表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/2

後編

七、


 病的な心性というのはときにドミノ倒しのように連鎖して、人を異常な行動に駆り立てていくものなのかもしれない。とくに本田の場合は、自らの罪の意識を(あえて精神分析的な言い方をすると)無意識のうちに償おうとしたのか、次第に彼は自らの敵意の矛先を、患者から精神医療を取り巻く社会システムに向けるようになっていった。贖罪の意識から、


 「あなたたちが苦しいのは、私たち医師の責任ではなく、社会が悪いからなのだ。」


 とでも言いたかったのかもしれない。彼がブログを書き始めたのも、この頃だった。患者の側に立って、精神科医療の現場のマンパワーの不足や、障害年金のような福祉システムから抜け落ちてしまう人がいかに多いのか、ということを、まるで告発するかのように書き綴った。しかしブログへのアクセスは、あまり伸びなかった。世間の大半の人々は精神科医療とは無縁の生活を送っているし、彼がいくら「告発」したところで、こういう問題はそれこそ政治が動きでもしない限りは、解決に向かうことはない。一介の精神科医がいくら声を上げたとて、どうこうなるものでもなかったのである。


 もっとも、例えなんら現実的な影響をもたない活動だったとしても、一応は患者の側に立った活動に従事することで、彼の抱えていた罪悪感は、多少は和らぐことになった。彼は、一旦は「ゲーム」を辞めて、かつての真面目な勤務態度を取り戻していった。


 ところが、本田の邪心が少しずつ薄らぎつつあったときに、事件が起こった。本田が勤務していたクリニックへのインターネットの口コミで、


 「このクリニックの本田という若い医師は、患者のことを完全に見下している。発達障害を抱える私に対して、『驚くくらいに空気が読めない。そんなことだから社会でやっていけないのだ。』と何度も言ってきた。医学部を卒業して、医師の世界以外の社会を知らない若者に、どうしてそんなことが言えるのか。しかも彼は、私よりも年下なのに。」


 と、本田を名指しで批判したものがあり、しかもその口コミを残したアカウントは、少し前にクリニックに通うのを辞めた、本田が担当していた患者の実名のものだったので、これは、ちょっとした騒ぎになった。


 人間の心は不思議なもので、とくに精神的に弱っているときに上の立場の者にきついことを言われると、「自分のためを思って言ってくれている」とか「こんなことを言われる自分が悪いのだ」と考えるものである。企業でのパワハラや、夫から妻への家庭内暴力が世の中に横行する一つの原因と言えるが、本田の患者たちの中にも、本田につらく当たられているうちは、そのように考えていた者たちがいたのだった。しかし、本田が次第に正常な勤務態度を取り戻していくことでかえって、患者が本田に対して感じていた権威が薄れ、本田のもとを去っていく、ということが起こっていたのである。そして、その中の一人が自らの状況を客観的に見返して湧いてきた、本田への抑えきれない怒りから、このような口コミを書いたのだった。


 クリニックの医院長の斎藤も、本田が担当していた複数の患者が同じ時期にフェードアウトしていたことに気づいていたし、ネット上とは言え記録に残る形で本田の悪行を告発されたことで、さすがに黙ってはいられなくなった。ある日、斎藤は本田を呼び出し、


 「あの口コミのことはご存知ですね?山中さん(口コミを書いた患者)は、うちに通っておられる間は本田先生のことを悪く言わなかったのに、なんで急にあんなことを書かれたのか、心当たりはありますか?」


 と、問いたださざるをえなかった。本田はしどろもどろになって、


 「もちろん私には、口コミに書かれていたようなことを言った覚えはありません。ただ、仕事が続かないことを相談されて、『山中さんの障害の特性上、周囲の状況に気が付かないことがあるかもしれません。その辺りは、もっと注意された方が良いかもしれませんね』という内容の指摘をしたことは、あったかもしれませんが。」


 と、答えをでっちあげた。それを聞いた斎藤は、少しの間何も言葉を発さずに、本田の目をじっと見つめた。その視線には、温厚な斎藤が普段見せない鋭さがあった。斎藤は、意味深な深呼吸をして、


 「田中さんや、大川さんも、最近来られていないようですね。こんなに一時期に、本田先生の患者さんだけがうちから離れていくのは、不自然なようにも思えます。私は、本田先生が一生懸命に働いておられることを、よくわかっているつもりです。しかしこういうことが続くと、私としても何らかの対処をせざるを得なくなってしまいます。本田先生はもう、独り立ちした立派な医師なのです。その自覚をもって、行動されることを望みます。」


 と言って、話を締めくくった。


八、


 客観的に見れば、斎藤の本田に対する行為は、「叱責」と呼べるほどきつい代物ではなかったのかもしれない。しかし、本田は学生時代から人に叱られた経験がほとんどなかったので、この出来事は本田の心に、深い爪痕を残すことになった。とはいえ事ここに至っては、患者に敵意をぶつけることなどできず、大人しく勤務し続けるしかなかった。これが、2015年9月のことである。


 その翌月に、「西田クリニック事件」が起こった。事件をテレビのニュースで知った彼は、


 「やはり、精神科の患者というのは、こういうことをするろくでもない人間たちなのだ。」


 と、安堵するような感情を覚えたとともに、こいつ(事件を起こした森山)なら批難しても、誰も文句は言わないだろう、と考えるようになった。それまで抑えつけていた患者たちへの敵意や憎悪が、メラメラと燃え上がってくるのを感じた。


 彼はその日の勤務を終えると、一直線にパソコンに向かい、ニュースを聞きかじった知識で、感情が赴くままにブログ記事を書き始めた。その内容を要約すると、以下のようなものだった。


 「このような痛ましい事件を起こした森山直人という人物は、断じて許されるべきではありません。即座に極刑に処されて然るべきです。もし、この人物が無罪になるようなことがあれば、それは日本の司法の死を意味します。私は精神科医として、多くの統合失調症や、解離性障害の患者と関わってきました。そういう経験を踏まえて言えることは、彼らは確かに、病気の症状のために我を忘れた行動を取ってしまうこともときにありますが、いわゆる心神喪失状態のときには錯乱していて、計画的な行動を取ることはできないことがほとんどです。彼らが取る行動というのは、その場にあった包丁を振り回すとか、そういう類のものです。それに対して今回の森山は、『持ち運びやすいドラム缶やライターを購入』し、『それを目立ちにくいようにリュックサックの中に入れ』、『クリニックの者に警戒されないように診察の日を犯行に選んだ』というように、理性が働いていないと取れないような行動を、いくつも取っています。さらに森山は、持病の統合失調症に関して、二年間に『寛解状態にある』という診断を受けていたという報道もあります。私の経験上、寛解状態と診断されるほど症状が安定していた患者が、わずか二年でこのような事件を犯すほどの錯乱状態に陥ることは、まずあり得ません。別の報道によると彼は『医院長に毒薬を処方されたことへの恨み』を犯行の動機に挙げているようですが、これは彼が、統合失調症による錯乱状態であることを演技していることによる可能性があります。それにもし、医院長に対して不満があったなら、(それが不合理なものであったにせよ)医院長に直接告げればよかったはずです。しかし彼は、直接医院長と対話をするのではなく、有り得ない暴挙に走りました。結局、彼がそれまでの人生で経験してきた人間関係は、父親から虐待されたり、同級生からいじめられたり、他人から踏みつけられるものばかりでした。そして、森山が逆境から立ち上がろうという意志をなんら持ち合わせていなかったところに、彼の弱さが垣間見えます。一方で、お亡くなりになった西田医院長は、非常に親切に森山に接していたと報道されています。きっと、心に致命的な弱さを抱えていた森山は、自分に危害を加えてくる相手には恐怖のために敵意を向けることができず、逆に自分に優しく接してくる相手を下に見て、それまで抱えていた社会への復讐心をぶつける結末に至ってしまったのだと思います。」


 本田自身も驚いたのだが、このブログへのアクセスは一週間で百万を超え、ブログに掲載していた彼のメールアドレスには、テレビ局からのメールがいくつも届いた。それ以降、彼はテレビに引っ張りだこになり、連日ワイドショーで、「精神科医目線で見た西田クリニック事件」について語ることになった。


九、


 初めてのテレビ出演は、非常に緊張するものだった。急に、それまで傍観者として見ていた世界の、当事者になったのである。スタジオの席につきながら、「ここでの自分の発言の一つ一つが、世の中の人たちに影響力を持つのだ」と考えて、手の震えが止まらなくなった。視線を下げてそっと周囲を見回すと、雲の上の存在のように思っていた著名な社会学者と人気タレントが実物として、自分の両隣に座っていた。カメラの後ろに控えていたADの男性が、


 「コマーシャル終わります!」


 と声を上げると、司会者の男性(もちろん彼も、著名人である)がカメラに向かって話し始めた。


 「さあ、次は連日当番組でも取り上げております、西田クリニック事件についてです。この痛ましい事件に対して、司法はどのような決定を下すのでしょうか?もちろん、事態の推移は裁判が始まってみなければわかりませんが、本日は特別なゲストをお招きして、事件についてのご意見をお伺いしたいと思います。精神科医の、本田大先生です!」


 カメラは素早く、司会者から本田の方へと向きを変えた。本田は、言葉を噛まないように細心の注意を払いながら、「よろしくお願いします」と言って、カメラに向かって頭を下げた。司会者は本田の方を向いて、


 「本田先生は、『さいとうクリニック』という病院にご勤務されているそうですね。今回は、西田クリニック事件についてブログ記事をお書きになったということですが、どのような心境だったのでしょうか?」


 と、愛想よく問いかけた。その問いかけに対して本田は、


 「今回の事件は、本当に痛ましい事件です。まずは、被害者の方や、被害者の遺族の方に対して、深くお悔みを申し上げます。」


 と言ってもう一度カメラに向かって頭を下げた後、


 「私が書いたブログ記事が、想像以上の皆さんの注目を浴びたことについては、私自身が誰よりも驚いております。しかし、一人の精神科医として、この事件について口をつぐんではいられない、という思いから、あのブログ記事を書きました。具体的に申し上げますと、森山容疑者が取った行動により、精神科の患者さん全員へのイメージが悪化することを危惧しているのです。」


 と、自分でも驚くようなはっきりとした口調で話した。本田の話を頷きながら聴いていた司会者は、一旦、本田を制止して、


 「確かに、森山が取った行動によって、精神科の患者さん全員が同一視されてしまう虞はあるでしょう。では先生は、森山の行動は、必ずしも彼が抱えていた精神疾患によるものではない、と考えておられるということでしょうか?」


 と切り返した。本田は深く頷いて、


 「仰る通りです。少なくとも、私が日々接している精神科の患者さんたちが、森山のような人たちではないことは、確かです。そもそも、森山の場合は・・・」


 と、概ねはブログ記事に書いたことと同じことだが、彼の事件に対する所見を述べた。彼が最後に、「今回の犯行は、森山の病気のためというよりはむしろ、個人的な弱さによるもの」と述べたところで、番組に共演していた佐川というジャーナリストが、


 「私も本田先生に同意します。森山の生い立ちが不幸であったことに疑いの余地はないですが、不幸な生い立ちでも真っ当に生きておられる方は、世の中に大勢おられます。森山が内面に抱える弱さがなければ、このような逸脱した犯行に走ることは、なかったはずです。」


 と、合いの手を入れたことが印象的だった。佐川は本田と不意に目が合ったときに、ウインクをしたようにも思えた。


十、


 番組が終わって、本田が控え室に戻ってペットボトルのお茶を飲んでいると、「コンコン」とドアをノックする音が聞こえた。本田がドアを開けると、そこには先ほどまで番組で共演していた佐川が立っていた。佐川は、白髪交じりのオールバックにした髪を右手でいじりながら、驚いた様子の本田をよそに、


 「初めまして。先ほどの番組でご一緒させて頂いた佐川と申します。一応はジャーナリストという肩書きです。私のことをご存知ですか?」


 と、笑顔で言いながら、本田の手を力強く握りしめた。その手の力は、痩身の外見からは想像がつかないくらいに、力強かった。佐川は、フルネームは佐川真一といって、主に少女売春などの若年層にまつわる社会問題についての著書を複数出していた、著名ジャーナリストである。本田が少年だった頃からメディアに頻繁に出演していたので、本田が知らないはずはなかった。本田は高鳴る鼓動を必死で悟られまいとしながら、


 「もちろん、存じ上げております。お会いできて、光栄です。」


 と言って、恭しく頭を下げた。佐川は、


 「ああ、そんなに固くならなくても大丈夫ですよ。」


 と優しい口調で前置いた後、


 「先生は、テレビにご出演されたのは初めてですか?」


 と、問いかけてきた。本田が「はい」と答えると、奥二重の細い目を少し見開くようにして、


 「それは驚いた!初めてのテレビであそこまで堂々と話せる方は、そう多くありませんよ。実は、私は先生のブログ記事を拝読したのですが、先生は文章が上手いだけではなくて、人前で話す才能もお持ちのようだ。」


 と、本田を持ち上げた。本田は照れ臭かったが、褒められて悪い気はしなかった。佐川はそれから少し間を置いて、


 「先生は、YouTubeをやっておられますか?」


 と不意に尋ねた。本田が、


 「いいえ、お褒め頂いてなんですが、本当のことを言うと、人前に出るのはあまり好きではないので。」


 と答えると、佐川は間髪入れずに、


 「それはもったいない!先生ほどの注目度とトークスキルがあれば、すぐにチャンネルは伸びますよ。このご時世、知名度は一つの武器になります。ほら、『悪名は無名に勝る』とも言うではありませんか。」


 と、勢いよく言った。自分がYouTubeをやるなどと考えたこともなかったので、本田が答えあぐねていると、佐川はじっと本田の方を見据えて、


 「ブログを拝見した限りでは、先生は私と同じ思考回路をお持ちのようだ。つまり、物事を客観的に見る力があるということです。先生からすれば、今の世の中は、物事を主観的にしか見れないバカな連中が多すぎる。そう思いませんか?先生は、精神科医療の世界から世の中を変えていく力をお持ちだと思います。しかし、この事件への世間の注目は、すぐに冷めてしまうことでしょう。先生は、埋もれさせるには惜しい人材です。ぜひ、世間の注目が集まっている今のうちにYouTubeチャンネルを開設されて、情報発信をなさってください。私で力になれることがあれば、協力致します。」


 と言って、本田に名刺を差し出した。


十一、


 本田は迷う気持ちがなかったわけではなかったが、結局、佐川の「このご時世、知名度は一つの武器になります」という言葉が頭から離れず、世間からの注目に便乗する形でYouTubeチャンネルを開設することにした。チャンネル名は「精神科医が、精神疾患について語るチャンネル」という、汎用性が高いものにした。このチャンネル名なら、西田クリニック事件のような精神疾患の患者が引き起こした事件についての考察だけでなく、個別の精神疾患についての解説のような幅広いテーマを扱っていても、違和感はない。


 ところで、本田のテレビ出演への反響は大きかった。人間には「認知的不協和」といって、自身の認知とは別の矛盾する認知を抱えたときに、不快感を覚える心理的機構が備わっている。だからこそ、「最後には正義が勝つ」というストーリー映画がうけるのだ。西田クリニック事件は、人々の認知的不協和の結果、世間の注目を浴びたという見方もできた。つまり、15人を死に追いやった凶悪犯が断罪されないなどということは、誰もが容認しがたかったのである。


 本田は、「大多数の精神病患者の味方」でありながらも、理不尽は許さない、という立ち位置の論客として、テレビに現れた。正義の味方でありながら、言わなければならないことは、はっきり言う、というスタンスだった。前述のように、彼がテレビ出演のきっかけになる過激な内容のブログ記事を書いたそもそもの動機が患者への憎悪の感情であったことを考えると、よくもまあ、「大多数の精神病患者の味方」を気取れたものだと思うが、彼はこうしたスタンスを取り続けることが最も賢明な道であるということを、計算していた。いわば森山は、世間のほぼ全員からの攻撃の対象になっていたから、本田にとってはいくら憎悪の感情をぶつけても支障がない、サンドバックのようなものだったのである。


 このように、いわば「誰もが言いたくても言えない本当のこと」をズバッと言ってくれる「世論の代弁者」として、本田の知名度は一気に高まっていたから、チャンネル登録者が1年で10万人を超えるなど、チャンネルは順調に成長していった。この頃には、西田クリニック事件への世間の関心も薄れていたので、精神疾患や薬についての解説や、精神病患者の日々の生活の質を向上させるためのチップなどのテーマについて、配信することが多くなっていた。


 本田はYouTubeでも、「大多数の精神病患者の味方」を演じ続けた。YouTubeのチャンネル運営自体は上手くいっていたのだが、やはり精神疾患を扱うというチャンネルの特性上、中には「本田のこの一言に傷つけられた」などと言って、粘着してアンチコメントを投稿してくる視聴者もいた。そして素の本田は相変わらず、患者の感情には無頓着なところがあったから、コメント欄が炎上したり、彼が勤務していたクリニックに悪い口コミを書かれたりすることも、しばしばだった。


 また、YouTubeの視聴者が実物の本田に会いたいと、さいとうメンタルクリニックを訪れることもままあったのだが、大抵の場合はしばらく話しているうちに、本田の正体が一介の勤務医に過ぎないと悟り、本田のもとを去って行った。


 クリニックの医院長である斎藤は、本田のこうした活動を、苦々しくを思ってはいた。しかし、彼のおかげでクリニックが繁盛していたことは間違いなかったし、斎藤は同じ医師である本田を、性善説的に見ていることがあった。医師になるほどの優秀な人間が、そんな大それたことをするはずはないだろう、中年の自分にはYouTubeのことはよくわからないが、若い本田なりの考えがあっての、新しい時代のやり方なのだろう。そんなふうに考え、本田の行動を黙認していたのである。


十二、


 YouTubeを何年もやっているうちに、著名人とコラボをすることも増えていった。とくに、本田がYouTubeを始めるきっかけを作った佐川とは、複数回対談した。こうして著名人たちと対談することは、彼にある種の快楽をもたらした。自分も成功者になれた、という気持ちに浸ることができたからである。


あるとき、佐川との対談で、山本常朝の「葉隠」に見られる武士の死生観の話題になった。本田も三島由紀夫の「葉隠入門」を読んだことがあったから(彼は、学生時代から三島由紀夫と村上春樹の本を愛読していた)、対談は大いに盛り上がった。その中で佐川は、山本常朝の師が禅僧であったことを引き合いに出して、「葉隠」の思想には禅の影響が見られる、という話をした。そのときに佐川は、


 「そう言えば、本田先生は座禅を組まれたことがありますか?もしおやりになったことがないなら是非一度、お寺に行って、やってみられると良いと思います。」


 と言った。この佐川の言葉がきっかけで、本田は暇を見つけてはお寺に行き、座禅を組むようになった。また、仏教についても興味を持つようになった。もっとも、彼はこの時期のある知識人との対談で、


 「ブッダはどういう人だったと思われますか?」


 と聞かれて、


 「普通のおじさんだったんじゃないですか。」


 と、こともなげに答えたこともあったくらいだったから、彼に信心と呼べるものがなかったことは、確かである。彼は、宗教としてというよりは教養として仏教を学んでいたに過ぎなかったし、座禅にしても、「座禅を組んでいるときの脳の状態はどうなっているのか?」と、精神の探求というよりは有酸素運動などと同じ、身体的なワークのようなものとしてみなしていたところがあった。だが、そんな彼も呼吸を落ち着けて座禅をしているときには色々な雑念が消えていく感覚があったし、次第にそういう感覚に病みつきになっていった。脚が腐るまで座禅を組み続けたという達磨大師の話は有名だが、座禅も人によっては依存性があるのかもしれない。


 さて、クリニックでの診察に、自宅でのYouTube活動と忙しく過ごしているうちに、あっと言う間に数年の歳月が過ぎていった。本田も三十代に入り、表向きはインフルエンサー精神科医として順風満帆に過ごしているように見えたが、内面では疲弊しきっていた。なにせ、クリニックでもYouTubeでも仮初の自分を演じ続けなければならなかったから、気が休まることがなかったのである。唯一、休養日と決めていた日曜日にお寺に座禅を組みに行くときだけが、リフレッシュできる時間だった。座禅を組んでいる間だけは、仕事のことも、患者のことも、忘れることができたからである。


 この頃の彼は、とてつもない万能感を感じる瞬間と、自身の存在の卑小さに打ちひしがれる瞬間とを、日常的に経験するようになっていた。ひょっとすると、ベルリン陥落前のヒトラーも、同じような感情に苦しんでいたのかもしれない。ヒトラーも連合国軍の軍靴の足音が迫ってくる中で、「万能の総裁」としての自分と、無惨に処刑される運命の戦争犯罪人としての自分とのギャップに、苦しんでいたのかもしれない。この頃の本田も、インフルエンサーとして世間に影響を与えられるという肥大化した自己と、目の前の患者一人満足に治療できない現実とのギャップに、苦しむようになっていたのである。


 救いを求めた彼は、心を無にすることですべての心の悩みを解決できる、と考えるようになった。そもそも自分がこんなに悩むことになってしまったのも、色々な邪心(本人にその自覚はなかったが)から余計なことをしてしまったことが遠因にあるし、心の不調を訴える精神科の患者たちも、「辛い状況から解放されたい」とか、「自分の欲求を満たせなくて苦しい」とか考えるから苦しんでいるわけで(そもそも、「辛い」と感じることが心の働きによるものだ)、原子炉の運転を停止させるかのように、心の働きも止めてしまえば、すべての心の問題を解決できるのではないか?と考えるようになっていたのである。


 明らかに異常な心性だが、もうこの頃の彼は、正気ではなかった。長い間世間の注目に晒され続けたことで、彼の精神は完全に破壊されてしまっていたのである。そもそも、いくら彼がメディアやYouTubeできれいごとを言ったところで、彼の精神科医としての本当の腕前が上がるわけではないし、彼の本当の治療技術は、働き始めて数年目の時点で止まってしまっていた。そこから先は、邪心に取りつかれたり、YouTubeをやったりで、真剣に医療に取り組む余力など、なかったのである。本人が誰よりも強くこのことを自覚していたし、周囲が自分に期待する姿と、自分の本当の姿との乖離が大きくなっていくごとに、苦しみも増していった。


 彼は、心の働きの中でも本能的な欲求こそが、諸悪の根源であると確信していた。そして、本能とは対極にある理性の力で本能の力を抑え込むことができれば、すべての心の問題を解決できると考えた。


 そこで彼は、冬のある日曜日に、日中にお寺から帰ってきた後も、自宅で座禅を組み続けることにした。座禅を組むのは、本田の意識が命令してやっていることであり、いわば理性の働きによるものである。仮に食事を摂ったり、睡眠したり、という本能的な欲求を満たすことなく座禅を組み続けることができれば、それは理性によって本能を超越できたということになるのではないかと考え、自らの身体を用いて、その実験を行おうとしたのである。


 もうこの頃には、彼は座禅を相当組み慣れていたから、すぐさま彼は深い瞑想状態に入っていった。冬の肌寒い空気の中を、暖房もつけずに座禅を組み続けた。どれだけの時間が経ったのか、それさえもわからないくらい、彼の心は「無」に近付いていった。


十三、


 約一週間後、本田は心配して自宅にやってきた両親や友人たちに発見され、病院に運ばれた。彼はその一週間、ずっと座禅を組み続けていたようで、無惨に痩せこけていた。病院に運ばれた後も彼の食欲は戻らず、懸命の処置も空しく、一か月半後に他界した。


 彼が勤めていたクリニックの医院長の斎藤は、「どうしてこんなことになってしまったのか?」と悔やまざるをえなかった。ある意味、医師免許のような肩書や、世間からの注目や評価といった名誉は、人間を狂わせてしまうものなのかもしれない。あるいは、本田はそのようなものを抱え込むには、純粋過ぎる側面があったのかもしれない。いずれにせよ、仮に斎藤に本田を止めることができるタイミングがあったとしたら、それは、彼が最初に邪心に取りつかれたときだったのかもしれない。


 多くの医師は、高いプロ意識をもって仕事に取り組んでいるはずだし、連携を取り合って医療に当たっていることだろう。しかし、忠告してくれる他人が誰もいない状況に置かれてしまうと、人は狂ってしまうこともあり得るのである。自己とは、他人との関係性の中で成り立つものであり、他人との関係性とはネットの中での軽薄なつながりではなく、日常のリアルなコミュニケーションの中でこそ、生まれてくるものである。


 本田の場合は、目の前の患者や先輩医師との関わり合いを大事にすることなく、ネットやメディアのようなリアルな関係性が生まれにくい空間に不用意に足を踏み入れてしまったことで、病的な、肥大化した自己が生まれ、すべてを狂わせてしまった、と言えないだろうか?


(了)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ