10話「密入国ヴィラン」
爆死まで残り4日ちょっと。
銀行での一件があってから、俺は丸一日以上警察署の牢屋に閉じ込められていた。
日本語の話せる警察官と話した際にパスポートの有無を指摘され、リュックごと盗まれたと嘘をついたら日本大使館に紛失の手続きをされてしまい、パスポートをそもそも取得していないことが判明。
結果的に、密入国はバレてお縄となった。
銀行にいた人達を救った英雄から密入国者に成り下がった瞬間、警察官が向けてきた冷たい目は今でも鮮明に覚えている。
犯罪って良くないね。
「それにしても、牢屋って初めて入れられたけど意外と快適だな」
牢屋の中には2人分の簡素なベットがあるため本来は2人で使う部屋のようだが、今は1人で使わせてもらっている。日本語しか話せないことを考慮して1人部屋にしてくれたらしい。
ベットは硬いし毛布は薄いしご飯は美味しくないけど、キャリーケースの中と違って足を伸ばして寝れるしお金がなくてもご飯はもらえるしオレンジ色の囚人服もそこまで着心地は悪くない。正直、快適だ。
「でも、このままだとここで爆死か……」
密入国者がどういう裁きを受けるのかは知らないが、このままズルズルとここに居続けたら俺ごと警察署が木っ端微塵になってしまうかもしれない。
爆死するという運命を知っていながら誰かを巻き込むのはさすがに忍びないため、できれば最終日だけでもどこかひと気のないところで1人にしてもらえると非常に助かる。俺ではなくみんなが。
『おい、出ろ』
「あ、はい」
不機嫌そうな警察官に牢屋から出され、どこかの部屋へと連れて行かれる。おそらく、また事情聴取でもされるのだろう。
実は、事情聴取では密入国に協力してくれた山田組の話を一切しておらず、日本で鞄に詰め込まれて気が付いたらこの街にいたという話で貫き通していた。
事情聴取が長引いている原因がそこにあることは理解しているし、思いっきり嘘ではあるのだが、良くしてくれた組長さん達に迷惑はかけられないと思い、そのことだけは話さないようにしていたのだ。
そう考えながら警察官のあとをついて行くと、連れて行かれた場所はいつもとは違うお洒落な内装の部屋だった。ソファーはふかふかでコーヒーまで用意されている。こんな場所初めてだ。
「はじめましてミスター影野。いや、サムライボーイのほうがいいかしらね」
その部屋では、赤髪ショートのいかにもエリートっぽい雰囲気のアメリカ人女性が待っていた。
アメリカ基準でも相当美人な容姿のようで、ここまで連れてきてくれた警察官も鼻の下を伸ばしている。
『こんな場所でNSBの捜査官に会えるなんて光栄だ。俺はここに勤めてもう10年になるんだが……』
『用がないなら早く出ていってもらえる?時間がないのよ』
『……失礼した』
何を話しているかはわからないが、雰囲気的に口説こうとして失敗したようだ。少し肩を落とした小太り警察官はそそくさと部屋を出ていった。どんまい。
「私はエマ・オールマンよ。NSBの……日本で言うところの、公安警察のような立場の人間ね」
「あ、どうも。はじめまして」
公安警察って相当優秀な人しかなれないイメージがある。流暢な日本語を話すエマさんは、見た目通り相当なエリートらしい。
「さてと、時間がないから単刀直入に聞くわね。あなたには私の捜査に協力して欲しいの。そうすれば今回の密入国の件はなかったことにしてあげるわ。もちろん、働きに応じた追加報酬も用意しましょう」
「密入国をなかったことに、ですか……?」
追加報酬はどうでもいいが、密入国をなかったことにしてもらえるのは非常にありがたい。このまま残りの日数を牢屋で過ごすのはさすがに嫌だ。
「どうかしら。このまま強制送還されるまで異国の牢屋で過ごすよりは有意義な経験ができると思うわよ?」
「それは確かに……」
願ってもない申し出ではあるが、密入国をもみ消すほどの報酬となると簡単な捜査協力ではないだろう。
というか、難しいかどうかよりも気になることがある。
「少し聞きたいことがあるんですけど」
「もしかして捜査内容のことかしら?残念だけど、それは了承してくれるまで教えられないわ。ただ、最悪の場合は命を落とすほど危険な……」
「あ、いえ。内容とか危険かどうかはどうでもいいです。それよりも、協力する期間はどれくらいになりそうですか?」
「期間……?」
聞かれると思っていた内容とは違ったようで、エマさんは少し驚いた表情となっている。
普通なら危険かどうかをまず聞くのだろうが、今の俺には一切関係ない。協力する期間が一番重要だ。
「期間は、そうね……長引いてしまうとどれくらいになるかは分からないけど、上手くいけば今夜で終わりよ」
「やります」
即答するとまたもや驚いた表情となっていた。だが、驚いたのはむしろこっちだ。
上手くいけば今夜で終わる程度の捜査協力だけで無罪放免なんて最高すぎる。是非とも協力したい。
「それで、何をすればいいんですか?」
「そ、そうね。まずはこれを足首につけてもらえるかしら」
エマさんはそう言うと、肌色のリングを渡してきた。
「それには最新型のGPSが入っていてね、万が一どこかへ逃げたとしてもすぐに場所がわかるようになっているの」
「こんなに細いのに、凄いですね」
「細いけどとても頑丈なのよ。そう簡単には外せないけど、無理に外せば密入国とは比較にならないほどの重罪を科しちゃうから、下手なことは考えないでね」
「りょ、了解です」
美人の意味ありげな笑顔って怖い。
「それじゃあさっそくついて来てもらうわ。時間がないの」
「あ、はい」
エマさんについて歩く俺を止める警察官は誰もいなかった。信じていなかったわけではないが、エマさんは本当に偉い人らしい。
そのままエマさんの運転する車に乗って移動すると、到着した場所は高級そうな紳士服の並ぶお店だった。
ちらりと服の値札を見ると0がいっぱい並んでいる。本当にお高いお店らしい。
『彼のスーツを揃えて髪も整えてもらえるかしら。今夜パーティーなの』
『かしこまりました』
『金額に上限はつけないわ。全て最高級のものでお願いね』
『お任せください』
エマさんが店員さんに何かを話すと、目の色が変わった店員さん達に店の奥へと連れて行かれた。
店の奥には美容室のような場所が存在し、容赦なく髪や顔を整えられたあと、爪までピカピカに磨き上げられた。それから何種類かスーツを着せられ、それに合う靴を履かされ、お洒落な小物をちょこっとつけられ、店についてから4時間ほどしてようやく解放された。
馬子にも衣装とはよく言ったもので、鏡に映る自分の姿はまるで別人だった。どこかの大金持ちのお坊ちゃんだと言われて疑う人はいないだろう。
「見違えたわ」
「ありがとうございます」
エマさんからの感想は一言だけだったが、文句ではなかったので少なくとも合格の見た目ではあるのだろう。
というか、いつのまにかエマさんも凄いドレスを着ている。髪の色と同じ赤いドレスだ。そのスタイルと美貌も相まって、まるでハリウッド女優みたいになってる。
それに比べたら俺なんて馬子どころかゴキブリだ。馬子にも衣装とか思ってた自分が恥ずかしい。
「あの、お支払いは……」
「それは大丈夫よ。全て経費で落ちるわ」
経費ということは、エマさんの所属するWBCだかなんだかっていう組織からお金が出ているのだろう。そして、そこはたぶんアメリカ国民の税金で運営されているはずだ。
もうすぐ爆死する俺の身だしなみのためにアメリカ国民の血税が……ソーリー。
「それじゃあ行きましょうか」
「あ、はい」
エマさんの後をついていくと、先程とは違う銀色の高級車が停まっているところまで案内された。運転席にはエマさんと並んでも見劣りしないほどのスーツイケメンが座っている。
「やあ、君がサムライボーイか。僕はノア・エバンス、エマの同僚だ。今日はよろしくね」
車に乗ると、スーツイケメンそう言いながら握手を求めてきた。
それに応えて手を握るが、見た目と一緒で手も凄い綺麗だ。でも、爪のピカピカ具合だけは負けてない。
あと、ノアさんも日本語流暢だな。
「そういえば、俺はこれから何をすればいいんですか?」
「エマから何も聞いていないのかい?」
「何も聞いてません」
「マジか……」
「ただの協力者よ。作戦について詳しく話す必要はないわ」
「いや、それでも役割くらいは説明するべきだろ」
ノアさんが少し呆れた表情で説明を始める。
「運転しながらで申し訳ないけど、簡単に説明させてもらうよ。まず、今君がちょっとした有名人になっているのは知ってるかい?」
「いえ、全然知らないです」
「警察署にいたから当然知らないか」
たぶん銀行の一件のことだとは思うが、牢屋の中ではテレビは見れないし噂話は何言ってるかわからないしスマホも取り上げられたしで何の情報も入ってこなかった。
あ、密入国者として有名なパターンもあるか。
「実は、君が銀行の人達を救った映像を何人かがスマホで撮影していたみたいでね。それがネットに拡散されたことで、正義のヒーローサムライボーイが今世間で大人気なのさ」
「密入国の件は何か言われてないんですか?」
「そこはまだ報道されていないから大丈夫だよ」
よかった。密入国ヴィランサムライボーイとはまだ呼ばれていないらしい。
「そんな有名人の君に会いたいと言っている人物がいてね」
「会いたいと言ってる人物……?」
「超大手建設会社のCEOで、建設王の異名を持つアンドリュー・ブレンという人物だよ」
申し訳ないけど全然知らない人だ。
「彼は日本の文化をとても気に入っていて、突然現れたサムライボーイにも強い関心を示しているんだ。そこを利用してブレン氏に近づくために、君に協力してもらいたいんだよ」
「なるほど」
言いたいことはなんとなくわかった。
おそらく、エマさんとノアさんは捜査の一環か何かでブレンさんとお近づきになる必要があるのだろう。俺はそのための餌にされるわけか。
「それで、結局俺は何をすればいいんですか?」
「これから向かう会場ではブレン氏主催のパーティーが開かれていてね。君はただ何も考えずにパーティーを楽しんでくれればいいよ」
「えっ、それだけでいいんですか?」
「誰かとあいさつするときは少し話してもらう必要があるけど、それ以外の場面では好きにしてもらって構わないよ」
もっと難しくて危険なことを頼まれると思っていたのだが、ちょっと拍子抜けだ。
パーティーを楽しむだけで無罪放免なんて、あまりにも都合が良すぎる展開である。
もしかするとこれも運命さんのおかげなのかもしれない。運命さんありがとう。
「そういえば、君の身分は事務所に所属しているタレントということになっている。エマは君のマネージャー兼通訳。僕はタレント事務所の社長という設定だから、そのつもりでよろしくね」
「わかりました」
そういえば、エマさんに釈放してもらったのは昼頃の話なので、今日はまだ朝ご飯しか食べてない。パーティーなら食べ物もあると思うので、そこでお昼の分もたくさん食べよう。
呑気にそんなことを考えていた俺は、この時気づいていなかった。
エマさんがノアさんを少し冷たい目で見ていたことを……。