#14 真夜中の体育館のゴブリン【後編】
体育館の昏い天井には、白いバレーボールが星のように散らばっています。
七不思議候補生・ゴブリンのユウジさんが作りあげた空です。
そして、たった今――彼は赤い星を打ち落そうとして、またひとつボールを失いました。
「――ああ惜しい。また取れなかった」
悔しがりながらも、金色の瞳で真っ直ぐに獲物を見つめるユウジさん。
そんな彼の声に応えるように、暗闇からコロコロと新たなボールが転がって来ました。彼は転がってきたボールを拾うと、再び天井の獲物に向けて投げ始めます。
私はユウジさんから話を聞くために、彼の横顔を見ながら佇んでいました。
「そう。あすかは昔みたいに、笑ってくれなかった。だから、どんな感情でもいい。あすかの心に俺を刻みたかった。わざとキツイ事言ったり、約束すっぽかしたり」
『約束』と聞いて、また一つパズルのピースが嵌って行きます。
「彼女を夏祭りに呼び出して、あなたは行かなかったのですね?」
「そうそう、なんで知ってるの? あいつ、健気に待っていたみたいでさ、あのあと肺炎になってやんの。そう言う所、バカで可愛いよね?」
「ユウジさんは、本当に彼女の事が好きだったのですか?」
「ああ、好きだったよ? 滅茶苦茶に壊したいくらいに」
雨の中ひとりで待ち続けて、有馬さんに貸して貰えた傘と言葉は、さぞ嬉しかったでしょう。彼女の心を想像すると、胸が痛みます。
でも、想像できない事も有りました。
なぜ彼女は、彼の誘いを断らなかったのでしょう? 雨が降っても帰らなかったのでしょう? 断れず帰れない理由でもあったのでしょうか?
私は、冷たい目でユウジさんを見ていたと思います。
「……その方法で、月白さんの心は手に入りましたか?」
――タ、タン……タタタタタタ……
ユウジさんは、落ちてきたボールをキャッチせず、黙って佇みました。緑の手をギュッと握り締めると、こちらを向いて仄暗い笑みを浮かべます。
「ああ。あいつ、夏休み以降学校に来なくなった。DMも無視、家に行っても誰とも遭いたくないって。それを知って安心した。あすかの心に俺を刻めた。あすかはもう、誰ものにならないんだって」
歪んでいる……。
ヒヅル君が、助けたがらない気持ちがわかります。月白あすかと彼の関係については把握しました。
私は一呼吸して心を落ち着かせると、生徒会長として質問します。
「そうでしたか。では、ユウジさん。あなたはこの学校に来て、何に困っているのですか?」
「見えてるでしょ? あのボールが取れないの」
彼はそう言って、緑色の指で天井を指差しました。天井には幾つものボールが挟まっていますが、彼の真上にあるのは赤いボール。
「なぜ、あのボールを取りたいのですか?」
「……さぁ」
「お手伝いしますか?」
「いや、そこに座って見てて。ねぇ、それより君の事を教えてよ」
私は彼に従い、床に座りました、ひんやりと冷たい木の床。彼が投げたボールが天井から落ちて来る度に、静かに揺れます。
「アルファちゃんだっけ? 君は何で死んだの?」
「死? それは分かりません。私にはここに来る以前の記憶が有りません」
「ふぅん……俺は少なくとも、死んだけどね。ねぇ、あの黒い生き物は何?」
ユウジさんはステージ上に座る、黒板の怪物を顎で指して聞きました。
彼に存在を認知されて、怪物のギャラリーはキャッキャと盛り上がります。
「私達は『黒板の怪物』と呼んでいます。ここに訪れた生徒を取り込んで、七不思議にしてしまう存在です」
「へぇ~七不思議? 七不思議になると、どうなるの?」
「この学校に永遠に囚われることになります。恐らくユウジさんは、ずっと取れないボールを取るために、ボールを投げ続ける事になるでしょう」
「ふぅ~ん……。ねえ、そうなの?」
ユウジさんは私ではなく、黒板の怪物に向かって尋ねました。彼等は笑いながら頷き、不思議な言語でユウジさんに返答します。黒板の怪人も隙を狙っているようです。
「ふ~ん。この学校の核が死んじゃうから消えない様に……へぇ」
学校の核?……初めて聞くワードです。
旧生徒会長はそんなこと、言っていませんでした。これは本当の事でしょうか? それとも嘘?
「へぇ~。そうなんだ」
私が黙って考え込んでいた間にも、ユウジさんと黒板の怪物が会話をしていたようです。
「ユウジさん、彼らに耳を貸してはいけません」
私は立ち上がり、黒板の怪物のギャラリーの元へ向かいました。怪物たちは私が近づくと逃げるように舞台そでの闇へと消えて行きます。
「アルファちゃん。やめて?」
背後からユウジさんに声をかけられました。その言葉を聞くとピクリ体が止まってしまいます。
「アルファちゃん。俺、決めた。七不思議になるわ」
「そんな!? 待ってください、なぜ?」
ユウジさんは不敵に笑い、ゆっくりと私に近づいて来ます。先程のように彼に威嚇しようとしますが……
「動かないで。俺に針を向けるな」
「――っっ!!」
身体が言う事を聞きません。なぜでしょう? 暗闇からはケタケタと黒板の怪物が笑っています。彼らの入れ知恵でしょうか。
「うっわ~本当だ。アイツらの言った通り。アルファちゃん、生徒の拒絶には逆らえないんだ」
「拒絶?」
「生徒の為に存在する生徒会長が、生徒が嫌がる事出来ないもんねぇ?」
拒絶……幾つか思い当たります。フェニさんに拒絶された時、メイさんに拒絶された時、確かに動けませんでした。まさか、こんなルールに縛られていたなんて……。
にたりと笑い、狐のように目を細めるユウジさん。彼の目が強く金色に輝きました。
「ヤベェ……興奮する。でもまずは、これかな?」
私の肩を大きな左手で掴むと、余った右手で腕章を引きちぎります。
安全ピンがはじけ飛び、私を彩っていた赤が消えました。黒板の怪物のギャラリーがわっと沸きます。
やられました。これは……非常にまずいです。
ユウジさんは、私の腰に腕を回すと、恍惚とした表情で私の耳元に唇を寄せます。そして、とんでもないことを囁きました。
「あすかもこの学校に居るんだって。俺が七不思議になれば、あすかと一つになれるって。ねぇ? めっちゃエロくない? 最高。ついでにアルファちゃんも俺の物になってもらうよ。あっ、そのまま、動かないで?」
拒絶の縛りで動けないのか、このあとの恐怖で動けないのか……私は呼吸が浅くなり、手にはじんわりと冷や汗をかいています。
私はユウジさんに抱きかかえられ、黒板の怪物が蠢く闇へと連れられます。このままでは、二人ともこの学校に取り込まれてしまう。
「助けて……」
彼の腕の中で、声を振り絞りました。
「誰も来ないよ。やっと全部手に……」
「ヒヅル君……」
彼の歩みが止まりました。飄々《ひょうひょう》としていた彼の表情が崩れます。眉を歪ませ、より一層眼光が強くなりました。
「なんでいつも、あいつの名前を呼ぶの?」
その時でした。
体育館にドンと大きな衝撃が走ります。
その拍子に、天井と鉄骨に挟まっていたボールが一斉に落ちてきました。
――ターン、タン、タン、タタタタ……
星空が落ちて来たようでした。仄暗い体育館で無数のボールが飛び跳ねます。ただ一つ。赤い星は天井から動きません。
さすがのユウジさんもこの光景に驚いて、固唾を飲みます。
「何だ今の……」
「あすかが、お前なんかと一緒に居たくないってさ!」
近くの扉から、小さな影がユウジさんの背後を取りました。
ヒヅル君です! 彼はユウジさんの肩を掴んで力任せに振り向かせます。
「ミフセ! 何でこんな所に!!」
「彼女を置いて遠くに行く訳無いだろ!? 旧会長! 頼んだ!!」
ヒヅル君の声に合わせて、私の体がふわりと宙に浮きました。体に黒い茨が巻きつき引っ張られます。
黒い茨は、そのまま私を天井へと連れて行きます。しかし、様子がおかしいです。慌てています。違和感をじた時には、私は天井に叩きつけられていました。
――ドンっ
「くぅ……」
衝撃で肺から息が漏れます。もう少し優しく扱って欲しいものです。
天井で磔になった私の眼下では、頬を抑えたユウジさんが倒れ込んでいました。黒板の怪物達は、喧嘩を煽るギャラリーの様に彼等を囲んでいます。
もう一つ不思議な事がありました。ヒヅル君の姿が揺らぐのです。
少年のヒヅル君。以前見た高校生のヒヅル君。そして、大人の姿になったヒヅル君。3人のヒヅル君が、残像のように折り重なって、本当の彼の姿が分かりません。
「お前とあすかを一緒になんてさせない! お前もあすかを傷つけた。絶対に許さない……!!」
彼の声も、多重音声の様に揺らぎました。初めて見るヒヅル君の憎悪。私は『拒絶されると動けない』という事を思い出しました。ヒヅル君もユウジさんに拒絶されたら……!
「旧会長! 離してください! 二人を止めないと!!」
旧会長は、私の望みを叶えてくれませんでした。逆に数多の黒い茨が天井をつたい私へと向かってきます。そして、茨の闇に私を閉じ込めてしまいました。
閉じ込められた茨の中で、空気が変わります。直ぐにここは裏生徒会室だと分かりました。そして、旧生徒会長の姿を現します。――ただ見えたのは、目元から下。
彼女は手に赤いバレーボールを持っていました。
「旧会長、これはどういう事ですか? 早く離してください! ユウジさんは生徒会の動きを止められるんです! ヒヅル君が捕まってしまいます!!」
慌てもがく私に、彼女は静かに首を振りました。
『ヒヅル君には効かないわ。あくまで《《会長のあなた》》だけ。私の悪癖を継がせてごめんなさい。……ごめんなさいついでに、少し借りるわね。私も彼に向き合わないと』
「えっ?」
次の瞬間視界が開けました。月明かりが差し込む体育館に戻ります。
天井に磔られていた体が、ゆっくりと降ろされていきます。いつの間にか手には赤いバレーボールを持っていました。
でも……床に足が着くと、私の体は意志に反して動き出したのです。
ステージの前では、像が揺らめくヒヅル君が、ユウジさんのシャツの胸ぐらを掴んでいました。ヒヅル君の右手は固く握られ、高く振りかざされます。
「ヒヅル君。ダメ」
私の体は、臆することなく彼の右手を掴みました。ハッとして、私の目を見つめるヒヅル君。彼は少年の姿へと戻りました。
「落ち着いて」
「アルファ……?」
ヒヅル君は、ユウジさんのシャツから手を離します。
ユウジさんは、私達から距離を取って拒みました。
「アルファちゃん! 邪魔する――」
「ゆう君、昔もこうやってボール取ってくれたよね?」
体育館がしんと静かになります。
ヒヅル君もユウジさんも、唖然として私を見つめました。
私の目の前で、赤い光がチラつきます。
今の私は、姿が揺らいでいるようです。黒い炎が揺らめくように、白と黒が混ざります。
「小学生の時、ぐりちゃんと3人で星を見て楽しかった。ゆう君は物知りで頼れるお兄ちゃんだけど……時々、私に意地悪だったのは嫌だった」
「「え?」」
この言葉も、私の意志で発している物では有りません。私の体は、持っていたバレーボールをユウジさんに差し出しました。
今、私の顔は穏やかに微笑んでいます。
「ははっ……あすか? なんで笑うんだよ。俺を憎んで、一緒に地獄に連れてってくれよ?」
「ううん。憎まない。連れて行けない」
ユウジさんは驚きながらボールを受け取ります。彼は、ゴブリンの姿から人間の狐塚祐司へと戻りました。
大人の姿となった祐司さん。パーマがかかった金髪を後ろで束ね、丸い眼鏡を掛けています。
彼の右腹部からは、赤い花びらが零れ落ちていました。旧会長はそっと彼に近づき、傷口に手を翳します。
傷口は塞がり、赤が消えます。
「ゆう君の気持ちには、応えられない。もっと、早く言えれば良かったね? ごめんなさい。ゆう君も、最後まで生きて」
この気持ちは何でしょう。後悔……罪悪感。それでも彼女は微笑んで、彼の行く先々の幸運を祈っていました。
一瞬、寂しく泣きそうな表情を見せた祐司さん。口では悔しそうに笑いますが、目は。郷愁・恋慕……切ない目をしていました。
「ここで笑うなんて卑怯だよ……あすか」
祐司さんは光の粒となって消えて行きました。
きっと、彼が本当に求めていたのは、月白あすかの笑顔。その目的を忘れずに願い続ければ、現実世界で叶った未来も有ったでしょう……。
(……ありがとう。後はよろしくね)
そう言い残し、彼女は私の中から消えて行きました。
「……消えた……」
視界でチラついていた、赤い光も消えました。
窓の外は曙色に染まり、空が白み始めていました。早朝の涼しい風も体育館に吹き込みます。
何とか丸く収める事が出来て、ホッとしました。私の窮地を救ってくれた、ヒヅル君にお礼を言わないとですね。
「ヒヅル君。助けてくれて、ありがとうございました。さすがに今回は焦りました」
「ううん、いいんだ。僕も仕事を放棄してすまない」
ヒヅル君は私の左腕に腕章を付けてくれました。優しく腕章を撫でて、彼は穏やかな声で言いました。
「でもね、アルファ。あの話を聞いたら僕は選ぶしかないんだ。それに確信に変わった」
「あの話? 何です?」
嫌な予感がしました。ヒヅル君は私から離れると、申し訳なさそうに言うのでした。
その目は私の知っているヘーゼル色ではなく、夕焼けのようなオレンジ。
彼の姿が、再び子供から青年、大人へと揺らぎます。そして声も……
「ごめん、アルファ。僕は生徒会を辞める。二度もあすかを失うわけにはいかないんだ」
「え……」
ヒヅル君は、床から生えた黒板の怪物の腕に抱かれると、そのまま黒い床の中へと消えて行きました。
体育館に残されたのは、数多のボールに囲まれた私と……私が付けていた、破れた腕章だけ。




