第二話 不思議な館
そして、森の中をしばらく進んでいると、思いがけない幸運が少女に降り注いだ。
目の前に誰かの館が現れたのだ。
少女の目に映るその館は少し古ぼけていたが、薄暗い森の中にあって照り輝く松明を煌々と焚いており、住人の存在を見せ付けていた。
現に、鉄格子の門の前には衛兵と思しき者が二人立っていたのが、少女の視界に飛び込んできた。
全身を覆う甲冑を身にまとい、長い斧槍の穂先はきっちりと天に向かっていた。
「お、これは助かったかも。ここで森の外への道を聞けそうだわ」
少女は馬に鞭を打ち、駆け足で門の方へと馬を走らせた。神も見捨てたもんじゃないと不謹慎な考えを抱きつつ、鼻歌混じりに近付いた。
そして、後悔した。神様、やっぱりひどい奴だわ、と数秒前の祈りを速攻で取り消した。
なぜなら、門番が異常に小さかったからだ。
少女もそれほど体格に恵まれた方ではなったが、そんな少女よりも更に二回りほど小さい姿をしており、それが先程見た門番であった。
森の薄暗さと視力の悪さで遠近感が掴みにくくなっていたため、対象物の大きさを見誤っていたのだ。
そして、その大きさがはっきりと分かる位置までくると、まるで子供が甲冑を着込んでいるのかと思うほどに小さかった。
小さな子供に門番させるとは思えないし、何か得体のしれない不気味な気配を感じ取った。
そんな戸惑う少女を視認した門番は、持っていた斧槍を傾け、門の前で×字に交差させた。
「誰ダ、オ前ハ!?」
「用無キ者ハ、タダチニ立チ去レ!」
非常に聞き苦しい言葉であった。野蛮人の語源は“聞き苦しい言葉を話す者”と聞いたことがあったが、まさにそんな存在が目の前に現れたのだ。
さっさと帰れと言わんばかりの突き放つ態度に、少女はさすがにムッと来た。森を彷徨い、ようやく助かったかと思ったら、鋼鉄の小人に凄まれる始末。
少しは優しくして欲しいなどと考えては、天にいる神様とやらに悪態付きたくもなった。
とはいえ、聞き苦しいと言えども人語を介する程度には意思疎通が図れることは間違いなさそうなので、少女は文明人として礼儀正しく振る舞うこととした。
「馬上より失礼いたします。森の中を進んでいるうちに道に迷ってしまい、難渋しております。森の外へ通じる道を教えてはいただけませんでしょうか?」
人付き合いが悪いため、普段は使う事もあまりないが、王家の血を引くれっきとしたお嬢様である。貴族令嬢として礼儀作法も相応に仕込まれていた。
大勢の人前に出るからと、どうにか必死に整えた癖の強い赤毛も、今は元のボサボサに戻っていた。馬の暴走で衣服や頭髪も乱れており、早く戻ってどうにかしたいと考えており、そのために道を聞くのは必須であった。
だが、鋼鉄の小人の返答は少女を絶望の淵に落としこんだ。
「ゲヘヘ、ヨク見タラ、美味シソウジャネエカ」
「兄弟、オ前モソウ思ウカ」
兜を外すと、そこからは人ではない醜悪な顔が現れた。少女はそれが本で見知った小鬼という野蛮な種族であることを知っていた。
汚らしい緑と黒を混ぜ込んだ肌の色をしており、尖った耳もその不気味さに一役買っていた。
少女は始めて遭遇した小鬼に興味を覚え、本で見た通りの姿だと興奮したが、そんな悠長なことを言ってられる状況でないと思い至り、馬首を返して逃げ去ろうとした。
だが、遅かった。巧みに斧槍の穂先で服を絡め取られ、そのまま地面に引きずり落とされた。
悪いことに背中から落ちてしまい、強い衝撃と共に肺をやられて咳き込み、少女は上手く呼吸ができなくなってしまった。
かけていた眼鏡も落ちてしまい、相手も周囲も把握が困難になる有様だ。
挙げ句、馬も主人を置き去りにして逃げ出してしまい、いよいよ逃げることすらできなくなった。
そして、咳き込む少女に二匹の小鬼の内の一匹が馬乗りになった。醜い顔が笑みを浮かべ、口から涎を垂らし、舌をなめずりする。
「グヘヘ、久シブリノ御馳走ダ!」
「オイ、兄弟、右腕ハ俺ニ寄コセヨ!」
「アア、イイゼ。ナラ、俺ハ左腕ヲ貰ウ!」
「デモ、ソノ前ニ、楽シンデカラニシヨウゼ!」
下品であり、寒気を覚える会話が少女の前で繰り広げられた。しかし、小柄と言えど重たい甲冑を着込んだ小鬼にのしかかられては、身動き一つできなかった。
(ああ、これから色んな意味で食べられちゃうんだ)
少女はいよいよ観念した。せめて痛くないようにお願いしますと祈りを捧げた。
そして、その願いは却下された。
重々しく金属の擦れる音と共に門が開き、館の中から一人の女性が現れた。
二匹の小鬼は慌てて立ち上がり、背筋をピンと伸ばしてその女性に礼をした。
「いろーなサン、オ疲レ様デス!」
「不法侵入シタ者ヲ、捕縛シテオリマシタ!」
捕縛と言うより、捕食では? と少女は心の中でツッコミを入れつつ、周囲を手探りで落ちた眼鏡を探した。
「まったく……。あなた達、仕事中の摘まみ食いはダメだと言ったでしょう? 今度やったら、食事抜きにしますよ!」
「エエッ、ソンナァ!」
「アンマリダァ!」
叱り飛ばす女性に、小鬼は抗議の声を上げたが、女性はその声を無視して、少女に歩み寄った。
そして、落ちていた眼鏡を拾い上げ、それを少女に差し出した。
「当方の衛兵が大変失礼な真似をしてしまったようで、お詫び申し上げます」
「あ、いえ、どうも」
少女は差し出された眼鏡をかけ直し、視力を取り戻した。
そして、絶句した。目の前の女性が、この世の物とは思えないほどに美しかったからだ。
スラッとした細身の体を紺の長袖とスカートで包み、純白の前掛けを付けていた。自分の家にもいるメイドの装いだ。
そこまでなら特には驚かない。驚いたのは、目の前の女性もまた、人間にはない、長く尖った耳を持っていたからだ。
その女性に引っ張り起こされ、丁寧に服の砂埃も払ってくれた。
「もしかして、森妖精?」
「はい、左様でございます。私、イローナと申します。お見知りおきを」
小鬼に続き、森妖精と、普段見慣れぬおとぎ話の住人に、少女は興奮を覚えた。本でしか知らない存在が、目の前に現れたのだ。
しかも、小鬼と違って襲って来ず、態度は至って友好的。仕草から小鬼よりも格上だとすぐに分かる。
少女は助かったと胸を撫でおろした。
そして、余裕が生まれると、神の作りし最高の造形物をじっくりと観察した。
自分と違い一切の癖がない長い金髪が腰まで伸び、顔も実に均整の取れたものだ。小柄で細身であることから、肉体的な欲望を掻き立てることはあまりなさそうだ。どちらかというと、絵画や彫刻のような、そんな造形的な美しさを感じてしまうのであった。
不愛想、というより無表情と言ってもよいのか、その感情からは何も読み取らせない雰囲気があり、そこがまたミステリアスだと少女はますます興味を覚えた。
「あ、申し遅れましたけど、私、アリスって言います。助けていただいてありがとうございました!」
うっかり名乗り忘れていたのを思い出し、少女は名前を名乗った。
それに対して、イローナは無表情のまま会釈した。
「ようこそおいで下さいました、アリス様。お嬢様が是非お招きしたいとのこと。一席設けておりますので、お屋敷の中にお入りください」
お嬢様、つまりこの館の主人もまた、自分と同じく女の子だとアリスは理解した。
そして、またいつもの癖で、眼鏡をクイッと動かし、改めて館を観察した。
やはり少々古ぼけているが、年季の入った建物ならば仕方がないところもあるし、鉄格子の向こう側の庭木はしっかりと手入れされ、石畳には落ち葉一つ見えなかった。
よくまあ、こんな辺鄙な森の中で、ここまで見事な館を維持できているものだと感心した。
もっとも、アリスの興味は小鬼や森妖精を従える主人とやらに向いていた。
(亜人や妖精を従えるお嬢様か。どんな人なんだろう?)
もちろん、人間であるとは限らないのは重々承知していた。なにしろ、目撃した屋敷の住人は現在三名であり、そのいずれも人間ではないからだ。
童話や伝説、あるいは昔話など、本の世界がそのまま飛び出してきたような、そんな不思議な感覚だ。危険を感じつつも好奇心には抗えなかった。
「では、折角ですので、お招きに与らせていただきます」
アリスはにこやかな笑みで招待を受けた。何が待ち受けていようとも驚きはすまい。おとぎ話の世界であるならば、一瞬たりとて見逃してしまっては勿体ないのだ。
「では、アリス様、こちらへどうぞ」
誘われるままに、アリスは見目麗しいエルフのメイドに案内され、館の門をくぐった。
なお、門番の小鬼は先程のお詫びのつもりなのか、実に神妙な面持ちでアリスを送り出し、深々と頭を下げていた。
~ 第三話に続く ~