していることになりますが…どうやって実現しますか?
外科的手術?…薬に頼りますか?
あぁ。結構です。答えは未来に任せましょう。
ところで、それが実現できたとして…その手術を受けたり、薬を飲んだ人は…人類といえますか?
今、アナタたちは細胞を、何らかの手段で「作り替える」…と言ったことになります。
面倒臭いので、いろいろなケースを私の方で、いっぱい提示しますが…
現在の医療工学技術を駆使すれば、大昔からSFなどに登場する半分機械で出来た体を持つことも不可能ではありません。それによって、ほぼ「不老」に近い状態は実現できるでしょう。…が、これは…人類と言えますか?
何?…「それは人類じゃない!」…と言わせたいのか?…と?
いいえ。誤解しないでいただきたい。
むしろ、私は「それは間違いなく人類だ!」と、アナタたちに言っていただきたいのです。何故、私が「人間」と言わず「人類」という言葉を使っているかお気づきですか?
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そう「人類」…「類」であれば良いのです。
ナノタブによる医療技術の進歩により、現在では少なくなりましたが、昔は心臓に不具合を抱える方が、心臓ペースメーカーという器具を入れたり、もっと極端な例を言えば、視力の低下した方がメガネやコンタクト…といった生身の体には存在しない器具の補助により、通常の生活を送る…ということが多くありました。
義手や義足、義眼の方も。補聴器やメガネだけでなく、人工の臓器が必要な方も。また、様々な理由により、薬を常に服用せざるを得ない方も。
その方々は、間違いなく人間です。これは、もう主義主張の問題にもなりますが…少なくとも私は、多少の肉体的特徴や組成の違いで、区別する理由はないと信じます。
しかし、器具や薬のような手段は、今も昔も肉体や精神への負担が大きく…決して「不老」への最短ルートにはなり得ないのです。
そこで、我々は、ナノタブに代表されるようなナノテク(ナノ・テクノロジー)による体や精神に負担の少ない方法を考えました。
赤血球や白血球、血小板など…これらは…ある意味、天然のナノマシーンであると言えます。我々は既に、水素や酸素…窒素…つまり空気や水ですね…と炭素や硫黄を人口的に合成し、それを段階的に繰り返し…生命の元となるタンパク質を合成し、赤血球たちと同じく金属ではなくタンパク質を材料としたナノマシーンを生み出すことに成功しています。
ナノタブとは、この有機的なナノマシーンを、人体に取り込みやすいように錠剤の形状にしたものであることは、周知のことと思います。
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念のため…アナタたちにお聴きします。
「ナノタブを服用した人は、人類ですか?」…と。
ありがとうございます。そうですよね。人類に決まってますよね?
所詮、ナノタブは、ナノテクを用いた薬。薬を飲んだら人では無くなる…なんてことはあるはずがありません。…まぁ…一部の麻薬などは人体に有害でしかないので、その摂取をやめるよう呼びかける標語などに…「麻薬を服用すると人間でなくなる」的な警告のニュアンスを盛り込む例もありましたが…まぁ、それでも人類であることに変わりはありません。
しかし、残念ながらナノタブは…非常に高価です。
非常に効果がありながら…高価で…貧しい方には手が届かず…同じ病や怪我であっても…金持ちは生き永らえ…貧しい者は死なざるを得ない。
私は…悲しいのです。この現実が。
そこで、次のように考えました。
アナタたちは「遺伝子治療」という言葉、若しくはその意味するところの医療技術をご存知ですか?
さすが………皆さん優秀ですね。そうです。その遺伝子治療です。
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先ほど、赤血球や白血球、血小板…などをナノマシーンの一種と表現しました。
同様に、今でも希に私たちを苦しめる、忌々しきあの「インフレンザ-」という病は、「ウィルス」という病原体により引き起こされるのはご存知のとおりですが、その「ウィルス」も、その働きや構造等を調べてみると…ある種のナノマシーンであると言えるものであることが分かります。
古典的な遺伝子治療では、このような「ウィルス」のナノマシーンとしての性質を利用して、我々の細胞の「設計図」…ともいわれる遺伝子の情報を書き換えることで、様々な体の不具合を根本から望ましい方向へ変えよう…というアプローチをしていました。
「不老」の話に立ち戻れば、21世紀初頭の研究で「長寿遺伝子」というものが大きな話題となり、これを増やそう…というような啓発が頻繁にアナウンスされました。
その時の「長寿遺伝子」は、食生活の工夫や腸の働きの活性化などで増加させることが可能であるとの研究結果から、民間療法できな取組も盛んに行われました。
ですが、後天的に遺伝子に手を加えることが許されるのなら…
生まれつき、ナノマシーンにより好ましい細胞状態が維持されるようになったら、どれほど「不老」に近づくことができるでしょう?…夢のような話に聞こえるかもしれませんが、これは実現可能な医療行為です。
このようなナノマシーンにより書きこまれた遺伝情報からつくりだされる、第二世代のナノマシーンを、私は「不老因子」と名付けました。
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遺伝子を改変するウィルス的なナノマシーンによる「遺伝子治療」行為が必要ですが、その改変された遺伝子は子孫にも受け継がれます。この遺伝子を持つ者は…生まれながらにして遺伝子治療後の親と同じ「不老因子」を体内に保有することになります。
この「不老因子」は、遺伝子に組み込まれた設計図に基づき、体内のタンパク質を合成して生み出されます。これは、元来、我々人類の遺伝子に記述された設計図に従って生み出されている赤血球や白血球、血小板と同様に、体内で絶え間なく生成され、新陳代謝を繰り返します。
さて。この遺伝子治療をほどこされた………私を………人類として認めていただけますか?…いえ。第2世代です。遺伝子治療行為を直接受けたのは私の父母です。ですが、私にも父母と同じ「不老因子」が、体中の血液やリンパ液などの体液中に流れています。
はい。はい。突然のカミングアウトに、アナタたちが驚くのも無理はありません。
あぁ。中には、あからさまな疑いの目を向けて下さる方もみえますね。
信じる方は、そのまま信じて下さい。
疑う方は、まぁ、無理に信じろとは言いません。
仮に私の言うことが本当でも、別にアナタたちとちっとも変わらない…ちょっとだけ寿命の長いだけの人間にすぎませんから。気にする必要もありませんしね。
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さて。
話を元に戻しましょう。
先ほどの遺伝子治療の効果ですが…「不老因子」などという大げさなネーミングをつけたわりには、残念ながら「長寿」に「毛」が生えた程度しかありませんでした。
その治療を受けた群と、受けていない群での平均寿命の比較は、「不老」という事象の性質上、それほどの長期にわたるデータがまだ録れていません。
ですが、最初の被験者たちは確かに「老衰」の呪縛からは逃れることに成功しました。
ついに人類は「不老」を手にするコトができた!………かと、我々研究者は大いに喜んだのですが………それはご想像のとおり…ぬか喜びでした。
この講義の冒頭で述べたとおり、2206年時点で、人類はいまだ「不死」も「不老」も手に入れることはできていないのです。
そして、その理由は「人類が未だ人類のままだから」。
何やら、私の話は矛盾しているように聞こえるでしょうか?
遺伝子治療により「不老」を実現した…と言いながら、「不老」は手にしていない。
矛盾していますよね。申し訳ありません。
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この矛盾を解明するために、「不老因子」の働きについて、まず説明をしましょう。
「不老因子」は、遺伝子が新陳代謝…つまり細胞分裂を繰り返す度に自然に混入するエラー…つまり遺伝子の傷が発生しないようにコントロールするとともに、発生した遺伝子のエラーについても可能な限り修復します。
また、DNAの端にはテロメアと名付けられた細胞分裂の可能回数をカウントする役目をする部分がありますが、「不老因子」はこのテロメアのカウンターもリセットし、細胞分裂の限界が訪れないようにコントロールをします。
このように、「不老因子」は「老化」の原因について一つひとつ対応し、若い体を維持しようとするものです。
しかし。
「老化」とは、そんな単純なものでは無かったのです。
「不老」を阻む人類の敵。それは「癌」です。20世紀から21世紀にかけての研究者も、「癌」が「老化」と同列に語られるものであることを知っていました。
しかし、細胞分裂が限界を迎えていく…という意味での「老化」と、逆に細胞が無限に分裂を繰り返してしまう「癌」では、その対処方法が大きくことなります。しかも、困ったことに「癌」の細胞は死にません。正常な細胞の陣地を侵し、正常の細胞よりも多くのエネルギーを浪費し、そして無限に増殖する。
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もちろん、「不老因子」は「癌」の原因となる遺伝子のエラーについても補修を行う機能を有しています。ですから、「不老因子」を持たない群よりは、明らかに「癌」への耐性は高い…ハズなのですが…「癌」と一言で表現しても、「癌」の原因もそのタイプも、様々です。同じ遺伝子の損傷でも、ある人では「癌」となっても、ある人にはなんの悪さもしない単なる不要な細胞に過ぎない…ということが往々にしてあるのです。
「不老因子」は、そのナノという極微小なサイズの中に、我々の持つ技術の粋を注ぎ込んで、高度なアルゴリズムによる判断の上で、細胞や遺伝子の修復を行うかどうかを判断できます。…しかし、「癌」の原因やパターンが余りにも多様であるため、へたに無差別に修復を行おうとすると、逆に細胞を「癌」と化してしまうことがあるのです。
ですから、優れた「不老因子」といえども「癌化」というタイプの「老化」を完全に防ぐことはできません。
我々が予想する以上に、「老化」の中に占める「癌化」の割合は大きなものでした。
何故、こんなにも「癌化」が起きるのか?
それは…内分泌撹乱物質、いわゆる「環境ホルモン」の影響なのです。
20世紀後半に、「環境ホルモン」という言葉は庶民の間でも深刻な問題として話題になったことがあります。その後、天災や凶悪犯罪、テロ、戦争…など、それ以上にショッキングな事件が日常を埋め尽くしたために、全く解決していないにもかかわらず、一部の研究者の口にのぼりはしても、庶民の話題となることはなくなってしまいました。
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しかし、人類の暮らしを快適にするために生み出された様々な化学物質、これらの中に、後になって「環境ホルモン」であることが判明したものが多数存在します。
尊い犠牲があってのことですが…毒性の高いものについては、法律等で生産や使用、廃棄やその後の管理が制限され、極端な「環境ホルモン」による被害は減ってはいきました。
しかし、環境ホルモンの多くは、自然界にある物質よりも安定性が高く、一度拡散してしまったそれらは、この23世紀の現在でも我々の脅威として存在し続けています。
しかも…22世紀や23世紀になってから、それまで安全だと信じられていた物質が、実は「環境ホルモン」として人類の体に影響を与えていると判明したものも少なくありません。
「環境ホルモン」のタチの悪いところは、それが人類にとって必要な「ホルモン」の作用を阻害するものだけでなく、人類にとって必要な「ホルモン」と類似した構造を持つものは、ホルモンの受容体に「偽のホルモン」として結合してしまい…必要がない、又は、必要以上の内分泌物質の生成や過剰反応を引き起こしてしまうというところです。
この過剰反応が…「癌化」を誘発します。
人類が、その体の仕組み上、「ホルモン」を必要とする以上…「環境ホルモン」の影響から完全に逃れることはできません。本来必要な「ホルモン」すら受容できなくなれば、正常な状態を維持できなくなってしまうからです。
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そのようなワケで…
【人類が未だ「不老」でないのは…「人類が、未だに人類のままだから」】
という結論になってしまうワケです。えぇ。本当に残念なことですね。
しかし、皆さん。この「環境ホルモン」ですが、「不老」云々以外にも、我々人類にとって、現在、深刻な状況をもたらしていることをご存知ですか?
そうです「性ホルモン」への悪影響です。20世紀後半にも大きく問題視されていましたが、現在でもその問題は解決されておらず、むしろ深刻さを増しています。
今日の前半に覚えておいて下さいとお伝えしたことを覚えていますか?
そう。「今、人類は草食系が主流だ」というアレです。
ぶっちゃけ…出生率の低下のみならず、そもそも婚姻率の低下…どころか、生殖行為に至ることのできる器量よしの男女の数も…著しく減っているのです。
「性ホルモン」の異常は、直接的に「生殖細胞」の異常や減少を引き起こし、生殖器自体の奇形や不能の原因ともなっています。ナノタブによって治療が可能なものもありますが、恒常的に影響を発揮し続ける「環境ホルモン」に対し、ナノタブの服用を繰り返すと…それが、また「癌化」を引き起こす場合があり…問題の解決は容易ではありません。
このままでは、遠からぬ将来………人類は、社会を維持できなくなるでしょう。
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ということで、今日の講義では「人類の進化について」をテーマとして、それをナノテクノロジーの応用による視点から考えてみました。
そろそろ、時間が無くなってきました。今日は「概論」ということで、あまり深く突っ込んだ話はできませんでしたが………最後に一つ。
ナノテク遺伝子について、アナタたちが「倫理的」な嫌悪感を抱かないでいただけるのであれば、人類は、この23世紀に、今までの歴史上で最大の進化を迎える可能性があります。残念ながら「不老因子」は、名前の効果を発揮できませんでしたが、「不老因子」とそれを生み出すための遺伝子のカスタマイズを許容できるのであれば、「超能力因子」又は「魔法因子」…と呼べるような因子を保有することが可能となります。
まだ理論の段階で、クリアーしなければならない技術的な問題は山積していますが、技術的には可能だと私は考えています。もちろん、体の中を流れる血液に自由に意志を伝達する…などという経験を我々人類はしたことがありませんから、その因子を保有できたからといって、自由に奇跡を起こせるようになるのは容易ではありませんが。
あ。もう一つ。人類が「不老不死」となれなかった理由を言い忘れていました。
それは…「精神」の「死」と「衰弱」です。
どれだけ肉体的な問題を解決しても、人間の精神は思いの外、脆いということが分かってきました。長期間の「孤独」に精神は耐えられません。そして、長期間の「閉塞感」にも…耐えられる者はほとんどいません。詳しくは言えませんが…実験の結果、ほぼ全員が発狂寸前にまで追い込まれました。
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あっと、時間です。
鐘が鳴ってしまいました。
この続きは、また次回、お話いたしましょう。
実験に興味のある方は、シムネット検索エンジンで「デスシム」というワードを検索して下さい。
人類の可能性について、社会実証実験を実施しています。
どなたでも参加可能です。
あ。社会実証実験…なんていうと難しそうですね。
まぁ、目的はそうなんですが…実際には、一般のシムタブ型MMORPGと同じように楽しめるゲーム仕立ての仮想世界です。
興味のある方は、是非、気楽にサインインしてみて下さい。
もちろん…これはデスゲームではありません。ご安心下さい。
興味がなくなれば、いつでも自由にログアウトできます。
…ただし、一度ログアウトすると、二度とログインできませんけどね?
うふふふふ。
それでは、機会がありましたら、またお会いしましょう。
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