#19 勿忘草色のプラスアルファ
僕が幸せな夢から覚めると、そこは廃校になった母校だった。
誰からも手入れされない、忘れられた校庭。その隅にひっそりと佇む欅の根元。辺りからは闇が消え去って、折れた枝の隙間から明けの空が見えた。
鳥の囀りも聞こえ始めて、生物たちが今日を生き始めている。寝転がる僕も、起き上がろうと頭を動かすが……
「いてっ……」
木から落ちた時に、打ったのだろう。そっと頭を触ったけど、怪我はなかった。
ひんやりとした朝の空気を吸い込むと、苔と土の匂いに混じって、優しい花の香りが鼻孔をくすぐった。僕の周りでは、勿忘草が青く小さい花を咲かせている。木陰で見るその青は、僕の目に鮮明に映った。
「生きてる……」
僕は生と死のはざまの世界から戻ってきた。
死んだ彼女の元に行きたかったのに、当の本人に追い返されてしまった。
目を瞑って夢を思い返す。
楽しかった時期の学校で、真っ白な彼女と過ごした数日間。彼女の夢だった生徒会活動を行なえた。登場した生徒達や活動の内容はともかく、神様からおまけの時間を貰えたみたいで、とても嬉しかった。
あんなに心から笑ったのは久々だ。瞼の裏に焼き付いている彼女の笑顔が、今も眩しい。
あすかとアルファはどうなったのだろう。
深呼吸をしていると体の感覚も戻ってくる。深いため息を吐いた時、胸の上に温かみと重さが有る事に気付いた。僕はそっと手を伸ばすと、柔らかい毛並みに触れた。
「みゃー」
両手で優しく持ち上げると、青い瞳と目が合った。白と黒の毛並みを持った子猫……。
小さな子猫が、こんな所に一匹? 耳を澄まし首を動かして確認するも、周囲には母猫も兄弟猫の気配がない。
まさかと思って名前を呼んでみる。
「あすか? アルファ?」
「みゃぁー!」
応えた。
子猫が足をばたつかせたので、再び胸の上に置いて優しく背中を撫でた。子猫は僕の顔に近づいて、頬ずりしてくる。ぐるぐると喉を鳴らし、小さな手で僕の喉元を踏みしめて甘えた。
僕は不意に、あすかとアルファの言葉を思い出した。
昔、あすかと図書室で交わした何気ない言葉。
――『元気になって、猫みたいに走り回りたいかな』
必死に僕を助けてくれた、アルファの言葉。
――『ヒヅル君にシなレては、ワタシもあスかも困ルノです……』
…………。
僕とあすかを連れて帰ると啖呵を切ったアルファだ。僕がここに居ると言う事は、彼女達もこの世界に来ていてもおかしくない。
目が開いている子猫という事は、生後2週間は経っている。アルファも、あすかが猫として生まれ変わっている事を知ったのでは……
生まれ変わっていたのなら、死なれては困るという言い分も分かる。
あすかはに至っては、本当に願いを叶えてしまった。
思わず小さな笑いが零れてしまった。涙腺も一緒に弛んでしまう。僕も歳だ。
「まったく、ふたりして……大人しい顔して、やることが強引なんだよ……」
これはイカレた妄想。でも、僕はこれが真実だと思いたい。
生まれ変わったばかりのあすか達は、こんなに小さな体で僕を探してくれた。
「見つけてくれて、ありがとう」
僕は子猫を抱えながら、ゆっくりと起き上がった。
首に絡んだロープを外し、小さな命の温かさを確かめるように撫でる。
こんな辺鄙な所にこの子を置き去りにするなんて事は出来い。そう言えば、僕も『猫を飼いたい』と彼女に言った事を思い出した。そんな願いまで覚えていて、叶えてくれたのかと驚いたけど、甘える事にした。
彼女があの世に居ないのなら、僕が向かう理由もなくなってしまった。
「もう一度、生きてみるよ。一緒に生きよう……」
僕は立ち上がり、子猫を優しく抱きしめた。荷物を纏め、勿忘草が咲き誇る校庭をあとにする。
歩きながら、あの世界で彼女と最後に交わした言葉を思い出だした。
◆
僕達は屋上から暗い奈落へと、二人で抱き合いながら落ちていった。
堕ちながら、お互いに言いたくても言えなかった気持ちを伝えた。10年僕の中で燻り育ってしまった気持ち。それは……
「あすか、愛してる」
彼女は、涙を浮かべながら笑顔でこくりと頷いた。やっと彼女に伝えられた嬉しさと、応えてくれえた嬉しさで、心の中から暗闇が消えて行くのが分かった。
そして。僕は、君から最後に送られた、言葉と心を生涯忘れない。
「陽弦君、これから先もずっと愛してる」
(『はざまのフォゲットミーノット』完)




