第五話「紅の射手 前編」
――洞窟を抜けると平原であった。
「牧歌的」という表現が当てはまりそうなほど長閑な風景。
しかしこれからその大地で、血で血を洗う戦いが始まろうとしている――
あれからは特に問題もなく、二時間程で洞窟を抜けることができた。
『風牙の大蛇』に加えて『催眠蝙蝠』の襲撃もあったが、
そう何度も精神攻撃をくらう俺たちではない。
〖毒牙〗も有効なため、二人で分担して数をこなしていった。
「いやー、やっっと抜けたな! 今日は野宿か?」
俺より少し前を歩いていたアインが、軽く伸びをしながらそう言った。
「最寄りの村まで行きたいところだが、もう日没だ。野営するぞ」
「じゃあ、テント張っといてくれ。夕食の準備するからよ。――それかアレフがやるか?」
「勘弁してくれ……。 お前は俺をバカにしたいだけだろう……」
「アレフが調理すると全部消し炭になるから、面白いんだよなー」
昔一度だけ料理をしたことがあるが、
焼いていた肉が気付いたら、炭を残して無くなっていたのだ。
それ以降料理は全てアインに任せている。
「お前と会うまでは携帯食しか食ってなかったからな。仕方ないだろ?」
「だったらちょっとは努力しろよ……」
「時間の無駄だ。お前がいるんだから問題ないだろ?」
「いや、まあ、そうなんだけどさ……」
呆れ半分、嬉しさ半分といった面持ちのアイン。
俺たちはそれぞれの役割を遂行すべく、動き出した。
傭兵や冒険者の食事スタイルは主に二パターン存在している。
一つ目は以前の俺のように、携帯食を主とするパターン。
二つ目は今日の俺たちのように、狩った獲物を食すパターン。
二は一に比べて食費が抑えられ、荷物も減らせるというメリットがあるが、
その入手は安定しない。
なぜなら、食べられる魔物は限られており、
また地域によってはほとんど生物が存在しない場所もあるからだ。
そのため、目的地や向かう手段によって割合を調節する必要がある。
アインが先程倒した蛇の死体の一部を引き摺っているのを横目に、
テントの設営を開始する。
既に何千回と行った作業だけあって一瞬で終わらせると、
武器の手入れをするべく近場の岩の上に腰を下ろした。
「俺のもやっといてー」
集めた木々に着火用の魔道具で火を付けながら、アインが喋りかけてくる。
現在俺が使っている武器は、片手直剣と指抜き手袋の二種類、
アインは長弓と短剣の二種類だ。
指抜き手袋は〖爆破〗を使うときの負荷を軽減するという意味合いが強く、
長弓と短剣は〖毒牙〗と相性が良い武器を選んでいる。
また、いくら色んな武器を使うといっても、
人それぞれ得意な武器や苦手な武器は存在しており、
大したスキルでなければそのまま得意な武器を使うことが多い。
俺の得意武器は片手直剣でアインの得意武器は長弓と魔法杖。
そういう意味では今回のスキルとの相性は良好だと言えなくもない。
「おーい! できたぞー」
しばらく武器と戯れていると、調理を終えたアインから声がかかる。
俺は手に持っていた片手直剣を一度鞘にしまうと、アインのもとへと向かう。
「いつも通りだな。美味いが不味い」
「こればっかしは、どうにもなんないよなー」
率直に言うとアインの料理はかなり上手い。
味付けや火の通り具合などは完璧で、普通の食材を使わせれば、
おそらく傭兵の中で右に出るものはいない。
――ただ如何せん食材が悪い。
硬質な鱗の中には、柔らかい肉が詰まっている――ということはなく、
どこを取っても硬い肉で埋め尽くされている。
頭の辺りと内臓を取り除けば、毒に当たる心配はないが、唯々不味い。
調理の御蔭でギリギリ食べられるラインには乗っているが、
これを好き好んで食べる奴は余程の酔狂者か頑丈顎の持ち主だろう。
食事を終えた俺たちは、間もなく就寝の準備を始める。
「先に寝てていいぞ。まだ手入れが終わってないからな」
「おう。じゃあ四時間後に起こしてくれ」
「分かってる」
だだっ広い平原の中心とはいえ、
いつ襲われるかも分からない状況で二人とも眠りにつくわけにはいかない。
交代で睡眠を取ることができるのは複数人で旅をする明確なメリットだろう。
――パーティ間の裏切りが起きるのもこの時間が一番多いらしいが……。
俺はアインの就寝を見届けると、焚火の前に座り武器の手入れを再開する。
先程後回しにした、片手直剣の磨き具合を確認している時、視界の隅に空が映った。
夜空に犇めくのは数多の名もなき星々――
(アインに出会ったのも、こんな満天の星空の日だったな……)
*
――五年前――夕刻:スフォルツァ帝国南領『エイリアル森林』外周――
『ドドドッッッ!!』
木陰で仮眠を取っていたアレフの背後に、矢の突き刺さる音が聞こえた。
「―――!?」
アレフは一瞬で意識を覚醒させると、すぐに戦闘態勢に入る。
(弓矢か……。モンスターではないな)
『エイリアル森林』――またの名を〝血濡れの樹海〟
森林は空中から見渡しても端が見えない程の広さがあり、
その中には数多の凶悪なモンスターが生息している。
中心部へ行けば行くほどその傾向は強く、
噂では森の最深部に古の龍が眠っていると言われているほどだ。
しかしその反面、森の外周に生息するモンスターは弱い個体が多く、
またそのイメージからあまり人が寄り付くことはない。
そのため事実を知る一部の傭兵や冒険者たちは、
この場所を休憩スポットとして利用することが多い。
アレフは「探査」の互換スキル〖危機回避〗を作動すると、
北方約二百m地点に敵の存在を知覚する。
森の外周に生息する雑魚モンスターは、『戦猪』や『紅蟷螂』のように、
その身に宿した天然の武器を活かして戦う個体が多く、
その中に遠距離武器を持つモンスターは含まれていない。
それが休憩スポットたる所以の一つなのだが、
この場所で弓矢が放たれたということは――
(この距離……相当な腕前だな。それに威力も並外れている)
大樹に刻まれた同業者の射撃痕を見つめながら、アレフは一人思案する。
(逃げるか……? 平原に出れば格好の的だが、奴も姿は隠せない。
それにスキルもある……)
アレフは休憩前に展開しておいた〖蜃気楼〗のスキルを、
自身の姿を離れた場所に映し出す「投影」から、
自身の姿を完全に見えなくする「隠蔽」に切り替えると、
その場を離れるべく動き出す。
〖蜃気楼〗によるハイド効果は〖暗殺〗と同程度だとされており、
毒や暗器の威力上昇効果がない代わりに、様々な応用が可能となっている。
道中の猪や蟷螂を無視して疾走すること数十秒、平原への出口が見えてくる。
(あまり長時間は維持できないが、敵が上位スキルを持っていない限り
認識されることはないだろう……)
アレフは敵が「探査」の互換スキルを所持していないことを祈りつつ、
平原への一歩を踏み出そうとした――
――刹那――
全てを包み込むかのような、荒れ狂う〝砂嵐〟が突如背後に生成された。
(『砂嵐』か! まずいっ!?)
『砂嵐』は風魔法と土魔法の合成魔術の一つで、
大量の塵や砂を強風で吹き上げることによって生み出すことができる。
合成魔術という難易度(運)の高さと、
致命には至らぬ威力の低さからあまり使われることはない魔法だが、
今はそれがアレフの存在を浮き彫りにする。
アレフは自身の体に付着した砂塵を見て一瞬焦りを募らせたが、
すぐに冷静さを取り戻す。
(平原にいるのはまずい……。 早く森林へ戻らなければ……!)
勢いのまま飛び出した平原からの蜻蛉返りを選択したアレフは、
空中に蔓延る砂塵に苦しみながらも、出せる最高速度で森林へと疾駆する――
――しかし狩人の目は既にアレフの姿を捉えていた。
『ドドドドッッッッ!!』
再び降り注ぐ弓矢の雨に行く手を阻まれる。
素早く旋回し、方向転換を試みるアレフ。
――しかし、それよりも速く放たれた一本の矢がアレフの肩を貫いた。
『ドシュッッッ!!』
「ぐぁっ!?」
痛みに脳内を支配されながらも、矢の飛んできた方角に視線を向ける。
するとそこには――
真紅の外套に身を包んだ、一人の狩人が静かに佇んでいた。