極東へ
今度はケルトが宙に浮いて数十メートル飛び、壁に叩きつけれられた。
観衆は啞然とした。
超常的な現象。
そしてそれを可能にしてしまう真崎。
恐怖。
それが一同の心に芽生えた瞬間だった。
その空氣を感じ取ったのか、真崎はエペマスクを外して笑顔をつくった。
やっぱ喧嘩最高ー と声を張り上げた。
その一声が人間味を感じさせ、そして陽気な極東出身者という当初の観衆の認識を呼び覚まし、さらなる親しみを一同は覚えた。
労いの言葉が真崎やケルトに発せられた。
シャルルはケルトに掛けより、状態を確認した。さすがにオカリナもケルトのそばに駆け寄ってきた。口の中でまだ食べていたソーセージの香りと齧ってたケチャップが唇についている。
ケルトはエペマスクを取ると、泣いていた。
これ程までプライドを傷つけられたのはなかっただろう。しかし、実力や決闘を引きあいに出しても越えられない壁がここにはあった。
真崎。
その存在そのものが超常的なのだ。
ケルトにはケガや損傷が無いことがシャルルにはわかった。後はこのデヴォウ家の使用人たちに任せて、シャルル達は帰宅することを考えた。
真崎、という極東出身者。
その人物との邂逅。
後は愛娘との仲を考えるだけだ。
シャル、とシャルルの愛称を呼ぶ声がした。
観衆を背に、真崎がそこにいた。
「娘さんを俺にください」
は? とシャルル。
ほら、と誓約書を取り出して、シャルルに見せつける。決闘前に真崎。ケルト。立ち合い人のシャルル達が署名した文書だ。西洋では口約束は皆無。契約で社会・世界は成り立っていると、真崎も認識している。だからこその誓約書。
よく心得ているな、若造、とシャルル。
シャルルは立ち上がって、真崎と対峙した。
「そう言えば、真崎さんのミドルネームは何ですか?」
石碇という、と真崎。
わかった、ありがとうございます、とシャルル。
★
夜会はデヴォウ家のケルトの慰労会となった。いくら大恥をかいたとはいえ、ハロウィンのパーティーを開いておいて、決闘で負けたから来客たちを追い出した、となればデヴォウ家の一員たちは一生社交界から呼ばれなくなるだろう。
主役は完全に真崎。
傍らにいるケルトは魂が抜けた屍。
終始真崎のトークに、ケルトが相づちを打つ、という誰もが同情が抱く場となった。
オカリナは決闘の景品になったが、真崎にも、ケルトにも注意を払うことなく、並べられたご飯を小皿に乗っけて口に運んでいた。そして時折男性陣に絡んで女狐の様で魔性の時間を謳歌していた。
一方、シャルルはオカリナの社交界での立ち位置や今後について思案していた。
オカリナの父母へ時間を取り過ぎたか?
大丈夫、まだ修正は効くはず。
そんな一人難しい表情をシャルルはつくっていたが、彼氏も家柄やそして少女のような妖艶さで少年の若さを残した容姿の持ち主。男女問わず視線を向けられていた。
夜が更けてきて、ハロウィンのパーティー参加者たちも疲れを訴え始めた。
そろそろ散会か。
一人勇氣ある若者から口説かれていたシャルル。
「あなたは男装の仮装なんですね? とても良いですよ。今度夏は僕とセリーヌ川へ繰り出しませんか?」
うんうん、世界が終わる前に一度はいいかもね、と適当に受け答えするシャルル。
そこへケルトの使用人が鈴を鳴らして、夜会の散会をお知らせした。
度肝を抜かれる出来事から真崎の話術で場も和み、一同は満足いった表情で帰宅の途に着く。
真崎、ケルトとオカリナの姿見えない。
しまった、とシャルル。
一抹の不安を胸に抱きながらシャルルは、デヴォウ家の使用人の制止を振り切って屋敷の中に飛び込む。
焦げ臭い匂い。
家事か?
まさか心中でもしようとか!?
生命の氣配をたどり、オカリナが居る部屋に一直線で向った。
長い通路の曲がり角を通ると、真崎の背にシャルルはぶつかった。
道歩くときは前向いて歩いた方がいいよ、と真崎。
シャルルは眼の前で一面炎が支配する光景を目の当たりにした。真崎は顔に真っ赤な血を浴びていた。そして氣を失っているオカリナを抱いている。ドレスで世界地図を描けるくらい出血していた。
シャルルは眼を見開く。
そして怒りが思考を支配した。
「教えろ、真崎。私の天使を手にかけたのは誰だ? 返答しだいでは——」
真崎は口を開きかけたが、崩れ倒れた。
背に一本の短剣が刺さっていた。
そして火の燃え広がる勢いも強かった。
焦げ臭いは屋敷に尋常じゃない勢いで広がっていた。
このままではオカリナも、真崎も危ない。
シャルルは二人を抱えて、転移移動の技を使った。対象物の影が深ければ深い程、移動できる技だ。炎のお蔭で三人分の影も濃い。
三人はゆっくり影の中に降りていった。
シャルル達はランページ家の邸宅の居間に転移してきた。ジュリアとアリアが濃厚なハグとキスをむさぼっている場面に出くわす。
あわわ、と動揺したが、シャルルの一瞥で緊急時を把握して、二人分の担架と用具を用意して持ってきた。寝室までオカリナも真崎も連れてかれて、介抱が始まった。
◎
真崎は朝陽の明かりに眼を刺激されて目が覚めた。パジャマ姿でしかし、背骨に激痛が走った。
今はまだ起きない方がいい、と声がした。
シャルルが伊達眼鏡をかけて、朝陽の光が差す窓際で椅子に腰掛けていた。
「俺のことも助けてくれたんですね? ありがとうございます」
「君はもう、わが一族の人間だからね。例えあの子の父母が反対しても、出来てしまったモノは仕方ない。私が監督責任を問われても仕方ないからね。そして、私にはできなくて君にはできることがある、そうだね?」
さてさて、ご期待に沿えるかどうか、と真崎。
「こらこら、世間では貴賤婚と言われる鴨だけど、私個人では特別な才能がある者との縁あることは歓迎している」
「ありがたき幸せ♪」
どう、もう起きれるんじゃない? とシャルル。
ん、んーん、と真崎は起き上がって背伸びした。そこへシャルルの腕が伸びて、背の部位を露わにした。短剣の傷痕は一切ない。
やはり、貴殿は、とシャルルは感嘆の声をあげた。
行きましょうか、オカリナのところへ。
二人は着の身着のまま寝室を後にした。
早朝の屋敷は静かだった。
また、使用人たちも生活しているのに、その日は特別厳かだった。
オカリナの部屋に二人は入ると、父・ドナルドと母・レイがオカリナの寝ているベッドの前に立っていた。使用人たちも勢揃いしている。
一同は部屋に入ってきた異邦人を見るように視線をオカリナから二人に向けた。
非難とも、哀れみとも取れるその視線。
真崎は歩みを止めることなく、父母達に一礼してから、オカリナの元に駆け寄った。
両手をオカリナにかざすと、オカリナは青白く発光した。そしてオカリナはお腹の部位から赤ちゃんが二人、産声を上げて顕現した。
違う、とシャルルは叫んだ。
「なぜそんな芸当が出来るのに、オカリナは救えないんだ? お前が今生きてられるのも私が貴様を罰しないからだぞ!」
真崎は振り向き、シャルルを悲しそうな瞳でみた。そして眼を閉じ首を振った。
今度こそシャルルは電光石火で襲い掛かり、紅く燃える右手を真崎の頭上にかざした。白い歯をむき出しにして、血走った赤い瞳が真崎を捉えていた。
「この子には何も責はなかった。そしてこれからこの家を継いでいく輝かしい未来があったんだ。それを全てぶち壊しにされて言い訳があるか!」
真崎は静かに首を振った。
もう、命がない人を甦らせる芸当はできない、と真崎は言った。
シャルルの中で何かが切れた。
発火したいた手は通常の手に戻り、真崎を握りしめていた手から力が抜けて床に崩れ落ちた。
シャルルは嗚咽をだしながら、泣き始めた。
真崎はオカリナの亡骸の元で生を受けた赤子達を抱きしめて、使用人に世話を任せた。
泣きが入っているシャルルとは打って変わって、ドライに一つ一つをこなす使用人達に感情はないのだろうか? そう感じたが、喜びを禁じ得ない様子を垣間見て、人の業を真崎は見て取った。
父母の二人は涙を流しながら離席していった。
残されて赤子たちにはせめて幸せに暮らしている家族の記憶を埋め込んであげよう。
そしてまた、そうありえたかもしれない未来を実現するだけのスキルを継承しよう。
それが真崎の、父親としての役割。
しかし、ランページ家の威信は落ちた。
デヴォウ家での火事の出火や当主の大けががセンセーションにヨーロッパ中の社交界で話題になった。ハロウィンでの決闘や夜会での惨状。それらがデヴォウ家を擁護していく勢力の独壇場となっていたのだ。
ケルトは名指しで真崎を責め立てていたので、東洋の魅力も薄れてしまった。
真崎の存在そのものがランページ家に負担になっていた。
帰国しなければ、赤子たちも危険だろう。
「あなたは、逃げるんですか? 置き土産を置いて、すべての責任から」
「己を隠し、身を引くという優しさもある。いずれわが子が俺に会いに来る。その時までよろしくお願いする」
シャルルに頭を下げ、真崎はヨーロッパから帰っていった。
☆
——月日は流れた。
石碇にしきは日本表記の名前をもっていた。
しかし、彼はヨーロッパであるドイツに生を受けて成長してきた。彼には二卵性双生児の妹レイがいた。
どいう訳かにしきは左右の瞳が異なるオッドアイであった。
左眼が東洋の黒。
右目が西洋の碧い碧眼。
それは生まれがすべてを言う、西洋では何かとネックだった。いつも妹や学友から指摘を受けてきた。
お互いに高めあう仲。
日々地元の学校に通い、毎朝送り出してくれる執事のシャルルがいた。
また亡き母親のオカリナ。
立派な家系図にも名を連ねる女性だった。
しかし、にしき達二人には父親も不在だった。
父親の名は石碇真崎。
日本ではそれなりの地位を確保しているのだが、知名度はそれほどでもない。
にしきとレイは姿こそ、その目にしたことが無くても、日々シャルルから語られる父親の情報がすべてだった。
女好きで、権力闘争に明け暮れる最低野郎。
にしきの名前や西洋に生きて、生活しているにも関わらず、東洋人の血筋を引いていることが、にしきとレイのコンプレックスだった。
性別では胸の豊かな女性なのだが、男装して一家の給仕をしている。
☆
そして彼、にしきは齢12歳にして長く暮らした故郷ドイツを離れて日本に来日した。そこに母や妹の姿はなく、異性で同世代のシャルルと言う名の女子と同伴だった。そしてにしきの左頬に以前には無かった、黒々とした刺青のような痕が彼の美貌を妨げていた。
場所はカフェ。
にしきとシャルルは入り口付近で腰をおいていた。にしきはカフェオレ。シャルルはブラックのホットコーヒー。
他に客はカウンター席で新聞紙を広げているビジネスマンと、窓際でチョコレートパフェを食べている少女だけだった。
カフェのマスターは注文されたコーヒーを挽いていた。
二人はすでに日本へ身を移している。
シャルル、とにしきは語り始めた。
「改めてシャル。ぼくたちは契約したね。母さんを手にかけた輩に仇を討つために。ぼくの命をお前にやるよ。だからこそ、惜しみなく力をよこしてもらおうか」
「はい、主様。なんなりと。ただ、それに関して期限を見繕ってくれないと私も割に合わないのです。無期限延長では困るのですちょうど今4月の頭。来年を目途に期限付きでその契約の確認を交わしたことになっています。そうすればより私も力を開放して主様に貢献しますよ。主様のその頬の痣も最終的には全身に広がりますが、より私悪魔のパワーをコントロールできるようになります。どうです? お互いwinwinですよ」
悪くない、とにしき。
にしきは考えた。
己の魂、命を生贄に復讐を果たす。
そのためなら己を可愛さに出し惜しみしている場合ではない。
そのための労力をシャルルが加担する。しかし如何に悪魔といえど一匹の魔物。世界を旋風するだけの力はあれど、世界を変えるだけの力は限られてくる。ではどうしたか。
シャルルはにしきと出会う前から数千年の時を生きてきた。そして数々の人間社会の暗部にも巣くってきた。とある結社・騎士団関係者と本日、日本で会食しようと持ちかけて片道切符のエアラインで日本までたどり着いた。
シャルルはテーブルに置いてあったコーヒーカップを持ち飲んだ。
背後で新聞紙を読んでいた男が新聞紙をたたみ、にしき達に近寄ってきた。
「シャルル、君の要件は既に聞いているよ」
男は青々とした顎をさらし、氣だるそうに話しかけてきた。
シャルルは不満氣ににらんだ。
「そのスタイルは我々には相応しくないですね、あなたはほんと食えない人だ」
んー、唸った男は、次の瞬間全身が無数の蝿状に分裂し、サイズがにしきと変わらない少年の容姿になった。ボンボンニット帽の少年。学生服を着ている。
「僕もいろいろとTPOは氣にしているんだよ?
成人していないとタバコもお酒も禁止されているこのご時世、電子タバコは飽きてるからね」
にしきは眼を見開く。
目の前でイリュージョンのようなことが起きれば、人が昆虫に変化して少年に形を変えるなて、誰もが驚くがそれを上回る出来事である。
「手筈は順調ですね? この国での教育機関入学は任せてます。私と主様が晴れて中学一年生としての新生活。胸がときめきます」
「このツケは高いよ? 僕は二年生で入学しているところに設定している。学生生活も楽しくできるよう配慮した。それと、君の出田地はこの国では目立つよ? 主くんほっといて遊ぶ氣か?」
シャルルは口を曲げる。
「悪食の私でも、契約に支障が出ることはしないわ」
蚊帳の外のにしきは二人を交互に見やるだけだ。よく分かってない。
「まあ、大陸の君らと違って、僕は空海が結界を張った時期にギリギリこの島国にいた。そういった意味では、日本人としての特殊性というアドバンテージはある。そのお蔭でこの国は僕のお庭さ。君らをエスコートするよ」
「あの騎士団へはその後入ったの? あなたは何時から生きてた?」とシャルルは問いかける。
ボンボンは唇に人差し指をつけて笑みを浮かべる。教えない、と。
シャルルはため息をついた。
あの、とにしきがしびれを切らして声をだした。
にらみ合いをしていた二人はにしきをほっといていた、と氣が付く。
「ぼくは母の仇を討ちたい。学生生活はあまり望んでいない」
ボンボンは両手を合わせ、口を開ける。
「君、にしき君? ドイツ人とのハーフだよね? そんなに流暢な日本語、どこで——」
「私が教え込みました。私にできないことはありません」
肩を上げて、首を振るボンボン。
「にしき君。人生は楽しんだもの勝ちなんだよ。例え肉親を失ったり、悪魔と契約して顔半分に紋章が入ったりしても、楽しまないと亡きお母上や妹君に示しが付かないと思うよ?」
不承な顔をつくるにしき。
「また、にしき君は契約で大きな代償も払っているね? もうじきここに賊が来る」
ボンボンはニット帽を脱ぎ、長い髪が身体を覆いかぶさる。
パフェを食べていた少女が急に身体を小刻みに震わせ、物理現象を超えて、きめ細かな白く美しい素肌が金縁眼鏡と、黒衣のスーツ姿の男へ変貌を遂げた。金髪碧眼の容姿だ。
姿が霞がかかり、姿が消滅すると次の瞬間、にしきに肉薄していた。
ボンボンが慌ててにしきから振り払うが、男の手が熊手に変形しており、にしきの背に食い込んでいた。
苦痛で嗚咽を吐くにしき。
その様子をシャルルは確認して、両腕を顔の前で交差させて、上下に組み替えた。
◎
男は姿が霞が掛かった状態からしばしその身なりに微調整を確認している様子を見せ、違和感を覚えたようだ。周囲を大きく被りをにしきの居る方向へ視線を向けた。
「おい、こんな芸当で俺に抵抗できると思うな」と男。
ボンボンはにしきに覆い被さったまま手をあわせている。
後は任せた、とシャルルに合図を出すボンボン。シャルルは残像を残して賊に向った。
賊が再び霞状になる前に、シャルルの右手が男の首を締め上げる。
「今日はもうあなたの負けです」とシャルル。
「ところがどっこい、これが現実。これが現実です」と男の下卑たる笑みが消えて、苦痛で少女が苦悶する姿になった。シャルルは手を放し、少女は地べたに倒れる。
シャルル、とにしきは叫んだ。
おっと、とシャルルは少女へ氣遣いを見せた。しかし少女はそれを振り払い、一人立ちあがるとミニスカの埃を叩いてシャルルをにらんだ。
「ちょっと、どーゆーこと? あたしがパフェ食べてたらいけないの? お茶することが禁じられているの?」
にしき達とは関係ない赤の他人の少女の自由氣ままな時間をさえぎってしまっだのだ。誠意を見せなくてはならない。
にしきはボンボンから離れて、少女に近づくた。
ごめんね、とにしき。
少女はシャルルからにしきへと視線を移した。眼を見開く。
「見てよ、あたしのパフェ容器ごと粉砕されてるのよ。信じらんない」
「ぼくたちの方で弁償させてもらうよ、追加でパフェを食べてくれていい」
「パフェはもういいわ。あなたとデートがしたいわ」
今度はにしき達が眼を見開いた。
君は? とにしきは言葉に詰まった。
「あたしはアリシア・V・ケストラー。ケストラー家、序列第四位よ。あなたにプロポーズを申し込んで、あなたの子を身ごもうわ」
にしきは赤面した。
ボンボンはにしきの肩へ手を添え、口笛を吹いた。ベストカップル、と。
「どっちも女の子だから百合カップルだね」
「ぼくは男だ」とにしきは無駄な抵抗する。
「ならなんで肩まである髪の毛といい、容姿・仕草、女の子にしか見えないんだ? 僕も騙されたよ。さっきラッキースケベしてしまったではないか」と茶化した。
にしきは視線をシャルルへ向けたが、カフェのマスターと会話を交わしていて、助けにならない。
「あれだろ、賊は君、にしき君の呪いだね。あの悪魔と契約するだけなら時間制限も、定期的に命を奪われる危険も無かった。けど君の従者の能力アップと、にしき君の目標達成へのブーストで通常の悪魔との契約以上の犠牲が必要になってくる。君のお顔のタトゥーは、あの従者が何でもできるよ。神の如く」
顔を僅かに傾け、困ったような表情をつくるにしき。わかる人にはお見通しなのか、とにしきは観念した。
「ぼくには時間がない。魂どころか、生きている間の時間も、生存権も差し出した。お前はぼくに何をしてくれる?」
ボンボンニットは頷く。
「学校では僕は君の上級生だ。フォローできるところはするさ。さっきの癌みたいな賊には細心の注意を図るよ」
神妙な顔をつくるにしき。
立ち尽くすにしきの隣に、アリシアが近づく。大手を広げてにしきを抱きしめた。
「にっしー、あたしも通いたいな学校」
年頃のにしきはアリシアの豊かな胸元が肩に当たり、免疫が無いことから赤面する。
「君、幾つ?」
まっ、と今度はアリシアが赤面した。
「女の子に年齢、聞いちゃう?」
あ、とにしき。
「でも、にっしーにならいいかな、300年くらいのほほんとしてるわよ。にっしーの知らない世界、あたしが教えてあげるわ」
生つばを飲み込むにしき。
いたずらを考え、不敵な笑みを浮かべるアリシア。
両手を軽くすくみ、穏やかに微笑むボンボン。
カフェのマスターと話を終えて三人のいるところまで歩を進めるシャルル。
☆
にしきとシャルルは進学校の入学式に参加していた。
二人を受け入れるオーディエンスは奇異な、または興味深い受け取り方をしていた。にしきは男子学生服を着ていたが、肩まである長い髪を結んで少女のような容姿をして、顔に禁忌の刺青。
シャルルは西洋人の顔立ち。
思春期真っ只中の少年少女たちが幻想を抱く恰好の題材だった。
二人は進学校の校門をくぐり敷地に入った。
興味本位の視線が二人を迎える。
ねえ、シャル。とにしきは問いかけた。
「はい、なんです主様」とシャルル。
「お前はぼくに絶対服従だったな? そしてこの学校に入学する前に仕込みは終えてるな?」
はい、問題ないです、あの男はこの学校に入れません、結界は張り終わってます、とシャルル。
にしきは頷いて、不慣れな土地・日本の学校への入学式。
式への厳かな人々の緊張感。
それらを吹っ飛ばす声がにしきに迫った。
にっしー、とアリシアが学生服姿でにしきに殺到した。たちまち周囲の学生達の視線が集中する。
「アリシア? どうやってこの学校に?」
「だめ、あたしの方が学年、上なんだから敬いなさい? そしてあたしに服従しなさい」
「それなんかの邦画の作品? お嬢さんすっかりこの国に染まってるね」
見かねたシャルルが助け舟を出して、アリシアの眼くらましをした。具体的に言えば幻覚を見せたのだ。
——あたしとホテル? 嫌だわおませさん♡
◎
式は厳かに行われ、入学生総代としてシャルルが挨拶をした。壇上にあがる様子を全欧生徒はもちろん、教師達も息を飲む。
それだけ日本では、金髪碧眼で西洋の要素がイレギュラーだった。
またシャルルの妖艶な言動、仕草、オーラは、人を魅了した。
悪魔ならではの人たらしや魅力が公衆の面前で証明された。
数か月前まで小学生だった生徒たちが、ワンランク上の学び舎に入る儀式は無事終えた。
入学生総代が異国の君・シャルルであり、流ちょうな日本語で入学生はもちろん、在校生にまで衝撃を与えるだけのインパクトがあった。
にしきもシャルルも、同じクラスに配属された。何もかも出来過ぎてはいたが。
教員が来るまでクラスでは二人の周りを人だかりができた。
男子たちはにしきが少女と見違える容姿に酔いしれ、現実と幻想のはざ間で闘っていた。
また、にしきが傍を離れないシャルルにも好意と尊敬が混ざり、近寄りがたいオーラを放っていたのだ。異国の地の人、そして入学性の中で一番勉強ができる。
日本では、出過ぎた杭は打たれない。
にしきがほとんど縁がなかった日本での処世術。妹や母と冗談めかして語らっていた話題でもあった。
君、と男子の榊原がシャルルに声をかけた。
「僕は将来生徒会長を目指している。なのでまずは学級委員長になりたい。推薦してれくれるかな?」
やです、とシャルルは一蹴した。
榊原は床に膝をついた。
一斉にクラス中が歓声で満たされた。
知的好奇心が旺盛な若年層は、騒げる要因があれば話を盛る習性がある。榊原がシャルルに告白して振られた。
そんな改変された認識が共有された。
シャルルにはますます他者が近寄りがたい早くも伝説となった。
ねえねえ、とまたにしきたちに話しかける猛者がいた。
「俺は神司。石碇神司だ。にしきくん、俺といとこかな? 石碇という苗字で父親は真崎、っていうんだけど」と神司がいった。
にしきは眼を見開く。
視線をシャルルに向けると、ウインクで応えられた。
「間違いなくそうだよ、神司。ぼくはドイツで生まれ育ったんだ。真崎は生きてる?」
神司は眼を固く閉じて深く息を吐いた。
「家来る?」
いいよ、とにしきは応じた。
クラス中から歓声が響いた。
神司の嫁、とチョークで黒板に書き出す者が現れた。
頭を抱えて崩れ落ちる男子の面々。
一方、初対面同士でも女子達は美しい者たちのカップリングを口々に連呼した。
シャルルを取り巻き、笑顔で質問攻めにする。
大丈夫、日本語できますよ、とシャルル。
その後もにしきたちのクラス担任が来るまで、にしき達は質問攻めにあった。
「にしき君、女の子だよね? おれと付き合って」
「顔の刺青、綺麗だね」
「男の子なのにどうして髪の毛長いの?」
「この後お茶しない? 美味しい店知ってるから」
にしきはシャルルから語学の術を施されていたので、頭に流れ込む日本語を明快に認識できていた。そしてそれらが全て好意的なものであるとも理解してた。
出過ぎた杭は打たれない。
にしき達の容姿、学業、生まれが、同姓の石碇家を超えて目立っていたのだ。
☆
にしき達は住まいを都内のマンションに構えていた。全ての手筈はシャルルとボンボンの外交力。
バス通での登下校には申し分ない立地。
学校関係での手続きも終えて、帰宅してきたにしき達は寝室で語らった。
「シャル、ぼくは大丈夫かわからないじゃないか、男子どものヤラシイ視線。ふざけ過ぎだよ」
「それらは有名人税です。主様は美しく花開いてた方がいいんです」
昼間の電車内はのどかだ。
今日は入学式があったことから日々の騒然とした都内の電車とは異なる。新聞を広げて読むビジネスマンがいたり、幼子をあやす母子。
にしきには日本のそれらが新鮮だった。
世界の中心であり、日付変更線の原点であるヨーロッパから捉えたら、極東の島国・日本がかつて世界を相手に戦ったと聞いて、尊敬の念を抱いていた。また、それはにしき自身のルーツである国、というアイデンティティの原点であり、けして無視できない事柄であった。
ふとにしきは氣が付く。
じりじりとした音が耳にすると。
視界を探り、豆粒程度の大きさに蝿がいた。
違和感はその蝿が大自然のそれとは異なり、意図して人工的に何か目的意識を獲得している、そうにしきは感じた。
にしきが氣が付いたことを察したシャルルも蝿へ注意を向ける。
あー、あれ? とシャルルは視線を向けた。
「警戒してくれているんですよ、心強いですね」
賊が、敵が、乗り込んできた時に、にしきへ覆いかぶさる程度の護衛しかできなかった人に、どれだけ期待が持てるか、にしきは不満氣だった。
あいつ、か、とにしきはぼやいた。
「あの方、私達と変わらない容姿をしていますが、それなりにお歳を召していますよ。それに私も入団している騎士団の他、掛け持ちも」
すごいんだ、と呟くにしき。
にしきが人差し指を蝿に向けると、蝿は旋回して近づくが、分裂してにしきの後ろに回った。
主様!
シャルルが叫ぶと、つい先ほどまで新聞を広げていたビジネスマンが苦しがっている。
物理現象に反発して、黒髪が瞬く間に金髪と変化していく。黒縁メガネが床に音を立てて落ちた。
ただならぬ氣配に赤いワンピース姿の幼子が泣き出し、母親は幼子を抱きしめて小刻みに震えだす。
シャルルが先制攻撃で掌に握る短剣をビジネスマンに振るう。
ビジネスマンから賊・男と変貌を遂げ、短剣を素手で掴み、シャルルを睨む。
「いい加減、TPOをまもりましょうか? 男さん?」
「俺のことはボスと呼べ、わかったな? カワイ子ちゃん」
「何ですか、馴れ馴れしい。あなたの様な賊に口説かれる氣はありませんよ」
「いいね! そんな氣が強い女が、ベッドでは弱々しく感じるところを見るのが楽しみだ」
「最悪です」
シャルルがもう片方の手から二つ目の短剣を操り、ボスへ振り下ろす。
それをボスは口で受け止め、残った左手で眼にも止まらない速さでシャルルの両目に指を指した。
走行中の電車内で、シャルルは飛ばされる用に倒れこみ、のたうち回った。
母子はさらに悲鳴を上げた。
床に膝をついて、シャルルの様子を見やるにしき。
ぼくは、死ぬのか?
にしきの脳裏を恐怖が襲った。
遠い異国の地まで着て、ここまできて…
にしきの復讐も志半ばで終わる。
電車は速度を落とし始めていた。
他の車列の客たちも惨劇を目の当たりにしていたが、仲介に入ろうとする者は皆無だった。
両目を潰されたシャルルが、にしきの身を案じる言葉が虚しく漏れる。
ボスもあまり長く時間を費やすのが危険と判断して、にしきを挽き倒した。
にしきに馬乗りになって、ボスは首を絞めた。にしきは苦しさと、死の恐怖でなすすべがない。
「にーしーきくーーん、おねんねの時間だよ」
にしきは悔しくて、苦しくて、両目から涙が溢れた。
終わる。
己が定め、期限を決め、仇を討つと決めた現実が...
「そっかぁ、相方、役に立たなかったかぁ」
苦悶の顔を浮かべるにしきを、覗き込むようにボンボンがそこにいた。
ボスは不意を突かれて、まじまじとボンボンに視線を向けた。その一瞬の隙を、にしきはとらえて、ボスに頭突きを食らわせた。
ボスは長椅子に当たり、そして床に倒れ込んだ。また、息をつかせぬまま電車は駅構内に滑りつく。
ボスの行動はここからが異常だった。
開閉ドアが開く前にドアを力尽くで開けて、
電車と駅構内のはざ間に自分を挟んでしまった。
にしきにボンボンが殺到して抱きしめ、眼を閉じさせた。