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第7話

「ほんっっっっとうに、すいませんでした!!!」


 両手をつけ、思いっきり床に頭をくっつける。窓を隔ててこもった雨音が聞こえる中、この部屋にそぐわない柔らかい声が耳を撫でた。


「いや!いいのいいの!確かにびっくりはしちゃったけど、小太郎君もわざとではないんだし」


「僕のこと、嫌いになってないですか!?」


「こんなことでなんないから!だから、ね?」


 彼女の言葉を聞いて、俺はようやく頭をゆっくりと上げる。


 そこにはシャワーを終えたゆえか、より笑顔に磨きがかかっている先輩が座っていた。


 その顔を見て余計申し訳なくなり、二回ほど小さく頭を下げてしまった。


 隣のそいつも今回ばかりは珍しく申し訳なさそうに口を開く。


「こんな無礼をすいません。これは俺のしつけが足りなかったからです、見逃してやってください」


 貼り付けた笑顔とは似つかわない言葉に思わず、耳がぴくりとなる。


「おい!誰がしつけられる側だよ」


「いや、あなたしかいないでしょう」


 平手で顔を指される。思わず手を強く握り込みながら、そいつを睨みつけた。


「いやお前だろ!」


「いやいや、あなたです」


 聞き慣れない丁寧口調に苛立ちが増す。


「いやお前だって!ってかなんなんだよその話し方!いつもと全然違」


 言い切ろうとした瞬間、晴人は座っていた距離を詰め、一瞬であの冷たい目に戻る。


 右手にはあの銃を持っており、それを背中越しに俺に突きつけわざとらしいように音を鳴らす。

 

「余計なことを言うな、黙ってろ」


 耳元で囁かれた言葉は、そう聞こえた気がした。腕に鳥肌が立つ。


 目の前の先輩は首を傾げながら、こちらをぼーっと見ている。


「いいな?」


 反撃しようにもあんな失態を晒した後に再び銃を取り出してしまえば、今度こそ先輩に嫌われてしまうだろう。


 あいつの低音が腹に響くのを感じながら、俺は嫌々うなづく。

 晴人は先程いた場所に戻り、再び笑顔を貼り付ける。


「いや、すいません。ということなんでどうか、許してやってください」


 彼女はいやいや、と言った感じで手を横に振る。俺は先程の囁きを耳元に残しながら、ようやく違和感に気づく。


 部屋が、綺麗になってる。あれだけ物で埋め尽くされていた部屋が、俺の私物も含めて頭を床につけられるほど整頓されているのだ。


 何よりこいつの態度だ。早苗先輩を見る目にいつも俺に向けるような敵意は一切感じられない。


 この既視感。思い出してみれば、今の口調、振る舞いの丁寧さは、まるで出会ったばかりの晴人にそっくりだった。


 そこにいつもの喧嘩っ早さなどなく、上品で気品に溢れる……ように見える。


 もしかして、まさか。晴人も先輩のことが好きなのか!?こいつのこんな露骨な外向きの態度を見たのは久しぶりだ。

 そう考え出すと、先輩もなんか晴人の方ばっかり見てる気がするし……。


 俺は晴人の横顔を思わず睨む。先輩がこいつに取られるなんて、死んでも嫌だ。どうにかして、俺の印象を残してもらわないと。


「いやでも、まさか先輩と晴人が知り合いだったなんて驚きましたよ」


 俺が口を開いた瞬間、晴人は一転して俺の方に強い眼光を浴びせてくる。俺は首を小さく横に振りながら言葉を紡いでいった。


 俺が風呂の扉を開けてしまった後、先輩のシャワーを待っている間に晴人はそれとなく事情を話してくれた。


 実は早苗先輩が今日行く予定だったサークルというのは、晴人が通っている大学の吹奏楽サークルだったのだ。


 しかも二人は昔同じコンクールで会ったことがあるらしく、その縁から知り合いになり今もその関係が続いているとのことだった。

 

 で、今日偶然会って話をしていたら突然雨が降り出してしまい、うちに逃げ込んできたというわけだ。


 ベランダを開けてみると、ラインストーンが所々に入った靴が干してあり、靴が無かったのもそのせいだったとすぐに分かった。


 そんな話を聞いたもんだから、ますます晴人に対する対抗心が燃える。先輩のその柔らかい声が空気を乗って届く。

 

「こっちこそ驚いちゃった。まさか晴人君が小太郎君と一緒に暮らしてるなんてね。晴人君一回もそんなこと言わないんだから」


「あぁ、まあ……」


 声にならない晴人の呟きが空中で消える。何かを言いかけてやめたみたいな、俺はそんな風に見えた。


「というかさ」

 

 芯のあるはっきりとした先輩の声。彼女は晴人の方に体を傾け、視線を合わせようとする。


「バイオリン、まだやってる?」


 彼女の声が部屋にこだまする。俺は言葉の意味が理解出来なかった。それでも、空気が明らかに張り詰めたのだけは分かった。


 晴人は俯く。前髪で隠れて目の動きが見えないまま、沈黙を続けている。彼女は間を埋めるためか、それとも今まで貯めていたのか、言葉を重ねる。


「高三の夏のコンクール直前で出るのやめてから一度もやってるとこ見てない、ってみんな言ってる。家にも……全然帰ってないでしょ?」


 晴人は言葉が終わったのを見計らって、髪を大きくかきあげる。そこでようやく見えた目には、光はなかった。


 だが、闇で染まっていると感じでもなかった。ただ無。そこに虚無があるだけというような。


「バイオリンはもうやめました。家には帰る予定も、帰るつもりもありません。僕が言えるのはそれだけです」


「いや晴人……」


 耐え切れず口を開こうとするが、やはりその鋭い視線が俺の体を痺れさせる。


「……そっか。ありがとう、晴人君。それが聞けただけで十分」


 こんな狭い部屋の中なのに、先輩の声はさっきよりも遠いところから聞こえたような気がした。

 それはどこか、失望。どこか、諦観。背中に伸びる髪を撫でながら、彼女は静寂に身を預けていた。


 いつもバイオリンがあるはずの所にそれはない。ロフトにでも隠したのだろう。


 なあ、なんでそこまでする。なんで嘘をつく。先輩をこんな顔にさせるような。

 

 壁を通り抜けて、外の曇り空が天井にも広がったようだった。

 全員が黙り、俯いたままで、吐かれたため息は更にその雲の色を濃くしていった。


 俺が空気を変えるために何か喋り出そうとするよりほんの一歩早く、先輩が口を開いた。


「……晴人の後ろの折り紙、可愛いね」


 彼女が指差したのは、整頓されても唯一片付けられなかった俺の、いや今はあいつのもの。初めて俺に言及してもらえて、ちょっと嬉しくなるが。


「……!」


 晴人は彼女の言葉を聞いていたのにも関わらず、押し黙ってしまう。

 その後も、頭を軽く手で崩したり、呼吸の感覚が狭くなったりと明らかに雰囲気が変わった。


 そいつが一向に返事をしないものだから、俺は間を埋めるようにそれを手に取り、先輩に見せてみる。


「これ、実は俺が小学校の時に作ったやつなんですよ」


 そう言って俺はそれを差し出す。彼女は興味深そうにそれを掌の上で踊らせる。


「小学校の時とは思えないほど、上手ねこれ」


「あ、ありがとうございます!これマーラって言うんですよ。何の種類にも属さない動物、らしいんですけど」


 俺はなんとか重い空気を払拭しようと、言葉をとにかく紡ぐ。

 彼女の笑顔が戻ったのがどこか嬉しくて、自然と言葉が出てくるようだった。


 晴人は未だ下を向いている。先輩も目線を度々彼に移しながら、わざと声のトーンをいつもより高くしているように感じた。


「へ〜。私、これ好きだわ。小太郎君ってこういう才能もあったのね」


「い、いや才能ってほどじゃ。これは昔晴人にあげるために作った折り紙なんです。だからほら、もうここの部分とかちょっと折れちゃってるんですけど」


 何気ない雑談の中で、彼女の一挙手一挙手に浸る。話題も尽きてきたかと思った瞬間。


「グゥ〜」


 部屋に響き渡る音。先輩は顔を赤らめ、しなやかな髪で少し顔を隠す。


「あ……あはは……。今日昼抜いちゃってたからかなあ……?」


 眉をハの字にして、俺にそっと折り紙を返す先輩。ここだ。アピールするなら、ここしかない!俺はその姿を見て、思わず腕まくりする。


「先輩!俺簡単なものぐらいなら今からでも作れますよ!」


 突如立ち上がる俺に目を丸くする先輩。


「え、えぇ……。いやそんなの悪いよ!雨宿りまでさせてもらって、ご飯もなんて」


 勢いよく手を横に振り、先輩はそんなような言葉を並べていた。


 でも今日の俺は調子が良い。俺は今日先輩に振る舞うために料理を続けてきたのかもしれない、とまで思うほどだ。


「全然気にしないでください!有り物になりますけど、絶対美味しいって言わせてみせるんで!」


「え、あ、ちょっと」


 彼女の声を背に、俺は胸を張ってキッチンへと向かっていく。その時、肩をまるで握りつぶすかのように掴まれる感覚。


「どけ、俺がやる」


 引っ張られたと思ったら体を前に入れられ、俺に割り込む形で晴人がキッチンに立った。


「おい!晴人」


「俺がやる」

 

 こちらを向かないまま、ただ声だけが晴人の存在を保たせる。


 彼は冷蔵庫を開け、だめだなと小さく呟いた後、部屋の扉を開けた。


「おい!どこ行くんだよ!」


「買い出し」


 その簡単な返事だけ残して、玄関から響いた開閉音が部屋の中で弾ける。取り残された俺達は思わず目を見合わせるのだった。

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