第四話 小さな暴君
森の中の館に仕えるメイドのイローナに導かれ、建物の中に入っていったアリスであるが、そのよく手入れが行き届いた内装には舌を巻いた。
廊下、壁、調度品や照明、いずれも綺麗に整っており、一級品と呼ぶに値するそれらの設えは、見事としか言いようがなかった。
ただ、用いられている様式は百年程前の流行りで統一されており、中々に古風な雰囲気を醸していた。
だが、それよりアリスを驚かせたのは、館で働いている者達の姿であった。なにしろ、種族に一切の統一性が見られないのだ。
門番の小鬼、メイドの森妖精ときて、他にも人狼族の下男に、地妖精の大工、豚人間の調理師、犬頭人の給仕、人間の庭師、実に多彩な顔ぶれだ。
少し落ち着きなく眼鏡を何度も動かしてそれを観察し、本当におとぎ話の世界に迷い込んだのか疑わしくなって、頬を思い切りつねった。
そして、痛みが返って来た。
「なにかございまして?」
イローナは足を止め、くるりと身を翻し、アリスに尋ねた。
「いえいえ、この館の美しさに見惚れていただけですよ。よく差配の行き届いた空間、館の主人の心配りが隅々まで行き渡っているようです。ただ、擦れ違う館の人が皆、普段お見掛けするような人じゃなかったもので」
「ああ、そういうことにございますか。お嬢様はお優しい方でございますからね。困っている方を見かけると、ついつい手を差し伸べてしまわれるのです。種族に関係なく」
「なるほど。慈悲深い方なのですね」
そう聞いて、アリスは安堵した。
どうも小鬼に襲われてからというもの、過度に警戒しすぎていたのかもしれないと考え直した。実際、目の前のイローナは小鬼を無礼の廉で咎めている。雇われて日が浅く、礼儀がなっていないのだろうと勝手に結論付けた。
再び廊下を進み、少し進んだ先の扉の前で立ち止まった。メイドが三度扉を優しく叩くと、中から声が返ってきた。
「誰かしら?」
「イローナでございます。お客様をお連れいたしました」
「入っていいわ」
中からの声に応じ、イローナは扉を開け、恭しく一礼してから部屋の中へと入っていった。
アリスもまた一礼した後、部屋の中へと入った。
そして、部屋に入り、アリスの視界に飛び込んできたのは、大きな椅子に座る館の主人の姿。前評判通り、子供であった。
(うん、やっぱり小さい。年の頃は十歳に届くかどうかというほどに幼いわね。というか、椅子が不釣り合いなほどに大きいから、余計に小さく見える)
だが、そんなことよりアリスの目を引いたのは、何と言っても館の主人の独特な容姿であった。
椅子に腰かける少女はまるで象牙を掘り上げたのかと思うほどに白く、髪もまた白、というより銀色をしていた。そして、客人を見つめる瞳は、紅玉をはめ込んだように赤い。
着ている服装は少し赤みを帯びた絹のワンピースドレス。体の線が見えないゆったりとした感じであり、華美にならない程度に装飾されていた。
素材や設えからかなりの上物だとすぐに分かり、その実力の高さを誇示しているかのようであった。
だが、そんな服飾よりも、アリスにはその小さな主人の容貌に心を奪われていた。
(へぇ~、これは白化個体ってやつね。ウサギとかなら見たことあるけど、人間とかで見るのは初めてだわ)
時折、親の姿に関わりなく、真っ白な姿で生まれてくる存在がいるのをアリスは知っていた。
じっくりと観察してみたかったが、アリスはその場に跪き、恭しく頭を下げた。
そうした理由はただ一つ、目の前の少女が発する圧倒的な威厳のためだ。
見た目は幼き身であるが、既に王侯の風格すら漂わせているのを、アリスは敏感に感じ取ったのだ。
ならば、見た目よりも中身を重視して接するべきだ。目の前の少女は間違いなくここの主人であり、アリスは頭を下げたまま、声がかかるのを待った。
「ああ、そこまで畏まらなくていいわよ。あなたは久方ぶりに招き入れたお客人。ささ、席にお着きなさい、アリス=ベルモンテ=ランデルハート=ディ=タリア」
予想外の一撃に、アリスは頭を下げたままビクリと震えた。なにしろ、名乗っていないはずの自分のフルネームを言い当てられたからだ。
見た目は確かに可愛らしい。だが、中身は正真正銘の化け物だと、軽い挨拶の中だけで思い知らされてしまった。
愛らしさの中に含まれる威厳に満ちた声。すべてを把握しているのに、まるでお遊び感覚。やっていることは子供と変わらないが、それでもこの少女が“王”であるのは間違いなかった。
「怖がらなくていいわよ。人の心くらい読めるから。もっとも、深層心理まで読み解こうとすると時間がかかるし、なにより気持ち悪いから滅多にやらないけどね。相手の名前程度の浅い情報なら、苦も無く手に入れられるわ」
怖がるなと言われようと、さすがにそれは無理であった。時間に干渉し、相手の心まで読み解く。アリスの知識の範疇を超える規格外の存在だ。
とにかく、大人しくしておくのが得策と考え、ただただ平伏するよりなかった。
「……顔を上げ、席に着きなさい。折角の出会いが台無しになるわよ」
声に可愛げが消え、完全に威厳と威圧に満たされた。不機嫌というよりは、ままならない苛立ちと言った程度のものだが、それでもアリスにとっては死への道標でしかなかった。
恐る恐る顔を上げ、改めて少女の顔を見た。先程と変わらないが、しかしやはり、早く座れと言いたげな雰囲気を出していた。
ならば、さっさと席に着こうとすると、壁にかけられていた壁掛けに目を奪われた。黄色の布地に竜が描かれていた。その竜は十字架を背中に背負い、尻尾を自らの首に巻き付けて竜の体で円を描く構図であった。
アリスの頭の中にある知識の中で、その紋章を使っている人物は一人しかいなかった。
「失礼ですが、あなた様は“剛竜公”の御一門の方でしょうか?」
つい好奇心に駆られて尋ねてしまったが、それが思わぬ効果を生んだ。
目の前の少女はまず驚き、次いでニヤリと笑い、そして、拍手をした。消えていた無邪気な少女の面影が再び表面に飛び出し、機嫌良さそうに手を叩き、床に付かない足をプラプラ揺らせた。
「ハハッ、凄い凄い! “父”をその名で呼ぶ人間に会ったのは久方ぶりよ。へぇ~、あなた、身の程を弁えているようね。殺すのは後にしてあげましょう」
物騒極まる言葉がアリスの耳に飛び込んできたが、もはや自分の力ではどうすることもできないので、促されるままに席に着いた。
とは言え、今のところは相手も見る分には上機嫌であるし、まだ大丈夫だと言い聞かせ、とにかく平静を装う事とした。
~ 第五話に続く ~