第85話 静かな観測所と、星の向き
~風と記録と、ちょっとした願い~
高台の上、誰もいない天文観測所。
七海は、マグを片手に、静かな階段を登っていた。
建物は古く、扉には「記録室へようこそ」の文字がかすれて残っている。
中には、動かない望遠鏡と、棚に並ぶ星の記録ノート。
ページをめくると、星の位置とともに、こっそり書かれた願いごとが並んでいた。
「あの人が無事に帰ってきますように……また会えますように……」
七海は、道具箱をポン。
“風読みのレンズ”を取り出して、空にかざす。
レンズは、星の動きと風の流れを重ねて見せてくれる。
七海は、願いの方向をそっと指差す。
「……この星、今ちょうど帰ってくる方角にある。たぶん、ちょっとだけ、届くかも」
観測所の屋上に登ると、風が少し強くなる。
七海は、マグを傾けてぽつり。
「……世界は救えないけど、星の向きくらいなら、ちょっと読めるかも」
風が吹き、ノートのページがめくれ、誰かの願いが空に向かって舞い上がる。
七海は、そっと“記憶のしおり”を挟み、ページを閉じた。
「誰かが見上げた空を、今ちょっとだけ、引き継げた気がする」
夕方。空が淡く染まり、星がひとつ、またひとつと灯り始める。
七海は、宿屋をポンと建てて、縁側で静かに座る。
「……この観測所、誰かの“またね”が残ってる場所だったんだな」
風読みのレンズが、星の光を反射して、七海のマグにそっと映り込む。




