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第六話  一冊の魔書

 面白い来客が現れた。この館の主人である吸血鬼の少女ダキアはそう感じていた。


 クスリと笑い、白無垢の少女の姿をした暴君は、アリスをジッと見つめ、そして、口を開いた。



「あなた、私の父マティアスをどういう人物だと思っている?」


 開口一番に飛び出したのは父親に関する事であった。

 アリスは即座にそれを計算に入れ、頭を回転させ始めた。


(先程のやり取りもそうだったけど、父親であるマティアス陛下こそ、この小さな暴君の精神の支柱。貶すでもなく、かと言って持ち上げ過ぎず、素直に述べ、それでいて心持をくすぐる程度が最適解かしら)


 そう考えつつ、アリスは答弁を開始した。


「一言で言うなれば、“英雄”でございましょう。先程も申しましたが、かの御仁は小さな公国の主であり、その国を守るために知略を駆使し、そして強大なる異教の侵略者を退けました。これを英雄と言わず、何人を英雄と讃えられましょうか」



「でも、世間ではそうは思われていないわ。民草から強略し、気に入らぬ者を次々と処刑する残虐な統治者。死体をずらりと並べ、一つ残らず串刺しにして、街道という街道を不気味な柱によって飾り立てる悪魔の男。林立する血の滴りし死体の側で血肉を貪り食う無慈悲なる怪物。ゆえに、世間ではこう呼ばれている、ラーキア公王マティアスは悪魔公ヴァーゴドラークであると」



 少女は吐き捨てるように、怒りを隠そうともせず、父の成したであろう悪行を口にした。怒りは震えとなり、握り締めた拳が今にも弾けそうなほどに揺れていた。



「異教の蛮族……、侵略者は退けた。でも、父には悪名しか残らなかった。だから、公王の座を奪われ、幽閉の憂き目に遭い、母もまた同じく囚われの身になった。その身に赤子を宿したままに。そして、幽閉先の塔の中で私は生まれた」



「それはご苦労多き人生の始まりでございました」



「そんな生半可なものじゃないわ!」



 ダキアはドンッと短い脚を振り上げ、机を蹴っ飛ばした。


 アリスは下手な同情は却って不機嫌を呼び起こすことを知り、頭を垂れて陳謝の意を示した。



「私もね、最初は普通の赤ん坊だった。囚われの身の上であっても、ごく普通の人間の子供だった! でも、いつしかこうなった。母の乳ではなく、人の生血を求めるようになった。徐々に体が変化していった。耳が尖り、生えてきた歯は鋭く突き出し、肌も髪も白くなり、目は血で染め上げられたかの如く深紅になった。吸血鬼ヴァンパイア、おとぎ話の中だけの怪物が、人々の目の前に現れた。それが私」



 そう言うと、少女は壁に立てかけられた鏡を指さした。それを見て、アリスは驚いた。鏡には少女の姿が映し出されていなかったのだ。


 アリスは吸血鬼ヴァンパイアは鏡に映らないと聞いたことがあったが、まさか本当にそうであったのかと目のあたりにしたのだ。



「これは神の信徒たるあなた方が望んだ姿。悪魔の子は怪物だ。怪物ならば、人の血肉を喰らうであろう。人々がそうあれかしと“望んだ”結果が、私の今の姿なのよ。だから私はあなた方が望んだように怪物として振舞い、あなた方が望んだように人々を襲い、それを糧としてきた。これはあなた方の望み、願い、祈り。それが形となり、バケモノを生んだ!」



 少女はギラリと光る牙を見せつけ、アリスを威圧した。圧に屈して思わず後ろにのけぞってしまいそうになったが、アリスは必死に耐えた。



(なるほど、ここまで歪んでしまうのも当然か。いえ、むしろ歪んでいるのはこちらかもしれない。この少女は誰よりも真っすぐであるがゆえに、歪んだこちらから覗き込むと、却って歪んで見えてしまうということなのかもね)



 そうであるならば、答えは一つ。こちらも真っすぐになり、全てを受け止めてよう。下手な駆け引きはなしにして、ありのままに話すべきだ。


 アリスはクイッと眼鏡を動かし、今まで得てきた知識に対して、総動員命令を発した。


 なけなしの話術で優しく労り、培ってきた知識と言う名の毛布で、この凍えて怯える小さな暴君を抱きとめる。それこそ自分のなすべき事だと、今、悟った。


 同情などではなく、真心を以て接する。それが必要なのだと感じた。



「ダキア様、『悪魔と魔女に対する指南書』という本をご存じでしょうか?」



「知らない。こんな辺鄙な所に本を売りに来る物好きはいないし、街に出かけて本を買うこともできやしないもの」



「そうでございますか。世に活版印刷が生み出されておよそ百年。それから今まで多くの書物が手書きから印刷術へと置き換わり、数多くの本が世に飛び出しました。そして、先程紹介いたしました『悪魔と魔女に対する指南書』、これはここ百年で最も多く世に送り出された書物。それこそ、聖書よりも作られた数が多い書物なのです」



 無論、アリスの通う図書館の書棚にもこの本が入っていた。ちょっとした好奇心、知識欲のために閲覧していたが、はっきり言って笑い話にすらならない醜悪な書物であったと記憶していた。



「この本には悪魔がいかにして人々を堕落させるか、あるいは魔女に仕立てるかを記されています。その具体的な例とともに、いかに悪魔や魔女が悪辣な存在であるかを描き、そのための対処法まで書かれています。まあ、見るに堪えないバカバカしい内容ではありますが、その“悪魔”に魅入られし者の具体例の一つとして書き記されているのが、他ならぬマティアス陛下なのです」



「ほら、やっぱりそうじゃない! 人々が父を悪魔に仕立てた! 猛る竜バートリードラクール悪魔ヴァーゴドラークへと追い落とされ、いつしか怪物にさせられた! そして、その子である私もまた、怪物として人々から蔑まれた! それこそ、人の想いが私を怪物に変えた証拠よ!」



「否定は致しません。人々の目を曇らせ、心を歪ませたのは、間違いなくその本でしょう」



 あんな物を無学者が見せられ、教会で司祭などから薦められ、読み聞かせでもされたらば、疑いなくそれが真実だと思い込むはずであった。教皇聖下のお墨付きが与えられ、魔女狩りに奔走する愚者を大量に生み出し、狂気が世間を席巻してしまっていた。


 それが世間一般での常識。それは偏見と紙一重でしかないのだ。



「マティアス陛下のことが書かれた箇所は殊更細かく書き記され、まるで実際に“見ていた”かのように具体的でした。そして、その箇所はある二人の人物の手記が元になっております。その二人の名はヤノーシュとコルヴィッツという名だそうです。お心当たりは?」



「忘れるわけがない……。ヤノーシュは父を幽閉した隣国の王。コルヴィッツは父から公王の位を奪った叔父の名だわ!」



 少女はいきり立ち、握った机の縁が砕けてしまうほどに怒りをたぎらせた。吸血鬼ヴァンパイアはとんでもない怪力だとアリスは聞いていたが、少女の姿をしていてもその怪力を持っているのかと、しっかりとその目に焼き付けた。



「マティアス陛下は紛れもなく英雄でございました。ですが、見る者の視点を変えますれば、それは邪魔者以外の何者でもありません。あの頃は異教徒の侵略が頻発し、皆が疲弊していました。しかし、そんな中にあって、マティアス陛下は小国の王でありながら異教の侵略者に大勝利を収め、皆を勇気づけました」



「そう、その通りよ! あなたの言う通りだわ。父は英雄! 悪魔なんかじゃない!」



「しかし、裏を見ますれば、小国がこれほどの活躍を見せておるのに他の国々は何をしているのか、と当時の教皇庁の方々は思われたのでしょう。マティアス陛下が勝てば勝つほど、周辺諸国は焦りを覚えていきました。勝ちに乗じて失地を回復せぬかと教皇庁から催促が引っ切り無しにやってくるのですから、それは冷や冷やしたでありましょう。大規模な遠征は疲弊した国々には、あまりにも負担が大きく、危険な賭けになるのですから」



「じゃあ、ヤノーシュが叔父を焚き付けて簒奪させたのは……」



「ええ。これ以上マティアス陛下に活躍させないため、遠征という危険な賭けに出ないため、やむを得ない措置だったのでございましょう」



 この辺りはアリスの私見も混じっていた。なんとなしに史書を眺めて、これが真相ではないかと勝手な想像し、それを口にしただけであった。


 何も知らぬ少女の身の上で、屋敷に引き籠っていれば難しいのかもしれないと思いつつ、アリスは話を続けた。



「ヤノーシュ王の視点で見れば、これは間違いなく“英断”。王自身も、自分の国を優先しなくてはならないのですから、遠征などはしたくないのでありましょう。だから自身と親密であったコルヴィッツ様に簒奪を促し、その手引きをした。マティアス陛下は味方と思っていた方々に裏切られ、捕らえられてしまった」



「じゃあ、父を悪魔に仕立てたのはなぜ!?」



「その時点ではマティアス陛下は武名を方々に轟かせた英雄。それを理由もなしに投獄するなど、方々から不審の目で見られてしまうことでしょう。ならば、理由を作ってしまえばいいのです。例えば、『マティアスは巧妙な罠を仕組んでいる。連戦連勝はお芝居で、意気揚々と我らが異教徒討伐に出かけたら、その背後を遮断し、異教徒と共に我らを挟み討つ計画を企てている』などといった感じに。それに真実味を持たせるため、マティアス陛下の苛烈な行動の数々を逆手に取ったのです」



 アリスの知る限り、マティアス王は侵略者を倒滅するためにあらゆる手段を用いた。それこそ、悪魔の濡れ衣を着せられた大元となるほどの、数々の苛烈な所業を成した。



「マティアス陛下は村々を焼き、家屋や畑をめちゃくちゃにしましたが、これは焦土戦術という立派な策。建物や畑の作物を奪われるくらいなら焼いてしまおうという考え。しかし、これは民衆から劫掠したと置き換わった」



 そう自分が口にした光景を思い浮かべ、アリスは不快と嫌悪に襲われた。


 いかに勝つためとはいえ、自分の領地を焼き払うなど、常軌を逸しているとしか思えないからだ。


 だが、それでもやらなけれならないという覚悟があったからこそ、マティアスは勝利を手にしたのだと理解もできていた。


 苛烈なる覚悟の先にある勝利。それを肯定するかどうかは議論を呼びそうだが、それは頭の隅に追いやり、アリスはダキアとの対話を続けた。



「気に入らぬ輩を次々と殺したというのも誤り。なぜなら、侵略者に対して国内の指揮系統を統一せねばならず、裏切り者や内通者をことごとく消しておかねばならなかったから。そうした事情を消し、“殺した”という点のみを喧伝し、殺戮者としての汚名を着せた。数多の人々を串刺しにしたと言いましたが、串刺しにしたのは侵略者と裏切り者。串刺し刑自体は珍しくもありませんが、数が数ですからそれは肝が冷えたことでありましょう。食料は手に入らず、内通者も消され、さらに相手の士気を下げる。苛烈な防衛策ではありますが、マティアス陛下は成し遂げられた。悪名と引き換えに」



「でも、その悪名こそが……」



「そう、悪魔に変わる苗床となりました」



 きっぱりと言い切ったアリスに対して、目の前の少女は泣きそうになっていた。



(無理もないか。このような屋敷に閉じ籠り、深く考察することなく、ただただ人間を嫌い、餌として補食してきただろうしね)


 アリスは目の前の怪物に同情的な気分になってきた。怪物の形をしているが、中身は多感な少女のまま。歪みや不安がより鮮明に出たのだと推察した。

 そして、その未熟さこそ、小さな暴君の弱点であり、同時に強みや魅力なのだと感じ取った。



             ~ 第七話に続く ~

作中に出てきた『悪魔と魔女に対する指南書』の下りは、『魔女に与える鉄槌』という魔女狩りに関する書物を元にしています。


一時は本当に聖書よりも発行部数が多かった、忌まわしきベストセラー本です。

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