第三話 場違いな花
鉄格子の門扉を抜け、敷地の中に入ると、手入れの行き届いた庭木が並び、色とりどりの花が咲き乱れていた。
薄暗い森を抜けてきただけに、少女の目にはそれがいたく美しく、幻想的に映った。
ただ、その花に奇妙な感覚を覚えた。
「イローナさん、これってキンモクセイの花よね?」
一度嗅げば忘れ得ぬほどの甘い香りを放つ、オレンジ色の庭木の花だ。小さな十字の花を無数に付け、その花から心地よい香りを放っていた。
「はい、キンモクセイで相違ありません」
「じゃあ、こっちは?」
「ヒヤシンスでございます」
「え、それっておかしくない!?」
キンモクセイは秋に咲く花で、ヒヤシンスは春に咲く花だ。両者が同一の空間で、互いに競うように無数の花を連ねているのは、見る者が見れば違和感しか湧かないのだ。
アリスもまた、本から得た知識があったため、違和感を覚えていた。
しかし、イローナは特段気にした様子を見せなかった。
「特に問題はありません。お嬢様はある程度時間を操れるので、春と秋を同時に楽しむくらい造作もないことなのでございます」
サラッと言ってのけるイローナであったが、アリスにとっては衝撃的であった。
時の流れは過去から現在を通り、未来へと繋がっている。その流れを表すものとして季節が存在し、春夏秋冬と循環していくのが、神の定めた時間の摂理だ。
あろうことか、その摂理に干渉しているのだと言う。
もしそれが本当ならば、この館のお嬢様とやらは人知を超えた存在だと言えよう。しかも、目の前に季節の違う花を混在させ、その証としている。
そう考えると、途端にアリスの体に恐怖が湧いてきた。興奮のあまり興味と言う蜜に誘われ、奇麗な花に留まってみれば、実はそこは蜘蛛の巣でした。
そういうしくじったと言う思いだ。
アリスは慌てて自身の服装を見回し、いきなりのことにイローナもキョトンとその見つめた。
「アリス様、いかがなさいましたか?」
「あ、いえ、その、館の主人の前に出るのに、この格好でいいのかな、と」
もうこの屋敷の主人が人間であるなどとは微塵も思っていなかった。それだけに、下手に不快感を与えては、そのまま死に直結しかねない。そう考えると身嗜みをきっちりと整えておかなくてはならない、そうアリスは考えたのだ。
今、身に付けているのは赤を基調とした狩衣で、馬に乗るのに適した姿と言えるが、その馬は薄情にも乗り手を放り出して逃亡しており、すでにこの服は用をなしていなかった。
ちゃんとしたドレスでもあればいいのだが、あいにくと持ち合わせも従者もいない有様だ。
ならばせめてと、おかしなところはないかとイローナに尋ねたというわけだ。
「服装はそのままでよろしいかと。ただ、御髪の収まりが悪いでしょうか」
「あ~、髪留め、どこかにいっちゃったか~」
アリスの髪は癖が強く、まるで燃え盛る炎のように赤く波打っていた。邪魔にならないように、普段は髪留めをしているのだが、今はそれが失われていた。
恐らく、馬が暴走した際に外れてしまったのだろうが、このボサボサ頭で主人の前に出るのは、さすがに憚られた。
「では、少し失礼いたします」
そう言うと、イローナはどこからともなく櫛と紐を取り出した。癖のあるアリスの赤毛を何度か櫛で梳き、それから馬の尾毛のように髪を結い上げて紐で縛った。
さらに、足元で咲いていたヒヤシンスの花を手折り、それを紐に飾り付けした。赤に映えるよう、白のヒヤシンスがそこに収まった。
「いかがでしょうか?」
そう言うと、イローナは手鏡を取り出し、アリスに満足いくものかどうか確かめた。
いつもの眼鏡をかけ、赤い髪は下ろさずに結い上げており、装飾品代わりに白のヒヤシンスを挿し、一応現状では最良と呼べる装いになった。少なくとも、アリスはそう思えた。
「ええ、これでいいかな。イローナさん、あなたの主人は服装にうるさい方かしら?」
「いいえ、割と無頓着な方ですわ。特に食事の時の汚れがひどくて、洗濯するのが大変でございます」
冗談なのか本気なのか、判断に迷う回答であった。
食事マナーがなっていないというと、“お嬢様”とやらはかなり年下かもしれないと思い至った。
「え、えっと、イローナさん、あなたの主人ってかなり小さいですか?」
「はい。背丈で言えば、アリス様の肩に届くかどうか、と言ったところでありましょうか」
思っていたよりもずっと小さかった。おそらくは十歳に届くかどうかではないかとアリスは推察した。
しかし、イローナの話を真に受けるのであれば、時間に干渉できる桁外れの力を有しながら、姿はお子様ときた。
ますます訳が分からなくなり、アリスは首を傾げた。
(まあ、悩んでいても仕方ないし、会ってお話すれば分かるわよ)
何事もなく平穏無事に終わりますようにと祈りつつ、イローナに案内されて、アリスは館の中へと入っていった。
~ 第四話に続く ~