第五十八話「早い再会」
俺は時々――、夢を見る。
咎人の心を強く苛むのは、暗澹として紡がれる怨嗟の声。
夥しく蔓延る亡霊たちは、只、逝く当ても無く徘徊するばかりである。
その内の一つ、いや、二つだろうか。
他の有象無象とは一線を画す、美しい金色に輝く巍然たる結晶体。
それらはゆったりと揺蕩いながら、身体の前へと漂着すると、
心の臓の、その更に奥深く。
己か、将又己ではない何かへと向けて、何処か諭すように――、こう囁くのだ。
「アナタは何度でも、同じ愚行を繰り返す」
と――。
*
悪い夢から覚める感覚というのは、何度経験しても慣れることはない。
「ぁ――――」
冷え切った額からは大量の汗が吹き出しており、
途端に認識する息苦しさは、呼吸の仕方を忘れているかのようである。
更には覚醒した現在に至っても尚、極度の不安感が俺の全身を支配し尽くし、
思わず何処かへ逃げ出してしまいたくなる程の、精神的な恐怖を刻み込んでいた。
「大丈夫? 大分魘されてたみたいだけど……」
「っ…………」
ドクドクと跳ね上がる心臓を抑えつつ、ゆっくりと重い瞼を開けると。
真っ先に視界に入るのは、少女の愛らしい心配顔である。
「…………、何をしてるんだ?」
視覚が元に戻っているのなら、当然、触覚もその機能を回復させている。
後頭部を優しく包み込むのは、何とも筆舌の尽くしがたい柔らかな感触。
そして少女を見上げるという、見慣れぬ下からのアングル。
極め付けは、涙の伝う俺の頬を慈悲深く撫でる、華奢な両の手。
以上三つの情報から、導き出される解答は――。
「美少女のサービス膝枕だよ。どう? 嬉しいでしょ?」
「お前……。いや、何でもない」
何故、このような真似事をしているのか。
そんな言葉が喉奥から出掛かったが、ギリギリの所で押し留める。
他者の温もりというのは、意外にも恐怖の感情を逓減してくれるらしい。
徐々に冷や汗の引いていく額が、論よりの証拠である。
「俺は一体、どうなったんだ……?」
不安感を和らげる人肌の温かさに、若干の名残惜しさを感じつつも。
俺は少女の膝から身体を起こすと、目下確認すべきことを問い掛けた。
「頑張り過ぎで、倒れちゃっただけだと思うよ。
それにしても、びっくりしたなぁ……、もう。
急にギュってされたかと思ったら、そのまま気絶しちゃうんだもん」
頬から手を引いた少女は、呆れ半分、心配半分といった様子でそう答える。
俺の記憶が残っているのは、転移結晶を短剣で砕かんとした、その瞬間まで。
確かにあの時は、いつ倒れてもおかしくない状態であった故、
気絶したという説明には、一応の納得がいくのだが――。
「そうか……。それで此処は、クラリスの中ってことで良いんだな?」
覚えていない内容を、長々と考えていても仕方がない。
俺は軽く周囲を見渡した後、続けて現在地についての確認をしておく。
「ご名答! 細かく言えば、検問所を抜けて直ぐの所だよ」
視界に映り込む中間都市『クラリス』の景観は、一言で表すと風光明媚。
円から一片を取り除いたような独特の形状をした都市は、
扇形の湖を宛てがってようやく綺麗な正円を成している。
その内部、外壁の存在しない開放的な都市空間には、枝分かれした湖の水が流れ込み、
青・緑・灰黄の三色が共生する、美しい街並みが形成されていた。
灰黄色と言うのは、砂漠地帯特有の建築材である日干し煉瓦に起因するもので、
幾つかの石造りのモノを除けば、殆ど全ての建造物がこの素材で建てられている。
余り上等な建築材であるとは言い難いが故の、機能性重視の建築構造。
角張った建物群の外観は、一見かなり無骨なようにも感じられるが、
その一つ一つに施された彫刻が非常に精巧で、ミステリアスな魅力を放っていた。
因みに都市全体には、球状の結界が地中まで張り巡らされているため、
転移を含めた外部からの不法侵入、及び砂嵐による被害が齎される心配もない。
「で、最後だが……。蜥蜴はどうした?」
以前来訪した際の記憶を頼りに、都市についての情報を照らし合わせた後。
残る疑問は只一つ――、当然、先程まで格闘していた筈の蜥蜴の存在である。
「えーっとね……。あの人たちが、倒してくれたんだ」
「あの人たち……?」
少女は若干の思考を挟みつつも、第三者の存在を仄めかす。
そして町の中心側へと視線を向けると、溌溂な声で「おーい‼」と叫んだ。
『目覚めたか、旅人よ。
それにしても、時を経たずして再会するとは……。これも何かの縁かもしれんな』
『否定。旅人の最初の目的地は殆どの場合、此処「クラリス」です。
突如として召集された私たちと、再び出会うことになるのは必然かと』
『ハハッ、相変わらずだな。こういうのは、どう感じるかが大切なんだぞ?』
『了承。左様ですか。失礼致しました』
そんな取り留めのない会話を繰り広げながら。
ゆっくりと此方へ近付いてくるのは、美しい金髪と銀髪を湛える二人の女騎士である。
「貴女方は……」
『しかし貴公らも不運であったな、「遊泳蜥蜴」に偶然出くわすとは。
奴は我ら騎士団の人員を総動員させても、中々見つけられぬ希少生物であるのだが』
そう言って俺の眼前へと歩み出る金髪の騎士は、
その透き通るような碧眼に同情と心配の色を宿すと、尚も続けて――。
『して、大事はないか?』
「ああ、お陰様で。貴女方が私たちを助けてくれたのだろう?」
『助ける……、か。我らは只、降りかかる火の粉を払っただけのこと。
それに彼の蜥蜴からは、非常に上質な素材が取れるのでな。
捜索する手間が省けた分、儲けものと言った所だよ』
「そう言って貰えるとありがたいが……」
詳しい経緯については分からないが、
俺たちが魔物を引き連れ、都市を危険に晒したことは間違いないだろう。
故に内心、何かしらの懲罰が課されるのではないかと、そう覚悟していたのだが。
『安心しろ。ボロボロになりながら、必死に助けを求める少女の姿を見て、
罰しろ等と心無いことを宣う輩は、少なくとも騎士団の団員には存在しない。
それと、感謝するなら彼女にしてやると良い』
「してやると良いよ‼」
そんな俺の心中を見透かしてか、金髪の騎士は温厚な口調でそう言うと、
その薄い胸を張って得意気なポージングを決める少女へと視線を向けた。
それにしても何故、今まで気付かなかったのだろうか。
少女の着用している蒼系統のマントは、所々が無惨にも引き裂かれ、溶け、
女騎士から借りたであろう毛布を介して尚、エロティシズムな様相を呈していた。
そもそも膝枕とやらが布越しでなかった時点で、気付くべきだったのだろうが、
状況把握に意識を割く余り、少女の安否確認を疎かにしてしまったのである。
何処までも自分本位な己の在り方に嫌気が差すが、後悔は先に立たない。
俺は、期待の色を宿した少女の瞳を真っ直ぐに見据えると、続けて――。
「迷惑を掛けたな。済ま――、いや、ありがとう」
「ちょっと怪しいのが、お姉さんらしいけど……。どういたしまして‼」
諸々のニュアンスを含む謝罪と謝礼の言葉を紡ぐと、
少女は心底から嬉しそうに微笑んで見せた。
その笑顔は燦々照らす砂漠の太陽のようで、
少しは信頼を置いても良いかと、そう感じさせるものであった。
因みに話の続きを聞く所によると、少女と騎士たちが再会したのは都市周辺とのこと。
つまり少女はあの後、蜥蜴から5km以上の距離を一人で逃げ果せたということになる。
俺という荷物を抱えて、だ。
戦うことの出来ない、か弱い乙女では無かったのかと、そう問い質したい所だが、
少女の能力すら把握していなかったことを女騎士に知られれば、
俺たち二人の関係性を疑われる要因となり得る。
故に深く追及することはせず、此処は少女の頭を軽く撫でて労うに留めておいた。
『ふむ……、姉妹仲睦まじそうで何よりだな』
そんな俺たち二人の様子を見て、勘違いしたのだろうか。
金髪の騎士は感慨深げにそう呟くと、何処か懐かしむような表情を浮かべた。
「ん? ボクたち姉妹じゃないよ?」
『そうなのか? ああ、そう言えば初対面の時も、仲間であると言っていたな』
「彼女には、私の補佐のような仕事をしてもらっている。ところで――」
それに対する少女のレスポンスは当然、否定の言葉である。
血縁に関する嘘を通すのはリスクが高過ぎるため、此処は否定しておくのが賢明。
しかし、なら一体どういう関係なのかと問われると、困ってしまうのが現状である。
何せ実は俺の性別が男で、少女に弱みを握られているが故に同行を許している、
などという真実を説明出来よう筈もないのだから。
故に俺は早々に話題を断ち切ると、続いて引っ掛かっている事柄について問い掛けた。
「先刻『突如として召集された』と言っていたが、何かあったのだろうか?」
『ああ、そのことについてだが……。
ゾディアック教の信徒によって、帝城が占拠されたとの一報を受けた』
「占拠……?」
『肯定。騎士団長様宛てに、教団からの声明文が届いたそうです。
女帝陛下並びに城内の人員は軟禁状態、人質に取られている状況にある、と』
「人質……? 一騎当万と名高い、あの戦乙女様が、か……?」
表情を真剣なものへと変えた金髪の騎士の言葉に、銀髪の騎士が無機質な声で繋ぐ。
余りにも非現実的な内容に思わず面食らうが、そんなことがあり得るのだろうか。
確かに、帝国騎士団の団員の殆どが国境上に配備されている関係上、
帝城の守りは多少なりとも希薄にはなっている。
しかしそれは偏に、現女帝の圧倒的個としての武力を信頼してのこと。
それにゾディアック教の総本山『マルセイユ神聖帝国』と『ヴァロワール帝国』は、
地理的にかなり遠く、安全な交易路が確立していないので、
油田の存在を加味しても扱い辛く、支配して得られる恩恵は余り大きくない筈である。
それどころか、無宗教の人民が大多数を占める帝国を攻め落とすというのは、
宗教自体の格を貶める行為に他ならないと思うのだが……。
『我らも初めは狂信者共の戯言であると、そう信じて疑わなかったのだが、
偵察部隊が調査した所によると、帝城周辺を信徒共が固めているのは事実らしい。
それに〖念話〗の魔道具を起動しても、帝城側からの応答が無いのだ』
金髪の騎士は苦虫を嚙み潰したような表情でそう答えると、拳を強く握り締める。
その情報が確かなら占拠したという声明も、ほぼ間違いなく真実だと言えるだろう。
如何にして女帝の懐へ潜り込み無力化したのか等、疑問に思う点は数多く存在するが。
『奴らは我ら騎士団の投降を求めている故、早急に帝都へと戻らねばならぬ訳だが……、
貴公らには関係の無い話だ。
そのまま戦になるやもしれぬ故、早々にこの国を立ち去ることをお勧めするよ。
命を賭して来訪してくれた手前、非常に申し訳なく思うのだがな』
それにしても戦になる……、か。
現女帝は外様の君主故、見捨てて戦うというのも、一つの選択肢ではあるのだろう。
「どうする? ダー……、お姉さん? ボクは帝都に用があるんだけど……」
「そうか、私もだ。――所で、傭兵という名目で同伴させて貰う訳にはいかないか?」
しかしこれで魔術師の予言の件が、遺憾ながら現実味を帯びてきた形となる。
であれば此処で、はいそうですかと引き下がる訳にはいかない。
正直な所、少女だけ帰したいというのが本音ではあるのだが、
頑なに帝都への同行を望む辺り、恐らく何かしら譲れない目的があるのだろう。
『傭兵か……。成程、団長の奴に相談してみるとするよ。
出立は明朝。一応、それまでに準備を済ませておけ』
「了解だ。恩に着る」
俺の唐突の申し出に、前向きな検討をしてくれると言う金髪の騎士。
今回のケースは、数が多ければ良いという単純な戦争とは少々事情が異なる故、
突っ撥ねられる可能性が高いと思ったのだが、
騎士団に同伴出来るのならそれに越したことはない。
断られた場合は当然、俺たち二人だけで帝都を目指すことになる訳だが、
安全面においても情報面においても、騎士団と行動を共にする方が好ましいだろう。
但し出発は明日の早朝と、余り時間は残されていない。
故に紛失した荷物の分まで、早急に準備をしなければならない訳だが――。
「取り敢えず、新しい服を買いに行くか」
「そうだね……。このままだと、ちょっと恥ずかしいし……」
最優先すべきは、少女の服装だろう。
頬を赤らめてそう言う少女の様子は何とも居た堪れないし、流石に目のやり場に困る。
俺たちは二人の女騎士に再びの礼をして別れを告げると、町の中心部へと歩き始めた。




