第12話
「全くつまらん結果じゃわい……」
不服そうに大家さんが家の扉を閉め、ガチャリと鍵をかける。
出てけ出てけ!という言葉と共に、大家さんは身振り手振りを使って、全身でその意思を表現する。
それに応えるように、俺はまとめた荷物を両脇に抱え、よろけながらもそのアパートの敷地の中を歩いていく。
背負っているギターをなるべくぶつけないように、辺りをよく確認するのもこれで最後だ。
持っていた荷物を片脇に集めると、歩きながらボロボロの壁を手で触っていく。面白いように崩れていくのでやはり楽しい。
門を出る前に振り返る。あの恨めしかった玄関が今では、少し寂しく見えてしまう。一瞬だった、気がした。俺は止めていた足を再び動かし、歩き出した。
「おーい!晴人!」
門の近くで、腕組みをしながらそいつは待っていた。壁際に寄せたキャリーバッグに腰掛けながら、不躾に返す。
「遅ぇよ、バカ」
「いやー、ちょっと荷物が予想以上に多くてさ。ってバカってなんだよ!バカって!」
「うっせぇ。はい、それじゃ行くぞ」
「あ、ちょっと待てよ!」
さっさと歩いて行く晴人の後をついていく形で、俺はよろけながら小走りをした。
見慣れた石垣の一本道。俺達はそこを今、隣り合わせで歩いている。
荷物の重みで思わず腕が震えてくる。ただまっすぐ前を向いて、キャリーケースを引いてるそいつに俺は声をかけた。
「ちょっと、この左に持ってるやつ持ってくんない?一瞬でいいからさ」
「嫌だ。その代わり、右に抱えてるやつなら持ってやってもいいぞ」
「え?なんで?」
「そっちには二十五万円が入ってるだろ?」
「はあ、呆れた。もうそのキャリーバッグに二十五万入ってるだろ!半分半分でお互いの生活費にするって話にしたじゃんか!」
晴人はやれやれ、といった感じで鼻で笑う。
「まあ、あれは俺が情けで空砲にしてやったようなもんだからな」
「なんだよそれ!お前が決めたんだろ?」
やっぱりこいつはムカつく野郎だ。切れ長で、鋭い目。笑った時の、あの卑しい顔。
「あ」
俺達は足を止める。一本道が終わり、道が二股に分かれている。そう、ここはいつも大学に行く時、晴人と別れて行く場所。
俺達は決めた。この二十五万で新しい場所に進み、必ず大きくなってくると。
体を向け合う。そして、お互い右手を銃の形にして人差し指を相手の頭に合わせる。
「逃げんなよ。俺達はずっとこうなんだからな」
晴人が右腕に力を込める。俺は当たり前のように。
「もちろんだ。お前こそ、忘れんなよ」
「ふっ、ああ」
冷たい風が俺と晴人の間を通り抜けていく。ただ静かに、小さく燃え始めた火種に酸素を送り込むように。
「「じゃあな」」
俺達は同時に振り返る。そして、ただ前へと足を進めた。荷物はもう重く感じなかった。他の何よりも重い物を、背負った気がした。
都市部の雑踏をくぐり抜け、道を進んでいく。あれから何年経っただろう。
そんな俺の懐古を邪魔するかの如く、駅前の電子モニターの映像が町中に大きな音を響かせる。
「針金アートを作るアーティストとしてご活躍されている、黄崎さんですけれども、目指すようになったきっかけとかってあるんですか?」
「そうですね。実は僕、最初はバンドマンになりたくて大学生から活動してたんですけど、中々うまくいかなくて。もうだめだって時に、友人の言葉を思い出して、挑戦をやめちゃいけないって思ったんです。その時近くに偶然、ギターの切れた弦があったのでそれを見て、なんとなく作ってみたのが始まりですかね。あの頃は……」
飄々とインタビューに答える自分の声がなんだか小っ恥ずかしい。
俺は早歩きでその場を立ち去り、目的地へとすぐに向かうことにした。
着いた。眼前に広がる大きなホール。人がちらほらと散らばっており、何気ない雑談をしている。恐らく、この人達も今日のコンサートの観客であろう。
俺は彼らが纏っている正装を見て、ちょっと襟を正してみたりする。
自動ドアをくぐり、大理石で囲まれた上品な会場内に足を踏み入れると。
「先輩!」
背中を向けて立っている女性。見覚えのある姿で俺はすぐに分かった。
彼女は振り返って微笑を見せる。
「ちょっともうその呼び方やめてよね……なんなら今はこっちが先輩って呼びたいくらいだよ、小太郎君」
「いやいや、とんでもないっす。あ、それ、」
視線の奥には、今日の公演祝いの花束が並んでいる。
その中でも早苗先輩の一番近くにあった花束は、ただの花束ではない。
様々な色の針金だけで作られた、身長ほどの高さの花束。
窓から差し込む光が、それらの光沢を輝かせ、他の花束との異質感を目立たせている。
そして、その花束の上にはこう書かれていて。
「祝 初コンサート公演記念 黄崎小太郎より」
先輩はその長い髪を右耳にかけながら、腰を屈ませる。
「すごいね……!これ全部、針金で出来てるの?」
「そうなんですよ。いやー大変だったなぁ、これは」
実際大変だった。でも、楽しかった。自分の思ったように動く針金が、どんどんと形を整えていくのが。
それに、あいつのために何かを作ったのはあれ以来でなんだか懐かしい気持ちだった。
「やっぱ、小太郎君ってそういう芸術の才能があると思ってたんだよね〜。私、やっぱ見る目あるかも!」
鼻高々に語る先輩。俺は照れてしまい、うまく返せなかった。でも、その姿を見て、俺はやっと先輩に会ったという事実が実感出来た気がして、なんだか嬉しかった。
「……ねえ小太郎君」
彼女はワントーン下げた声で呟く。
「今更だけど。あの時のこと、ごめんね。私……」
顔を俯かせる先輩。俺は先輩のそんな顔が、やっぱり好きじゃなかった。
俺は、胸を張って答える。
「いや、でもあの時先輩がはっきり言ってくれたから、変われた気がするんです。だから俺は感謝したいです、ありがとうございます」
「小太郎君……」
先輩は目を丸くした後、微笑を浮かべる。俺の作った花束をじっと見つめ、その笑顔は顔中にいつの間にか広がっていた。
「あれ、そういえばもうそろそろ始まる頃じゃないですか?」
そう言って腕につけた時計を先輩に見せる。彼女は驚いた顔で荷物を持ち上げた。
「本当!?うっかりしてた。それじゃあ、行こうか」
「はい!」
俺と先輩は観客席側の入り口に足を進めようとする。だが一歩踏み出した時、彼女はまだ止まったままだった。
俺は戸惑い、先輩?と思わず声をかける。先輩は顔に笑顔の花をじわじわと咲かせていきながら、歩き出す。
「ありがとうね」
肩をポンと叩き、俺を追い越していく。俺はその瞬間、無意識に入っていた肩の力がようやく抜けたような感覚がした。
俺も歩き出す。客席に入るとほとんどが人で埋め尽くされており、非常に賑やかな雰囲気が既に出来上がっていた。
あいつから届いたメッセージを見ながら、座席の方へと進んでいく。一番前の真ん中だった。
俺達が椅子に座ってから、果たして、会場が暗転する。拍手が連鎖して会場を包んでいき、その響きが空間を支配したところで。
袖から出てきた。今回の主役が。
拍手が鳴り止み、より際立つ静寂。明転と共に聞こえてきたのは、優雅で繊細なバイオリンの音だった。
伸びやかに、それでいて鋭い響き。でも、あの頃聴いていたよりも更に力強く、それでいて、軽やかな不思議な感覚。その音に耳を傾けながら、俺はそいつの演奏を久しぶりに目に焼き付けた。
全てが終わった。大喝采の余韻覚めやらぬまま、俺達はホールの入り口に戻ってきていた。コツン、コツンという足音。視線の奥に俺は意識を集中させる。
関係者控室とかいう、どうにも不躾なこいつには似合わないと思う場所から出てきたそいつは、俺達の方へと近づいてくる。
俺も応えるように、あいつに向かって足を進める。ホールの真ん中で対峙し、向かい合う俺と晴人。
そして、俺達は右手を銃の形にして勢いよく構える。
「よう」
「……久しぶり」
一生をかけたマグナムバトルは、まだ始まったばかりだった。