【短編】陽桜炎上 〜隠れ里地元民実況配信〜
散歩が趣味で、風景を撮ってネットにアップしてたら文句を言われた。
法的に問題があったのかなあ、と思ってたら違った、「人工生成の画像を混ぜるな」って言われた。
そんなことはしてないというか、そんな技術と根気はぼくにはない。
ただ目の前の風景を撮っただけだ、って説明したんだけど、信じてはもらえなかった。
どういうこと?
写真を見返し、首を傾げる。
どれもこれも日本のごく普通の風景だ。
人工生成、なんて言われる意味がわからない。
まずは道の写真だ。雨上がりのコンクリートが、なんかいい感じだったから撮ってみた。
ちいさい花のアップ。すこしピントが合ってない気もするけど、これはこれでアリだ。
ふるびた一軒家。かなり年季が入ってるけど、こう、いい感じに味がある、文句を言われたのはこれかな、って思ってた。
次はやっぱり道の写真。砂利道で、知らない花々が左右に咲いている。毛とか生えてるから注意が必要だ。
同じく道の写真。だけど左右に学校みたいな壁がある、下は普通に地面だからちょっと変だけど、まあ、たまにあるよね。
金庫の写真。かなり年季の入ったふるびたものだった、罠が仕掛けられてることがあるから、開けずに写真だけを撮った。
長い髪を振り乱して追いかけてくる人の写真。うん、撮影なんてしてる場合じゃなかったかもしれない、割と手ブレが酷い。
全力で逃げて家へと戻った。
角を生やしながら悔しげに、結界向こうで睨んでる様子の撮影は、我ながら上手く行ったと思う。
どう見ても、いつも通りの散歩風景だ。
文句を言われる理由がわからない。
「不思議だなあ……」
たしかに最近だと、AIで画像生成ができるとは聞いてる。
だけど、こんな一般的なものを嘘扱いされるのは、とても心外だ。遺憾の意を表明する。
遺憾、って漢字は最近ようやく書けるようになった。
「よし」
嘘だと疑われている。
なら、嘘じゃないって証明すればいい。
「ぼく、お散歩系実況配信者になる……!」
動画と一緒に写真を乗せれば、きっとそんな風には言われない。
+ + +
ざーっとお散歩系の動画を見てみたけど、あんまり参考にはならなかった。
犬と散歩してる人とか、おしゃべりメインの人とかで、ぼくがやろうとしてるような配信は、あんまりない。
最近だと違うみたいだけど、一年くらい前だと歩行者を普通に撮ってる動画が多かった。
これたぶん、みんなマスクしてるから問題なし、ってことなのかな。
どっちにしても、思ったより手軽にできそうだ。
友達に手助けしてもらいながら準備をして、カメラを回して配信を開始してみた。
視聴者は、ほぼいない。
まあ、無名の新人だし、こんなものだよね。
「こんにちはー」
それでも一人いたから挨拶をする。
手元のスマホでコメントを確認しながら歩くのは、ちょっと行儀が悪いのかもしれない。
「見ての通りの田舎です、知ってる人ならすぐにバレちゃいそうですけど、わかってても書かないでねー」
町の方ならそれなりに賑わってるんだけど、いま撮影してるのは山道だった。人は誰もいない。
「今日は、ぼくの散歩風景を撮影してます。なんか前に文句いわれちゃったんですよね、なので、ごく普通の散歩だってことを証明したいです」
コメント:初見〜
「あ、コメントありがとうございます! 一人で喋ってる感じだったんで嬉しいです」
コメント:女の子?
「いや、男ですよ男、どう見ても男でしょう」
たまに勘違いされるけど、ちゃんと男子だ。
だから姉は僕の衣装棚にスカートを入れないで欲しい。妹が欲しかったとか知らない。
コメント:……?
「なにが不思議か」
コメント:ああ、うん、そうだよね。
コメント:確認のために脚見せてくれない?
「納得してくれたなら、良かった。あと足見せるのは意味がわかりません。今日は、うん、まあ普通の風景を撮影しながら、適当にお話する感じです」
ぽてぽてと歩く。
ちょっとずつだけど、視聴者数も増えた。
それでも三人とか四人だけど、リアルタイムで証人になってくれる人がいるのは助かる。
「あっちの方は大山です、たぶん本当の名前とかあるんですけど、地元民はみんなそう呼んでます。あんまり行っちゃいけないって言われてますが、ぼくの散歩コースです」
ピラミッドみたいな形。三角錐ってよりは円錐だけど、わりと綺麗だ。
コメント:でかくね……?
「そうですか? ここからだと、見上げるくらいですけど、けっこう気軽に登れますよー」
雲を突き抜けるくらい巨大に見えるけど見掛け倒しだ。
小学生の遠足でも使われるくらい。
あ、でも他所の人間は登らせちゃいけない、って言われてたっけ。
「あそこまでは電波は届かないだろうし、今日は登らないですけどね」
考えてみればよくここまで普通に実況できるなあ。
あんまり考えなしにやってたけど、電波届かず強制終了とか普通にありそうだった。
コメント:今って夏だよな、桜っぽいの咲いていないか?
「陽桜ですね。日中に咲いて、夜には枯れるやつです。友達はかっこいい、って言ってるんですけど、近くにあると掃除が大変なんですよね」
あるある話だと思うんだけど、コメントの反応は困惑してた。
たしかにめずらしいけど、無いわけじゃないと思うんだけど。
「ちょっと近くまで行ってみますか」
コースを変えてみた。
+ + +
陽桜は、赤みがかった桜でいつものように満開だ。
咲いてる内側の方は白くて、外側になるほど赤みが強いのは、燃えてるみたいですごく目立った。
春になって他の桜が咲いてもポツンと違ってわかるくらい。
コメント:え、すご
「そうなんですかね、ぼくはもう見慣れちゃったから、よくわかんないです」
満開の桜は葉がなくて、ぜんぶが花弁だった。
風が吹くたびに、花の色がついている。
コメント:これ、実写っぽいゲーム?
「え、いえいえ、だから違いますって、桜ですよ桜。もう、見たことがないんですか?」
ちゃんとわかるように映した。
ズームとかもしてやる。
「ほら、角度とか変えても映せますし!」
コメント:いや、それくらいゲームでできるぞ?
「え、そうなの……?」
ゲームだと左右にカメラを振ると、ちょっと変な感じになると思うんだけど。
そういうのもよくなってるのかな。
はらはらと、白と朱の花弁が降り注ぐ。
陽桜の幹の、だんだんと上の方を映して行く。
ごつごつとした幹はすごい年季だった。
「うーん、どうすればいいんだろう……」
悩みながら幹の中ほどまでを映して。
「珍しいじゃあないか」
下駄が映った。
素足に履いていた。
白い足が上からにゅっと伸びている。
「坊がここに来るなんて」
「あ、ひーさん」
「止まりなさい、それよりも上を映しちゃあいけないよ」
「どうして?」
コメント:え、さっきの映像に、人とかいたか?
コメント:は、え、肌が白い
コメント:おじゃまするよ
「坊の配信が止まってしまうじゃあないか、わたしだって、ほら、こうして見ているんだ、視聴者の楽しみを奪っちゃあいけない」
「ふぅん?」
よくわからなかった。
ひーさんはいつもどおりの格好なのに、なんかまずいのかな。
最初に会ったときと変わらず、桜の枝に腰掛けて、今はスマホの画面を見ていた。
コメント:いい爪の形だ……
コメント:なんか変なところに注目してるやついるな
ぼくは言われた通り、ひーさんの足だけを映す。なんか足に向かってしゃべってるような気分だった。
下駄の中でも小町下駄、その鼻緒を足指ではさんでプラプラ揺らしてた。
「え、というか配信見てるの?」
「今は便利になったものだねえ、坊の声が遠く離れていても聞こえるなんて、とても妙な気分だよ」
「や、やめて!」
「どうして?」
「はずかしいっ!」
知らない人に向かって喋ってるつもりだったのに、知ってる人に聞かれてるとか思ってなかった。
コメント:え、というか、たまに画面が上下してるけど、どこまでも服が映らないんですが……
コメント:ふふふ
「ぼくは配信してるの! だからひーさんは見ちゃだめ!」
「おかしなことを言うねえ、配信、ってものは誰もが見れるものだろう? だったら、わたしが見たっていいじゃあないか」
「う、それは、だけど、う……」
コメント:カメラを、もっと、上に!
コメント:いや、あかんだろ
コメント:見たくないんか!
コメント:足フェチだからこれで十分。むしろ上げんな
コメント:ばか! お前、神秘を探求しろよ!
コメント:期待しているようなものは無いけどねえ。映さないのは念のためさ
コメントがヘンに加速してるけど、ぼくの頭の中も加速してた。
え、ひーさんに見られながら配信するの?
この先ずっと?
授業参観、って言葉が思い浮かんだ。
他に見ている人がいるだけで、なんか普段とぜんぜん違う雰囲気になる。
今、そういう気分だった。
画面の中、下駄が大きく揺れて、すぽ、っと白い素足に収まった。
「ふふ、意地悪だったかね? まあ、これで坊が気持ちよく配信できないようなら本末転倒だ。戸惑い赤らむ顔を眺め続けたくないと言えば嘘になるけれど、悲しみに暮れさせたいわけじゃあない」
下駄が拍手みたいに一回打ち鳴らされて。
「今のこのわたしは、もう配信を見ないと約束するよ。これでいいかい?」
「う、うん。ごめん、邪魔みたいに言って」
「いいさ、坊とわたしの仲だ。ああ、けれど、できるだけ早く帰るんだよ、陽が落ちる前にね」
「それは、わかってる」
姉にも言われていたことだった。
「さ、もうお行き、足元には注意するんだよ」
スマホを置きながらの言葉だった。
本当に、配信を見るのをやめてくれるらしい。
「わかった、それじゃ、ひーさん、またね!」
「ああ、それじゃあ、また」
手を振り返して散歩を続ける。
カメラはできるだけ上を映さないようにしながら。
コメント:ああ、もったいない……
コメント:いい足だった
コメント:というか結局、どこからどうやって現れたんだ、あの人
+ + +
「ひーさんは、というより、陽桜は昼と夜とじゃぜんぜん違うんですよね」
遠ざかりながら説明する。
「昼も綺麗ですけど、夜は夜で綺麗です。けど、あんまり行っちゃいけないって言われています」
コメント:割と親が過保護?
「いえ、ひーさん本人に言われました」
コメント:??
「夜の陽桜は危ないから、近寄っちゃいけないよ、って」
コメント:謎すぎる
「たまに暴走するらしいです」
特に新月だと危ないとか。
それでなくても月のない夜は危険だから出歩くなとは言われてる。
ただ、一回だけだけど、見たことがあった。
陽桜は、日中だけ咲いて夜には枯れる。ごつごつした枝しかなくなる。
それでもそれは綺麗で、また見たくなるくらいだった。
「次は、どこに行きましょうか?」
コメント:いや、知らないって
コメント:あの足を、もう一度……
コメント:なんか別のキレイなとこないの?
「あー、そうですね、見慣れてるからわからないけど、あそこはいいのかな」
コメント:おお、なんかあるのか
コメント:散歩だと時間かかりそうだな、田舎だろうし
「そうですね、その辺はやっぱり運次第ですよね」
コメント:ん……?
コメント:運?
なぜかコメントが困惑していた。
行きと帰りで距離も時間も違うとかよくあることだと思うんだけど、都会だと違うのかな。
あと、心がけを良くしていれば距離は短くなるらしいけど、本当かどうかはわからない。
+ + +
コメント:おおー
コメント:なんじゃこりゃあ
「思ったよりも早く付きましたね、ここが青ヶ沼です」
沼、って名前だけど普通に水は澄んでいて湖っぽい。
キラキラと水面を反射する様子が点々と続いてる。
円形のちいさな湖を、いくつも連結させたみたいな形。
お散歩コースとして、割りとぼくのお気に入りだった。
コメント:なにこれ、マングローブ?
「なんですそれ? ただ、ここは昔からこうだったらしいです」
しっかりとした木の根を頼って移動する。
大人だと重くて沈むから危ないらしいけど、ぼくならまだ平気だ。
「ここで釣りとかしたいんですけど、さすがに駄目ですよねー」
コメント:なんで駄目?
「え、だって知ってる子を傷つけるの嫌じゃないですか」
ここに住んでる魚なら、まあ、いいかなあ、って思うけど、知り合いを針で傷つけたくない。
コメント:お、おう?
コメント:たまに話が通じない感じがあるの、なんか怖いんだが
「一回だけ見たことあるんですけど、ここから陽が昇るのすごく綺麗なんですよね」
コメント:あー、それは、たしかに綺麗そう
コメント:てか広いな、ここ
「ぼくも端までは行ったことがありません」
というより、端がないのかも。
半日くらい進んでも、それでもまだ続いた、って友達が言ってたし。
「ちょっと、休憩……」
木の幹を背に、腰をつけた。
普通の道ならそうでもないけど、デコボコしたところの移動ってけっこう疲れる。
靴を脱いで、足裏あたりを揉んだ。
コメント:靴下も脱がないか?
コメント:足フェチ、自重
「え、脱いだほうがいいの?」
コメント:ぜひ!!!!!!!!!!
「あ、うん」
柄物の靴下を脱いだ。
ひーさんと違って、ごく普通だなー、と思う。
あ、ちょっと汚れてる。
コメント:HOOOOOOOOOOO!!!!!!!!
コメント:足フェチに餌を与えないでください、足フェチに餌を与えないでください!
コメント:っぱ素足よ!
コメント:散歩動画かと思ったらフェチ配信動画じゃったか
なんかコメント欄がうるさいけど、あんまり気にしたらいけない、って分かってきた。
というか、カメラ撮影しながらだと、スマホの方のコメント欄確認が難しい。
カバンに入れてたタオルをちょっとだけ濡らして、汚れを拭き取った。
片足から順番に。
爪の間に汚れが溜まってたから、丁寧に拭き取る。
右足が終わって、グーパーしてみた。
うん、きれいになった。
目の端のコメント欄がすごい速度で動いてたけど、意味がわからない。
左足もやろうとして――
「お?」
コメント:ひえ
コメント:え、え……?
つかまれてた。
手だった。
澄んだ水から腕が伸びて、僕の左足首をがっしりと握っている。
手首から先は普通に人のそれだけど、上の方になるほどに鱗が生えてる。
知り合いのだった。
「エンさん、なに?」
「あそぼう」
「今、配信中だよ」
「……? じゃあ、あそぼう」
「わかってないよね、絶対」
声は水の方からだ。
水面に、唇だけが浮いている。
たぶん、仰向けになって喋ってるんだと思う。
普通はそんな体勢になるのは無理だけど、エンさんの腕は伸びるからできる。
鱗の生えた腕は、普通なら肩があるところから更に続いてた。
二の腕だけじゃなくて、四の腕とか五の腕がある感じ。
「ひさびさに泳ぎたいけど、うーん」
コメント:え、というか、え、なにこれ?
コメント:やっぱりゲームだよな、これ開発中のゲーム画面なんだよな!?
「あそばない?」
「これ、防水だとは思うんだけど、どれくらい平気かわからないんだよね」
カメラを示した。
映した先、水面の唇が突き出されていた。
片目でこちらを見ているのが水面越しにうっすら見える。
コメント:足は、足はいったいどうなっているのか
コメント:言ってる場合か!?
「……かめら?」
「うん、そう。今も映してるよ」
「そっか」
「あー、でも、考えてみたらお散歩配信だから、いきなり水泳とかしちゃ駄目かな」
「え」
「タオルは持ってきてるけど、さすがに水着もないし、ちょっと今日は駄目かも」
「かめらだから?」
「え、うん、ぼくは今日、配信者だからね」
胸を張って自慢する。
撮影機材さえあれば誰でもできるとか言わないでほしい。
「それ、や」
とられた。
「え」
コメント:うお
コメント:はわ!?
伸びた手がぼくのカメラを握ってそのまま水中へ行った。
遠ざかる波の速さは、ぼくじゃぜんぜん追いつけない。
コメント:水中が!?
コメント:え、うわ、なんだこの景色……!?
「嫌、だから」
ぼくは慌ててスマホの方の画面を確認する。
水中を凄い勢いで移動する景色があった。
コメント欄もすごい勢いで流れてる。
「すてちゃお……」
一応はぼくの格好を真似てカメラを構えてくれていて、そのせいで透明度の高い風景がよくわかった。
どこまでも、どこまでも広がっている。
木の根が上に点々と浮かんで、陽光はまだらに差し込んでる。
ぐる、と下を向けば底の様子がわかる。
斜面だった。
コメント:広すぎて怖い!
コメント:やっぱりマングローブじゃないか!
コメント:これどんだけ速度出てるんだ!
ぼくは見ていることしかできない……
って、あ、そうかスマホからコメントは打てる。
☆コメント:とられちゃった……
コメント:草
コメント:草
コメント:いや、笑いごとじゃないけど、草生える
カメラの画像は底へと行き、そして、そのままわずかな隙間を通って更に下へと向かった。
コメント:へ?
コメント:なんだ、これ
☆コメント:あ、沼神さまのところに行くのかな
底に入った亀裂みたいな経路は、長く長く続いている。
ぐねぐねとしたそこを、ぶつかることなくスルスル泳ぐ。
やっぱり、どれだけ練習しても水泳じゃエンさんには勝てない。
コメント:わ
コメント:お
☆コメント:ここは、ぼくも見たこと無いですね
亀裂を抜けた先は、広いところだった。
上のほうが薄く発光してるから、どうにかわかるけど、たぶん上の沼よりも更に広い。
果てのない、どこまでも続く景色だった。
遠近感がおかしくなるような、果てなく暗くなって行く広大さ。
それが、カメラを向ける下方にあった。
「あげる」
エンさんが言う。
水中なのにはっきりと聞こえた声に、反応するものがあった。
なにか、だった。
暗闇そのものだって思えたものが、動いた。
巨大なナマズか、ヘビか、どれかわからないけど、とにかく巨大な生き物だ。
だって、見えているのはそれの「一部」でしかなかった。
遥か下方で動いてから、ようやくそれが在るって、わかった。
「そう? 盗んじゃだめ……?」
コメント:こわいこわいこわい!
コメント:はえー、すっごいクオリティ
コメント:これいつ発売? ちょっとやりたい
☆コメント:あの、ゲームじゃないです……
「……はーい、ごめんなさい」
コメント:というか、エンさん? だっけ、その人さっきから会話してる?
コメント:なんか下の方からゴボゴボ音がしてたけど、それ?
コメント:ゲームじゃないとか、またまた
コメント:個人チャンネルだし、一人でこれ作ったのか?
「叱られた……」
コメント:素直
コメント:けっこう背は高いと思うんだけど、子供みたいだなこの人
「……もどる……」
しょんぼりしている顔が見えるようだった。
行きと違って、明らかに遅い。
浮力の助けがあるから、それでもそこそこ速いけど。
上の亀裂に入る直前、下の方で巨大な目と、更に下方に浮かぶちいさな社が見えた。
ほのかに光るそれらは、すぐに移動する映像の、亀裂の向こうへと消えた。
コメント:なんか、見ちゃいけないものを見てしまったような感じが……
☆コメント:けど、神様ってけっこうどこにでもいますよね?
コメント:いねーよ!?
神様の領域から抜け出て、点在する水の風景に戻った。
お散歩の風景とは違うけど、やっぱりこっちが人間の世界だな、って思う。
そのままスイスイとカメラは進んで、ざぱりと水面を割って、僕の姿を映した。
スマホを覗き込んでる素足の子供だった。
なんか、すごくヘンな気分になる。
その表情が、安堵と「仕方ないなあ」って感じの顔になっていた。
「やっと戻った」
「ん」
「はい、ちゃんと返してもらった」
「……ごめんなさい、もうとらない」
「また今度、遊ぼう?」
「いー、だ」
渡されたカメラの無事を確かめて、もう一回映すより先に、エンさんは無表情に口を「いー」の形にしてからすぐに潜った。
映像として映せたのは、波がかすかに動く様子だったけど、それはぼく達にさっきまでの水中移動を思い出させた。
コメント:なんか、不思議な人?だったなあ
「まあ、エンさんは、ぼくよりも年下ですからね、こんないたずらもしちゃいます」
コメント:は?
コメント:え、え?
コメント:……下手したら身長二メートルくらいなかったか……?
だから本来ならエンちゃん、って言うべきなんだろうけど、初対面のときにそう呼んでしまったから今も続けていた。
+ + +
「じゃあ、ここはもういいですかね」
コメント:いやいやいや、流さないで、結局さっきのなに!?
「沼神様ですね、この沼の下にいらっしゃる方です。あとでちゃんと地上の神社に参拝して、お騒がせしたこと謝らなきゃいけません」
優しくて鷹揚な方だから、それだけで許してくれるとは思う。
「ご利益も祟りもないので安心してください。次はどこに行きましょうか」
コメント:なんか、もうお腹いっぱいというか、え、これ散歩か?
コメント:違うぞ、クオリティの高いオープンワールドの紹介実況動画やぞ
「いや、普通にお散歩実況ですよ、まあ、友達紹介みたいな感じにはなってますけど、普通の風景も紹介してますよね」
コメント:風景(夏なのに満開の桜)
コメント:風景(雲を貫く大山)
コメント:風景(見たこともない湖底湖と巨大生物)
コメント:……普通とはいったい……
「もう、じゃあ、いいですよ。なら、外じゃなくて、近くの友達の家に行きますよ、もう」
コメント:拗ねてしまった
コメント:ちょっとー男子ー、せっかく世界の秘境みたいなとこ見たかったのにさー
コメント:違うぞ、どこ行っても絶対また常識外だぞ
コメント:それもそっか
「ふ・つ・う! コメントの皆が大騒ぎしすぎです!」
コメント:実況主はテレビとか見ない人?
コメント:いや、それこそネットでもわかるでしょ
コメント:ここ常識的な場所も人もいない
コメント:俺らの常識が間違えていた可能性も
「? ネットはよく見てますけど、別にそこまでここと変わってないですよね」
コメント:この子には一体何が見えてるんだ……
他の人の動画でも、エンさんとか、ひーさんみたいな人は見かける。
たしかに隠してるっぽかったけど、うん。
「っと、あ、やば」
ぽつ、っと雨粒が一滴、額に直撃した。
コメント:え、え? さっきまで晴れじゃなかったか?
コメント:山の天気は変わりやすい的な
コメント:さすがに変わりすぎぃ!?
すぐに二滴、三滴となって後はあっという間だった。
ざあああああ、という雨音が沼の木々を鳴らす。
「近くの友達の家に行きます!」
僕は素足のまま靴を履いて、駆け出した。
+ + +
幸いなことにすぐに到着したそこは、日本家屋だった。
瓦があって、引き戸があって、ガラガラ動かせる。
「いちまさーん! お邪魔するよー!」
屋内は、ひどく薄暗い。
外の雨の暗さが、すっぽり家を覆ってた。
「うう、沼では濡れなかったのに、今になってびしょ濡れ……」
僕は玄関先でできる限り水分を取って、タオルで拭いた。
リュック内までは水が染み込なかったのが幸いだった。
「さすがに、無理かな……」
持ってきたのはハンドタオル。
というか、さっきは足の指を拭いたから、気分としてもあんまりよくない。使った面では拭かないけど、こう、どうにか工夫して……
「あ」
コメント:あれ?
コメント:さっきまであったか……?
玄関から室内への、ちょっと高くなったところ。
上がり框だっけ、木板にバスタオルが置かれていた。
「いちまさん! ありがとう、使わせてもらうよー!」
薄緑のそれを広げてから、わしゃわしゃと気持ちよく髪の毛を拭いた。
ぶる、っと身体が今更みたいに震える。
思ってたよりも身体が冷えてたみたいだ。
水を吸い込むタオルの温かさが、すごく助かった。
コメント:てか、暗いな、ここ
コメント:田舎の実家がこんな感じだったなあ
コメント:本格ホラーは勘弁
「ふぃぃ……」
広げたバスタオルにくるまって数秒、じんわりと体温が戻っていくのを感じる。
そのままポテポテと上がって、すぐ右手の扉を開けて、使い終わったバスタオルを洗濯かごに放り込んでおく。
勝手知ったる友達の家だった。
「……というか、今更だけど、友達の家を許可なく映すのってまずかった……?」
コメント:あ
コメント:おお
コメント:俺なら、仲が良くても嫌かなあ
キレイにしてあるけど、そこかしこに生活痕がある。
洗う用のスポンジとか石鹸とか、磨き抜かれた三面鏡とか。
こういうのを他の人に見せるのは、よくないことじゃないかな、とは思った。
「ここで配信終了にしたほうがいいのかな」
「別にそりゃいいよ、気にすんな」
声は、遠くから聞こえた。
「というか、配信用の設定を組んだにはおれだ。嫌ならこっちで配信を切ってる」
「よかった、盛大にミスしたかと思った」
「けど、おれをあんまり直接は映すなよ」
「なんで? というか、部屋から出ないのどうして?」
やけに大人びたため息が聞こえた。
「おれみたいなのは、不特定多数の前に堂々と姿をあらせるようなもんじゃないんだよ」
たしかにいちまさんの方が年上だけど、そこまで離れていないのに生意気だと思う。
+ + +
「いいぞ」
下の畳を映しながら僕は入室した。
普段なら気にせずそのまま入るから、なんだか妙なことをしている気分だった。
室内は薄暗い。
外では雨のカーテンが幾重にもかけられ、陽光を遮っている。
障子を通して見えるのは、いつも通りのちゃぶ台と、その上に大きく置かれたモニターだ。
その向こうでは、いちまさんが正座している。
「というか、今更だけど、ぼくの配信を見てたの?」
「最初にコメントしたのはおれだ」
「見ないで、って止めとけばよかった……」
「雨とか振り出さなきゃバラさなかったよ、青ヶ沼周辺だと、この家くらいしかお前が雨宿りできるところはないだろうが」
「……それは、感謝している」
コメント:畳配信だ
コメント:たまに見える配信者の素足がですね、その、大変に下品なんですが
コメント:足フェチ自重
「そういえば、いちまさんのことは映しちゃ駄目なの?」
「あー、まあ、いいか、最初におれの所に来てたら断っていたが、もうさんざんやらかした後だしな」
「なにがやらかし?」
「お前はもう少しくらい自分の特異性を自覚しとけ」
むう、と唸りながら、カメラを上げる。
そこに映し出されたのは、当然のことながら人形だった。
ぼくと同じくらいの大きさの、球体関節人形。
それが正座でモニターの光に照らされていた。
ただ、長く黒く伸びた髪の毛が、目まですっぽり隠してる。
コメント:え
コメント:ん……?
「まあ、映したところで、素直に信じるやつなんていないだろうしな」
その口は動かなかったけど、ちゃんとそこから声がしていた。
コメント:えーと、え?
コメント:いやいや、んん?
コメント欄は本格的に戸惑っていた。
コメント:いままでと違って、現実的にできる異常だから、逆に困惑してる……
コメント:それな
よくわからないことを言われた。
コメント:映ってる人形とは別に、誰かが喋ってる、ってことだよな
コメント:だと思うけど……
コメント:ゲーム演出だとしても微妙じゃね?
「え、いや、普通に喋ってるじゃないですか」
「画面越しじゃわからんだろ」
唇は変わらず動かない。
カメラの中だと何も動かない。
「おれみたいな奴で、不特定多数の人間の目にさらされて動けるものは少ない。想念をもとに形作られたものが強固に「こうであるはずだ」と見られれば、それはもう呪になる。その形に縛られる」
「……よくわかんない」
「お前みたいに素直にあるがままを見れるやつは少ない、って話だ。ちょっとあっち向け」
「え、うん」
カメラで左の方を映した。
障子越しの外では雨がまだ降り続いている。
見えないくらい遠く向こうでは、雷すら降ってるみたいだった。ゴロゴロと唸るみたいな音がしている。
いちまさんが、音もなく立ち上がって、その手を伸ばして――
「あ」
「だから、実況配信は、おれらみたいな奴らを映せない。原理的にそうなっている。淡く揺蕩い曖昧な、影と影との境にあるものを、強烈な光で照らしちまうようなもんだ。やっぱ無いじゃないかと言ったところで、そりゃあ調べ方が悪いんだとしか言いようがない」
コメント:あれ、なんかカメラもってる人変わった?
コメント:違ってるか?
コメント:上手く言えんけど、動きが丁寧な感じがする
たしかにそうだった。
いちまさんがぼくからカメラを取って、ゆっくりと移動をさせていた。
ちらりとぼくの方を映しながらも置かれたのは机の、何かの台の上だった。
「逆を言えばな、映されなければ在ることができる。多くの人の目に映らない部分は、おれらの領域だ」
乗せられたのは、回転台だ。
たぶんモニターを乗せるためのものだった。
カメラがちょんと押されて、ゆっくりと回転をはじめる。
慌てて見たスマホの画面の中で、部屋内をぐるり、と一回転していた。
掛け軸が、障子が、壁と僕が、引き戸が、モニターの光に照らされたいちまさんが映る。
ぐる、ぐる、ぐると廻る。
「お前の目は有り難いんだ。物事をありのまま素直に受け取っている、お前の前でだけ、おれはおれのままで在ることができる」
「そ、そう?」
「でもな、だからこそお前の目は、おれみたいなものを引き付ける、誰もがやっているような手前勝手な思い込みがない、おれたちを退けず、受け入れる、そこが居場所だと勘違いしちまう」
スマホ画面の中、いちまさんは一回転するたびに姿を変えていた。
頬杖をついて、
手をふる格好をして、
指をさした。
コメント:ん?
コメント:おお? なんか、格好が違うだけじゃなくて、人形が増えてね?
「人形には形がある。だけど、人形の本当はそこにはない。人の目がないとき、人形が何をしているかを人間は知らない」
画面の中、人形は増える、増え続ける。
何もなかった棚に、ちゃぶ台の上に、畳の上に。
古いものから新しいもの、立ってるものに座っているもの、フィギュアって呼ばれている奴もあった。
コメント:え、え、あれ限定の
コメント:いくらなんでも増えすぎじゃね!?
「だから、お前はそのカメラを持って動いた方がいい、それは形を持たないもんを退ける。たしかなお前の守りになる」
「ぼく、そういうつもりじゃなかったんだけど」
コメント:というか俺の限定フィギュア、いつの間にかねえんだけど!!???
コメント:あのさ、さっき視線感じて振り返ったら、お気に入りのぬいぐるみ、なんか、ちょっとだけ姿勢が変わったような気がするんだけど…?
「触れて形を確かめればそこに有る、見て知ればそこに在る、だからこそ、触らず見ずに知らなければどこにも無い」
いちまさんの髪の毛が伸びていた。
カメラが映していない領域を侵食するみたいにスルスルと。
いつもと、様子が違ってた。
カメラが回転して映すたびに、それはひどくなっていた。
コメント:一瞬だけど、たしかに捨てちゃった、昔の私の人形はが……
コメント:……前からこのフィギュアたち、全部こっち向いてたっけ?
「だからこそ、縛られ呪われると分かっていても、人形は人の目に触れたがる、人の身近に在りたがる。そんな形でしか、からっぽを埋められないからだ。いっそのこと、自分がからっぽだったなんて、気づかなければよかったのにな」
髪が伸びる、伸び続ける。
まるで、いちまさんが泣いてるようにすら見えた。
後から後から、髪は伸びる、和室の畳を侵食する。
「んー……」
正直、ぼくにはいちまさんが言ってることがよくわからなかった。
だけど、このまま髪の毛が伸び続けて、いちまさんが俯いたままなのは駄目だな、と思う。
「なあ――おれは、どうすればいいと思う?」
様子が変わっているのは、ひょっとしたらカメラでいちまさんを映しちゃったからかな、と思う。
よくない影響を受けている。
よくない人形だと皆から見られている。
だから、変なことになっている。
この増え続けている人形も、きっと同じ。
他のなんて知らないけど、いちまさんはいちまさんだ。
なら、ぼくがやれることは……
「よいっしょっと」
「……なにしてやがる」
「寝てる」
ぼくは畳の上でごろりと横になって目を閉じた。
髪の毛は、割と近くまで伸びていた。
「わかんないけど、好きにしていいよ」
「……」
目を閉じ、横になったから、もう画面もコメントも見れない。
ひょっとしたら阿鼻叫喚になってるのかもしれないし、もう配信を見るのを止めているのかも。
けど、そういうのより、友達が苦しんでる、ってことの方が重要だ。
どうにかして助けなきゃいけない。
その答えが寝転がるなのは、どうかなあ、って思うけど、これしかないような気がした。
増え続ける髪と人形たちに、ぼくから何かをしても、あんまりいい答えにならない、そんな感触があった。
人形は、見られた。
人形は、触られた。
そして、話しかけられた
どれだけ繰り返しても満たされないなら、今またやっても良くはならない。
別の方法が必要だ。
黙ったままの時間が経過した。
ぼくは横になったまま動かない。
呼吸の動きすら最低限に。
死体ごっこだな、となんとなく思う。
雨音がしずかに聞こえた。
ごろごろという遠雷の呻きと、雨粒が地面を叩く様子が、遠く近くを行き来する。
ちょっと眠くなってしまうくらいの時間がたって――
しゅる、と音がした。
こすれる音だった。
たぶん、歩く音じゃなかった。
あふれるように広がる髪の毛の上を、移動をする気配だった。
反射的にびくりとする肩を動かさないようにする。
乱れようとする呼吸をそのままに。
しゅ、す、する、と断続的に音は続く。
思い切りの良さとか、まったくない。
こわごわと、何かを恐れるみたいな接近だった。
それで、ヘンに肩の力が抜けてしまった。
ここにいるのは、間違いなくいちまさんだ。
いやー、そんな遠慮しなくていいよ、ぼくが望んだことなんだし、とか言おうとしたけど黙っておく。
ぼくが言ったんだから、好きなようにさせないと。
頭の直ぐ側の畳が、動いた。
ちょっとだけへこんでいた。
いちまさんがそこにいると、わかった。
たぶん正座でいる。
その格好のまま移動をしたのかも。
呼吸はしてないけど、気配はしてた。
「――」
いちまさんが何かを言おうとして、けど、漏れて聞こえたのは吐息だけだった。
手が、指が、ゆっくりと僕の髪の毛にふれる。
人形の冷たさが地肌をくすぐる。
笑ってしまいそうになるのを、なんとか堪える。
手の動きに誘導されるまま頭を上げて、ぽす、と後頭部が何かの上に乗った。
膝枕をされていた。
そのまま、髪を撫でられる。
「ああ、そっか」
どこか呆然としたいちまさんの声だった。
「おれから、触っていいし、見てもいいのか」
もちろん、と心の中だけで返事をした。
「そっか……」
人形ってこういう気持ちなのかな、となんとなく思った。
相手から触れてくれるまで、なにもせず黙って耐え続けなきゃいけない。
何かをしてあげたいと思っても、行動しないことしか選択にない。
「なあ、おれは――」
いちまさんが何かを言おうとした。
それが何か分かるよりも先に……音がした。
「え」
この家の扉を、誰かが叩いていた。
トントン、と。
繰り返し、何度も。
まだ、雨は降り続いている。
+ + +
「は、なんで……?」
そう呆然とした声は上から降っていた。
変わらず続くトントンっていうノックに合わせるように、ぼくをグラグラと揺らす。
「やべえ、起きろ!」
「ぼくは現在、動けません」
「言ってる場合か!? というか返事してんじゃねえか!」
ぱちりと目を開ければいちまさんの、割と必死な顔がある。
なにがどうしたのか不思議に思ったけど、異常に気づいた。
「へ……?」
ちょうど、ぽつぽつと雨が止もうとしていた。
薄くなった雨粒の遮る向こう、日差しの色が赤かった。
燃えるみたいな茜色。
夜の暗闇の一歩手前のその様子は、夕日が差し込む光景だった。
「な、なんで!?」
思わずガバリと起き上がる。
ぼくそこまで寝てた!?
「クソ、油断した!」
「え、えと、どうすれば」
「ほら、持て、カメラはこっち向けんな!」
「あ、うん」
渡されたリュックを手に取り、周囲を確認する。
室内に満杯だった人形たちは、いつの間にか消えていた。
普段通りのいちまさんの私室だ。
カメラを構えて、他に忘れ物がないか確認。
スマホが自動的に消えていたからつける。
コメント:あ、ようやく動いたか
コメント:てかいつの間にこんな時間だ!?
コメント:あかん、フィギュア情報交換していただけなのに
変わらずで安心した。
「というか、ノックしてる人、誰?」
「たぶん、陽桜のやつだ」
「え」
「お前、あいつとなにか約束事とかしなかったか?」
「特にしたことなんて――」
それじゃ、ひーさん、またね!
ああ、それじゃあ、また
「あ」
「あるんだな、なんかしたんだな!?」
「また会おうって感じの約束は――」
「それだ! おれらみたいなもんと簡単に約束すんじゃねえよ! どこまでも追ってくるに決まってんだろうが!」
「え、でも、また後日会えばいいだけで」
「だったらちゃんとそう約束しろ! 曖昧なもんは向こうが勝手に解釈できるだろうが!」
戸惑う間にも、いちまさんの手元には、僕の靴があった。
いつの間にか持ってきてくれていたらしい、ひょっとしたら他の人形が手伝ったのかも。
「裏口から出ろ、おれはあいつの相手をして時間を稼ぐ」
「素直に出ちゃだめ?」
「バカ、外見ろ、もう日が暮れようとしてんだぞ、夜の陽桜とか、おれでも逢いたくない相手だ」
茜色の空は刻一刻と暗さを濃くしていた。
「わ、わかった。早く家に帰る」
「そうしろ――はーい、いま出ます!」
いちまさんは玄関へ、ぼくは裏口へと正反対に向かう。
カメラは構えて撮影しておく。
ぜんぶが分かったわけじゃないけど、どうやらぼくは引き寄せてしまうらしい。
このカメラで映せば、ある程度は防げるとも言っていた。
夜になろうとする時間であれば、必要なアイテムだ。
「おさんぽ、最終局面です……」
コメント:聞いたことのない単語だ……
+ + +
裏口からの細い道を抜けて、大回りに行く。
素直に慣れた経路をゆけば、表のひーさんと鉢合わせだ。
夕闇が深くなる中、ぼくは半分くらい駆け足で行く。
ハアハアとした呼吸がきっとカメラ向こうにまで届いてる。
コメント:家に帰るまでが散歩ってか
コメント:話がないのは、なんか寂しいんだが
コメント:しっかし、普通にきれいな場所ではあるんだよな、ここ
よくある田舎の風景でしかないと思う。
あまり農業に力をいれてないから田畑の景色は少ないけど、その分だけ山や川の斜面が多い。
けど、当たり前だけど、そういうところに街灯はない。
明かりのない道って、予想よりもずっと暗い。
普通に歩くことすらままならないくらいだ。
夜に出歩くことが止められているのは、ぼくが子供だからで、単純に危ないからだった。
そして、だからこそ、大回りに通りへ向かっている。
せめてポツポツとでも街頭がある地点に行かなきゃいけない。
徐々に徐々に、暗闇が深くなる。
鮮やかな赤色が地面から離れて、影の面積が大きくなって、薄暗くなったかなと思ったら一気に暗闇に。
それでも、人工の光が見えた。
街灯で、道だ。
「ぅ――」
間に合った、と言おうとした。
なんとか到着できた、って喜ぼうとした。
できなかった。
コメント:なに、あれ
コメント:というか、誰?
コメント:人間か……?
街灯の下に、人がいた。
水干っていう、昔のひとの衣服を着込んで、烏帽子を頭に乗せてうつむいて、一歩も動かずそこにいた。
コメント:待ち構えられてるっぽい?
コメント:それこそ、マネキンとか人形じゃないよな
コメント:え、あれが「ひーさん」?
「そうです」
こそっと言う。
「こっちは暗いから、きっと向こうからは見えてないです。けど、間違いなくひーさんです」
虫がぶんぶんと集る街灯の下、まったく動かないまま待ち受けられていた。
日中の様子とはまるで違う。
明るくて軽くて気さくな雰囲気とかまったくなかった。
「どうしよう、遠回りは、ちょっと難しいけど……」
電灯の下の、水干が動いた。
ぎこちない様子で、掌を見ていた。
手?
いや、違った、そうじゃなかった。
見ていたのは、スマホだった。
何を確認しているかなんて考えたくもないけど、わかってしまった。
今、僕が撮影している配信を、見ている……!
ぎゅるん、と顔が上がってこっちを向く。視線が合った。
たしかに「ぼく」を見られたと、わかった。
ひ――
声が喉から漏れた。
向こうが動き出すよりも先に、ぼくは駆け出す。
暗闇に足を取られるけど、そんなこと気にしてる場合じゃなかった。
「ああ、もう、ああ……!」
付属のカメラキャップをはめ込む。
後ろからは近づいてくる音がしてる。
ぼくは全力で、ただ駆ける。
「配信は見ないって、言ったじゃないか……!」
コメント:こわこわい!?
コメント:急にホラーやめろ
コメント:昼と夜。
コメント:ジャンルなにこのゲーム!?
え?
コメントの内ひとつだけが違って見えた。
昼と夜?
……ひょっとして、見ないって約束したのは昼間の陽桜だから、夜中の陽桜はまた違う、ってこと?
ひどくない!?
+ + +
背後から駆けてくる音から全力で逃げ出しているけど、距離はぜんぜん離れない。
右へ左へとフェイントをかけてもあまり通用していなかった。
このまま家へ戻ることはできない。
到着するより先に絶対につかまる、そもそもこんな全速力でずっと走り続けるのは無理だ。
コメント:見えねー
コメント:いや、逆に助かるけど、さっきのすげー怖かった
一瞬だけ確認したスマホには、そんな文字が流れてた。
光源代わりに前へと向ける。
ほとんど意味ないけど、無いよりはいい。
あはっ
声、かどうかわからない。
ほんとうにごくかすかに聞こえた。
すぐ傍からだった。
ぼくの影みたいにべったりと、すぐ後ろを並走されてるイメージが浮かんだ。
そんなことは無いと信じて走る。
向かう先は、目当ての場所、森みたいな場所を抜けて夜の湖面が映る。
どこからが土で、どこからが水かよくわからない。
けど、ここが僕のとりあえずの目的だった。
「っ!」
全力で、跳ぶ。
スマホの光源に映った樹木に向けて。
距離を間違えて激突した、少しだけ地面が沈むような感覚がある。
すぐに次の樹へと行く。
足を踏み外さないよう慎重に、けど可能な限り早く。
3つくらいそれを繰り返してから、ようやく後ろを振り返った。
スマホの光で照らした先には、誰もいない。
ここは青ヶ沼で、「子供じゃないと渡れない所」だった。
重量制限のある場所だ。
ぼくにとっての安全だった。
「……ここから別のところに出て、家に帰る……」
だいたいの位置関係はバレているから、ひょっとしたら待ち受けられてるかもしれない。
それでもこのままを続けるよりは、きっといい。
手にしたカメラを持ち直す。
というか、これ捨てて走った方が良かったんじゃないかって今更になって思った。
木に手をついて、息を大きく吐いた。
なんかもう、なんかもうだった。
顔を上げ、昼とは違う青ヶ沼の水面を眺め――
そこに無数の敵意を見た。
「え」
たぶん、さっきの強引な着地を聞きつけた。
スマホで照らした水面のそこかしこに、水とは違う反射があった。
それは顔の上半分だけを覗かせて、ぼくを見ていた。
エンさん、じゃなかった。
そもそも数が違う。
近くから、遠くから、いくつも水中からぼくを覗く人たちがいた。
十、二十、百、二百、ひょっとしたらもっと。
見てるだけ、じゃなかった、その人達は、近づいていた。
声もなく、
音もなく、
ただ木々が風に揺らめく様子だけがある中、敵意がぼくにまっすぐ向けられていた。
「なんで――」
水面が、沸き立つ。
いや、全員が口を開いたからだった。
見える範囲全ての、水のある部分が動いた。
それだけの数に囲まれていた。
暗い空へと向け、吠える。
「ざ、じゃ、ざ、がっ、らいがらっ、あ、あ!!!」
唱和した言葉の意味は、わからない。
だけど、きっと宣告していた。
コイツを生贄とするのだと、そう叫んでいた。
ムチがしなる。
水の上で、優美に踊る。
それは――腕だった。
長く長く伸ばされたそれが一際おおきく揺れたかと思うと、ぼくの後ろの木が、倒れた。
長い腕がまっすぐ振り抜かれたからだった。
ぼくが一歩も動けない一撃だった。
背後で樹木の倒れる音がする。
腕が引き戻され、ふたたびしなり、また伸びる。
今度は直撃コースだ。
「だめ」
それをエンさんが遮った。
湖から飛び出し、器用に蹴ってコースをそらした。
轟音が横を通り抜ける。
シルエットが宙で一回転し、
「ともだち、だし」
傍で着地したエンさんに、沸き立つような非難が向かった。
けど、気にした様子もなく「ふふん」と仁王立ちし。
「ここは、まかせぇな!」
「……どこで覚えたの、そのセリフ?」
「行って、おわび」
おわび?
何のことかと思ったけど、きっと昼間にカメラを取ったことだった。
それは――
「ぜんぜん釣り合わない、絶対あとで何かお返しする」
「ん」
いくつもの腕による攻撃で左右に分断された。
伸ばされた腕の向こうにエンさんがいる。
ぼくはここにいても邪魔なだけだった。
反対方向へと走る。大半はエンさんが引き付けてくれたみたいだけど、それでも攻撃は来る。
あんまり正確じゃないけど、数が多い。
このままだと捕まる、当てられる、確実にそうなる。
その後でどうなるかなんて、考えたくもない。
「あ、もしかして――」
ぼくは、レンズキャップを取ってカメラを向けた。
ずっと配信は続けていたから、撮影はすぐに再開される。
コメント:お、戻った
コメント:なんだなんだ
人々の、不特定多数の視線にさらされたら、異形は異形じゃいられない。
よっぽど特殊か強く無い限り、耐えられない。
いちまさんが言ったことは、嘘じゃなかった。
ぼくへと向けた敵意の以上の絶叫が木霊した。
コメント:やっぱりこれ、ただのホラーゲームじゃないか
コメント欄の皆はそんな認識だった。
誰も現実だと思ってない。
ぼくの配信は、彼らの否定になった。
湖面が泡立つ。
ぼくの撮影から逃れるために、多くの人たちの認識から隠れるために。
四方八方をカメラで映しながら、ぼくは青ヶ原を抜け出した。
+ + +
また地面に戻る。
周囲にひーさんの姿はない。
さっきは撮影してたから、ぼくの居場所を探し当てられた。
またカメラレンズをつけて、隠すべきなんだろうけど。
「ちょっとだけ、輪郭がわかる……?」
カメラを向けたら、そうなっていた。
完全に暗闇に沈んでいたはずのものが、なんとなく伝わる。
☆コメント:よし、そのまま撮影してろ
「え、あれ」
書き込んでないはずなのに、マーク付きのコメントが書き込まれていた。
☆コメント:風景に見覚えあるな、このままおれが案内するぞ
「いちまさん?」
コメント:状況さっぱわかんね
コメント:どうなってんだ、これ
☆コメント:ああ、おれだ。わかってることを聞くな、そのまままっすぐ道なりに進んでろ
モニターに映された人形姿が思い浮かんだ。
あの場所から、ぼくをアシストしてくれているらしい。
「ありがと!」
百人力を得た気分だった。
☆コメント:礼とかいらない、とっとと走れ
コメント:↑照れてね?
☆コメント:後ろのうさぎのぬいぐるみには気をつけろよ?
コメント:……なんで知ってんの?
カメラ片手、スマホ片手に走る作業、普通に昼間にやっても転けそうな危険なことだけど、今は1番安全なやり方だった。
カメラ越しの向こうの多くの人に見せて異常を消して、スマホのコメントを参考にどこに行けばいいかを理解する。
「どうして、こんなことになってるんだろう……?」
いつもの散歩なら、こんなヘンなことにならなかった。
写真で撮るのはいいけど、動画じゃ駄目ってことなのかな。
☆コメント:さあな、次の大岩を右
コメント:ランダム性高くね、このゲーム
コメント:というかもうちょっとくらい明度上げた方がよくね
ひーさんと約束したから?
でも、そういうことは前にもあった、どうして今日だけは違うんだろう。
青ヶ沼では、ものすごい数の敵意を向けられた。
夜に行ったから?
でも、エンさんは普段と変わらなかった。
コメント:というか、命の危険ありすぎでは
☆コメント:普段はここまでじゃないな、今回は別だ。あと、そろそろ道を外れた方がいい、その先は待ち伏せしやすい地点だ。ここで指示しても向こうにバレる、適当に移動しろ、そっからまたナビゲートする
完全な暗がりをカメラで薄暗がりにしながら、それでも更に考える。
コメント:地図ほしいな、これ
☆コメント:作成不可だ
コメント:どんな秘境だよ
コメント:ああ、その次の石垣を右だ
人とは異なるものにとっては大きくて、人にはスゴく小さなことがきっとある。
そういう行き違いが、あるんじゃないか――
☆コメント:違う! 今のはおれのコメントじゃない!
「え」
立ち止まる。
暗がりの向こう、見覚えのある風景があった。
昼間来たばかりのところだった。
地面に、うっすらと朱色の花びらが敷き詰められていた。
掃除するのが大変な場所だ。
☆コメント:クソ、狙ってやがった……!
陽桜だった。
+ + +
夜の陽桜と、昼の陽桜はまるで違う。
一度だけ見たそれは、月夜に照らされたゴツゴツとした木の様子だった。
今は、違った。
昼間と、変わらなかった。
変わらずに咲いていた。
けれど、違う部分もあった。
花弁じゃなかった。
コメント:なんだあ、これ
コメント:光ってる……?
炎、みたいに見えた。
青白く燃えるものが、陽桜の枝々にまとわりついていた。
ぜんたいの形としては昼間と変わらないのに、中身がまったく違っていた。
人魂?
たくさんの人の魂が付いている?
違う、そうじゃない。
そういう儚さじゃ、ない――
風もないのに揺らめいて、ただ上へ上へと青い炎が燃えていた。
花弁の代わりに炎片を周囲に振りまいて、夜の底に咲いていた。
他へと燃え移らない火炎が吠えていた。
声も音もないけど、たしかにそう思えた。
左右を見渡す。
ついさっきコメントにいたのに、ひーさんの姿は無かった。
違う。
誰の姿も、どんな生き物の気配もなかった。
虫の鳴き声すらまったく無くて、風のゆらす梢の音も届いていない。
外なのに、完全な無音だった。
つばを飲み込む音が、やけに大きい。
どうしてかわからない。
だけど、どうしても無視して回れ右する、って選択肢がなかった。
ふらふらと、近寄る、近づく。
ひょっとしたら魅入られたのかもしれない、そんな風に思う。
カメラは構えたまま、スマホ越しのコメントはよく分からない速度で流れる。
僕は近づく、足を進める、喉がからからに乾く。
陽桜の枝々は青く燃え盛り、幹もうっすら光ってる。
根もそうだった。
夜なのに、薄青く地面の様子がわかった。
あ――
小さく出そうとする声を、なんとか飲み込む。
その幹の根本に、ちいさなお社があった。
ぼくの半分くらいの大きさだけど、神様を祀るための場所だ。
それは――どこかで見た覚えがあった。
たしかに、どこかで。
どこで?
きっと、深い深い水の底、どれだけの広さかわからない場所、その底を大きくゆく沼神様の、近くにあったもの――
ああ、きっとここは、この陽桜は、そのための場所なんだ。
理由も理屈もなく確信して。
気づけば、目が合っていた。
いつの間にか開いていたちいさな社、その奥から覗き見られてた。
入るはずもない大きさのそこに、目だけが浮いていた。
それは、たしかに水底で見たものと同一で――
不意に、意識が浮かんだ。
ぼくからぼくが離れた。
しゅるりと吸い込まれたのはお社へ向けて。
意識が、感覚が、目が合った。
真正面からじゃなくて同じ目線で、沼神様の視点を知る。
空だった。
鳥みたいな高所からの視線。
遠く遠く、青ヶ原の果ての果てまで見通せるほど高く。
地平線のその先の、さらにその先まで突き進む、どこまでも青ヶ沼は続いている。たぶん、永遠に。
山だった。
雄大に鎮座する霊峰を仰ぎ見る。
誰かが昇る様子があった、限界に近い様子なのに、口からは白い息を絶えず吐き続けているのに、それでもまだ昇ろうとしていた。
果てのない高さ、どこまでも続く山陵、到達できない山頂を目指して。
人だった。
年齢も性別も場所も趣味も性格も、何もかもが違う人達がいた。
姉が険しい顔で家の前に陣取っていた。パソコン前で呆然とする人がいた。人形がその様子を不思議そうに見ていた。いちまさんが全身を縮こまらせて、それでも画面を睨んでいた。エンさんが正座して項垂れてた。ひーさんが、水干の姿で踊っていた。見たこともない、きれいな舞い。
ぐるりと視線が反転し、沈む。
地面の、その更に下へ。
水だった。
暗闇だった。
果てがなかった。
横はもちろん、底も同じ。
上の様子と似ているけれど違う。
完全に違う場所、違う世界で、ルールがまったく異なる。
音が違う、温度が違う、空気が違う、それは生と死ほどにも離れている。
だからこそ、異なる世界を知ろうとした――
昼と夜。
書かれたコメント。
違う世界の、違うもの――
「ッか、はぁ……はあ……」
気づけば、ぼくは陽桜の前にいた。
ぼくはぼくのままだった。
お社は、元のように閉じている。
いつの間にか止めていた呼吸を再開する。
何度も何度も、繰り返す。
本当に窒息寸前まで水底にいたみたいだった。
ああ、そっか――
けど、なんとなく、本当になんとなくだけど、わかった。
ぼくは配信をしていた。
ここの風景や人を、他の人達に見せていた。
コメントの皆はそれで喜んだり疑問に思ったり、ちゃちゃを入れてた。
きっと、同じことを、ここにいる人たちは沼神様にしていた。
神様相手の配信をしていた。
遠い距離にいる大切な相手に、喜んでもらいたくて、そうした。
ひーさんがやってたことは、たぶんそれだった。
夜の間、神様相手の配信者として活動をしていた。
他にも色んな人達が、活動をしてるんだと思う。
ぼくは人間相手に配信をしていて。
地元のみんなは神様相手に配信をしていた。
うん、だから、ぼくがやってしまったことは、駄目なことだった。
実際にやってしまったのはエンさんだけど、そういうことじゃなかった。
途中で配信を切ることだってできたはずなのに、思いつきすらしなかった。
「ごめんなさい、お騒がせしてしまいました」
だから、ぼくはお社に向けて頭を下げた。
「無断で家に訪問して顔まで映すとか、やっちゃ駄目ですよね」
いわゆる家凸を、知らない内にやってしまっていた。
それは、うん、駄目だよ。
昼と夜。
違う領域の人だからって、いや、むしろだからこそ、そういう礼儀は破っちゃいけない。
最低限の守らなきゃいけないルールだ。
ぼくらがやったことはあれだ、静かに人里離れて暮らしていた人に事前連絡なしに訪ねて勝手に家に入って配信撮影して騒いでたとか、そういうダメダメな活動だった。
だからこそ、深く深く頭を下げる。
謝罪する。
「諾」
声は、横から聞こえた。
顔を上げて見れば、ひーさんがいつの間にかそこにいた。
水干姿の、神様に仕える姿のままで。
左だけ目の色が青いのは、そこから沼神様が見ているからだと思う。
顔は、とても穏やかだった。
少しだけ微笑んでいたかもしれない。
許されたんだ、とわかる。
ぼくはまた頭を下げる。
さらりと、撫でられた。
ひーさんか、沼神様か、どっちの手かはわからない。
ただ、頭を上げたぼくの肩をちょんと動かして反転させて、背中を軽く押して「お行き」と言ったのは、ひーさんだったと思う。
ぼくは、振り返らずにそのまま歩いた。
きっと、後ろを確認してはいけない。
なぜかそんな確信があった。
+ + +
その後のことは、あんまり語りたくない。
とんでもなく遅くなった上に、沼神様に粗相を働いたぼくは散々に叱られた。
知らないうちにぼくが大量殺戮犯になったんじゃないかって勢いだった。
この里は、沼神様のためにあるとか、そういうことを言われた。
ちなみに、エンさんも叱れれているらしい。
たぶん、ぼく以上の叱責だったと思う。
というか、ぼくを助けてくれた時の、周囲で起きた声はエンさん本人への非難だった。
かっこよく助けてくれたっぽかったのに、実は1番の怒りの矛先だった。
「あうぁ……」
ヘロヘロになりながら自室に戻る。
「あ」
そして、いまだに配信を続けていたことに気がついた。
というか、何時から開始してたっけ?
「ごめんなさい、まじで忘れてました」
コメント:おかー
☆コメント:やっとか
さすがに見ているのは数人だ。
その内の一人は、いちまさんだった。
「色々とやらかした気もしますけど、結局はいつもどおりのお散歩だったと思います」
沼神様のことを別にすれば、そこまでの違いはない。
そう深く頷いたけど、否定のコメントばかりだった。
なんで?
コメント:いや、なんではこっちのセリフだ。
画像人工生成の疑いは薄くなったけど、目的は達成できなかった。
その後、沼神様のところをカットしてから上げた動画は、一部から「見れば呪われる動画」とか言われた。
すごく不本意だ。
あと、このゲーム発売はいつかとか言われても、そんなのぼくは知らない。
外からは伺い知れない宗教的な儀式を行う村、と聞くとひたすら怪しいのに、
神様相手に配信活動をしている村、と聞くと「ああ、大変そう」とたぶん思ってしまう。