#6 プールに沈むマーメイド【後編】
プールサイドに広げたパラソルの下。
ブルークオーツの様に青く透き通った鰭で、水と戯れるマーメイドさんのヒアリングが始まります。
「――では、名前を憶えていないという事ですので、仮の名前を付けさせてください。仮称はマーメイドの『メイさん』でよろしいでしょうか?」
「え~!? もっとオシャレな名前がい〜い!」
不評でした。
鈴が転がるような声で、かわいく異議を申し立てられます。困惑した私を見たヒヅル君が小さくため息をつき、助け舟を出してくれました。
「はぁ……そう? 僕はその名前、いいと思うけど」
「ホント!? じゃあ、いいや♪ メイです! よろしく♡」
メイさんはヒヅル君に向かって、にぱっと笑顔を咲かせます。
…………。
メイさんに質問を始めましょう。
「ここに来る前の記憶は有りますか?」
「な~い。気づいたらこのプールにいた~」
「何か物を無くしたり、困っている事は有りませんか?」
「無いよ~。逆に全部なくして身軽だし、人魚になったし? ヒヅル君もいるしね♪」
メイさんは可愛くポーズを決めて、ヒヅル君にウインクします。
しかし、ヒヅル君に届かなかったようです。代わりに、大きなため息が聞こえました。
「困ってないのか……じゃあ僕達は帰るよ。不眠不休で心が休まらないんだ。アルファ、行こうか?」
「え? は、はい……」
ヒヅル君は私にアイコンタクトを送ると、椅子から立ち上がりました。気だるそうに出口へ向かい歩き出します。それを見たメイさんは、ひどく慌てました。
「え~! まって!? あるある、あるっ!! 持ってた鞄なくして困ってるのっ!」
「「…………」」
目を見合わせた私達は、パラソルの下に戻り腰をおろしました。ヒアリングを再開します。
「どこで無くしましたか?」
「どこだったかな~。よく覚えていないんだよね? 校舎の中だった気がする」
「分かった、アルファ一緒に探しに――」
「ちょっと~! 一人にしないでよ!! また襲われたらどうするの? それに私歩けないのよ??」
そう言って彼女は、ヒヅル君の腕に絡みつきます。鰭で水面を叩いて抗議しました。
「止めろ。くっ付くな。濡れる!」
ふたりの姿を見ていると、また心が鈍色に波立つのを感じました。
ここに居たくない――胸が苦しく、息ができない魚のような私は、とうとう逃げ出すことにしました。
「ヒヅル君はメイさんと一緒に居てください。どちらかが一緒なら黒板の怪物も手を出せないでしょう。私が、校内を探して来ます」
「アルファ……」
「1時間交代で行きましょう、また戻ってきます」
笑顔を張り付けて、手をひらひらと振りました。すっと立ち上がり、プールを後にします。
◆
私は独り、静かな廊下を歩きます。
メイさんは、校内で鞄を失くしたと言っていました。私は教室前の廊下に並ぶロッカーを、ひとつひとつ開けて中を確認します。
開けるロッカーは私と同じ空っぽです……空っぽだから、心は何も感じないハズなのに……なんで二人を見ると、こんなにも胸が締め付けられるのでしょう?
私は二階、三階と教室のロッカーを見て回ります。しかし、メイさんの鞄と思われるものは見つかりません。
とうとう生徒会室まで来てしまいました。北棟を探そうと考えた瞬間、生徒会室から物音が聞こえました。コツコツと何かを叩く音が聞こえます。
私は静かに扉をあけて、中を窺いました。人影は有りません。
音の正体はチョークでした。私は入室して、ゆっくりと黒板に近づきます。
コツコツと、思案するように黒板に打ち付けられるチョーク。メイさんを示す『マーメイド』の記述は残ったままです。
書いてあるのに……何を書き足そうとしているのでしょう?
書き足そうとしている?……――!!
私は、生徒会室を飛び出しました。慌てて階段を駆け下ります。
根拠も理由も有りません。ただ、二人に何かあったのではと感じたのです。
やはり私は、冷静さを欠いていました。よく考えれば分る事なのに!
上履きのまま校庭に飛び出し、プールへと向かいます。錆びた鉄扉を乱暴にあけて、プールサイドに駆け込むと……
パラソルの下に二人の姿は有りませんでした。
乱れる息を整えながら、周囲を見渡し、耳を澄ませます。――考えましょう。
メイさんは人魚なので歩けません。その為、遠くに行けない。ヒヅル君が彼女から離れたとも考えにくい。ならば居場所はただひとつ。
私は勢いよくプールに飛び込みました。
プールサイドから見たプールの底は、綺麗なアクアマリン色です。私の身長でも、プールの底に足を付けると頭まで沈んでしまう、青い世界。
ブルーに浸った私は振り返りました。
飛び込み台の下、プールの壁面にへばりついていたのは――黒板の怪物と、ぐったりとしたヒヅル君。そして、彼を抱きしめるメイさんでした。
彼等は黒い闇に飲まれようとしています。
メイさんは私と目が合うと、勝誇るように目を細めて笑っていました。藍色の瞳が爛々と輝いています。
私はプールの底を思いっきり蹴ると、壁に向かって泳ぎます。腕を伸ばしてメイさんの頭の横に両手を着けました。
――ばちん!
その衝撃は白い光を生み、青の世界を揺らします。黒板の怪物はぶくぶくを泡を吐きだして苦しみました。
何が起ったか分らないメイさんは、眉を歪めキョロキョロと周りを見ます。気を失っていたヒヅル君がゆっくりと目を開けると、口から小さな泡をコポンと吐きだしました。
苦しみの限界を迎えた黒板の怪物は、掴んでいた物すべてを離します。
私はその隙に、メイさんとヒヅル君の腕を掴みました。プールの壁を思いっきり蹴って浮上します。
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……二人とも大丈夫ですか!?」
「なによ! 離してよ!!……もう少しで上手くいくと思ったのに……」
メイさんの言葉に弾かれるように、私はパッと彼女の手を離しました。
彼女は私から逃れると、大きく跳ねて飛び込み台の上に着地します。頬杖を突きながら、こちらを憎らしげに睨みました。
私の腕の中で、ヒヅル君が咳き込みます。
「ゴホッ……アルファ……ごめん、油断した。黒板の怪物は僕達を攻撃出来ないんじゃ無い。あの腕章を付けた人物を攻撃できないんだ」
体育着姿のヒヅル君には、赤い腕章が付いていません。制服につけたままの様です。
なるほど。旧生徒会長が『必ず携帯するように』と書いた意味はこれだったのですね。
「では、まだ離さない方がいいですね」
私は彼を左腕で抱きかかえたまま、プールの中央に手を翳しました。私の腕からは白い茨が出てきます。茨は水中から、あるものを引き上げました。
それは、セルリアンブルーの学生鞄。黒板の怪物が吐きだしたのです。
「メイさんが失くしたものはこの鞄ですね?」
「言ったでしょ? 失くしたんじゃないわ。亡くしたの」
鞄を彼女が座る隣のレーンの飛び込み台に起きました。メイさんは荷物を横目で見ると舌打ちします。
「なんで、こんな事をしたのですか?」
「鞄はもういらないから捨てたの。重いし。ヒヅル君は黒い影に言われた。『生徒会どちらか一人の腕章を取ったら、欲しい方を君に上げる』って。『ずうっと一緒にしてあげる』って」
黒板の怪物が、メイさんを唆した?
メイさんは悪びれる様子も見せず、饒舌に語りました。
そして、次第に烈火のごとく怒り出します。
「アンタ見てるとイライラすんだよね。何で、アンタみたいな地味で弱いだけで、何の取り柄もない奴らが大切にされるの? なんで私がひとりぼっちなの? ヒヅルを私に頂戴よ?」
「ヒヅル君は、物では有りません」
「黙れ! 正論なんか聞きたくない!! 努力も覚悟も無い癖に!! 私は好かれるために努力したわ、いろんなものを捨てた!! 悔しい! 許せない!! なんで私の願いは叶わないの?」
メイさんは髪を振り乱し、藍色に輝く瞳から大粒の涙を零しました。
嫉妬の炎に妬かれた彼女。その腕からは、瑠璃色の鱗が生えてきました。プールサイドの陰の中で黒板の怪物が嬉しそうにざわめきます。
彼女に私の言葉は届くのでしょうか?
言葉を発しようとしても、掠れた息が漏れるだけでした。人の姿から離れゆく彼女と、出ない声にパニックになりかけたその時……腕の中で、静かに聞いていたヒヅル君が口を開きました。
「好きなものを諦めて捨てたのは、君の方だろ?……『蛇川愛依』」
「「え?」」
その言葉はメイさんに届き、彼女の姿が変わりました。
ペールブルーの髪は瑠璃紺に変り、藍色の瞳も濃紺になりました。魚の下半身は、ほっそりとした人間の脚に。そして、少女から色香を纏う二十代後半の大人の女性に。
彼女はプールの水面に映る自身の姿を見ると、激しく取り乱します。
「あっ……ああっ……せっかく忘れたのに!! 何もかも忘れたかったのに!!」
「忘れてないじゃないか? 歌を……」
「何よ! 何も知らないガキの癖に!! みんな酷い……先輩も……みんな、最初は好きと言って近づいて来るのに、最後は重いって……あの子がいいって離れていく!……誰も私を見てくれない! 愛してくれない!! ……あの女! 許せない!!」
ヒヅル君は、静かに諭すように言いました。
「君は、その愛を得た先に何を望むの?」
「それは……」
未来のない愛。目先の恋。
彼女は答えられず、唇を噛みました。悔しさが頬をつたいます。
「他人を妬んでも虚しいだけだよ。君が得られなかった物があるように、君にしか持っていない物も有った。鞄の中を見てごらん」
ヒヅル君を睨んでいた愛依さんは、半ば自棄になりながら鞄を開けました。
そこには、紙の束が入っていました。不思議なことに、鞄の中身は濡れていません。彼女が取り出すと、数枚がプールにはらりと舞って、私の近くに落ちます。
それは、アイドルの解散ライブのチラシでした。キラキラした衣装を着る女の子たちの中に、愛依さんも写っています。
「そうだ……私、誰かに必要とされたかったんだ。必要とされてたじゃん……なんでまた捨ててるんだろ……」
彼女が手に持っているのはファンレターの束でした。彼女は手紙を見て口元を抑えます。目から丸い水晶のような涙がポロポロと零れて、プールに溶けて行きました。
私の近くにはもう一枚、小さな紙が流れつきます。
『BARセプテム・フォックス』……お店の名刺?
「過去の恋に執着して、居ない誰かに嫉妬し続けるのはやめろ……」
ヒヅル君は、悲しい顔をしながら、苦々しくそのセリフを言いました。
彼の言葉を聞いた愛依さんは、嗚咽を漏らしながら言いました。
「私、何やってるんだろ? バカみたい……」
その言葉を遺して、愛依さんは消えて行きました。金色の光の粒子を遺して。
◆
「愛依さん、帰れて良かったですね?」
プールをあとにした私達は、校庭をトボトボと歩きながら話します。
ふたりとも、ずぶ濡れでした。私は肩にバスタオルを羽織って、腕には愛依さんが着る予定だった体育着を抱えています。隣を歩くヒヅル君は元気が有りません。
「うん、そうだね」
この通り、生返事です。
「……愛依さん、本当に綺麗な女性でしたね。私、ヒヅル君が愛依さんを選んで居なくなってしまうのではと、ヒヤヒヤしました」
彼にはここで「何? 嫉妬したの?」と、ニヒルな笑顔を浮かべて、言って欲しかったのです。でも、私の希望と現実は違いました。
「……アルファ、何か思い出したの?」
ヒヅル君は急に立ち止まり、苦い表情で私を見つめるのです。
その声色は、『思い出して嬉しい』よりも『思い出して欲しくない』。不都合を確かめるような質問でした。
「い、いえ。何も。――そう言えば。ヒヅル君はなぜ、愛依さんの名前を知っていたのですか?」
「……僕も分からない、何でだろう。きっと、偶然だよ」
――嘘。ヒヅル君は目を伏せました。睫毛の陰が頬に落ちます。『それ以上は聞かないで』と、彼の空気が物語っていました。
「ごめんなさい……疲れましたよね。生徒会室に戻って着替えましょう。そして休息も取らないと」
「そうだね」
そう答えた彼は、再び歩きはじめます。私は前を歩くヒヅル君の小さな背中を見て、寂しさを覚えました。
私は、ヒヅル君の事を何も知りません。彼はどこから来たのでしょう? なぜ愛依さんを知っていたのでしょう? 彼を知るたびに新たな謎が増えていきます。
考えに耽りながら歩いていると。校舎から異様な音が聞こえました。
――パカラッパカラッパカラッパカラッ!
馬の蹄の音? 職員玄関から出てきた、白い影はこちらに向かってきます。それと同時に、男性の嬉しそうな声が聞こえてきました。
「姫ェ~!!!」
「?」
「なんだ?……はぁ!? アルファ避けろ!」
ヒヅル君の声に合わせて動こうとした時には、もう手遅れでした。持っていた体育着も、羽織っていたバスタオルも衝撃で落としてしまいます。
白い疾風は、私を攫うと校庭の方へと駆けていくのでした。




