第六十九話「楽園追放」
「別に付いてくる必要は無かったんだぞ?」
「お兄さんが寂しかろうと思って……。健気なボクに感謝すると良いよ‼」
騎士団の面々と別れ、暫くが経った頃。
俺たちはと言うと、美しく飾り付けられた広大な廊下を、当てもなく直歩いていた。
「それにしても、すっっごく綺麗だね‼ 広いし‼」
「そうだな。俺も此処までの内装は見たことがない」
何十棟と並び立つ建物群の中心、一際存在感を放っていた大邸宅の内部。
白色・淡青色・淡紅色等、明度の高い色を基調とした廊下は床を大理石が埋め尽くし、
天井、珊瑚のシャンデリアから放たれる光は、
建物と一体化した貝殻の真珠層に反射して、邸内を照らす虹色の輝きを演出している。
入り江を背景とした外観も見事なものであったが、内装まで抜かりはないようだ。
「これからどうしたい? お前もそのままでは困るだろう?」
「うーん、そだね。どっかにお風呂とかないかなぁ……」
等間隔に飾り付けられた調度品の類を横目にしつつ、亜麻髪少女へと軽く話を振る。
その問いに対して彼女は自身の衣服に鼻を近付けると、小さく顔を顰めて見せた。
「さぁな。だがこれだけ広い建物だ。水回りが充実していてもおかしくはないだろう」
「じゃあさ。もしお風呂が見つかったら、ボクと一緒に入らない……?」
何処か作り物めいた恥じらいの表情を浮かべながら、そんなことを宣う幼気な少女。
その危うい誘いに対して、特別表情を変えることなく彼女を見据えると――。
「別に良いぞ。どうせ俺も、身体を清めておきたかったからな」
「え、ウソ……」
「なに、冗談だ。――って、何だその顔は?」
「えと……。お兄さんが冗談言うのって、何か、すっごく意外だったから……」
先の様子から一転、目を丸くして驚きを表現する少女と、視線を交えたまま硬直。
俺も思わず目を丸くする。
確かにこの手の戯言は、柄ではなかったかもしれない。
ただ何となしに、意趣返しでもしてやろうかと頭を過ってしまったのだ。
「そうかもな。いや、忘れてくれ」
自分でも与り知らぬ心境の変化に、少しばかり戸惑ってしまう。
それだけ彼女という存在に、気を許しているということなのだろうか。
「うーん。それはちょっと難しそうだけど……」
互いの思惑が不完全燃焼に終わり、何となく気まずい空気のまま時は流れる。
が、口は動かずとも、足だけは変わらず動き続けるのが傭兵クオリティー。
長い廊下に点在する幾つかの小部屋を物色しながら、暫し歩みを進めていると――。
「あれ、此処で終わりかな?」
純白を湛える大理石の床の終着点。
廊下全体の色調に馴染むファンシーな扉の前で、俺たちは一度立ち止まった。
「入っても良いよね? 何か、面白いモノありそうだし‼」
「ああ。だが一応、用心しておけよ」
眼前の鮮やかな扉は、小部屋のモノとは一線を画す外見だ。
用心して掛かるに越したことはないだろう。
まぁ金騎士曰く、この隔離空間に危険らしい危険は存在しないらしいが。
「むっ、意外と重いかも……。えいっ‼」
そんな気の抜けた掛け声と共に、亜麻髪少女が扉へと華奢な両手を掛ける。
扉は見た目よりも重量を有しているようだったが、彼女が力を込めると問題なく両開き、
大邸宅随一のストロングポイントと思われる部屋の内装が露わとなった。
「わぁっ‼ 人魚さんのお部屋みたい‼」
部屋の内装はイメージ通りと言うべきか、扉と同じくファンシーな仕様だ。
貝殻のベッドにドレッサー、珊瑚のランプにサイドテーブル。
その他、真珠や星砂をあしらった装飾品の類も含め、
諄いほどに『海』が強調されたインテリアは、
此処が迷宮の内部であることを忘れさせてくる。
「見て見て‼ お魚さんが泳いでるよ‼」
興奮した様子で小走りする亜麻髪少の後に続いて、俺も室内へと入っていく。
広大な部屋の中心部を占めるのは、アクアリウムとでも呼ぶべき代物だろうか。
床から天井まで伸びる筒状のガラス板の中では、色とりどりの魚たちが優雅に泳ぎ、
ミニチュアサイズの天弓を描き出していた。
「おい、こっちには風呂があるぞ。しかも絶景付きときた」
そして部屋の最奥部にあった室内扉を開けると、そこには入り江を望む美しい浴室が。
直径5mほどの円形の浴槽に、シャワーが複数本用意された広い洗い場。
開け放たれた窓からは眼下の景色が一望出来るようになっており、
正に娯楽性と機能性を兼ね備えた、至れり尽くせりの空間であると言えよう。
「凄いや、お兄さん‼ それじゃあ、ひと時のバカンスと洒落込もうぜぃ‼」
それから亜麻髪少女は脇からひょこんと顔を出すと、
そんな良く分からないテンションで背中を軽く叩いてきた。
まぁ、俺も久々に羽を伸ばすとするか……。
*
自分の身体を触られることを嫌う人間は多いと聞く。
そして斯く言う俺も例に漏れず――。いや、他人よりもその傾向は強い訳なのだが、
どうやら例外もそれなりに存在するようだ。
「はぁ……、それにしてもだよ。何でこんなにもサラサラなのさ……」
「どうでも良いだろ。というか、どうせウィッグを被るんだ。髪を弄っても仕方がない」
「お兄さんは分かってないね。女っていうのは、一切の妥協を許されない生物なんだよ」
チッチッチッと人差し指を振りながら力説するのは自称大人の女性、亜麻髪少女だ。
そんな平常運転の彼女は続けて、
あーでもない、こーでもないと独り言ちながらも銀髪を優しく梳いていくと、
やがて満足したのか、その手を止めて貝殻のドレッサーを覗き込んだ。
「うん、我ながら良い出来だね。素材が良いと、ボクも腕が鳴るってものさ」
「悪くない……。いや、少々女らし過ぎやしないか?」
そう言って自慢気に腕組みする少女を背後に、俺も自身の容貌を確認する。
ウィッグを着けていないので男寄りの容姿のままかと思いきや、その成果は想像以上。
巧みに計算され尽くした化粧は男の要素を容赦なく消し去り、
外ハネを駆使したショートボブは、女性にも劣らぬ女性らしさを演出していた。
(はぁ……。俺は一体、何処を目指してるんだ?)
因みに、事の発端は亜麻髪少女の「ボクが整えてあげようか?」との台詞である。
入浴・睡眠・洗濯・武具の手入れなど、一通り為すべきことを済ませた後、
一人で身嗜みのチェックを行っていたのだが、彼女が退屈であるとこれを妨害。
暫しの揉み合いの後、根負け。提案を渋々受諾したという経緯である。
「大丈夫だって。しかもそれなら、ウィッグ無しでも絶対バレないよ」
「いや、いきなり短髪になってたらおかしいだろ……」
その手の櫛を放り投げた亜麻髪少女は、俺の肩に撓垂れ掛かると能天気にそう言った。
確かにこの容姿であれば、ウィッグが無くとも性別がバレることはないだろう。
しかしその代わり、迷宮のド真ん中でイメチェンを決めるイカれた奴の誕生となるが。
「うーん、残念。何処に出しても恥ずかしくない淑女なんだけどなぁ……」
俺の耳元でそう囁く亜麻髪少女だが、どうやら真剣に言っている訳ではなさそうだ。
それにしても彼女は、意外にも多才なのだな……。
「…………」
「どうしたの? 急に黙り込んで」
顎に手を当てて思考する俺を鏡越しに見て、亜麻髪少女が頭上に?マークを浮かべる。
そんな彼女のリアクションを同じく鏡越しに認めた俺は、
『言いたくなければ、言わなくても良いが』と前置きすると、尚も続けて――。
「――――。お前は誰で、何のために帝都へ向かっているんだ?」
「…………、あちゃー。ま、そろそろ言われるだろうとは思ってたけどさ」
胸中で燻っていた疑問を口に出すと、
聞かれるのは分かっていたという表情で、その額に手の平を当てる亜麻髪少女。
彼女は少しばかり考える仕草を見せた後、俺の肩からそっと顎を引くと――。
「傭兵……、ともちょっと違うけど、大体そんな所かな。
目的は……、そう、他人を殺すため。他でもない、自分たちのためにね」
声のトーンを落として語る彼女の様相は、正に悲壮な覚悟を決めた者のそれだった。
しかし、『人を殺す』か。
別段珍しくない動機ではあるが、見目幼い少女から発せられる言葉としては聊か、
いや、かなり違和感がある。
「まぁさ。辛気臭い話は止めて、残りのバカンスを楽しもうぜぃ……、って――」
何とも気まずい雰囲気が支配する空間で、突如『ぐぅ』と小さく鳴く腹の虫。
すると、それまでバツが悪そうにしていた少女の顔も、見る見るうちに紅潮していく。
「え、えへへ……。そう言えば、今日は未だ何も食べてなかったから。あ、そうだ――」
そう言って恥ずかしそうに笑う亜麻髪少女は、言葉の途中で何かを思い出したのか。
己が腹部を抑えた姿勢のまま、部屋の中にあった台所の方へと向かうと、
何やら丸みを帯びた物体をその手に持って戻ってきた。
「実はさ……、さっき台所でこれを見付けたんだ。どう、一緒に食べない?」
恥辱半分、安堵半分といった様子の、何とも複雑な表情を浮かべながら。
亜麻髪少女が差し出してきた物体の正体は――、果物の類だろうか。
何ら変哲の無い、林檎のような赤い果実。
「あ、ああ。別に構わないが……」
後にして思えば、この時。
俺も彼女も、冷静では無かったのだろう。
だから、無防備に食ってしまったんだ。
〝堕落への果実〟を――。
「ん? 味しないんだけど……」
「確かにな。どういう訳だ?」
ナイフで切り分けた果実を口に運ぶも、亜麻髪少女の言う通り微塵も味がしない。
もしかするとこれは食い物ではないのではないか、そんな仮定が俺の頭を過っていく。
「あれ、こんな模様あったっけ?」
と、同じく横で首を捻っていた亜麻髪少女から疑問の声が上がる。
そしてその声に従って、俺も残った果実へと視線を向ける訳なのだが……。
その断面には何故か、先程まで存在しなかった筈の、緑色の魔法陣が刻まれていた。
「魔法陣……? ッ――、マズい、ザイン‼」
「え。な、何――⁉」
その小さな魔法陣の正体を理解した瞬間、己が視界を埋め尽くす漆黒の歪み。
それはつい先程体験したばかりの、自分自身を見失うような不思議な感覚。
そう――、これは転移の術式だ。
「「――――⁉」」
だが、そんな事実に今更気付いた所で、覆水は盆に返らない。
瞬間、亜麻髪少女へと必死に伸ばした右手も叶わず、俺の意識は暗闇へと消え――。
「「――――」」
消え――、たのかも分からない程の、刹那の感覚を経て。
俺は自分の身体が、硬く冷たい床面へと叩き付けられたことを認識した。
「がっ――⁉ ッ――、一体何が……」
「ぐぇっ――⁉ 何なの、急に……」
体感時間にしてコンマ数秒の出来事。
恐らく強制転移の罠に掛かったのだろうが、それ以外の状況が全く以って見えてこない。
唯一つ、真隣から聞こえてくる呻き声によって、
亜麻髪少女の無事を確認出来たことだけが、せめてもの救いといった所だろうか。
「此処は試練の部屋、なのか……?」
恐る恐る瞼を開くと、そこは蜥蜴と闘ったボス部屋を更に広くしたような空間だった。
部屋全体は相変わらずのモノトーンな色調で、発光石と聳える柱の存在も変わりない。
更には対を成す魔晶石も健在のようで、
間違いなく俺たちは、此処で何かしらと対峙することになるのだろう――。
「待って、奥に何か居る――⁉」
そんな思考に至り、強く気を引き締めていると。
先に起き上がっていた亜麻髪少女から、酷く取り乱した声色での報告が入った。
そして例の如く【運命の共同体】で視界を共有すると、そこには――。
『堕チ果テタ世界ヲ塗リ替エル力ガ、貴様ラニハ有ルカ? 此処ハ最下層――、王ノ試練』
スフォルツァ帝国で会敵した奴と同等か、それ以上。
圧倒的なオーラを放つ人影が、何かを待ち侘びるように悠然と鎮座していた。




