第5話
向かい合う銃口。お互いに睨み合った状態の中、俺は後ろにあったテーブルを蹴って再び床を前転する。
頭をあいつに見せないまま俺は廊下に退避し、部屋に繋がるドアをすぐに閉める。ふぅ。これで、本当に少しだが猶予が出来た。
さて、これからどうする。あいつは完全に俺を倒すつもりだった。やらなければ、やられる。それなら俺は、やるしかない。
ドタドタと部屋を動き回る音が聞こえてくる。ロフトから降りたのか?もう一度上ったのか?うーん……難しい。恐らくあいつは意図的にこれをやっている。
あの狭い部屋の中での戦いは、長期戦になればなるほど厳しくなってくるだろう。それじゃあ、一旦外に出て……。
いやだめだ。窓の鍵が閉まったままだと、この家に入れる手段は玄関からしか無くなる。そうすれば、必然的に行動が読まれやすくなってしまう。
外食や野宿、どこか漫画喫茶にでも宿泊してもいいが、それも一時の安らぎにしかならない。第一、そんなことをして戦いを避けていたら結局退去する羽目になってしまうのだ。それなら、なるべく早いうちに決着をつけ、この家を貰ってしまうのが一番合理的だろう。
それを踏まえて、だ。あいつは俺が部屋に入ってきた瞬間、迎え撃ってくるだろう。しかもロフトがあるため、銃弾が飛んでくる場所の想定は横軸だけでなく縦軸にも広がっている。
考える時間が欲しいからと、こちらに戻ってきたのは悪手だったか?いや、過去のことを後悔してもしょうがない。今出来ること、今あいつにはない、俺だけのアドバンテージは何か……。
あちら側からドアが開かないよう、体で押さえながら辺りを見回す。玄関側を向いて右側は壁、左側は風呂とトイレだけで埋まっているユニットバスの小さな部屋。
そして、すぐそこの玄関に立てかけられている荷物。荷物。……何か、ないか?
移動したことがバレないように足音を殺す。大学のリュックを漁る。教科書達とペン。うーん微妙。
次に買い物かごの中を漁り、一番武器になりそうなものを探す。その結果、俺はそいつと思わぬ再会をすることとなった。
「大根……もう、これは流石に……食えねえもんな」
自分に腹落ちさせる。だが、これをどう使う?重さによる鈍痛は誘えるが、そんなことをしてる暇があったら引き金を引くべきだ。
そうだ。大事なのは、銃弾を当てること。それが最優先。だが、それをするにはまずターゲットの位置を補足しなきゃいけない。うーん。
大根を手に抱えたまま、俺は先程のドアの前に戻る。
あいつはもう、一発弾を使った。残りは二発。物が多いあの部屋の中では、素直に顔に銃弾を当てる難易度は高いと言える。
俺はまだ三発ある。それならば、一回ぐらい賭けに出てもいいんじゃないか?
そう思い、俺はユニットバスの部屋に視界を移す。立ち上がり、手に取ったのは俺が前に洗剤と間違って買ってきた部屋の消臭スプレー。これで、ピースは揃った。
恐らくあいつは……もうロフトにはいないと思う。人間は基本的に同じ選択をすることを嫌うから、って大学のなんかの授業で言ってた。
そうなると、部屋で死角になりそうな場所に身を潜めるのが妥当だろう。それなら候補はいくつかある。開いたドアと壁の隙間や、キッチン沿いの壁。もしくは……。
おそらく、そこ、だろう。
確信しようとしたが、過去の記憶が俺を堰き止める。
そうだな。そもそもあいつは部屋になんかいずに、ロフトにいるかもしれない。だって、全て俺のただの推測にしか過ぎないんだから。
失敗。何度も、何度も味わってきた。でも、言ってくれたじゃないか。
「小太郎、大人になっても挑戦を忘れるなよ。いつまでも、夢を追い続けるビッグな人間になれ!結果なんて後からついてくるさ」
食卓で何度も聞いた父さんの声。うんざりしながらも、口角を上げている母さんの視線。今でも、覚えている。
だからもう、全部まとめて賭けてやる。
大根を一度地面に置き、片手に銃を、片手に消臭スプレーを。ドアの隙間からノズルだけを出し、有限ではない引き金を連続で押し込む。
シュッ、シュッという爽快な音と共に、噴出された消臭剤が霧となって落ちていき、床に溜まっていく。俺が転がったことによって開いた、部屋内のテーブルまでの一直線の道が満遍なく湿ったことを確認し、俺はドアを勢いよく開ける。
その瞬間、俺は大根をその道に滑らせるように投げた。そして、すぐにドアを閉め、後ろに下がり背中を玄関のドアにくっつける。
銃を右手に持ち、背面側に銃口が来るように銃身を肩にかけた状態で腕を固定しておく。
ドアを隔てても聞こえるゴロゴロと大きな音を立てながら、おそらく転がっているであろう大根を頭に浮かべる。これは囮だ。
そして、音が消えた瞬間。存在を確認したい気持ちは、あいつも同じ。大根に向かって身を乗り出したあいつの姿を夢想しながら。
俺は廊下を全力で駆け、流れでドアを開ける。体勢を低くし、撒かれた消臭剤を利用して部屋に滑って勢いよく入っていく。
ドアを開けた瞬間、見えたのはテーブルから上半身を出している晴人。焦ったような顔をして、立ち上がり俺の背後に回ろうとする。
だが、俺は前を向いたまま、固定していた状態の銃を握り締め、そっと引き金を引く。バンという大きな音と共に、手に伝わる振動。
テーブルにいた場合。ロフトにいた場合。どちらにいた場合でも、当たるように計算したノールックショット。
すれ違った時のあいつは銃を構える暇もなく、ただ銃弾のある方向に向かっていくようにして、そしてそのまま────。
「バン!」
再び大きな音。壁にぶつかった俺は、すぐに振り返る。そこには倒れている晴人。
目が開いたまま、右手に銃を持って大の字の姿勢。やったか!?だが、そいつの口は無情にもパクパクと動いた。
「いってぇ〜……」
そう言いながら、晴人はその白い手で腰を押さえている。視界の奥にはロフトの側面の壁から煙が上がっていた。
外した。おそらく晴人の挙動から考えるに、倒せるはずの瞬間、あいつは撒かれた消臭剤により滑って転んだのだ。
「はぁ〜。まじか、もうちょっとだったのにな」
肩を落とす俺に、晴人は寝転んだまま銃口を向ける。俺も咄嗟に銃口を向けた。
「……やるなぁ、小太郎。ったく、運が良いんだか悪いんだか」
彼は再び腰を押さえる。お互いに銃口を向けたまま彼は立ち上がり、同じ目線になった。
「次は当てるからな。ちゃんと」
「やってみろよ」
銃口を向け合ったまま、お互いにあぐらをかいて部屋に座る。そのまま、硬直状態。顔を見合う。一時も油断出来ない状態は続く。
下手に動けば、直ぐに撃ち抜かれる気がする。そんな目をもう三十分も見ているから、トイレにも、もちろん風呂にも入れないし、すぐそこにある冷蔵庫にさえ手を伸ばす事すら億劫になった。
俺達はただ向かい合って、銃口を向け続ける。腕を震わせながらも、ただ────。
あれから何時間が経っただろう。頭をコクコクと揺らし、景色が滲んで見える。
声を出して大きなあくびをしてしまう。その声に体を震わせ、対面の晴人は慌てて俯いてた頭を上げ、一応といった感じで俺に銃口を向け直す。
「お前、もう限界だろ?流石に寝た方がいいんじゃないか」
晴人は目を細める。睨んでいるのか、落ちてくる瞼に抗っているのか。
「そう言って……油断したところで……俺を撃つんだろ……。分かってんだよ……だから……俺が……寝るわけ……」
言葉を発しながら、目を完全に瞑ると。晴人は、手から銃を落とし、前向きにバタンと勢いよく倒れた。
「……晴人!」
俺は銃を置き、目を擦りながら晴人の元に駆け寄る。倒れてうつ伏せになった体をひっくり返し、腕で上半身を起こす。
晴人の体が寝息と共に、伸びたり縮んだりしている。ただの寝落ちか。良かった。
その光景を見て、ようやく場の緊張が解けたからか俺は一度忘れた喉の酷い渇きを思い出す。
俺は晴人を一旦床にそっと置き、キッチンの蛇口をひねってコップに水を溜める。
そして、それを一気に飲み干す。久しぶりの感覚。
スマホで時間を確認する。午前一時半。
ずっと銃口を向け合うこと以外しないまま、文字通り膠着していたのだ。腹も空いてるし、首も肩も少し動かすだけで骨が鳴る。
俺はコップにもう一度水を溜める。飲み干す。
もう一度溜める。今度は晴人の口に水をちょっとずつ流し込む。とりあえず、これでいいだろう。
キッチンのシンクに戻る時、その青い銃身が視界に入った。コップを洗って、部屋を振り返ると嫌なほどそれが目に入る。
銃。晴人。銃。晴人。交互に見る。……俺は。
ふぅ。
俺はハシゴを登り、ロフトから大きな一枚の布団と枕を引っ張り出す。
ある程度物をどかしてから、部屋の真ん中を布団で埋める。枕を置き、晴人をそこに転がして乗せた。
落ちていた俺と晴人の銃を拾い上げる。銃口を、その寝ぼすけの頭に向けてみる。引き金に指をかけ、後は引くだけの状態で。手が震える。
「……はぁ」
俺はすぐに銃を下ろし、なるべく枕元から遠い場所である、部屋と廊下を繋ぐドアの前にそれらを置いた。
電気を消し、俺も遅れて布団に入る。
あいにく毛布は大きい一枚しかない。いつもは取り合いだが、今日は半分半分だ。
隣からせせらぎのような呼吸が聞こえてくる。俺は天井を見上げたまま、ゆっくりと目を閉じ、その暗闇に身を落とした。