#16 絶望を喰うケルベロス【後編】
初夏に狂い出した、2人の歯車。
その現場を目撃した私は、図書室を出ました。
廊下には涙の跡のように、点々と落ちる青い勿忘草の花。それは、南棟二階の教室に続いていました。
夕日が差し込む教室で、ヒヅル君がスマホを睨んでいます。
不躾と分かっていますが、彼の背後から画面を覗きました。
メッセージアプリのトーク画面には、一枚の写真が添付されています。
図書室で愛依さんに撮られた写真が流失したようです。写真には、一文が添えられてました。
『私達、付き合ってまーす♡』
ヒヅル君のスマホから、通知音が鳴りました。それは、クラスメイトからの祝福メッセージです。しかし、彼にとっては呪いの言葉でしかありません。
その写真は、クラスを越え学年すらも軽々と飛び越えます。
スマホを机に置いたヒヅル君。左手は頭を抱えています。にじみ出る怒りは、机を力強く叩きました。
――ダンッ!!
「あすか、俺と夏祭りに行こうか?」
廊下から、狐塚 祐司さんの声が聞こえてきました。
振り向くと、彼は暗い顔をしたあすかと並んで歩いていました。
「ごめんなさい。私、行きません。最近、体調も悪くて……」
「あの写真、よく撮れてたし……三伏にも見せようか? それとも、今ここで現実にしてもいいんだよ?」
優しい口調で、狐のように目を細めて笑う祐司さん。でも目の奥は、冷たく鋭い光を放っています。
あすかの顔は、みるみる顔が青くなりました。彼女は、教室に居たヒヅル君と目が合います。
驚いた彼女は、すぐに目を逸らしました。祐司さんのシャツを引っ張り、教室の前から逃げると小さく返事しました。
「……わかりました。お祭りに行きます」
「うん、素直でよろしい」
オレンジと紫が混ざる不気味な空。耳を塞ぎたくなるほど煩いヒグラシ。
とうとう廊下の窓ガラスは粉々にはじけ飛び、夕日を乱反射させて場面を変えます。
空のように澄んでいた勿忘草の道しるべは、次第に青黒く濁っていきました。
私の歩く先に、足取りのおぼつかないヒヅル君の後ろ姿が見えました。彼の姿は煙のように揺らぎます。
廊下の掲示板に張り出された、愛依さんからの闇を含んだメッセージ。ヒヅル君を非難する投稿。
窓から紙が飛び込んでくると、ヒヅル君を薄く切りつけながら壁に張り付いて行きます。何十、何百との言葉の刃に傷つきながらも歩くヒヅル君。
『歌、褒めてくれるの? ありがとう!』
『わかってるよね? もう、私達付き合ってるんだよ?』
『ねぇ? なんで私に触ってくれないの? 私の事、好きなってくれないの?』
『先輩とあの女が別れたからって!!……酷い!!』
『死んでやる!』
『お願い! 私を捨てないで!! 私にはミフセしかいないの!』
『私は好きなモノ全部捨てたのに!!』
『何でみんな、あすかあすかって……あんな女死ねばいいのよ!!』
『みんな聞いて? ミフセに棄てられた! あいつ最低なの!!』
とうとう、廊下の壁にもたれて痛みに耐えるヒヅル君。彼は奥歯を噛みしめて、覚悟を決めると叫びました。
「うるさい!!……僕はもう間違いたくない! 決めたんだ!!」
――ドン!
ヒヅル君が廊下の壁を殴ると、怨嗟の嵐が止まりました。しかし、彼の傷口からは赤い花びらがはらりと落ち続けます。
彼の目は、強いオレンジの光を宿していました。食いしばった口の端からは、犬のように唾液が零れます。
ヒヅル君は傷を庇い、足を引きずりながら、視聴覚室へ入って行きます。
私も彼を追い、視聴覚室に飛び込みました。
室内に彼の姿は無く、前面には黒で縁取られた白いスクリーンが降ろされています。学校に不釣り合いな線香の香りが漂いました。
暗幕カーテンが引かれ、プロジェクターが映像を投射します。
スクリーンに映されていたのは、大人になったヒヅル君でした。
よれた白いTシャツに、炭色のスウェットのワイドパンツ。チョコレート色の髪は少し伸びて、頬はやつれ……目元には濃い隈が刻まれています。
彼が持っている紙袋の中には、ロープと大きなカッター、それにお酒がひと缶入っていました。
生気がないヒヅル君は、駅に向かい夜の繁華街をトボトボと歩いていました。そんな彼に、お酒に酔った女性が、すれ違いざまに話しかけてきました。
「あれー? みふせ~!? きゃぁぁぁ! お久しぶり~!!」
陽気に話しかける女性に、見覚えがあったようです。驚いた彼の顔に嫌悪が浮かびました。
「……蛇川」
「そうそう! 元カノで元アイドルの愛依ちゃんだよ~? 祐司先輩の店で飲んでたんだ~」
「……ごめん、話すこと無いから」
ヒヅル君は、アルコールの香りを纏った彼女に冷たく言い放ち、歩き出そうとしました。しかし、それは逆効果。彼女は胸を押し付けるように、ヒヅル君の腕に抱きつきます。
そして、彼の耳元で妖しく囁きます。
「ねぇ~。高校の時の事、まだ怒ってるのぉ?」
彼女の甘い言葉と声は、彼の目を見開かせました。ヒヅル君の脳裏には、辛かった思い出がフラッシュバックしたのでしょう。
ヒヅル君は愛依さんを鋭く睨んで、静かに答えました。
「当たり前だろ? お前の所為で、最悪な高校時代だったんだよ……」
それは一見、どこにでもあるカップルの痴話喧嘩。行き交う人々は二人を一瞥しますが――ただそれだけ。
横目で見た後は、みんな自分の生活へと戻っていきます。
愛依さんは甘えるように、ヒヅル君の胸に飛び込みました。
今度こそ彼の心を手に入れる事が出来る。そんな算段なのでしょう。しかし、彼女は酔いすぎていました。
「え~? ごめ~ん!! だって、あの時は祐司が他人の女じゃないと気分がアガラないって言うんだもん! 陽弦もなんだかんだ図書室のキス興奮したでしょ? ねぇ、ここで逢ったのも何かの縁だし、話そうよ~。大人の付き合いしよう?」
饒舌な愛依さんの証言は、ヒヅル君の空気を凍らせました。
彼女の証言を確認するように、彼は尋問します。
「お前が言い寄ってきたのは、狐塚の命令だったのか?」
「そうだよ~。私だって本当は先輩と付き合いたかったの……でも、先輩はあの女を選ぶし……でもね? 私が最後に好きになったのは……」
愛依さんは、やっとヒヅル君の異変に気づきます。
「こんなやつらに……俺達は振り回されて、苦しんだのか?」
取り返しのつかない失言。酔いが醒めた彼女は、彼から手を離し後づさりします。凍った笑顔のまま、何を話せば彼の怒りが収まるかを考えていました。でも、ヒヅル君はそれを許しません。
「狐塚の店ってどこ?」
「駅前の裏路地にある『セプテム・フォックス』ってバーで……ねぇまさか、行く気じゃ無いよね? やめてよ、なんか怖いよ? そんなことより私と……」
「嫌いだよ、お前も。少しでもお前に同情した俺が馬鹿だった!」
ヒヅル君はそう言い放つと、愛依さんの肩を押して突き放します。心の底からの嫌悪を浴びた愛依さんはその場でしゃがみ込み、失恋した少女のように泣きだしました。
憎悪に憑りつかれたヒヅル君は、ブツブツと話ながら、足早に歩きます。
「全部アイツの所為だ。あすかが死んだのも、俺がこんな人生を送るのも全部アイツの所為だ……」
どろどろとした感情を纏わせ裏路地へと入ると、派手な格好をした一組の男女が抱き合っていました。
名残惜しそうに女性が離れると、金髪の男性が右腹を抑えて倒れ込みます。
「いってーな……おい……」
「ぜ、全部……アンタが悪いのよ!!」
女性は路地の奥へと消えて行きます。冷たい光を放つ街灯は、見覚えのある顔を照らし出しました。それは一番殺してやりたいと思っていた男。
「はぁ……はぁ……あすか……あいにいくぜ……」
「…………」
虫の息となった祐司さんを見ると、ヒヅル君は踵を返して駅へと向かいました。
人々の怒号、サイレン、喧騒から逃げるように終電間際の電車に乗り込みます。憎しみをぶつける相手すら失ったヒヅル君。
そして、彼は兼ねてより予定していた思い出の地へと向かいました。
電車を降り、過去を辿るように暗い通学路を歩きます。統廃合によって使われず、廃墟となってしまった母校の門を潜りました。
映像はそこで途切れます。
いつの間にか、近くの椅子には少年のヒヅル君が座っていました。何も映らない真っ白なスクリーンを見つめたまま彼は話します。
「家族とも上手くいかない。学校もダメ、会社もダメだった。今までも、これからも……愛されないし、誰かを愛することが出来ない。そう思ったんだ。だから全部終わらせた。僕はただ、幸せになりたかったのに。――――あすか。どこ?」
そう言い残して、ヒヅル君は消えました。
絶望の果てに、茨の奥に有る宝石を掴もうとしたヒヅル君。涙がこぼれてきました。喉も痛いです……
黒い茨が、スカートの裾をツンツンと引っ張ります。
「分かっています。ヒヅル君を迎えに行きましょう」
手で涙を拭い、視聴覚室から出ました。そこはボロボロのはざまの学校。植物はカラカラに乾き、枯葉が廊下に散っています。空には黒い雲が渦巻いていました。
彼の元へ向かう私の足取りは、次第に早くなります。
廊下を早足で進み、階段を駆け上がりました。
生徒会室の扉を開くと、部屋はとても暗く禍々しいものでした。
怪物たちの腕で出来たカーテン。ホワイトボードは倒され、部屋には書類が散らばっています。
会議用のテーブルも椅子も乱暴に押しのけられ、黒板の前にスペースが出来ていました。
壁にかかる黒板に、ヒヅル君が飲み込まれています。
彼の腕に、軟体動物のような黒い腕が絡みます。さらに、ヒヅル君の細い首を掴んだ腕が、ゆっくりと彼を黒板の中へと沈めます。
あすかもヒヅル君を掴み抵抗していました。しかし、その茨もぷつんと切れてしまいます。
私は手を伸ばし、ヒヅル君抱きしめるように捕まえました。白い火花がばちばちと周囲に舞います。
「見つけました……ヒヅル君」
私の声に反応して、ヒヅル君がゆっくりと顔を上げました。憔悴しきった顔には、涙の跡が見えます。黒板の怪物に触れられた場所から、彼は闇に浸食されていきました。
黒板の怪物は、やっと捕まえた獲物を離したくないのでしょう。腕章を付けている私にも容赦なく襲い掛かって来ます。私達を引き離そうと必死でした。
私も負けない様に、腕にぎゅっと力を込めます。でも、ヒヅル君から零れた言葉は悲しいものでした。
「アルファ、邪魔しないでくれ。ここで僕は彼女と一緒になる。向こう側に戻る理由なんてないから」
ヒヅル君に拒絶された私の体が、ビクリと跳ねました。意志に反して腕の力を緩めてしまいます。
私は彼に、手を伸ばせなくなってしまいました。このままでは、彼が目の前で学校に取り込まれてしまいます。
……はぁはぁ……はぁはぁ……
存在するか分からない、私の心臓は早鐘を打ちます。次第に呼吸も浅くなりました。そして、哀しくオレンジ色に光る、彼の目を見つめて宣言します。
「……それは、絶対に嫌ですっ!!」
私は自分の左腕に着いた腕章を引きちぎりました。腕章が私の体から離れると、教室内はざわめき出しました。同時に私も自由を得ます。
腕章を失くした私など怖くない。新たな餌が増えた黒板の怪物は、私も捕まえようと四方から腕を伸ばしました。
「絶対に、ヒヅル君も連れて帰ります!!」
私はそう誓いました。――動物のように雄たけびをあげて、黒い腕に噛みつき、爪で引っ掻きながらヒヅル君の元へ向かいます。
私は願いました。――白い茨の尾を鞭のようにしならせ、必死に抵抗します。そして、再び彼の前にたどり着きました。私の姿に驚くオレンジの瞳。そこに、ヒトの姿など映っていませんでした。
ヒヅル君に抱きつき、彼を黒板から引っ張ります。
「頼むアルファ、逝かせてくれ。もう、辛いんだ。あすかと一緒に居たいんだ」
「ゼッタイニ、イヤデス……」
ヒヅル君の首を掴んでいた黒い腕が、爪を立てて私の肩を掴みました。
「あああああ!!!」
食い込む爪は私から赤い花びらをまき散らします。私は、黒い腕に噛みつき、引き千切りました。
白い狂気に当てられて、黒板の怪物はしり込みました。この隙に彼を力いっぱい引っ張ります。
黒板からずるりと生れ落ちるように、ヒヅル君は脱出しました。私はすかさず茨で腕章を掴みます。
「こノ学校に呑まレても、アスカとは一緒になレません……ヒヅル君にシなレては、ワタシもあスかも困ルノです。デモ……ヒヅル君の願イは分かリまシタ」
ヒヅル君を探すために、短時間ですがこの学校の意識に触れました。読み取ったのは彼の苦しみだけでは有りません。
「隠レてイる、あすかニ会いにいきマしょう」
「え……あすかに……会う?」
私の腕の中で、ヘーゼルの目が困惑しています。私はゆっくりとアルファの姿を思い出しました。少しずつ人の形を取り戻してゆきます。
――カチカチカチ!!
獲物を奪われた黒板の怪物が、部屋の隅で悔しそうに歯を鳴らしました。今の駆け引きで向こうもかなり消耗したのでしょう。次の一手を考えてるようにも見えます。
「ええ。彼女はまだこの学校に隠れています。黒板の怪物と心中するつもりの様ですが……。それは怪物も同じようですね」
私達の目の前で踊るチョークは荒っぽく最後の七不思議の名を刻みました。
七不思議候補生(7)――




