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はざまのフォゲットミーノット  作者: 雪村灯里
開幕

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1/3

#1 月白のアルファ

 そっと瞼を開くと、幽闇ゆうあんの中に居ました。

 目の前には、真っ黒なセーラー服を着た少女がひとり。彼女は悲しげな声で、私に尋ねます。



『ねぇ、知ってる?』



 急に訊かれても、何の事かさっぱり分かりません。「何を?」と尋ね返すと、少女はゆっくりと顔をあげました。長い前髪の奥に隠れていた、深紅の瞳と視線が合います。


 憂いと諦めをはらんだ、形の良い双眸そうぼう。ビスクドールのような白い肌。やわらかそうな薔薇色の唇。

 その胸には、この仄暗ほのぐらい世界に映える緋色のリボン。彼女が首をかしげると、艶やかな黒髪は赤い蝶と遊ぶように、サラリと揺れました。子供と大人の狭間はざまで揺らぐその子は、表情を変えずに答えます。



『願いは、大抵たいてい叶わないの。だって――』



 彼女が答えを言い切るよりも早く、黒い花びらの嵐が私を襲います。それは、目を開けているのも辛いほど。私の視界は漆黒に染まり、彼女の答えは風にさらわれました。



 ◆ ◇ ◆



 風音が止んで、瞼を開けました。

 今度は……先程とは違い、白で溢れた世界。生成りのカーテンで周囲を仕切られた、真っ白なベッドの上。うっすらと消毒液の香りがする部屋。

 心地よい風が、ばたばたとカーテンとたわむれています。部屋は明るくて、少し暑さを感じました。


 さっきのは夢? 此処ここは、どこでしょう? 石膏ボードの天井を見つめても、私は何も思い出せません。――……私?



「私は、だれ?」



 何も思い出せなくてショック――――ではありません。

 頭の中では思考がフワフワと舞って、そこまで考えが及びませんでした。


「ふあー……」とあくびを一つ。


 横になっていると、また夢の中に戻ってしまいそうです。でも、二度寝して夢の続きを見れた試しが……無いような気がします。仕方ありません。


 私は、ゆっくりと体を起こします。重力に従って髪の毛がさらりと動きました。それは、純白の絹糸シルクのような長い髪。

 真っ白なセーラー服を着た私の胸には、月白げっぱくのリボンが揺れています。半袖の下から覗くのは、太陽と無縁そうな腕。


 白ばっかり……。なんて思っていたら、手の中に居る鮮烈な色に目を奪われました。血のように真っ赤な布を、握り締めていたのです。


「これは、何でしょう?」


 両手でその布をつまみあげ、しげしげと観察します。

 それは、15センチ幅の長方形の赤い布。布は環になっていて、銀色の安全ピンで刺し止められていました。どうやらこれは、腕章のようです。あっ……もう一つ発見が有りました。


 私の左(てのひら)に、文字が書いてあるのです。黒く輪郭の滲んだ一筆書きの文字。


「『α』……アルファ?」


 掌をぼんやり見つめていると、カーテンが一際大きくはためいて、私の視界を遮りました。風は、窓の外の情報を運んできます。


「海の匂い……」


 ベッドからもぞもぞと抜け出ると、床には白い上履きが――。そっと足を滑り込ませると、シンデレラのガラスの靴のようにピッタリです。


 ベッドを囲っていたカーテンを開けると、そこは学校の保健室。


 薬品や本が詰め込まれた棚、書類が散乱した事務机。中央に置かれた大きなテーブルの周りにはパイプ椅子が四つ。ベッドも、もう一つあるようです。


 部屋に私以外の人の姿は見えませんでした。窓の外を見ると――そこには抜けるような青空と、群青色の海が広がっています。


「きれい……」


 白く輝く水平線。キラキラとした水面が、ずっとずっと続く海。まぶしい日の光を浴びながら、海鳥が気持ちよさそうに飛んでいました。


 ――みゃぁみゃぁ


 記憶に存在しない、懐かしくて美しい場所。


 私は自身の胸に手を当てて、大きく深呼吸をしました。目を瞑り、体の様子を確かめます。苦しさも痛さも有りません。


 天気もいいので、校内を探検してみましょう。もっといい景色を見る事が出来るかもしれません。


 ◆


「こんにちはー。誰か、いますか?」


 私は、静かな廊下に問いかけました。もちろん返事は有りません。聞こえてくるのは、波の音と海鳥の声。それに、爽やかな風が木々の葉を揺らす音。


 うーん……人の気配が全く有りません。今日は休日でしょうか?


 私は長い廊下を歩いて、階段を探しました。ここは地上一階です。最上階まで登り、下りながら校舎内を巡ろうと思います。

 

 誰もいない校内は、すさんでいました。


 窓ガラスが割れて、そこから草のつるが入り込んでいます。蔦は壁を這って、青々とした葉っぱを揺らしていました。窓の外も、背の高い草が見えるだけ。


「――……ここは、廃校でしょうか?」


 独り言をこぼしながら歩いていると、探していた階段を見つけました。ぼんやりと陽が差す階段を、ゆっくりと上がって行きます。


 私はなぜ、こんな所で眠っていたのでしょう?


 踊り場を過ぎて二階に足を掛けます。このフロアにも人の気配は有りません。生徒の代わりに居るのは、浸食した植物たち。

 階段は、まだ上に続いています。この調子だと、三階も期待はできませんが……行ってみましょう。


 これは異常事態なのでしょうか?


 足元を見つめながら登っていると、私に影が落ちました。それに気づいて、顔をあげます。真っ白な上履きに、白いソックス。ほっそりとした脚に、黒い半ズボン。白い半袖シャツの左腕には、赤い腕章が付いています。


 小学生の男の子です。チョコレート色の少し長い前髪の奥では、ヘーゼルの瞳が驚いていました。



「「……あっ」」



 驚いたのは、私も一緒だったようです。

 真っ白な私はバランスを崩し、背中から重力にいざなわれました。

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