第五十一話「飴と鞭」
半年後:『リヴァリエ王国』―― 帝都「レヴィアルス」
大海臨む高台の上に建設された、最高級ホテルの一室。
複数の部屋で構成された、所謂スイートルームと呼ばれる空間で、
アレフたちは二人、優雅な朝食と洒落込んでいた。
「美味いな……」
「当然でしょう。私の手製だもの――」
率直な感想を述べながら『雷鳴鮫』のテリーヌを口へと運ぶアレフ。
そして、格式高いテーブルを挟んだ向かい側には、
実に艶美な所作で紅茶を嗜む少女――、ダレットの姿があった。
アレフは上下スーツに蝶ネクタイの、フォーマルな使用人スタイル。
ダレットは早朝ということもあり、淡紅色のネグリジェに身を包んでいる。
「それにしても――、どうしてこうも多才なんだ……?」
「乙女の秘密を探るのは、マナー違反よ」
アレフの素朴な疑問をヒラリと躱す、二色髪の少女。
ダレットという少女は、戦闘面は勿論、学問・芸術・家事等、
ありとあらゆる分野において高い水準を誇る完璧超人。
仮に人間の持つ魅力を区分化して羅列したとすると、
性格以外の項目全てに花丸が付くような人物である。
その余りの万能さ故、実は人間ではないのではないかと、
アレフはそう思い始めていたりもするのだが。
「食べさせてあげようか?」
未だ慣れぬ手付きで銀食器を扱うアレフを見遣ると、ダレットは甘い声でそう囁く。
健全な男子であれば、即刻yesと答えるであろう魅力的な提案。
しかしアレフは、心底気疲れしたような表情を見せると、短く返すに留めておいた。
「――結構だ」
「あらそう? 残念――」
全く以って残念そうでない表情を浮かべると、優雅なティータイムを続行するダレット。
アレフは初め、ダレットの提案を無下にすることは自殺行為であると考えていたのだが、
彼女の沸点には一種の法則性があることを、半年に及ぶ同居生活の中で理解していた。
ダレットが時折見せる、アレフへの指示は主に二種類。
提案と命令。
提案は断ってもセーフだが、命令を断ると一発アウト。
アレフの身体の何処かしらが、宙を舞うという未来が待っている。
故にダレットの台詞・表情などから、
そのどちらであるのかを慎重に吟味する必要があるのだ。
いっそ全肯定のイエスマンになってしまえば、と考えたことは何度かある。
しかし、アレフの無けなしの反骨精神が、少女の操り人形と成ることを拒絶していた。
それにそうなった時点で、ダレットはアレフへの興味を失うだろうという確信もある。
用済みとなったから捨てるとなれば、それはアレフにとって都合の良い展開であるが、
用済みとなったから処理するという可能性も否めないのが辛い所である。
「ご馳走さま。さて……」
無事に朝食を終えたアレフは漠然とした何かに礼を告げると、
続いてテーブルの上に置いてあった情報誌を手に取る。
『こちらレヴィアルス情報局』というふざけた文言の踊る誌面には、
王都やその周辺地域に関する情報が、所狭しと軒を連ねている。
傭兵・冒険者向けの情報半分、観光客向けの情報半分といった割合で、
随時更新されている旅人必見のガイドブック。
そしてそんな情報誌には、最近巷で話題の二人の情報も掲載されていた。
「しかし、下僕だの愛玩犬だの、散々な言われようだな……」
誌面に踊るアレフの二つ名は〝美姫の下僕〟
それならまだ良い方で〝令嬢の愛玩犬〟などという明確な蔑称も存在する。
「あら、何も間違っていないじゃない」
「それはそうだが……」
そんなアレフの嘆きを耳にしたダレットが横槍を入れてくる。
例え自覚していたとしても、他人から言われると気に障る。
それが人間という生物の性質なのである。
「それにしても、美姫に令嬢か……。目付いてるのか? 此奴ら……」
「へえ……、じゃあ私にはどんな称号がお似合いだと……?」
「暴力、凶悪、嗜虐……。〝嗜虐性乙女〟なんてどうだ?」
「言うようになったわね……。そんなに遊んで欲しいのかしら?」
「冗談だ。忘れてくれ」
何と無しの抵抗を試みるアレフだったが、情けなくも一瞬で発言を撤回する。
ダレットは命令への違反行為以外、基本的に寛容な姿勢を取っているので、
割と何を言っても許される訳だが、
言の刃が彼女に刺さらない以上、アレフの溜飲が下がることもない。
「それなら行くわよ――、ハイエステ王国殲滅」
「は……?」
そんなアレフの心中など露知らず。
マイペース此処に極まれりといった様子のダレットは、
何の脈絡もなくそう高らかに宣言すると、続けて――。
「この国の景観にも飽きてきたのよ……。丁度、手頃な国家も在ることだし」
心底退屈であるといった面持ちで、物騒なことを口走る少女。
色々と突っ込みたい気持ちを抑えて、アレフは深く思考する。
これは間違いなく、提案ではなく命令の類。
大人しく従うのが、利口な選択ではあるのだが……。
王国の殲滅。
この場合は恐らく人民の虐殺――、ではなく支配者階級の入れ替えを示す。
ダレットは傍若無人な性格である反面、民間人に手を下したことは一度も無い。
アレフ自身もこの半年、数人の殺害を余儀なくさせられているが、指定される対象が、
悪名高い支配者階級と凶悪な族に絞られていることも、その証拠だと言えるだろう。
ダレットの慈悲なのか、それともポリシーなのか。
真偽の程は定かでないが、その御陰で殺人に対する忌避感の強いアレフでも、
何とか自己肯定感を失わずに、ギリギリの所で正気を保てているのである。
とは言え、人を殺めれば繰り返し嘔吐するし、数日間寝込むことも多い。
そんな状態で複数人の殺害を強いられれば、恐らくアレフは廃人と化すだろう。
「――それは、もう少し待ってくれないか……?」
アレフが気付いた時には、既に断りの言葉を口走っていた。
身体の欠損などどうでも良い――、とまでは言わないが、
それ以上に、短時間で多人数を殺めることへの恐怖が上回った結果である。
「名声を上げたいのではなかったのかしら?」
「特別な拘りはない」
「そう……」
アレフの述懐を聞いたダレットは、右手をシャープな顎に当てて沈黙。
思わずトリミングして飾ってしまいたくなるほど、絵になる麗しき少女の思考姿。
そんな彼女から下される判決は、腕一本でこと足りるだろうか……。
「まあ良いわ――。壊れられても、面白くないものね……」
暫しの間俯いていたダレットは、やがて顔を上げると仕方なく返答。
アレフは彼女の意外な判決に驚きつつも、ホッと胸を撫で下ろしていた。
「その代わり、賭博場――というのかしら? 一度行ってみたいわね……」
テーブルの上で開きっ放しになっていた、情報誌の一ページ。
ダレットはそこに記載されていた施設に興味を示すと、観光への意欲を見せる。
ダレットはこう見えて、世間知らずの箱入り娘である。
何でも卒なく熟せるが、常識不足で好奇心旺盛なお嬢様。
そう聞けば何となく魅力的に感じられるのだから不思議であるが、現実は甘くない。
まあ箱は箱でも、差し詰めパンドラの箱出身といった所であろう故、
仕方ないことではあるのだろうが。
「承知致しました、お嬢様」
ダレットの要望を聞いたアレフは、右足を後ろへ右手を身体の前で直角に曲げると、
彼女の前で大仰な、ボウ・アンド・スクレイプを披露する。
普段は可愛げの欠片もないダレットであるが、今この瞬間アレフの瞳には、
純粋な好奇心に突き動かされる無邪気な少女の姿が映し出されていた。
「私を堕とすには、百年早いわよ?」
それは正に飴と鞭。
順調に洗脳されている証なのだが、気付かない幸せというモノもあるだろう。
二人は暫しの休息の後、美しい純白の町へと繰り出していった。




