第五話 招かれし者達の末路
促されるままに席に着いたアリスであったが、またしても驚かされる事となった。
席に着くと同時にいきなり目の前にカップが現れ、それには湯気の立つ黒い液体が注がれていた。
時間に干渉できるのであれば、飲み物をサッと呼び出すのも造作もないかとアリスは考えた。
「豆茶ですか」
「あら、珍しい飲み物だから、これで驚かせようと思ったのに」
「飲んだことはありますので。眠気覚ましには重宝します」
「すでに経験済みか。う~ん、残念」
少女の言う通り、豆茶はまだ珍しく、一般にはそれほど出回っていない。
しかし、アリスは端の方とはいえ、れっきとした王族であり、お姫様、お嬢様と呼ばれる身分である。一般人には珍しかろうとも、懐の豊かな者にはその限りではなかった。
そんなやりとりを挟みつつ、アリスは改めて頭を下げ、挨拶をした。
「本日は突然の来訪にも拘らず、お招きいただき恐縮でございます」
アリスは普段使わない、外向き全開の“礼儀正しいお嬢様”に変身した。いつもは読書を楽しむだけの日々を過ごしているが、社交の場に引っ張り出されることもあり、その気になれば猫の毛皮を何重にも着こんでやり過ごすこともできた。
ただ、堅苦しいので、そういうのは苦手であったが。
「まあ、こういう辺鄙な場所にある屋敷だから、やって来る人も稀なのよね。あ、私はダキア=マティアス=バートル=ドン=ラーキアよ。長ったらしい名前だから、ダキアと呼んでくれていいわ」
「丁寧なご挨拶、痛み入ります。私はアリス=ベルモンテ=ランデルハート=ディ=タリアと申します。こうしてダキア様と面識を得ましたること、近来にない喜びにございます」
礼儀正しく名乗ったアリスであったが、内心は心臓バクバクに驚いていた。
まず、爵位を持つ貴族の名前は、自分の名前、父の名、家名、尊称、爵位の名前の順で並ぶのが通常だ。
アリスの場合だと、まずは自分の名前である“アリス”、次に父の名である“ベルモンテ”、次に家名の“ランデルハート”、尊称の“ディ”、最後に爵位の名前となる“タリア”となる。
つまり、『タリア公爵たるランデルハート家のベルモンテの娘アリス』という意味だ。
尊称は爵位の高さにより変化し、公爵及びその子息は“ディ”を使用する。
そして、公王や国王及びその子息が“ドン”となる。
つまり、目の前の少女が“ドン”を使ったということは、王様もしくはその子息ということだ。
目の前の少女は『ラーキア王たるバートル家のマティアスの娘ダキア』というわけだ。
だが、そこにアリスは大いなる疑問を抱いた。
「失礼ですが、ダキア様の御父君はかの有名な“剛竜公”マティアス陛下でございますか?」
「ええ、その通りよ。それにしても、本当に久しぶりだわ。父の事を“悪魔公”ではなく、“剛竜公”と呼ぶ人は」
心臓が圧し潰されそうな重圧。ダキアと名乗る少女から放たれるそれは、アリスを無意識に締め付けて、まるで首を絞めつけるがごとき息苦しさを与えた。
しかし、アリスは必死にそれに抗い、平気を装い、にこやかな笑みで応じた。
(にしても、マティアス陛下の娘ですって!? 驚きの一言に尽きるわ。かの御仁は百年は昔にお亡くなりになられているはず。その娘が十に届くかどうかの少女の姿をしているなんて。やはり、予想通り、ここは幽世に踏み込んだ領域なのかしら?)
つまり、もう自分は死んでいて、ここはすでにあの世なのかも。そう考えるとアリスの頭には諦めの文字が飛び交い、逆に軽くなった気分に変じた。
死んでるなら、どう足掻こうとももう帰れないのだから。
そうは言っても、完全な投げやりな気分になるつもりはなかった。あるのかどうか疑問符が浮かぶほどの貴族としての矜持と、すでに擦り切れて久しいなけなしの勤勉さを総動員し、目の前の少女の姿をした怪物に相対した。
「悪魔公などという呼び名は、かの御仁には相応しくございません。マティアス陛下は迫りくる異教の蛮族から、民草を守るために知恵を絞り、奮戦なさっただけでございます。その雄姿はまさに猛る竜のごとし。剛竜公の呼び名の方が、よりその御姿を現しておりましょう」
「ふむ……。まあ、合格としましょう。あなた、少しだけ寿命が延びたわね」
再び物騒な台詞が聞こえてきたが、ここでアリスはまだ死んでないことに気付かされた。
寿命とは生きた人間に対して使われるものであり、死んだ人間は尽きた状態にある。それが伸びたということはまだ生きており、しかもそれを目の前の少女が握っているということだ。
ならば、拙い知恵を絞り、この場を切り抜けねばと気を引き締めた。
(噂通りであるならば、“悪魔公”の娘とくればまさに怪物。私の血肉は今宵の晩餐となったでありましょうが、どうやらそれをすり抜けれたかな? 少なくとも今のところは。て言うか、イローナさんが言ってた食事の時に服を汚す云々って、返り血で真っ赤になるって事じゃない! うわ~、怖いな~)
無論、焦らしているのかどうかは判断できなかったが、目の前の少女の姿をした怪物はむやみに牙を突き立てるものではなく、気に入らない相手を始末する習性を持っているようだ。
(であるならば、私の知識と話術で切り抜けてみせるわ! まあ、話すのはそんなに得意じゃないけど)
普段語り合うのは図書館に並ぶ書物だけだ。だが、それこそ今の命綱。怪物相手に渡り合える唯一無二の力なのだ。
「寿命が延びたなどと大げさでございますね。それでは私がこれから食べられてしまうかのようではありませんか?」
「その認識は間違ってないわ。あなたを食べるのか、あるいは単なる話し相手で終わるかは、こちらの機嫌次第。せいぜい、食べられないようにおべっかでも使って、御機嫌をとることね」
言い終わると同時に少女の口からは、鋭い牙が突如として伸びてきた。
やはりそういうかと、アリスは納得した。
悪魔の娘たる怪物の少女の機嫌を損ねず、どう切り抜けるか、アリスにとっては思案のしどころであった。
心の準備をといきたいところだが、残念なことに練習も台本もなしにいきなりのぶっつけ本番。正真正銘の命のやり取りであった。
しかも、命のやり取りと言っても、アリスは少女の機嫌を損ねただけで人生終了。そして、アリスは相手を倒す術を何一つ持ち合わせていなかった。
そして、見え始めた鋭い牙、悪魔公という存在、目の前の少女の正体、それは、“吸血鬼”に他ならない。
(そうね……、お話の通りならば、十字架、大蒜、聖水、あるいは日光、この辺りが有効なのかしら? でも、生憎とどれも持ち合わせがないのよね~)
吸血鬼は弱点やら苦手とする物が多い。だが、実際に効くかどうかなど分かりはしない。なにしろ、本物に出会ったのがこれが最初であるからだ。
だが、アリスは気をしっかりと持ち、目の前の怪物と対峙した。
「ダキア様、わざわざそのようなことをお話になられたということは、何か私に聞いてほしいことでもおありなのではありませんか?」
「ええ、その通りよ。誰かに聞いてほしくて仕方がないわ。体も心も疼いてしまう。でも、話を聞いた後は、誰も彼もが死んでしまう。正確には、私が聞き手を殺してしまうのよね」
話を聞かせた上で殺す。おそらくは、話を聞いた感想などが気に入らないから殺す、といったところではないかとアリスは考えた。
ならば、しっかり聞き入り、相手の望む答えを見つけてみせようと、アリスは姿勢を正した。
「ちなみに、今までどのような方をお召し上がりになりましたか?」
「それはもう色々なのを食べたわ。あなたのような迷子はもちろん、どこかで聞きつけてきたのか、腕自慢の騎士がやって来て、私を退治しようとしたけど、返り討ちにしてやったわ。ああ、旅の巡礼者なんてのもいたわ。私の招きに応じて屋敷に入ってみれば、そこは悪魔の巣窟。『悪魔め、悔い改めよ!』なんて言いながら十字架を掲げてきたのは傑作だったわ! 物凄く不味かったけど、お残しは好ましくないから、ちゃんと食べてあげたわ」
物騒極まりない過去話に、アリスの背筋はブルリと震えた。気合いを入れねば、本当に少女の胃袋に収まってしまうのだ。
「ならばお聞かせ願いましょう。あの世への良き土産話となるように」
「あなた、肝が据わってるわね」
肝が据わっているのではなく、すでに退路がない以上、背水の陣で臨むしかないのだ。
アリスは一呼吸を置いてから今一度、気を引き締め、改めて口を開いた。
~ 第六話に続く ~