第86話 苔の森
~静けさの中に、ちょっとした気づき~
七海は、霧のかかった森に足を踏み入れた。
そこは、地面も岩も倒木も、すべてが柔らかな苔に覆われていた。
「……音が吸い込まれてるみたい。歩いても、足音がしない」
マグを片手に、七海は苔の上に腰を下ろす。
空気はひんやりしていて、風はほとんど吹かない。
でも、苔の間から、小さな芽が顔を出していた。
「……苔って、記憶を包むのかも」
道具箱をポン。
記憶のルーペを取り出して、苔の表面をそっと覗く。
すると、微細な模様の中に、誰かが残した足跡や、落とした言葉の断片が浮かび上がる。
「また来るねって、書いてある……苔に、言葉が染み込んでる」
七海は、道具箱から“言葉の種”を取り出して、苔の上にそっと置く。
「これ、誰かの言葉を芽にするアイテム。ほんのちょっとだけ、役に立つかも」
風がふわりと吹き、苔の間から小さな花が咲いた。
「……世界は救えないけど、残された言葉くらいなら、咲かせられるかも」
夕方。森の霧が少し晴れ、苔の緑がやさしく光る。
七海は、宿屋をポンと建てて、縁側で静かに座る。
「……苔って、誰かの“静かな気持ち”を守ってるんだな」
マグの中の紅茶が、苔の色を映していた。




