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終わらないアンサンブル

作者: shidou

仮題 終わらないアンサンブル 原案


【プロローグ】


地方都市。

かつて城下町として栄えたこの町は、今では人通りもまばらで、かつての活気はほとんど消えていた。

ただ、古い町並みや神社、そして伝統だけは、途切れることなく今も残っている。


佐々木航は、そんな町に家族とともに引っ越してきた。

父の転勤だった。

小さな製造工場に勤める父の異動で、航はこの土地にやってきた。


新しい学校。

知らないクラスメート。

馴染みのない町並み。


期待と不安が入り混じる春の朝。


転校手続きを待つ間、航は校舎の隅にある音楽室で過ごすよう指示されていた。

誰もいない音楽室。

白いカーテンが、静かに風に揺れていた。


航は、持ってきたホルンを取り出した。

小さいころから両親に教わりながら吹いてきた楽器。


静かな空間に、ホルンの柔らかい音がそっと響き渡る。


(これから、何が始まるんだろう――)


そんな想いを胸に、航は今日も、音を鳴らしていた。


【第一章 音楽室での出会い(綾瀬琴音)・修正版】


トイレを探しに、音楽室を後にした航だったが、

ふと、耳に違和感を覚えた。


誰もいないはずの音楽室から、ホルンの音が響いている。

それは、航がさっきまで吹いていた曲ではなかった。


聴いたことのない旋律。

それでいて、胸の奥に優しくしみ込む、不思議な音色。


(誰かいる……?)


航は戸惑いながらも、静かにドアに近づいた。

引き寄せられるように、そっと開ける。


そこには、一人の少女がいた。


小柄で、栗色の髪を揺らしながら、

夢中でホルンを吹いている。


(……すごい音だ。)


航は立ち尽くした。

ただ、少女の奏でる旋律に引き込まれていた。


だが、ふと現実に戻り、目を凝らして見た瞬間、

航は驚いた。


(あれ……俺のホルンだ!)


少女が抱えているのは、航がさっきまで吹いていた大切なホルンだった。


「おい、それ俺のだろ!返せよ!」


思わず声を荒げる。


少女はピタリと音を止めた。

驚いたように航を見つめる。


しかし、次の瞬間――


「いやだ! これはママだから!!」


少女はホルンをぎゅうっと抱きしめ、航から離れようとした。


「は? 返せって! 俺のだって!」

「ママだから、だめえぇ!!」


必死でホルンを抱きしめる少女。

それを取り返そうとする航。


二人の間でホルンが左右に揺れる。


「うわっ、やめろってば!」

「ママぁぁぁぁ!!」


音楽室に二人の声が響き渡った。


その大騒ぎに、廊下を通りかかった先生が驚いて飛び込んできた。


「ちょ、ちょっと、何してるの二人とも!?」


先生はすぐに少女――綾瀬琴音を抱きとめ、落ち着かせようとした。


「ごめんね、航くん。琴音ちゃんはこの学校の特別支援学級の生徒なの。悪気はないのよ。」


琴音は先生に抱きしめられながらも、

まだ航を見て「ママなのに」と小さく呟いていた。


航は、ただ呆然とその光景を見つめていた。


怒りや困惑、そして――

言葉にできない、不思議な感情が胸の中に渦巻いていた。


だが一つだけ、航ははっきりとわかっていた。


この少女が、あれほど美しい音を、確かにこの音楽室で奏でていたことを。



転校初日、自己紹介を終えて席に着くと、周囲の視線を感じた。


 「ねえ、転校生ってどこから来たの?」


 「前の学校でも部活やってた?」


 クラスメイトたちが興味津々に話しかけてくる。


 「えっと、関東のほうから……。部活は、吹奏楽部に入ってました」


 「吹奏楽? 何の楽器?」


 「ホルン」


 その瞬間、クラスの数人が驚いたように顔を見合わせた。


 「ホルン? まじで?」


 「お前、吹部入れよ! うちのホルン、一年生しかいないんだよ!」


 転校初日からこんなに推されるとは思わず、彼は少し戸惑った。


 「……まだ考え中だけど」


 とりあえずそう返すと、クラスメイトたちは「絶対入ったほうがいいって!」としつこく勧めてきた。


 (でも、まあ……入るつもりではいるけど)


 彼は心の中で苦笑した。--


春の陽差しがグラウンドを柔らかく包み込み、風が校舎の窓を優しく鳴らしていた。


佐々木航は、スケッチブックを膝に広げ、鉛筆を走らせていた。写生大会といっても、描いているのは風景でも人でもなく、ただ気まぐれに伸びる線の集まり。なんとなく校舎をなぞっては消し、グラウンドの鉄棒を加えてはため息をついた。


「……これでいいのかな」


そんな独り言の直後だった。

ざっ、ざっ、と足音が近づいてきて──


「なに描いてるのー?」


突然、横からのぞき込んできたのは、琴音だった。

制服のリボンは歪んで、髪は風になびき、笑顔だけがまっすぐに航に向けられていた。


「おい、琴音!?授業中じゃないのかよ!」


驚く航をよそに、琴音は隣にちょこんと座ったと思ったらスケッチブックに指をのばし指でこすりだした。


「あーや、やめろ!おい、なに汚れるって!あ~」


「ふふーん〜」

屈託のない笑みと、くすぐったい笑い声。


航はふっと、唇をゆるめた。

怒るべきなのに、なぜか笑ってしまう。彼女の無邪気さが、何かの重りを外すように心をほどいていった。

周りの生徒もこの退屈な時間のイベント始まったみたいな感覚で面白半分でみてる。


そのとき、校舎から慌てて飛び出してくる人影があった。


「琴音さん!戻りなさい!授業中でしょ!」


先生の怒鳴り声に、琴音は「にへっ」と笑って、ぴょんと小さく跳ねるように身をひるがえし、グラウンドの反対側へ逃げ出した。


「まったく……」


航は呆れたようにため息をつきながらも、去っていく琴音の背中を、目で追っていた。

春の光の中、風に髪を揺らし、足取りも軽く走る姿──

それは彼の心に深く刻まれることになる、大切な記憶のひとコマだった。

。琴音の底抜けの明るさみたいなものにみんなやられてしまうんだ。──

航の紙には琴音の描いた指の跡が残っていた。航はそれを消そうとした手をやめた。


もう一枚もらってくるかな

これは失敗だし 


そう言うと航はじっくりみて、その顔はどこか微笑ましかった

---

【第二章 孤独な旋律(綾瀬琴音)】


琴音は特別支援学級の生徒のため航とあまり会うことはなかった。

でも琴音は遠くからでも航をみかけると駆け寄ってきてなにかと絡んでくる

それに航もなぜかうまく答えることができていた。慣れというのも変だが毎日のように、奇妙な会話を続けているのが普通になっていた



そんななか放課後の吹奏楽部の練習中。

ふと視線を感じて顔を上げると、

廊下の向こうに、小さな影が立っている。


それは、綾瀬琴音だった。


彼女は、遠くからじっと、こちらを見つめていた。

その目は真剣で、けれどどこか寂しげだった。


最初は気味悪がった部員たちも、次第に慣れていった。

最初の出会いが悪かった航だけは、

冷やかされるたびにいちいちカッとなってしまう


「お前、最近誰かに見られてる気しない?」


 ある日、パーカッションの先輩がニヤリと笑って言った。


 「何の話ですか?」


 「ほら、お前が演奏してる時、毎回廊下の端っこで見てる子がいるだろ?」


 「……気づいてました?」


 「そりゃあな。あんなにじーっと見つめられたら、気になるに決まってるだろ」


 他の部員たちも興味津々といった表情で話に加わる。


 「お前、まさかあの子と知り合いなの?」


 「いや……ちょっとしたことがあって……」


 「へえ~、気になるねぇ」


 彼が返答に困っていると、いつの間にか話は盛り上がり、しまいには冷やかしの対象になっていた。


 「お前、モテてるんじゃね?」


 「違います!」


 「まあまあ、そう照れるなって!」


 みんなが笑うなか、彼だけは複雑な気持ちだった。


(……なんで、あいつは毎日見にくるんだろう。)


航にはわからなかった。

だが、あの日聞いたあの音色だけは、頭から離れなかった。


そんなある日、放課後、航は琴音に声をかけた。


「なあ、見学、来るか?」


琴音は一瞬きょとんとした顔をした。

けれど次の瞬間、

ぱっと顔を輝かせ、コクンと大きくうなずいた。

その話をすると琴音の担任も部の顧問の先生も快く琴音の見学を認めてくれた--


その日から、

琴音は吹奏楽部の見学に加わった。


最初は合奏練習の時担任の先生と一緒に遠巻きに眺めるだけだった。

時々、練習の合間に航の方へ駆け寄ってきたり、

トランペットの真似をして笑ったり。


純粋に、楽しそうだった。 

そのうちなぜか航の席の隣が琴音の指定席になっていた

奇妙な関係

琴音はただそこに座ってニコニコしてる



他の部員たちも、次第に琴音を「そこにいるのが当たり前」の存在として受け入れていった。


この前は琴音が授業で栽培したトマトをみんなに配ってくれたりしたことも。


「はいっ、みんなにっ!」


そう言って琴音は、大きなビニール袋を大事そうに抱えて部室にやってきた。袋の中には、赤く色づいた小さなミニトマトがぎっしり詰まっていた。


「これ、琴音が育てたのか?」


航がそう尋ねると、琴音は満面の笑みで何度もうなずいた。


「うん!先生と一緒に!──みんなに、あげる!」



昼休み、校舎裏の畑に一人と一人がいた。


琴音は、小さなじょうろを両手で抱え、ミニトマトの苗に水をそっと注いでいた。赤くなりかけた実を見つけると、小さな手で葉をそっとかき分け、傷がついていないかじっと見つめる。


「琴音さん、がんばってるね」


背後から声をかけたのは、琴音の担当の先生だった。年配の、やさしい笑顔が印象的な女性の先生。琴音のそばにしゃがみこむようにして、視線をトマトに移す。


琴音はにこっと笑って、手にしたじょうろを持ち上げた。


「うん!お水あげたら、きのうより赤くなったよ。もうすぐ、たべられるかな?」


「そうだねぇ……おひさま、たっぷり浴びて、もうちょっとだね」


琴音は嬉しそうに頷いて、それからふと小さな声で呟いた。


「みんなにあげるの。ホルンのみんなと、先生にも」


「みんなに……?」


先生が少しだけ驚いたように尋ねると、琴音はまっすぐ先生の目を見て、大きくうなずいた。


「うん。航くんとか、部活のみんな、がんばってるから」


その目は、とても真剣で──子ども特有のまっすぐさが、痛いくらいに伝わってきた。


先生はふっと目を細めた。


「……そうなんだ。みんな喜ぶね、きっと」


それだけの言葉だったけれど、そこには言葉以上の思いが込められていた。

先生は琴音の無邪気さを、そしてどれだけ彼女が人とつながろうとしているかを、わかっていた。

だからその表情は、どこまでもやさしく、少しだけ切なくも見えた。


先生はそう思いながら、そっと手を伸ばして琴音の背をなでた。


聞けば、生活科の授業で植えたミニトマトを、彼女は毎朝、先生と一緒に水をあげて育ててきたのだという。

まだ青いうちは心配して見守り、少し赤くなったら「もうちょっと」と我慢して収穫を待った。


「みんな、ホルンとかトランペットとか、がんばってるから──だから、元気、出るように」


そう言いながら、ひとつずつ丁寧に手渡していく琴音の姿は、まるでお祭りの日の巫女のようだった。


「……うまっ!」


「これ、売ってるのより甘いぞ!」


部員たちは口々に驚きの声を上げた。太陽の味がする、そう思えるほどに甘くて、みずみずしい。航もひとつ口に入れた瞬間、思わず目を見開いた。


琴音はその様子をニコニコしながらじっと見ていた。そして、誰よりも嬉しそうに、にへっと笑った。


それは──

太陽の下で育ったミニトマトみたいに、素直でまっすぐで、優しさであふれた笑顔だった。


そんなことが続いてるうちに航もまた、彼女の存在を自然に受け入れ始めていた。

もう一人の部員?のような感じで---




ある日。航は校舎の一角で個人練習していた。その時誰か見てるなと思って視線を向けるとそこに琴音がいた

気にせず吹き続けていると琴音がだんだん近づいてくるのがわかった。


航は、ふと思い立った。

気になっていたあの音色。

どうしても、もう一度聞きたかった。


吹くのをやめてケースから別のマウスピースを取り出し


「……吹いてみるか?」


琴音は目を丸くした後、

嬉しそうに顔を輝かせた。


そして、そっとホルンを抱きしめ、

唇を当てた。


静かに、けれど確かな音が校舎の一角にに響く。


あの、美しい旋律。

透明で、温かくて、どこか悲しい。


その瞬間、練習していた部員たちも手を止めてそれを聴いていた。


誰もが、琴音の音に耳を奪われた。


何人かの部員が音をたどって集まってきた


なに?今の?

誰?

音めっちゃきれい

ホルンだよね

航?

なんの曲?


ざわざわと盛り上がりながら集まってきた


琴音は集まってきた部員に驚いて隠れてしまう

しっかりホルンを抱いたまま


航は最初の出会いを思い出して慌てて部員に


「ちょっとちょっと待った待った

琴音が怖がるから」


部員の一人が


「ええ?なに?琴音ちゃんなの?今の?

まさか〜」


琴音はじっとしゃがみ込んだまま固まっていた

航は琴音のそばで


「大丈夫だから

ほらみんな合奏の時一緒にいた奴らばかりだろ」


優しく子供をあやすような話し方で声をかけた


「さあもう練習!練習!

時間もったいないよ!」


航はそういってみんなを追い出した


部活帰り航は質問攻めに

当然琴音のこと

最初は誰もなかなか信じられなかった

航が琴音との最初の出会いのことを話すとだんだん納得していった

そこで今度練習の時に琴音にもう一回吹いてもらおうと言うことになった


「航君ちゃんと琴音ちゃんに頼んで」

「頼むぞ航」

そんなこと言われたら断れない航だった




だが――


曲は一曲きりだった。


そして、誰も知らない旋律だった。


終わると琴音はにこりと笑って、

航にホルンを返した。


「これ、ママと私の曲。」


嬉しそうに、そう言った。


「他になんか吹ける?」


それにも琴音は


「ママと私の曲」


しか返事が返ってこない

そもそも琴音は楽譜が読めなかった

そのうちあれだけ盛り上がってたことも嘘みたいにいつもの部活に戻っていった

それからはしばらくは琴音は顔を出していたがだんだん来なくなった

琴音の担任と部の顧問の先生の間でなにか話があったことはなんとなくわかっていた

ただそれだけだった

それをどうこうできるほど誰も琴音に関心はなかった



「ママと私の曲」


航はその言葉の意味を、

このときはまだ、深く考えなかった。


けれど、心のどこかに引っかかるものを抱えたまま、

日々は流れていった――。

【第三章 進路と音楽の狭間】


春の終わり。

桜の花びらが、まだ校庭の隅にうっすらと残っているころだった。


佐々木航は、橋から、

ぼんやり川を見下ろしていた。

川面に反射する光が眩しくて向こうの橋や浮島のように堤防に囲まれた昔からの神社は影のようにしか見えていなかった。当然もっと先なんて全然見えない。

その神社は約四百年ぐらいそこにどっしりとしたまま。河川改修工事でもその位置に歴史的価値があるとかで結局周りを堤防で囲んで川の中に建っている。周りがどう変わろうと。


小さな地方都市。中学3年


進路のことが、心に重くのしかかっていた。


吹奏楽部では、航だけではなかった。

三年生になった仲間たちは、誰もがそれぞれの進路に悩んでいた。---


「俺さ、やっぱり音楽やめるわ。」

橋から向こうをみていたトランペット担当の親友が、ふと漏らした。


「やりたい気持ちはあるんだけどな。

でも、こんな地方じゃ、続けたってどうにもならねぇよ。」


苦笑しながら言う彼の顔を、航はまともに見られなかった。


高校に進学しても学校間でもいろんな差があるのは仕方のないことだった

おまけに学力という問題も絡んでくる

---


「私、強豪校受ける!」

勢いよくそう宣言したのは、クラリネットの女子だった。


彼女は都会の強豪吹奏楽高校を受験するという。

だが、成績はそこまで伴っていなかった。


「……受かるといいな。」

航が声をかけると、

「奇跡でも起こらなきゃね!」と笑っていた。

その笑顔の裏に、焦りと不安がにじんでいた。--


「都会はすごいよなぁ。

音楽専門のコースもあって、楽器も新品で揃っててさ。

ここじゃ、リード一本買うのも自腹だもんな。」


サックスの男子が、低い音を出しながらやってきた新幹線を眺めながらポツリと言った。きっと新幹線の行き先が東京だからなのか。

地方と都会の環境の差。

小さな町の学校では、予算も指導も限界があった。


(俺は、どうするんだろう。)


航自身もまた、答えを出せずにいた。


吹奏楽が好きだ。

ホルンを吹くことが、心から好きだった。


子供の頃から音楽が周りにあった

自然と馴染んでいた

ホルンも子供の頃のおもちゃから始まっていた

自然で当たり前で空気

そんな環境


けれど、音楽の道に進むには、

家の経済的な事情、地方にいるというハンデ、

そして何より、才能と努力だけではどうにもならない現実があった。


そういうことはなんとなく感じてきた

でも他の部員に比べるとそこまで考えることもないのが航だった。


3人の上を羽田からの便が滑走路に向かって降下していく。3人とも車輪の格納庫までみえる低空で飛ぶ飛行機を見えなくなるまで追っていた。夕日の中にそれは消えていった。


そんな中、

練習後の音楽室で、一人ホルンを手入れしていた航に、顧問の先生が声をかけた。


「航、お前は続けるのか?」


航は答えられなかった。


「続けるって、簡単なことじゃない。

でもな、続けたやつだけが、最後まで音楽をやってる。

覚悟、いるぞ。」


先生の言葉の意味はわかったがまだ実感が航にはわかなかった

その言葉の意味がやんわり胸に突き刺さるのには航にはもう少し時間がかかった

夜、家に帰る途中。

航は見上げた空に、ぽつりぽつりと星が瞬いているのを見た。


(続けるって、どれだけの覚悟がいるんだろう。)


その問いに、答えはなかった。

けれど、胸の奥には航が自分でも知らない小さな火種が灯り続けていた。


たとえ小さくても。

消えない音が、確かにそこにあった。



春が終わり、夏が近づく。

それぞれの選択を胸に抱えながら、航たちは少しずつ、

それぞれの道へと歩き始めていった―


【第四章 フルートを抱く少女】


佐々木航が進学したのは、地域では「上の中」と呼ばれる進学校だった。


城趾の中に立つその高校は、かつてのお城の名残を今に伝えていた。

校門をくぐると、広いグラウンドの向こうに、古びた天守台が小高くそびえている。

城そのものはもう無かったが、天守台だけが残り、校庭を見下ろしていた。


航が入った吹奏楽部は、そんな学校の中でも少し異質な存在だった。


校訓は「文武両道 自主自律」。

だが「文」は勉強、「武」は運動部を指し、文化部はおまけのような扱いだった。


そんな中、吹奏楽部だけは別格だった。

県内でも常に一位二位を争い、

地元では祭りや式典にも欠かせない存在だった。

卒業生の中にはプロの演奏家になった者もいる。


航は、そんな吹奏楽部に自然に惹かれ、迷わず入部した。


グラウンドの隅に立つ天守台は、トランペットパートの練習場所だった。

授業が終わると、部員たちは楽器ケースを抱えて天守台に集まった。


野球部がグラウンドで練習している最中に、

思いきりコンバットマーチを吹き始める。


当然、野球部からは「うるせーぞ!」と文句が飛ぶ。

だが、それに負けじと、吹奏楽部のトランペットはさらに音量を上げる。


すると今度は、野球部のキャプテンが大声を張り上げた。


「負けるなよ、野球部! 声出せ、声ー!!」


吹奏楽部と野球部、奇妙なエール交換。

そんな活気に満ちた校風が、航はけっこう気に入っていた。

---


吹奏楽部の練習場所は、主に音楽室や空き教室だった。

そして、敷地の端、林に囲まれた木造二階建ての旧校舎も使われていた。


エアコンのない旧校舎は、夏は地獄のように暑く、

冬は芯まで冷え込んだ。


それでも、木の床を踏みしめ、汗をぬぐいながら楽器を鳴らすその時間が、

航にとっては何よりも充実したものだった。

---


学校の裏手には、広い川が流れていた。

堤防に登れば、遠くに江戸時代から続く古い神社が見える。


その堤防の上空は、自衛隊機や旅客機の着陸ルートになっていた。

青い空に小さな白い点がみえると、みるみる近づいてくる。

旋回した時にはもう頭のすぐ上。

見上げると車輪がもう出ててその格納スペースまでみえる。

影がスーっと流れてく。

戦闘機が爆音を上げて頭上を通過する。

そのタイミングで航たちは堤防の上で思い切りホルンを吹いた。


「おい、今だ、いけー!」


「うるさっ!!って言われねぇよな、これなら!」


爆音にかき消される音。

だからこそ、思い切り音を出しても怒られない。


それが、航たち吹奏楽部の、密かな遊びだった。


【第五章 五月、祭りの町で】


五月。

新緑がまばゆい光をたたえ、川面を撫でる風に若葉の香りが漂う。

ボート部のボートが何艇も川面を滑っていく。

窓を開ければ太鼓のゆっくりとした響き

それに合わせて流れる笛の音

そんな音たちが自然とどこにいても聞こえてくる

こんこんという響きに獅子頭が舞ってることがわかる

拍手がその後に続く

中学生から幼稚園児ぐらいまでもの子どもたちが一緒になって獅子舞の太鼓の乗った山車を引き歩いていく

それを周りで大人たちが見守っている

そんな太鼓や笛の音も一瞬にかき消される

二百年以上も続く音も現代の最先端の戦闘機の音にはかなわない

そんなことも誰も気にせず獅子舞は続く

もう生活の音の一部だからだ


家々にはしめ縄が張られ御祈念所の御札が下げられていた

それがやっと暖かくなった風にヒラヒラと揺れている


城下町だった古い街並みは、

この季節だけは、二百年前からの静かな眠りから目覚めるように賑わいを取り戻す。


祭り本番になると絢爛豪華な山車が並び、金糸銀糸で飾られた幕が、春の日差しを受けてきらきらと輝いた。 

夜にはそれが照明で一段とキラキラが増す


今子どもたちは、山車の上で演じる歌舞伎の稽古に追われている。

長唄が奏でる三味線の音が、町のあちこちから聞こえてくる。


ソーレ、八寸!


の掛け声とともに山車が動き出す

町内総出で山車を引っ張る

周りの人も掛け声を合わせる


ソーレ、八寸!

豪華絢爛な山車が揺れながら動いていく

航もかけ声に合わせて綱を引く

どこのお祭りもそうだが人口減少で人手が足りない そこで引き手の募集が何年も前から始まっていたそうだ

航も翔太に誘われて初めて曳山を曳いてみた

こっちに転校して数年しか経ってないから何もかもが新鮮だった。

曳山はあちこち修理しながらもその大部分は江戸時代からのものだ

航はその曳山に手を触れるたびに

ここも二百年間いろんな人が触れてきてその後にまた自分も触れている。

また何百年の間に自分の触れてるあとに触れる人がいるのかと想像するだけでも歴史の流れを感じさせてくれる。


本番では山車の上で歌舞伎の言い回しを朗々と唱える子どもたちの声が街角に響いてくる



ふいに、笛の澄んだ音色が路地裏から流れてきた。

どこか懐かしく、胸の奥に染み入る音だった。


町全体が、まるで一つの大きな舞台になったかのようだった。


航の吹奏楽部の仲間、

浅井翔太も、そんな祭りの準備に追われる一人だった。


彼の家は、代々この祭りに深く関わってきた。

小さな頃から、和楽器や囃子に親しんで育った。


今年もまた、翔太は町の若連中と一緒に、祭りのために横笛の練習を毎日していた。


「また今年もだな……。」


航が呟くと、

隣を歩いていた翔太がにやりと笑った。


「まぁ、伝統ってやつだよ。

逃げたくても、体に染みついちゃってる。」


駅まで向かう途中の通りで曳山の組み立てが進んでいた。通り沿いは歴史を感じさせる町家造りの家がずらっと並んでいる

木槌の音と、大工たちの威勢のいい掛け声。

汗ばむ初夏の空気に、町の匂いが濃く立ち上る。

---


そんな翔太が、ふと、口を開いた。


「そういえばさ。この前

じいちゃんが言ってたんだ。」


航が顔を向けると、翔太はゆっくり語り始めた。


だがなかなか言葉が出てこない

遠くからわずかだけと低い唸るような音が近づいてくるのがわかってるからだ

その音はいくら話しても相手には聞こえなくなるくらいの音になる

それがわかってるから翔太はわざと話を途中でやめた


その音やがて隣の人の声が聞こえなるく大きくなりそして遠ざかっていくと翔太は続きを始めた



戦後すぐ、

この町には占領軍がやってきた。


翔太の祖父は、幼い頃、

敵意と恐れの入り混じった日々を送っていた。


占領軍の将校一家が、町の家を借りて住み、

その息子――

同じくらいの年の少年が、外を眺める姿を、毎日見ていたという。


最初はただ、石を投げ合うような、荒っぽい始まりだった。


だが、翔太の祖父は、父からこう教えられていた。


「人を憎むな。

戦争を憎め。

相手を知れ。」


その言葉を胸に、

祖父は、相手の少年を剣道道場に誘った。


言葉は通じなかった。

だが、竹刀を交えるうちに、互いの瞳がまっすぐに交わった。


毎日、無言のうちに打ち合い、汗を流した。


町の大人たちはいい顔をしなかった。

陰口も、嫌がらせもあった。


それでも、二人は剣を交え続けた。


そして――

別れの日。


占領軍がこの町を去るとき、

二人は静かに剣を合わせ、深く頭を下げたという。


「それから何十年ものあいだ忘れたことはなかったって


そして人生に一区切りついたときもう一度会おうと思ったんだって

それでアメリカにいって探し始めたんだ

なかなか見つからなくて何度も諦めたけどだんだん年取ってくるとどうしても引っかかってきてなんとしても見つけてやろうと思ったらしい


それでアメリカにしばらく住むことにして探し始めた

なんとかわかったんで会いにいったら何年か前に亡くなってた

相手の人はアメリカに帰ってからも剣道続けてて

まぁ大変だったろうけどね

続けることは

アメリカだからね

それも敵国の武道だから

それでもなんとか続けてなんと段持ちになって道場まで作って何人も弟子育てて 

その人もじいちゃんに会いたかったんだって

家族の人が教えてくれたって」


「じいちゃん、言ってたよ。」


翔太は、ふっと笑った。


「『あいつとは、言葉なんか一言も交わせなかった。

でも、一番大事なことは、ちゃんとわかり合えた』ってさ。それでもやっぱりもう一度会いたかった。もっと早くに会いたかった。あの時は言葉を交わさなかったかけど最期に一言でもいいから話ができたら」


「出会いはどんなのでもいみのない出会いなんてないかもしれんから大切にできるなら大切にしないとな

それから後悔しない出会いにしないと」


「まぁじいちゃんの話はこんなだよ 

まさかじいちゃんにそんな人生があったなんて知らなかったよ

家族でも知らないことあるんだな」


そういう翔太はいつもの優しそうな顔だった


航は、初夏の空を見上げた。

陽炎のように揺れる空気の向こうに、

戦後の町を歩いた子どもたちの姿が、ふと重なった。


話をできるくらいだがもう二人には話すことはなかった




遠くで太鼓が鳴った。


祭りの日は、もうすぐだった。


そして、町も、航たちも――

変わらぬものと、変わりゆくものの中で、音を鳴らし続けていた。


【第五章 音楽隊を目指す少女】


吹部にはいろんな部員がいる

この高校は周辺の地域から進学を目指して生徒が集まってくるからだ


航たち吹奏楽部は日々の練習に追われていた。


学校の敷地の端、

林に囲まれた木造の旧校舎。

ピンク色の板壁の塗装は何度も塗り直されている

緑の中でそれはかなり目立つ存在だ

白い窓枠と黒い瓦屋根がアクセントになっている


夏になると、外よりも暑いその校舎で、

汗まみれになりながら航たちは音を重ねた。


その中でも、ひときわ努力を重ねる部員がいた。


伊藤沙耶――

小柄で、いつも元気いっぱいの女子部員だ。


だが、彼女の胸には、しっかりとした目標があった。


---吹奏楽部の練習は厳しかった。コンクールに向けての合奏、パート練習、個人練習……。それに加えて、朝練の前にランニングをし、夜にはジムで筋トレをしていた。


「お前、本当に吹奏楽部員か?」


同級生の坂本さかもと亮が苦笑しながら声をかけた。彼は陸上部員で、グラウンドを走るを見かけるたびに驚いていた。


「吹奏楽って意外と体力勝負なの。特に私は目指すところがあるから」


は笑いながら答える。


「目指すところ?」


「うん、自衛隊の音楽隊」


「マジか、それはすげえな」


亮は感心したようにうなずいた。「でもさ、お前、無理しすぎんなよ。体を壊したら元も子もないぞ」


「……うん、気をつける」



放課後。

航が音合わせをしていると、

外から誰かが全力疾走してくる音が聞こえた。


「ぜぇっ……ぜぇっ……」


旧校舎に向かって汗だくの沙耶が駆けてきた。


「また走ってたのかよ。」


航が呆れ気味に言うと、

沙耶はにっと笑った。


「当然!と言いたいけど、部活に遅れるのは嫌だからね〜5分前の精神だよ(笑)」

「それは海軍とか海自だろー(笑)」

「よく知ってるね〜さてはオタクか〜(笑)」


沙耶との会話はいつもこういうのりになるから航は沙耶と話すのが結構好きだった。


---

この町には、自衛隊の航空基地がある。

青空を切り裂く戦闘機の爆音は、

航たちにとっては日常の風景だった。


だが、沙耶にとっては違った。


航空音楽隊――

そこは、彼女が目指すべき憧れの場所だった。


「親父がさ、音楽隊にいるからね。

子どもの頃、演奏会見に行くの楽しみでさ。もうすっかりオタクよ(笑)」


沙耶は以前話していた。


「でも、今は簡単じゃないんだよ。

試験、めっちゃ厳しいし。音楽だけじゃなくて、走力も筋力もいる。」


航は、空を見上げた。

夕暮れの空を、旅客機が大きな影を引きながら滑る。


「それでも、やるんだな。」


「当たり前でしょ!」

沙耶はきっぱりと言った。


「憧れだから夢だから挑戦しないわけないじゃん、私がやるしかないじゃん。」


その言葉には、

年齢以上の重さが宿っていた。---

腕の筋肉を震わせながら、

唇を真っ赤にしながら、

それでも音を響かせる。

夢に届く日まで

爆音の中で吹くホルンの音のように、

彼女の音はまっすぐに空へと伸びていった。


同じ年なのにもうはっきり目標があるやつもいる

そう思いながら航は紗耶の後ろ姿をみていた


沙耶はある日の練習中に長時間の吹奏に加えて、前日のトレーニングの疲労が残っていたのか、突然目の前がくらりと揺れた。


「……っ!」


次の瞬間、視界が暗転した。


気がつくと、そこは保健室だった。


「バカだなお前は」


聞き慣れた声がした。沙耶の父親誠がベッドの横に座っていた。


「……お父さん?」


「顧問の先生から連絡を受けてな。無理しすぎだ」


「でも、私は……」


言いかけると、誠は静かに首を振った。


「確かに音楽隊は体力も大事だ。でもな、一番大切なのは音楽を愛する心だ。無理をして体を壊したら、演奏すらできなくなるんだぞ」


父の言葉に、沙耶ハッとした。


「お前の努力はすごい。でも、無理に追い込むことが努力じゃない。正しい努力をしろ」

その言葉が、沙耶の胸に深く刻まれた

---


【第五章 もう一つのアナ・ミウラのエピソード


放課後、旧校舎の裏庭に腰を下ろして、

航は水筒を傾けた。


春から夏へと変わろうとする空気。

遠くのグラウンドからは、野球部のかけ声が響いてくる。

野球部はいつも帰りは遅い

吹部もかなり遅い方だが周りはもうみんな帰っていた


そんな中、

トランペットの音が聞こえてきた、

ドヴォルザークの新世界より

まぁ確かにこの曲はもう帰るぞ〜の曲だけど

もう帰らないとの時間なのになあ… 

そう思った航は校舎に戻った


練習を続ける少女がいた。


「お~い、アナ〜

もう帰る時間だぞ〜」


アナ・ミウラ。


日系ブラジル人。

この町で生まれ、この町で育った。

最初に渡っていった移民から数えたらもう4世ぐらいになるんだろ。


町には大きな工場がいくつかありもう何十年も間日系ブラジル人が働いていた 

あるものはここで結婚し家庭を持って日本人に溶け込みながら暮らしている

アナの一家もそんな家族の一つだった

---


アナは、陽気だった。

いつも誰かに声をかけ、笑顔を絶やさなかった。


けれど、航は知っていた。

彼女の裏には、努力と、諦めない心があったことを。

---


「アナ、お前さ。

なんでそんなに頑張るんだ?」


帰り道、アナは駅前で自転車そこからバスで帰るために学校前の公園の中を自転車押して歩いていた.。公園内は自転車の走行は禁止になってるからだ

航はアナと一緒に帰ることになりふと尋ねた。


アナは、

にっこりと笑った。


「将来ね、ブラジルに行きたいんだ。」


「ブラジル?」


「うん。向こうの学校で日本みたいに音楽を教える学校作りたい。」


航は、驚いた。


「……すげぇな。」


「すごくないよ。」

アナは笑った。


「日本みたいに、全国あちこちで音楽やれる環境、少ないからさ。

あたし、子どものころからずっと音楽好きだったけど、

うち、お金ないから、ほとんど独学だったし。」



「バイトして、買ったんだよ。これ中古だけど、だから、大事にしてる。」


アナは、ケースを撫でた。

まるで宝物のように。

それにしてもマイ楽器持つこと自体がそもそもすごいことなのにと航は思った 

学生でマイ楽器持ってやつはほとんどいない。

---


彼女の両親は、三交代制工場で働きづめだった。決して裕福とは言えない。兄弟もいる。


だから、アナは音大への進学を諦めた。


「教育学部行くよ。弟も妹もいるし。でもパパもママも私に心配しなくていいから大学行きなさいっていってくれる。それだけでもうれしいんだ。みんな私のトランペット大好きって言ってくれるし」

そう、彼女は明るく言った。


「教師になって、地方でもちゃんと音楽教えるんだ。お金ない子にも、楽器触らせたい。

あたしみたいに、誰かが音楽を続けられるように。」


その目は、太陽みたいにまっすぐだった。

---


その日。

航は、なんだか胸が熱くなった。


夢を持つこと。

それを手放さないこと。

それがどれだけ勇気のいることか、

初めて痛いほどわかった気がした。

---

旅客機が着陸体勢に入って滑っていく音が聞こえる。ブラジルは地球の反対側。ここからの直行便はない。

はるばる先祖がそこまで行き苦難の道をへてまたアナのように日本に来て日本からまたブラジルにいくという。


夏が来る。


それぞれの夢を胸に抱えながら。


【第六章 孤独と音色──結城梨沙との出会い(完全修正版)】


春、新学期。


教室の窓から吹き込む風はまだ冷たかったが、

校庭には、新しい季節の匂いが漂っていた。


結城梨沙は、静かに教室の後ろの席に座っていた。

誰とも目を合わせず、鞄から静かにノートを取り出す。


梨沙にとって、学校とはそういう場所だった。

必要最低限のことだけをこなし、

誰にも期待せず、誰にも踏み込まれない。


それが、

彼女が生き抜くために築いた、無言のルールだった。

---


やがて訪れた入学後の三者面談の日。

教室の一角で、担任と、梨沙と、その母親が並んで座った。


担任が履歴書のような書類をめくりながら言った。


「特技や趣味なども、この時期に聞いておきたいんだすが。」


母親は、何のためらいもなく明るい声で答えた。


「うちの子、フルートが趣味なんですよ。小さい頃から独学で吹いてます!」


その瞬間、

梨沙の顔が、ぴくりと歪んだ。


舌打ちを飲み込み、代わりにぎゅっと唇を噛みしめた。


(まただ……。)


母親の軽率さ。

彼女の大事なものを、

簡単に、無邪気に、他人に晒してしまう無神経さ。


「へぇそうなんですね!すごいですね」

担任は、にこやかに言った。


梨沙は無表情で座っていたが、

胸の中は怒りと絶望でぐちゃぐちゃだった。


──これだから、誰にも期待できない。


数日後、放課後。


ホームルームが終わった教室で、

担任が何気なく口にした。


「結城さん、部活は吹奏楽部に入ったのか?」

梨沙は突然のことで無視してしまった


すると担任は


「せっかくフルートやってるなら吹部入ったらどうだ?まだ部活入れるぞ」


クラス中が一斉にざわめいた。


「え、フルートできるの?」

「すごいじゃん!」

「なんで吹部入らないの?」


興味と好奇心に満ちた視線が、梨沙に注がれた。


梨沙は無言で、机の端を指で押しながら耐えた。

内心、爆発しそうな怒りを、必死で押し殺した。


(──なんで。なんで、また。)


担任は、梨沙の答えも待たずに、あっさり教室を去った。

生徒たちの声だけが、梨沙を取り囲む。


その瞬間、

梨沙の脳裏に、小学校六年生の春の日が蘇った。


あの日。

天気は曇りだった。


「遠足は朝の判断で」と言われていたが、

梨沙は、最初から授業の用意しかしていなかった。


体が弱く、遠足には参加できないと知っていたから。


教室に入ると、みんなの顔が輝いていた。


「やったー!遠足やるって!」


歓声。

色とりどりのリュックサック。

お菓子の袋をぶらさげ、楽しそうにはしゃぐクラスメートたち。


梨沙は、静かに自分の席に座った。

教科書を、ただ開いた。


やがて、クラスは引率の先生に引き連れられて出発していった。


四階の教室の窓から、

梨沙は、楽しそうに歩く列を見下ろしていた。


そのとき、

引率の先生が振り返りざま、大きな声で叫んだ。


「結城さん、窓、全部閉めて、鍵もかけといてねー!」


梨沙は小さな声で答えた。


「はい。」


(わかってるよ。だって、私しかいないんだから。)


一人、教室中の窓を閉め、

一つ一つ、鍵をかけていった。


外では、笑い声が風に流れていた。

---


しばらくして、

別の先生が偶然教室に入ってきた。


「あ……君、残ってたのか……。もう帰っていいよ。」

その教師のいかにもどうでもいいよと言わんばかりの投げやりな言い方を感じながら

梨沙は、教科書をカバンに詰め、

静かに教室を後にした。


誰もいない廊下。

誰も待っていない帰り道。


楽しい声だけが、遠ざかっていく。


梨沙は、

そのとき、心に固い鎧を纏った。


人に期待しても無駄

期待してもどうせ裏切る。

一人でいるしかない。


そうして、彼女は自分を守る術を覚えた。


そして今。


高校一年生の梨沙は、

また一人、教室の雑音の中に取り残されていた。


俯いたその目に、何の光もなかった。



数日後。

航は、吹奏楽部の後輩たちの雑談を耳にした。


「ねえ、聞いた? あの一年の結城さん、フルート超うまいらしいよ!それも独学だって」

「でも部活断られたって……超冷たかったらしい……。」


航は、耳を傾けた。

すごいな独学か…

なんでかな…

そして、心のどこかが、妙にざわめいた。

彼女とは会ったこともない一言も話していない。

だけど──何かが、引っかかった。

(第六章・完全修正版・完)


【第七章 夕暮れの渡り廊下──梨沙の孤独な旋律】


夏休みは毎日練習練習だがお盆が近づき

部活も少しだけ緩やかな空気をまとい始めていた。


航は、部活の休みの日自転車で

学校の近くを通りかかった


ふと、聞こえた。


かすかな──フルートの音色。


それは、風に乗って、遠くから漂ってきた。そして空に溶けるように、静かに流れていた。


おかしいなあ…部活休みなのに…


航は耳を澄ませた。

音のする方へいく。


旧校舎を抜け新校舎へと続く階段をそっと上った。

---

屋上に出ると、

夕焼けに染まった空が広がっていた。


その中で──


一人、制服の少女が、

フェンスに背を向けるようにして、フルートを吹いていた。


航は、物陰に身を隠すようにして、その音を聴いていた。


その音は、

誰に向けられるわけでもない。物悲しく、澄んだ旋律。

どこか心の奥を震わせるような音。

その音色は苦しい悲しい辛いといってるようなような気がした



彼女の背中は、小さく、細かった。

だけど、そこには、言葉にできない重みがあった。

---


やがて、

下の渡り廊下を、運動部の生徒たちが賑やかに通り過ぎていった。


笑い声。

かけ声。

汗の匂い。


彼女はちらりと下を見た。


そのとき──


フェンスの鉄棒を、

小さな足で、

「ガンッ」と蹴った。 

フェンスの鉄の棒は鈍い音を響かせていた


決して大きな音ではなかった。

だけど、その一瞬に込められた感情が、航にははっきり伝わった。


悔しさ。

寂しさ。

羨ましさ。

怒り。


彼女は歪んだ顔をして、

それでも何も言わず、ただじっと立ち尽くしていた。


──私は、違う。


──私は、そっちには行けない。


そんな心の叫びが、

声にならずにあふれ出している気がした。


航は、なぜか、

その場から動けなかった。--


やがて、

彼女は何事もなかったかのように、

またフルートを吹き始めた。


その音は、

さっきよりも、

ほんの少しだけ、震えていた。


航は、その場を離れなかった。


声はかけないほうがいいと思った。


あの孤独な旋律を、

壊してはいけない気がした。


彼女はフルートを片付け始めた


やばい

見つかると思った瞬間にもう気が付かれていた

思い切り睨んでいる

このままはまずいと思って航は声をかけた


「あ~ごめん僕吹部なんで…ちょっと気になって…結城さん?」


咄嗟に出てしまっていた

その生徒は

はい

とだけ返事して航の脇をさっさと歩いていっ-


数日後。


吹奏楽部の後輩の一年生たちが、航に相談に来た。


「先輩……結城さん、やっぱり部に入ってほしいんですよ。でもどうしてもダメなんですよ。どうしたらいいですか?

なんか、すごい上手いらしいんですよ……!」


航は、少し考えてから、答えた。


「今は、大会前だろ。大会終わってからでいいんじゃないか?今入ってきてもお互い困るだけだと思うぞ。部活に集中した方がいい。

……保留にしといたら。」


後輩たちは、素直に頷いた。


航は、表向きにはそう言った。


だが、心の奥では──


(……そっとしておけばいいんじゃないかなあ。)


そう思っていた。


理由はうまく言えなかった。

ただ、

あの夕暮れの屋上で聞いた音色と、

結城梨沙の悲しそうな顔が、

今も心に焼き付いて離れなかった。

---


彼と彼女の間に、

大して言葉は交わされていない。


それでも、

航は、あの音色から確かに何かを受け取っていた。


夕暮れに響いた、

あの孤独な旋律とともに。

------


【第八章・中盤 遥先輩のエピソード(修正版)】


夏の大会が終わり、

吹奏楽部の空気は、微妙に変わり始めていた。


そして、ある日。あの事件は起こった。


──遥先輩の、あの日のことだ。


その日の朝。

教室に入ってきた遥先輩を、クラス全員が息を呑んで見たという。


目の周りは大きく腫れ、

唇の端から血が滲んでいた。


痛々しい、見るからに異常な顔。


なのに、

遥先輩は何事もなかったかのように机に向かい、静かに座った。


クラスメイトたちは、

ただ沈黙するしかなかった。


その空気を切り裂くように、

教室のドアが勢いよく開いた。


──幼馴染だった野球部の男子だ。


彼は迷うことなく、遥先輩に近づいた。


「……なんでだよ。誰にやられた!」


低い声。

だが、怒りに震えていた。


「なんで何も言わないんだよ、遥!」


遥先輩は無言だった。

目を伏せ、ただ机を見つめていた。


「言えよ! 俺にだけは言っていいだろ!」


野球部の彼は、さらに詰め寄った。

座っている遥先輩の前に立ち、机に拳を叩きつける。


「逃げるなよ! ちゃんと話せよ!」


「今朝またケンカした…じいちゃんと…」


腫れ上がった口でなんとか話したせいで、遥先輩の顔が小さく歪んだ。

痛みが走ったのだろう。

切れた唇から、また赤い血がにじんだ。


クラス中が、ただ静まり返った。


「……放っといてよ。」


遥先輩が、かすれた声で言った。


その瞬間、

放送が流れた。


『2年C組、遠山遥さん。保健室まで来てください。』


幼馴染の男子は、

何か言いかけたが、ぐっと拳を握りしめて飲み込んだ。


そして、悔しげに──

遥先輩の机を、思い切り蹴飛ばして去った。


ガタリ、と机が揺れた。


遥先輩は、

顔を伏せたまま、しばらく

そのまま動かなかった。


小さく震える肩だけが、誰の目にも痛々しかったという。


遥先輩は翌日も傷だらけの腫れた顔で登校してきた 

登校するということはあの傷で人前に出る。見られるということだ。それだけでも信じられなかった。

怪我の状態はとてもホルンを吹ける状態ではなかった

当然部活は休むことに

-

遥先輩の事件は学校中が知っていた

航も遥先輩が怪我で部活を休むことはわかっていた

学校中の噂では家でケンカしたらしい。それも派手にやってしまった。それくらいは知ってるやつはたくさんいたがでもその怪我の原因までは知らなかった

あの事件のあと当然吹部でも話題になった。


「聞いた〜遥先輩しょっちゅうケンカするらしいよ家で」


「遥先輩の家ってどうなってるの…」


「遥先輩武闘派だったんだね〜」


とかわけのわからない噂にまで発展していた。それを不味いと思ったのか遥先輩と仲のいい2年生のパートリーダーの先輩が他言無用だからねと念押してぽつりぽつりと話してくれた。


遥先輩は、母親を小さい頃に亡くしていた。

父親もその後なぜか家を出た。先輩は一人残された。

それからは、祖父母に育てられたという。


特に祖父は厳格でやたら教育熱心な人だったらしい。

「女に音楽なんて必要ない」

「勉強して、ちゃんとした大学に行け」

──そんな考えの持ち主。

今でも女に勉強は必要ないとかいう時代錯誤の人はいるみたいだが逆に先輩の家は勉強しろという。それ以外は認めないというのもすごい話だとみんなで言いあっていた。


遥先輩は、それでも音楽を続けたかった。

でも、

それは許されなかった。

---


それから、しばらくして

遥先輩は部を辞めた


誰も、止められなかった。

誰も、助けられなかった。


航は、

見えない重たいものを胸に抱えながら、

遠ざかっていく先輩の背中を思った。


──好きなだけじゃ、続けられない。


その現実を、

嫌というほど叩きつけられた気がした。

---


(遥先輩・中盤エピソード・完)


場所:一人、音楽室にて。遥先輩の退部から数週間後。


2年生の先輩が後輩に囲まれて遥先輩の話をしているとに本多天音は一人譜面に向かっていた。

-全く騒々しい。時間の無駄。

天音にはそうとしか思えなかった。


本多天音は譜面を見つめたまま、指を止める。

練習も終わり静まり返った音楽室。夕暮れの光が譜面に影を落とす。


──本当に、あの人は“逃げた”のかな。

天音は遥先輩のことを考えていた。


知ってる遥先輩はそんなことない人だと思った。

私ならどうするか?


そう思った瞬間、胸がぎゅっと締め付けられた。ある人のことを思い出していた。

あんなにどれだけでも練習して練習してやってたのに…勝手に幻滅して、勝手に失望して。勝手に諦めて。逃げて。

でもあの人は、何も言わなかった。ただ、背を向けただけ。


そしていま、自分はまだここにいる。

でも、進むのが怖くないわけじゃない。


「……私は、逃げない。そう決めたから」


けれど、その決意の奥に、ほんの少しだけ、涙がにじみそうになるのを感じて、天音は深呼吸した。


【第八章・後半 進路と葛藤】


旧校舎渡る秋風が、肌に冷たかった。


航たちは、よく練習帰りに学校のすぐ前にある庭園のベンチで話をしていた


部活の帰り道に、こうして雑談するのが、最近の日課になっていた。


吹奏楽部では、冬の定期演奏会に向けた練習が始まっている。

だけど、空気はどこか、去年とは違っていた。


──進路。


それぞれの胸に、重たくのしかかっていた。---


「……もう、俺たちも決めなきゃな。」


ぽつり、と翔太がつぶやいた。


その言葉に、誰もすぐには答えなかった。


庭園の道を、小さな列になって下校する小学生たちが歩いていく。

その姿を、みんな無言で眺めた。


ふと、誰かが言った。


「去年の今頃、二年の先輩たちも、こんな感じだったんだな……」


その一言に、航は心の奥で、

──遥先輩の姿を思い出していた。


顔を腫らし、唇を切って、

それでも最後まで、何も言わなかった先輩。


好きなだけじゃ、続けられなかった音楽。


あの光景が、まるで昨日のことのように甦った。


アナ・ミウラは、小石をつま先で蹴りながら言った。


「私、教育学部に行く。

音楽、ちゃんと教えられる先生になりたいから。」


「でも、音大は無理だよな。お金もかかるしさ。」


苦笑いしながら、

それでもまっすぐな目をしていた。

--


伊藤沙耶は、ぎゅっと両手を握りしめた。


「私は、自衛隊の音楽隊に入りたい。

でも、筆記試験も体力も、全部厳しいって……」


「やっぱり無理かもって、思うこともあるけど、

でも諦めたくない。」


夕陽に照らされた横顔は、

小さな決意で震えていた。---


翔太は、深く息をついた。


「……地元に残ろうかな、って思ってる。」


「県外も考えたけど祭りがあるしさ。

伝統、守りたいんだ。」


二百年続く祭りの笛の音が、

彼の血に流れているのだと、航は思った。



航は、

仲間たちのそれぞれの想いを、

黙って聞いていた。


それぞれが、

誰かに強制されたわけじゃない。


だけど、

誰もが「好き」だけじゃ進めないことに気づいていた。


選ばなきゃいけない。

進まなきゃいけない。


遥先輩が、

その背中で教えてくれたように。


──音楽を続けるのは、

簡単なことじゃない。


でも。


それでも。


「俺たちは、まだ音楽が好きだ。」


航は、

静かにそう思った。


庭園の木々が風で心地よく音を鳴らして

どこまでも高く、広がっていった。

---

放課後。音楽室に差し込む西日。

吹奏楽部の全体練習が終わり、航はひとり残ってホルンのソロパートを練習していた。


木管の旋律をなぞり、金管の入りを意識して──息を吹き込んだその瞬間、音がわずかに浮いてしまった。


「……あれ?」


ミスを自覚したとき、不意に気配を感じた。

ドアの陰から、誰かがゆっくり近づいてくる。ニコニコと、手を軽く振って。


「ごめん、脅かすつもりはなかったんだけど。文化祭の照明の件で来たんだ」


そこに立っていたのは、理数系の優等生、生徒会副会長の山下湊だった。


「はい。準備は進んでますけど、電源の容量が……って話、聞いた気が…」


「うん、それ。パワーアンプも使うならブレーカー、落ちるかも。見ておいたほうがいいかもね」


湊は教室の隅を見回して、ひとつうなずいた。


「わかりました」


と返事をしてさあ練習と思ったがまだ副会長がこっちをみてるのに気がついた


「どうしたんですか?」


航は聞いてみたが副会長はなんかニコニコしながら 

「別に何でもないよ。練習頑張ったね」


と去っていく。


変だな…なんかいいたそげだったけど…

ともかく練習練習

航は意識切り替えて練習に戻った。


その日帰り道いつもの駅前のパン屋でいつものやつを買って帰ろうと入ろうとした副会長とばったり会った


「よう〜今おかえりか?相変わらず吹部すごいなあ〜」

「あ~どうもおつかれさまです」

「もしかしてホワイトサンドか?」

副会長は航の紙袋をみて

当たってるので

「これ好きなんで」

「だよな」

「あ~それでさ」

「なんですか?」

「今日いったあれ、文化祭の照明」

「あ~わかりましたよ。ちゃんと調べときました。ご心配おかけしました。」

まだなにかいいたそうな様子の副会長 帰り際、副会長はふと航に向き直り、微笑みながら言った。


「ちょっとミスってたよね。」


「あん時の音──E♭の入り、少し早かったかもね」


「えっ……!?」


返す言葉を探す前に、湊は軽く手を振って店に入っていった。

残された航は、ホワイトサンドを持ったままぽかんと立ち尽くしていた。


「え……なんで、わかったんだ……?そのミスってあん時だよな…」


全く不思議な人だと航は思った

理系には不思議な人が多いと航は勝手に自分に言い聞かせていた。




昼休みの音楽準備室

2年生はもう進路の話題があちこちを占領していた頃


部員たちの間でも進路の話題は日常生活だった

航はどうするか迷っていた

聞かれたらいつもだいたい冗談めかして言うことになっていた。


航「音大? うーん、行けって言われてるけど……将来の安定考えたら普通の大学かなー」


周囲の数人は笑う。

が、天音だけは違っていた

黙って荷物をまとめながら天音は航に向かってつぶやくように聞こえるように思い切り苦々しく話し始めた

「……バカにしてるよね、努力してる人間を」


航「ん? 天音、怒ってる?え、そういうつもりじゃ──」


天音「そういうつもりがないから腹が立つの。じゃ、先に帰る」


彼女は背を向けて出ていく。航はなにがどうなったのかわからずポカンとしたままだった。

これが航と天音のすれ違いのはじまりだった。


--放課後、旧校舎の練習室。

全体練習が一段落し、個人パートに分かれての調整が始まっていた。


航がホルンを調律していると、クラリネットの音が途中で止まった。少しして──


「佐々木、さっきの合わせ、三小節目、テンポ走ってたよ」


後ろから天音の声が鋭く飛ぶ。


「え? ……ああ、ごめん、意識してなかったかも」


航が申し訳なさそうに笑いながら振り返ると、天音は眉をひそめたままだった。


「“意識してなかった”って……それ、音楽やってる人の言葉?」


航は返事に困って視線をそらす。


「別に責めてるわけじゃ──いや、責めてるか。音大行く気ないって人に言っても仕方ないかもね〜」


その一言に、練習室の空気がわずかにぴんと張る。


周囲の部員たちがそっと目線をそらす中、航だけが天音の表情をしっかりと見ていた。

その奥にあるのは怒りだけではなく、焦りや傷のようなものに見えた。


「……」


結局、航は何も言わず、静かにチューニングを再開した。


シーンタイトル:「あま姉と師匠」


場所:休日の部活練習後、旧校舎の一角


---


「アナ、音が泳いでる。もっと前に出して」


「は、はいっ! すみません、あま姉っ」


天音の厳しい指摘にも、アナはちょっと笑って返す。


「すみません、じゃなくて、吹いて」


「うう、こわい~……でも、あま姉が言うとやる気出るんですよね、不思議と」


天音は少しだけ、照れたように目をそらす。


「ちゃんと見てるからよ。……それに、アナはやればできるんだから」


その横で、紗耶が笑顔で言う。


「うちの師匠、今日はご機嫌ですね」


「誰が師匠よ。ほら、紗耶も。三拍子の切り返し、甘くなってる」


「へいっ、天音師匠!」


「呼ぶな、ほんとに……」


けれど、その声にはとげがなかった。

航はそのやり取りを、遠巻きに見ていた

優しい表情を見せている姿が、どこか意外に思えた。


天音は人に優しいはずなのになんで自分にだけ嫌味ばかりいうのかなあ…


航には全然わからなかった



天音「……さっきのパート練、テンポ乱れてたよ。ソロで満足しないで」


航「……了解。ありがと」


天音「“ありがと”じゃなくて、直してって言ってるの。あなたのせいで全体が崩れるの」


他の部員たちが気まずそうに目を伏せる中、航はただ小さくうなずく。


翔太「……また天音、ピリピリしてるな」



—その翔太の一言が聞こえた天音は今度は翔太にも向かっていく



ある日曜日の練習の休憩


「ごめん、今週は稽古が入ってて……」


ホルンをケースにしまいながら、翔太が申し訳なさそうに言う。


その代わり

と言って翔太が取り出した


「はい差し入れ

じいちゃんが持ってけってさ

自家製の柿の葉寿司だけどね」


部員からオーという声があがる


「みんな頑張ってるのに悪いな

じゃ頑張ってな」


それを聞いた天音が、ピシャリと冷たく言葉を返す。


「……部活より祭りのほうが大事ってこと?」


翔太が驚いた顔をする。


「え? いや、そういうわけじゃ……」


「じゃあなぜ平気な顔で“休む”なんて言えるの? コンクール前よ?」


他の部員たちが息を呑む中、天音は構わず続ける。


「音楽って、そんなに軽く付き合えるものじゃない。あんた、責任感じてる? みんな、あんたのパートをカバーしてるのよ」


翔太は押し黙る。そして、ゆっくりと言った。


「……俺にとっては、祭りも“音楽”なんだ。俺の家は代々、和楽器と祭囃子で生きてきた。そっちも俺の“責任”なんだよ」


天音は一瞬、言葉を失う。だがすぐに顔を背けるようにして呟く。


「……勝手にすれば」


静まり返る部室。

だが、航の視線だけが、そっと天音の背中に注がれていた。



そこには天音と航だけ

夕暮れの旧校舎裏、楽器を片付けながら。

なんとなく気まずい航はちょっとダレ気味



航「……今日はちょっと疲れたなあ」


天音「……なにそれ。甘え?」


航「いや、そうじゃなくて……」



天音「“疲れた”って、兄がいつも言ってた。あの人、それで全部やめた。……だから、そういう言葉、大嫌いなの」


航「……」


その言葉がなんのことなのか、航に分かるはずがなかった。

でも

天音のその言葉の、視線の奥に、一瞬だけ“泣きそうな影”が見えた気がした。


「……なんであんた、音大行かないの?」


本多天音が突然声をかけた。

いつになく張り詰めた声音だった。


「え、……まぁ、趣味で続けてもいいかなって。音楽、好きだから」


航がいつも通りの調子で返すと、天音の表情が鋭くなる。


「……ふざけてんの?」


「……え?」


「好きって言葉、便利ね。あんた、恵まれてる。才能も環境もある。それで“趣味”とか言えるの、むかつく」


航が言葉に詰まる。

まただ


「なあ…なんでそんな言い方になるわけ?

なんか悪いこと気に障ることしたかな?」


航ももういい加減にして欲しくてはっきりすることにした


「はっきりいってくれよ!

俺も困るよ

こんなんじゃ!」



天音は一瞬戸惑ったが吐き出すように言った。


「うちの兄は優しい兄貴だった。ずっとクラリネットやってて音大行った。

小さい頃から私に教えてくれた。だから私も今やってる。でも、壊されたの。教授に毎日怒鳴られて、音大で。夜中泣きながら楽器磨いてた。ある日、黙ってクラリネットをケースに仕舞って──それっきり」


「……」


「私は、あの人が楽器を捨てたのが悔しくて仕方ないの。だから音大を目指してる。“好き”なんて言葉で済ませるあんたにだけは、負けたくない」


その目に、熱い決意と痛みが滲んでいた。


航は何も返せなかった。

ただ、彼女のその言葉が胸のどこかに深く突き刺さった。


【第八章・後半 航と遥先輩の再会】


秋も深まり、空気はすっかり冷たくなっていた。


航は湖を一周する道をサイクリングしていた。

遠くに山並みがみえる

頂上はわずかに雪をかぶっていた

大会が終わってから、どこか心が晴れなかった。


部活では、遥先輩の噂が静かに広がっていた。


──派手な男と車に乗っていた。

──湖のベンチで仲良くしていた。


そんな話を聞くたび、

航は胸の奥に鈍いものを感じていた。


あの遥先輩が。

あれほど必死だった遥先輩が。


本当に、そんなふうに変わってしまったのだろうか。

そんな噂の反面

全国模試ではいつも上位に入ってる

それがもしかして噂を歪めてたりもするのかもしれないと思っていた


湖畔の小さなカフェ。

そこから、二人の姿が出てきた。


──遥先輩。

──そして、ちょっと派手な金髪の男。


航は思わず、自転車を止めた。


遥先輩は、なにか男に向かってにこやかに話しかけた。

男はうなずき、

大きなケースを受け取って車へ向かった。


──あれは、ホルンだ。


航は、息を呑んだ。


そして、

遥先輩がこちらに気づいた。


「──あれ? 航くんじゃん!」


手を振って、屈託なく笑いながら近づいてきた。


航は、戸惑った。

こんなに明るい遥先輩を見るのは、初めてだった。---


「久しぶり。」


近づいてきた遥先輩は、

秋風に揺れる髪をかきあげた。

少し髪が赤味かかって見えるのは夕日のせいか。髪の色かわらなかった。


「部活、頑張ってる?」


「……ええ。まあ。」


航は、うまく言葉が出なかった。


遥先輩は、ふっと笑った。


「私の噂、聞いてるでしょ?」


「……」


航は答えられなかった。


「べつにいいんだ、誤解されても。」


遥先輩は、笑ったままだった。

でも、その笑顔はどこか遠くを見ているようだった。確かにうちの学校の女子にしてはイケてる感じなのが航にもわかるほど遥先輩はオシャレだった。


「一緒にいたのはね、私のお父さん。

小さい頃に離れちゃったけど、今は時々会ってるの。」


「……そう、だったんですか。」


航は、少しだけ肩の力が抜けた気がした。


「でも、みんなに変な置き土産しちゃったなあ。

ごめんね。」


遥先輩は、悪戯っぽくウィンクした。


そして、少し空をみあげながら誰かに言い聞かせるように

真剣な声で言った。


「──私、ホルンはやめないよ。」


「部活は三年間で終わるけど、

音楽は一生続けられるんだって、

最近ようやくわかった。」


その言葉は、

まるで湖面に静かに広がる波紋のように、

航の胸に染み込んだ。


航は、ふと梨沙のことを思い出した。


あの、

誰もいない屋上で、

寂しげに、それでも懸命にフルートを吹いていた彼女。独学であれだけ吹けるのに頑なに部活を拒否していた。


──続けるって、

こういうことなんだ。


航は、

ようやく少しだけ、

何かを掴みかけた気がした---


「じゃあ、またね!」


遥先輩は軽やかに手を振り、

父親の待つ車へ走っていった。


沈みかけた夕陽が、

遥先輩の姿を金色に染めていた。


航は、

その背中を、

いつまでも見送っていた。



—翔太から連絡が来た

「ちょっと付き合ってくれないかなぁ」

翔太は伝統芸能を担ってきた家系だけあって地元の伝統行事にも詳しかった。

「俺達来年3年で受験だし、ちょっと縁起担いでみないか」

翔太に言われて行くことになったのは高校とは川を挟んで対岸にある神社。受験の神様と言われる神社だ。

毎年初詣になるとその年の受験生がたくさん祈願に来る由緒正しいお社だ。

昔は殿様が船でお城からお参りに来てたらしい。それを宮司や禰宜など一同が敬々しくが正装でお迎えし本殿に。

翔太に言われてついていくと本殿の前に人だかりが。人だかりの真ん中には鉄製のお釜。日本昔ばなしか時代劇の長屋のシーンででくるそのお釜が台ににのせられていた。

本殿から祝詞が聞こえ、笛や太鼓の音も。

実は翔太はアルバイトでここで笛を吹くという。

航は初めて来てなにがなんだか分からないまま人だかりの外側にいた。

「悪いけどバイト終わるまで待っててくれないか。終わったらすぐいくから」

その言葉通り待っていると翔太が来た。

頭には烏帽子下は袴

歴史の授業で出てくるイラストだった。

それが様になってるから翔太はすごいと思った。

「今から梅の木炙るからそれ持って帰ってよ。雷除けだけどまあ雷落ちない、受験にも落ちないって。これ俺のこじつけだけど(笑)」

そんなことを言ってると本殿からこれもまた立派な装束の宮司さん?が厳かに大事そうに火を掲げてきた。

その火であのお釜の下の枝木に火をつける。火はだんだん大きくなる。

「お釜の中はなんだ?」

「もち米。もち米のお粥作るんだよ。それ食べると無病息災なんだよ」

もう11月

天気は悪くないがずっと外にいるとだんだん寒さを感じる

でもお釜の焚き火のおかげでどことなく暖かさを感じられた。

焚き火は勢いよく燃えている。

係の氏子さん?が梅の木の枝を火に入れる。パチパチとなる。先の方しか入れない。人だかりの人が手を出すとすぐに取り出して次々と来た人に渡していく。

係の人は渡しながら

「炙ったほうを下にしてご自宅にお飾りください」と説明している。

そうこうしている間にお釜から湯気が上がってきた。蓋を取ると一気に蒸気があがる。

その蒸気は暖かそうだった。


係の人が今度は女性陣が次々と出来上がったお粥をパックに詰めていく。

さっき梅の枝をもらった人は今度はそのお粥をもらっていく。


翔太が航に枝とお粥を渡してくれる。

手に取ったお粥はちょっと熱かった。枝はもう熱さも何もない。


「翔太は?」

「俺はあとからもらうからいいんだよ。」


翔太は祭りの笛もやって、この神社でも笛。

続けるのはすごいことだと思った。祭りも神社も何百年と続いてる。人の一生はそれに比べたら短いし、ましてや楽器を続けるなんてあっという間の一瞬の出来事。

航は帰り道。橋から神社を眺めていた。新幹線の野太い通過音が聞こえてくる。と思ったら羽田便かな?新幹線との合奏はなかなかタイミングが合わないと聴けないなあ…と思いながら。

「神社の神様もまさか上を飛行機、すぐ近くを新幹線が通るとは思ってなかっただろうな」

周りがどれだけか変化しても多分この神社はここにあるし、翔太のような人物がいる限り祭りも神社も続いていくんだろうなと思った。



高三

夏休みの、蒸し暑い夜。


地元の小さなカラオケボックスに、

航たち中学吹奏楽部の仲間が集まった。


「あー懐かしいな、この部屋!」


「まだ変わってないんだな!」


はしゃぎながら、順番にマイクを回していく。


部屋の隅には、久しぶりに帰省してきた紗良もいた。


──都会の吹奏楽強豪校に進学した紗良。


航は、どこか期待する気持ちで彼女を見ていた。

きっと今でも、すごい奏者になってるんだろうな、と。


--

「なあ、せっかくだから、近況報告しようぜ。」


誰かの言葉に、皆が笑いながらうなずいた。


順番に話していく中で、

最後に視線が集まったのは、紗良だった。


彼女は少し笑って、

けれど目元には微かな影を落としながら口を開いた。


「……私さ、音楽コース、やめたんだ。」

---


一瞬、空気が凍った。


「え?」


誰かが小さな声を漏らす。


航も、息を飲んだ。


「うん、本当。

高2の冬に、普通科に変わったの。」


紗良は、静かに、淡々と語り始めた。


都会の強豪校に進学した時、

胸いっぱいの期待を抱いていたこと。


だけど、

現実は甘くなかった。


「小学校の時から、プロ目指して英才教育受けてきた子たちばかりだった。」


「……最初は、私も負けたくなくて必死に練習した。

でもね……何回吹いても、何千回やっても、追いつけなかった。結局3年間1回もオーディションに受かったことない…」


「気づいたら、楽器を触るのも、怖くなってた。」


声が、少しだけ震えた。


「紗良なら、どこへ行っても通用するよ」


そう言われて、彼女は吹奏楽の名門校・星陵高校への進学を決めた。全国大会の常連校で、プロの演奏家を輩出している憧れの舞台。そこで演奏できる——そう思うだけで、胸が高鳴った。


しかし、彼女はまだ知らなかった。そこに待っているのが、ただの「楽しい吹奏楽」ではなく、残酷なまでの実力主義の世界であることを——。


入学直後、新入生の実力を測るオーディションが行われた。


紗良は震える指を押さえながら、クラリネットを構えた。中学時代は堂々と演奏できたのに、ここでは周りの視線が怖かった。先輩たちの演奏は、自分の知っている吹奏楽とは別次元だった。


——でも、私だって負けない。


そう自分に言い聞かせて、音を吹いた。


けれど、演奏が終わった瞬間、指導者の冷静な声が響く。


「音は綺麗だけど、表現が単調。感情が伝わってこないね」


結果は補欠。正式な演奏メンバーには選ばれなかった。


「……仕方ない。まだ最初だから」


そう言い聞かせた。次のオーディションで挽回すればいい。けれど——


その「次」も、「その次」も、何度挑戦しても結果は変わらなかった。


夏の定期演奏会。選ばれたメンバーが大きな舞台で輝いていた。紗良は客席から、それを見つめるだけだった。


「次こそは……」


それだけを支えに、朝も放課後も練習した。誰よりも長く残り、指導者のアドバイスをノートにまとめ、動画を見て研究もした。


しかし、次のオーディションでも、また補欠だった。


「音は悪くないけど、技術にムラがあるね」


「もっと曲の背景を理解して吹かないと」


そんな指摘を何度も受けた。


努力は裏切らない——はずだった。


でも、どれだけ練習しても、結果は何も変わらなかった。


演奏メンバーに選ばれた同級生たちは、どんどん上達し、先輩たちに認められていく。自分だけが、ずっと同じ場所で足踏みしているような感覚だった。


「……私、才能ないのかな」


初めてそう思った瞬間、楽器を握る手が震えた。


秋のコンクール前、最後のオーディションが行われた。


「今回こそは……」


祈るような気持ちでクラリネットを吹いた。けれど、結果は変わらなかった。


部室の壁に張り出されたメンバー表に、自分の名前はなかった。


それを見た瞬間、何かが音を立てて崩れていくのを感じた。


「どうだった?」


同級生が声をかけてきたが、紗良は小さく首を振るだけだった。


「そっか……」


気まずそうに視線をそらされる。慰めの言葉すらかけてもらえないことが、かえって現実の残酷さを突きつけてくる。

新入部員が入ってくる。その彼らからも置いていかれる自分。


次第に、楽器をケースから出すのが億劫になった。吹いても、以前のように音が出なくなった。心が折れたせいか、息がうまく入らない。


それでも部活には行かなければならなかった。ただ座っているだけの時間が増え、周囲が演奏する音が遠く感じるようになった。


「なんで、私はここにいるんだろう……」


そんな考えが、頭から離れなくなっていった。


高校最後の定期演奏会。紗良は最後まで補欠のままだった。


演奏を終えたメンバーたちが達成感に満ちた笑顔で言葉を交わす中、彼女はそっと音楽室へ向かった。


静かな部屋で、クラリネットを取り出す。


——もう、これで最後にしよう。


そう思いながら、ゆっくりと息を吹き込んだ。


音は、震えていた。


ふと、背後から声がした。振り向くと、かつてのパートリーダーが立っていた。


「……まだ練習してたんだ」


「……うん」


「詩織の音、ずっと好きだったよ」


「……え?」


「表現が単調とか言われてたけど、私は紗良のクラリネット、すごく優しい音だと思ってた」


「……そんなの、初めて言われた」


「だろうね。だって、ここは結果がすべてだから」


彼女は苦笑しながら続けた。


「でもさ、頑張ってたことは、みんな知ってたよ」


紗良は、何も答えられなかった。




「もう、音楽を楽しいと思えなくなったんだ。」


紗良は、遠くを見るような目をした。


「だから……コース、抜けた。

今は、普通科で、一般大学を目指してる。」


無理に笑ってみせたが、

その笑顔は、どこか痛々しかった。

--


誰も、何も言えなかった。


航も、マイクを持ったまま、黙っていた。


あんなに音楽を愛していた紗良が、

こんな風に、静かに音楽から離れてしまった。


──音楽は、

好きなだけじゃ、続けられない。


そんな当たり前すぎる現実が、

航の胸にずしりと落ちた。

---


帰り道。


夜風に吹かれながら、航はふと思った。


「俺は──」


小さく呟いた言葉は、

夜の闇に溶けて消えた。


それでも、

胸の奥で、確かに何かが、灯っていた。


放課後の旧校舎裏、進路面談が終わった帰り道

校舎の陰、柔らかい日差しの残る中。

航は一人、楽器ケースを肩にかけて帰ろうとしていた。


その背中に声が飛ぶ。


「……ねぇ、佐々木」


振り向くと、天音が立っていた。腕を組み、口元は硬い。


「音大、やっぱり行かないの?」


「うん。教師を目指すことにした」


航の穏やかな答えに、天音の表情がゆがむ。


「……やっぱり。あんたって、結局そういう人だったんだ」


「え……」


「“好き”って言ってたよね、音楽。環境も才能もあるくせに、“趣味”に逃げる。全部持ってるくせに、それを捨てる選択ができるあんたが、……私は、羨ましくて、憎らしいの」


「……」


「私の兄は、全部失って終わった。続けたくても、壊されて終わった。私は兄の分も抱えて進もうとしてる。でも、あんたは──自分から手を離すんだ」


天音の声が震えていた。

怒りというより、悲しみに近い何かが混じっていた。


航はゆっくりと答えた。


「……俺も、音楽を続けるつもりだよ。形は違っても。誰かに“続けられる道”を伝えられるような人になりたい。それで困ってたら助けられる人になりたいし、背中を押してあげたり手助けしてあげたりしたいと思ってる。」


沈黙が落ちる。


天音は、少しだけ目を伏せた。


「……それ、ずるい答えだよ。……でも、ずるいって思う私は、もっとずるいのかもね」


そして、微かに笑った


高3の冬

もう受験真っ最中

ある日の部活の時に顧問の先生がチケットを持ってきた


世界的ホルン奏者の宮原沙織のコンサートがこんな地方でも行われることになったのだ



ずっとホルンをやってきた人なら誰でも聴きたい


宮原沙織はより多くの音楽を志す若者に音を届けたいと全国をまわることにしていた

航たちが住むところでも演奏会が行われることはとても珍しい

地元の学校には優先的にチケットがまわってきたのだ


航にも後輩がチケットを持ってきた


「先輩受験で大変な時なんですけど

息抜きにどうかなと思って」


「いいの?君ら行かなくて」

「私達も行きますから一緒にどうかなと

こんな機会ないじゃないですか

コンクール以外で部活のメンバーでコンサートいくなんて」


「そうだよな…行くか!」


航はこれがまた部活の思い出になればいいなと思い一緒にいくことにした


会場には一般客はもちろんだが航たちのような学生もたくさん来ていた


航は会場を見渡していた

こんなにたくさん音楽聴きにくるんだ

どんな形でもいいから今日の機会がその人と音楽のいい出会いになりますように

なぜかわからないが自然にそんな気持ちになっていることが航自身不思議だった



「今日ここにきたことがいい出会いになるといいなあ…」


とつぶやいてしまった

純粋に航にはそう思えた


「イヤだなぁ(笑)先輩出会いっておっさんくさ(笑)いい人いるんですか?(笑)」


「え?なに?そういう意味じゃなくて

音楽の話(笑)」


「何だそっちか(笑)先輩真面目すぎ(笑)」


ここまできて後輩にからかわれるとは思わなかった航だった


演奏が始まった

プロの音色はさすがだった

ソロがそもそも珍しい

聞き入っていた航

なぜかどこか懐かしい音色のような気もして


あれ?なんだろう?


と思いながらも演奏は続いていった

そしてプログラムが終わり

大きな拍手が鳴りやまなかった

そしてアンコール曲が始まった


みんな静まり返って曲を聴いていた

すると少し会場がざわつくほどではないが演奏中なのに話し声が聞こえたりお客さん同士顔見合わせたり少し会場が浮ついていた

しかしそれも演奏によって静まり返る

それはその音が演奏がなにか違うということに聴いていた人に思わせたからだ


航も当然その一人だった

でも航が他の人とちがってたのは

この曲に思い出があったからだ


航にだんだん浮かんでくる思い出

それは懐かしい


あれ?これ?…


航の中にどっとあふれてくるものがあった


それは一瞬だったけどたくさんの記憶だった


曲だけじゃない

音色もそうだった


あ…そうか…

アンコール曲が終わる頃には全て思い出していた

それと同時になんともいえないモヤモヤが航の中に


え?なんで?この曲はあの子の曲だけど

なんでここであの人が…


モヤモヤはもう溢れて航は演奏には集中できなかった



アンコールが終わった舞台上で、

宮原沙織はホルンを胸に抱きしめ、静かに立ち尽くしていた。

会場はまた大きな拍手のはずがなぜかそろわない拍手

それもすぐ終わってしまい拍手よりも観客の中のモヤモヤが大きくなっていた

航は宮原沙織をずっと見据えていた

彼女の肩は、微かに震えていた。

航はわかった

スポットライトの光の下、航にはその目元に滲んだ涙が見えた気がした。


──あの曲。

──あの子の曲だ。


航の胸の奥に、あの日の記憶が押し寄せた。

誰もいない音楽室で、あの少女が吹いていた、

誰も知らない、美しい旋律。


航は、無意識に立ち上がった。


「行かなきゃ。」

誰に向けるでもない言葉をつぶやいた


「先輩?どこいくんですか?

もう帰るんですか?」


「宮原さんとこ…」


驚いている後輩たちを気にすることもなく航は向かった。


後輩たちにお構い無しに帰る観客を押しのけて航はむかった

コンサートホールの控室へと駆け出していた。

-

関係者以外立ち入り禁止

控室エリア。

お構い無しに入ろうとするとスタッフが気づいた


「君!そこだめだよ!入ったらだめ!」


スタッフに止められながらも、

航は必死に説明した。


「どうしても、あの曲のことを、宮原さんに聞きたいんです!僕は聞かなきゃダメなんだ!琴音から聴いたんですよ」


後輩たちは心配そうに遠くからこちらをみてることはわかっていた。


スタッフと揉めていると控室のドアが開き宮原沙織が顔を出した。

航の真剣な眼差しに何かを感じ取ったのか宮原が声をかけた


「あなたは?」


「琴音の中学の時の友達です」


航はとっさに答えた


友達?自分ながら恥ずかしげもなくよく言うとは思った

今まで忘れていたのに…と

そう思いながらも

宮原はため息をつきながら控室へと案内してくれた。


「宮原さん、いいんですか?」

スタッフは心配そうにいったが


「いいですよ

この子に私も聞きたいことができたんです」


静かに扉が開いた。


宮原沙織が、そこにいた。


「どうぞ」

---


航は深く頭を下げた。


「……失礼します。」


宮原は、疲れた笑みを浮かべてソファを指差した。


「座って。」


その瞬間航は顔が真っ赤になるのがわかった


俺はなんてことしてるんだ

こんなことよくするよなあ

どうしてこうなった?


航が緊張で硬直していると、

宮原はスマホを手に持った。

その待ち受け画面がふと航の視界に入った。


そこには──


幼い女の子と宮原が、

肩を寄せ合って笑っている写真。


──琴音。


航の胸に、確信が走った。


---


「……あの曲、僕、知ってます。」


震える声で航は言った。


「中学の時、音楽室で、

女の子が吹いてたんです。

誰も知らない、不思議な曲でした。」


それを聞いて驚いた宮原の手が、スマホを強く握りしめた。


そして、

小さな声で答えた。


「……その子は、琴音。

私の……娘です。」


「あなたはもしかして佐々木航君?」

—はい

「そう…会えてよかった…あなたが佐々木君」

「ありがとうね 琴音に優しくしてくれて。おかげで琴音はやりたいこと見つけられたのよ。私もあの子にたくさんのことしてあげられた」

そう言って宮原はハンカチで目を押さえていた。


「それで琴音は…」


航の問いに静かに、

宮原は語り始めた。


「私は、若い頃、音楽にすべてをかけたかった。悩みました。いろんな形があったけど私は不器用だったんだと思います。

そのために、琴音と夫を置いて、家を出ました。」


その声は、時折震えていた。


あなたのようなまだ若い人にこんなこと話してもいいのか分からないけど

と宮原は言って話を続けた。

航も宮原の話すことがあまりにもプライベートのことで、なぜそんな話にとさえ思えた


「でも……彼は私を責めなかった。

琴音を、愛して、育ててくれた。」


航は、息を呑んで聞いていた。


「私は償いのつもりであの子をできるだけ支えたつもりです。

彼から琴音のホルンのことを聞いて少しでも才能を大切にしてあげたくて都会の学校に入るために、先生を紹介したり……

でも、それを直接、琴音には言わなかった。

あの子は……それから自分の力で、頑張ってた。あなたのことも琴音の父親から聞きました。琴音はあなたのことか友達だって…一緒に音楽した友達だと言ってたそうです」

---


宮原の声が途切れた。


そして、

押し殺したような嗚咽が、静かに部屋に響いた。


「──それなのに。」


「レッスンの帰り道……

ほんの少し、ヘッドフォンをつけてしまっただけ。」


「車に……」


宮原は顔を両手で覆った。


「──私が、あの子を……守れなかった。」


嗚咽が、こらえきれず漏れる。


「ごめんなさいね、こんな話…」



「そして、彼も……

あの子の死を、自分のせいだと……

ずっと……ずっと苦しんで……

結局……」


宮原はもう、言葉を紡ぐことができなかった。


航は、

ただ黙って座っていた。


琴音の死。

そして、その父親の死。


あまりに重すぎる現実。


自分が、

あの子を少しずつ心の片隅に追いやっていたことに、

航は猛烈な自己嫌悪を感じた。

琴音は一緒に音楽した友達だと…

航は合奏練習の時琴音がみんなと一緒にいたあの時を思い出せていた。

それにそれにだ

違う違うと思った

おかげでなんかじゃない


琴音にホルンを渡したのは僕だ…

それで琴音がホルンを…

それがなにと結びつくかはわかることだった



──忘れたくなんかなかった。


震える手を膝に押し当て、

航は必死に耐えた。


---


やがて、

宮原は顔を上げた。


「──あなたが、あの子を覚えていてくれて、ありがとう。」


その声は、

かすれていたけれど、

確かな温かさを宿していた。


航は、

言葉にならない想いを、

胸いっぱいに感じていた。

控室を出た航にはもうそこから動く気力がなかった

座り込んだまま動かなかった

顔を膝に埋めたまま

肩が揺れていた…


スタッフの人がなにかを言ってるのがわかった。

帰ろう…

そう思った

後輩たちもいるし…

帰りは遠かった…

疲れたな…

もう一度あの曲聴きたいとそう思った

琴音の演奏するあの曲を

ほんとならできたはずなのに…

頭の中でもう一度琴音の音を思い出そうした。

けれどどの音だったのかはもうわからなくて出てこなかった。

コンサート会場を出たあと、夜の風が頬を冷やした。


誰もが言葉を失っていた。宮原沙織のアンコール──

あの曲。あの旋律。どこかで聞いた、不思議な、でも優しい曲。

その演奏が終わったあと、舞台上で涙を拭う宮原の姿を見た時、航の心にひとつの名前が浮かんだ。


──琴音。


ホールの出口に向かう階段で、誰かが話しかけていたが、航の耳には届いていなかった。

反射的に「うん」とだけ答え、ぎこちなく笑って見せる。けれど、その表情はひどく引きつっていた。


「先輩、どうしたんですか?」


後輩の声がした。だが、航は答えず、黙って夜の街を歩き出した。


──まさか。


心の中で否定しながらも、コンサート終了後、楽屋口に向かった。

奇跡のように、宮原本人に会うことができた。そして、航は知ってしまった。


琴音が……死んだと。

交通事故。ホルンの個人レッスンの帰り道で。

耳にヘッドホンをしていて、気づかなかったのだと。


その言葉を聞いた瞬間から、世界の音が遠のいた。

ざわつく空気、後輩たちの足音、夜風のささやき──すべてが、どこか遠くの出来事のように感じた。


家に帰っても、灯りを点ける気になれず、真っ暗な部屋でソファに腰を下ろした。


──もし、あの時、ホルンを渡さなければ。


琴音があの曲を吹かなければ、宮原がその才能に気づくこともなかった。

レッスンのために、あの道を歩くこともなかった。


全ては──自分が、琴音にホルンを渡したからだ。


「あの時、俺が……」


航は、膝に顔をうずめた。

視界が滲む。拳を握っても、唇を噛んでも、消えない。


琴音の笑顔が浮かんだ。

ミニトマトを両手いっぱいに持って、「みんなにあげるの」って無邪気に笑っていた。

グラウンドで落書きをして怒られても、平気な顔で逃げていった。


そのすべてが、今はもう、戻らない。


「……ごめん。ごめん」


涙が落ちた。

それは静かで、けれど耐えがたいほど重かった。




それから数日後。放課後の部室では、アナが後輩と楽しそうに話していた。


「ねえ、最近航ちょっと元気ないと思わない?」とアナが何気なく口にした。


 それを聞いた後輩は、ふと目を伏せて小さく呟いた。


「……実はこの前のコンサートの帰り、先輩、ひどく落ち込んでました。なんか控室でなんかあったみたいで…なんか、泣いてたような……」


 その一言に、アナの顔色が変わった。


「それ、どういうこと?」


アナはコンサートの時の航の行動はもう噂になっていたので知っていた。あんなことすればみんなに知れ渡るのは当然だった。だけどそこでなにがあったかは誰もしらなかった。

---

 その日の夕方、アナは教室で一人机に向かっている航の元へ歩み寄った。


「ねえ航、コンサートの後、何かあったの?」


「別に。何も」


 いつものようにそっけない返事に、アナの眉がぴくりと動いた。


「嘘。私、後輩から聞いたよ。控室行って、泣いてたって」


 航はそれでも黙ったままだった。


「なんで黙ってるの? 私たち、仲間でしょ。話してよ」


「……関係ないだろ」


 その言葉に、アナの表情が険しくなる。


「なにそれ。自分だけで抱え込んで、仲間には言えないっての?」


「……」


「私、本気で心配してるのに。黙って見てるだけなんて、私にはできないの」


 それでも航は目を伏せて答えない。その沈黙に、アナは深く息をついて言った。


「……もういい。でも、私は諦めないから」

---


 次の日も、またその次の日も、アナは声をかけ続けた。


 「昨日より顔色悪いね」「今日もホルンさぼり?」「何か、言いたいことあるなら言ってよ」


 何日も経って、ようやく放課後の静かな教室で、航がぽつりと呟いた。


「中学の時の友達が死んだ……………」


アナは一瞬たじろいだ。


「……例えばさ。それが自分のせいだとしたら……………」


「ほんとの話?」


思わずアナは聞き返した。あまりにも唐突な話題だったから。

「あ…」

しばらく沈黙が生まれた。

「私…聞きたい……土足で入ることになっても…話して…私に…それなんでしょ航が変なのは…だったら例え土足入ることになっても私に話してくれる?航が少しでも元に戻るなら嫌われてもいい…」


今度は航が驚く番だった。

アナの性格は多少はわかってるつもりだった。

でも今はその純粋さにストレートな気持ちに。

あ…なんか琴音もそんな感じだったかな…

航はそう思うと心が少し軽くなる感じがした。

航はしっかりアナに向き合おうと決めた。


「……琴音、っていう子がいた。中学のとき…」

それから航は琴音のことをアナに話した。転校してきた時のこと。いつも吹部の練習にきてたこと。


「すごく綺麗な音だった…でも一曲しか吹けなかった…」

その曲を宮原沙織がアンコールに演奏したこと。

 少しずつ、言葉が紡がれ始める。 

「それで宮原さんに聞きに言ったんだ」

宮原が琴音の母親だったこと。

ホルンのレッスンのために引っ越したこと。

「……それで、あの子、事故で…」


 その声はかすれて、感情を押し殺していた。

「歴史に、もしはないというけど…もしあの子がホルン吹かなかったら…そう考えると…余計なことだったのかな…とか…」

「人生が狂ったとかいう言い方あるけど、もしかしてそうだったのかなとか…」


 アナは沈黙を守ったあと、静かに言った。


「ごめん…あと…ありがとう話してくれて…」 


それ以降も航の様子は変わらなかった。

アナはもう航に構うこともしなかった。

でもアナはある決心をしていた。


 アナは宮原沙織に短いメールを送った。


『航が、自分を責めています。どうか、彼に言葉をかけてください……………』



数日後。航の元に、丁寧な手紙が届いた。差出人は宮原沙織。


-佐々木航君へ

あの日、控室で会えたことを、今も不思議に思います。 琴音のことを、あんなにも覚えていてくれたあなたに、心から感謝しています。


あなたが彼女にホルンを渡してくれたこと。私はそれを、運命のように感じました。 あの子の音色を最初に見つけてくれたのは、あなたです。


だからこそ、あなたがご自分を責めているのだとしたら……

それは、あの子の望むことではありません。

あの子は、ホルンを吹いている時、本当に嬉しそうでした。 まるで、誰かと心をつなげられていると信じているような、そんな笑顔でした。


私は、音楽を続けるために彼女のそばを離れました。音楽に生きたくて、家庭を離れ、琴音と夫を置いて家を出ました。

あんなにも小さなあの子を、抱きしめる時間よりも、私は音楽を選びました。


でも彼女は、私以上に音楽を愛していたのかもしれません。


あなたが、あの時ホルンを渡してくれたおかげで──

琴音は“音楽を知ることができた”のです。


どうか、自分を責めないでください。 あの子は、音楽と、あなたとの出会いに、心から感謝していたと私は信じています。


あなたがあの子にホルンを渡してくれたこと、

あの子の音をあなたが見つけてくれたこと感謝しています。



彼女がホルンを吹く姿は、かつての私のようで、それでいて私よりもずっと純粋でした。


航くん。あなたが、あの子にホルンを渡してくれたこと。

それは、ただ楽器を渡しただけではありません。

あの子の人生に大きな意味を作ってくれました。音楽があの子の人生にあることを──そして、母である私と娘との“見えなかった絆”を引き出してくれたのです。

そのおかげで離れていた時間も、距離も、すべてがつながったようでした。


私は、感謝しています。母親として、あなたに、心から。


今、あなたがご自分を責めていると聞いて、とても胸が痛みます。

あの子はきっと幸せでした。 

そしてこんな私にも幸せを与えてくれました。


誰かに出会って、音を奏でられて、自分の「好き」が誰かに届くことを知って。

それはあの子にとって、どれほどの宝だったか。


どうか、自分を責めないでください。あの子は、音楽と、あなたとの出会いに、心から感謝していたと私は信じています。

あなたがいてくれたから、私はもう一度、母親に戻れたのです。


音楽は終わりません。誰かが思い、奏でる限り。

私はこれからも、あの子の音と一緒に舞台に立ちます。


あなたもどうか、自分の音を、誰かに届けてください。


あなたがあの子の音に出会えたように──


宮原沙織


ある日の放課後の屋上

航はアナに宮原からの手紙を見せた。


「アナ、宮原さんから……手紙、来たんだ。お前がメール送ったって書いてあった」


 アナは目を丸くし、そっと「うん……」とうなずいた。


「ありがとな。お前のおかげで……救われた気がする」


 航は一枚の便箋を差し出した。


「読んでもいいよ」


 アナはそっと受け取り、じっと読んだ。


 読み終えたあと、航が照れくさそうに言った。


「……お前みたいな先生に出会えたら、生徒は幸せだと思う。ちゃんと向き合って、ちゃんと行動できる先生って、なかなかいないよ。だから、お前の進路、正しいと思う。がんばれ(笑)」

航はガッツポーズを笑いながらしてみせた。

「なんかお礼するよ。いや、させてくれ(笑)しないと気がすまないし、なにがいいかな?なにしてほしい?(笑)」


「え、なにそれ、なにかって…急に……」アナは耳まで赤くなって、慌てて視線を逸らした。「べ、別にお礼なんて……それにそんな先生になんて…私は航が心配だっただけで……だって…」


 ふいに言いかけた言葉を飲み込む。

「なに?なにがいい?」と航

「……なによ、それ。ばか」


 航は首をかしげた。「え?バカって?」


「なんでもないっ!」

「えー(笑)」


 アナはぷいっとそっぽを向いたが、内心はもう大騒ぎだった。いつものストレートなアナはこの時ばかりは姿が消えていたらしい。

アナは心臓バクバクだった。


 ――まったく。ほんとに、なんでこんなに鈍感なのよ。


 でもその背中を見つめながら、アナはそっと微笑んだ。

「よかった…」

 やっぱり、航が笑ってるのが一番いい。アナは空のひこーき雲を見あげていた。


冬のある日。航は琴音の墓参りに出かけた。吹部の仲間も受験で忙しい中、誰が誘うでもなく、航の墓参りに快く付き合ってくれた。


 墓前に立ち、航はそっとホルンを取り出した。仲間たちは黙って見守る。


 静かな空の下、琴音の曲が再び響いた。柔らかく、優しく、そして少しだけ切ない音。


 吹き終わったとき、アナがそっと言った。


「……届いたと思うよ」


 航は頷き、空を見上げた。


 音楽は、続いていく。誰かの中に、ずっと。


 そして、彼の中にも。



【エピローグ:音がつなぐもの】


春の夕暮れ。街の文化会館の小さなホールに、かつての中学・高校吹奏楽部のOB・OGたちが集まっていた。


ロビーでは再会の笑顔があふれ、あちこちで談笑の輪が広がっていた。数年ぶりに会う仲間たちは、社会人としてそれぞれの道を歩んでいたが、今日だけは時間を巻き戻し、あの音に帰ってくる日だった。


翔太は地元の国立大学を出て市役所勤務

アナは小学校の先生

明るくてみんなの人気者

沙耶は音楽隊でトランペットをやっているそうだ

音楽祭ではソロを務めていた

紗良は今は市民バンドで活躍中

あの遥先輩は日本一の国立大学から文科省へ忙しすぎてなかなかホルンにさわれないのが寂しいとか


「佐々木、あんたほんとおぼっちゃまよね〜」と相変わらず皮肉のうまい天音は音大の院生

そんな時航に近寄ってくるヒゲの男性。


「やあ〜久しぶり〜」


だれ?と思って

みんな怪しげなその男をみてると

天音がなんだこいつらと言わんばかりに

「あんたたちこの人誰だか分かんないの?そのチケットにあるでしょ首席奏者」

男はやだなあ〜といいながら

「今度は僕の演奏も聴きに来てよ(笑)」

チケットは別の地方のオーケストラの公演のチケット

「首席奏者 山下湊」の字が


副会長!

どうなってるの?

なんで?

おかしいだろ?

とかなんとかみんな大騒ぎ


やられた〜(笑)

なんとか後で聞いたら大学で物理学専攻していた副会長はなんと就職先がオーケストラだったという話

こんなアクロバットみたいな音楽人生もあるのかと航は思った


「さあ。そろそろ時間だよ。みんな頑張ってね。今度は僕も声かけてね(笑)


副会長、元副会長、首席奏者はそう言うとみんなに声をかけて、航には


「航君、琴音ちゃんにも僕の話しといてね…」

あ…そうだ一緒に音楽やった友達だもんな…話しとかないと

航はなぜか気が引き締まるのを感じた。


開演のアナウンスが流れ、客席が静まり返る。その中に結城梨沙もいた


やがて照明が落ち、ステージが光に包まれる。


指揮台に立ったのは、航だった。黒いスーツに身を包み、真っ直ぐな眼差しで前を見据える。


ひとり、またひとりと演奏者たちが入場してくる。


遥先輩もいた。音楽を離れたはずの紗良も。

アナ、翔太、紗耶……あの日の仲間たちが、それぞれの楽器を手に、舞台に並ぶ。


その時だった。


もう一つの拍手がわき起こる。


舞台袖から、宮原沙織が現れた。

ゆっくりとした足取りで航に近づくと、胸に抱いていた額縁をそっと差し出した。


航は深くうなずき、受け取った額を空席の椅子にそっと置いた。


それは、一枚の写真だった。


客席がその空席と写真に静かに視線を注ぐ中、

タクトが上がる。


始まったのは、懐かしくも新しい旋律。


ソロを奏でるのは、宮原沙織。

その音は、優しく、深く、空間を満たしていく。


やがて合奏が始まり、舞台の上で音が重なり、広がっていく。


音楽が続く。


それぞれの人生があり、選んだ道が違っても、

こうして再び音を重ねられる。


今日のこの舞台には、全員が主役だった。


音楽がつなぐものは、思い出ではなく、今ここにある響き。


それを誰よりも静かに物語っていたのは、

舞台の一角に置かれた、その一枚の写真だった。




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