第五十話「とある鮮烈な思い出」
九年前:『オーラヘイム帝国』―― 迷宮都市「ラベリン」
龍骨山脈の地下部で次々と発見された迷宮群。
その最寄りの宿場町として繁栄している巨大都市。
一攫千金を目論む傭兵や冒険者、屈強な男たちで賑わうこの町を、
一人歩く少年の姿があった。
十代にも満たない少年の矮小な体躯は、聊かの場違い感を演出している。
「10万sか、割に合わないな……」
少年――アレフは、通りすがりの傭兵から掏った金貨袋を確認しながら、
軽い嘆息と共に、そんな愚痴を溢していた。
金貨袋の中には白金貨が10枚見えるだけ。
実に貧相な懐具合である。
この程度では一ヶ月保つかどうか。
今後の生活を考えると少々心許ない、そう思考していた矢先――。
荒れ狂う男の怒声が、アレフの耳を叩いた。
『待ちやがれ、てめえ――‼』
「――――、失敗か……」
瞬時に理解する、スリの失敗。
金貨袋を盗まれたことに気付いた傭兵が、アレフを追い掛けてきたのである。
何故、アレフが犯人であることを特定出来たのかは闇の中であるが。
凄まじい勢いで背後から迫ってくる、ツギハギ鎧の傭兵男。
前方には彼の仲間と思われる、同じくボロ鎧を着用した男が二人。
アレフの退路は、既に断たれてしまっている。
『お前らしいな? 俺様の金を奪いやがったのは――⁉』
「…………」
『何とか言ったらどうなんだ、このクソガキ――‼』
怒気を孕む叫声を上げながら、アレフへと肉薄した傭兵の男は、
その右拳を大きく振り被ると、思い切り顔面へと叩き付けた。
「っ……」
『バキッ‼』という鈍い音と共に、吹き飛ばされるアレフの肢体。
アレフはその勢いのまま、建物の壁面へと叩き付けられると、
力無く崩れ落ち、全身から血液を流し始めた。
咄嗟に取った受け身も虚しく、何本か骨がやられている。
「…………」
それでも尚、沈黙を貫くアレフの姿。
相手が一人であるならば、抵抗することも可能であったのだ。
幼いアレフとはいえ、持ち前の才能と四年弱の傭兵生活も相俟って、
そこらの傭兵とは渡り合える程の実力は有している。
しかし、相手は三人組。
それに、能力の判然としない相手と一戦交えるのは、得策であるとは言えない。
そんな様々な事情を加味した上での、忍耐という選択。
男の気が済むまで殴らせれば、溜飲も下がり、今後粘着されることも無くなるだろう。
地を這い、泥を啜る生活の中で、アレフが身に着けた哀しき処世術である。
『誰の金に手ぇ出したか、その身に思い知らせてやるよ……』
未だ怒り冷めやらぬといった様子で、アレフへの追撃を試みる傭兵の男。
当然周囲の人間もその光景を目視しているが、止める所か囃し立てる始末。
蛮族の国において、窃盗や喧嘩など日常茶飯事なのである。
しかし、そうは言っても此処は往来のド真ん中。
然しもの傭兵も殺すまではしないだろうと、
そう覚悟を決めたアレフが、男による蹂躙劇を受け入れんとしていた――。
その時――。
「大丈夫かしら?」
目の前に立ち塞がる、一人の少女の姿を視界に捉えた。
少女は羽織っていた鈍色の外套を脱ぎ捨てると、その美しい容姿を露わにする。
鮮烈。
強いて表現するなら、その一言以外有り得ない――、苛烈な風貌。
朱色と黒色の入り混じる頭髪は、一本の簪によって美しく束ねられており、
薄翠色の透き通る瞳は、全ての人間を虜にする魔性の輝きを放っている。
見た目で判断するならば、その年齢は十代に差し掛かった辺りだろうか。
しかし、豪奢な真紅のドレス越しでも窺える、その煽情的な肢体は、
妖艶な色香を振り撒き、見る者の感覚を惑わしていた。
『な、何だてめえは……?』
「幼気な子供を虐めるなんて、うら――、見過ごせないでしょう?」
『は……? 元はと言えば此奴が……』
「言い訳を聞く趣味は無いわ」
少女の人間離れした美しさに見惚れていた傭兵も、やがて動き出そうとする。
が、それが実行に移されることは無かった。
何故なら――。
『パチンッ――』
『『『――――⁉』』』
少女の鳴らした華奢な指先。
たったそれだけで、場に居合わせた全ての人間が――、泡を吹いて倒れ始めたのである。
少女とアレフの二人を除いて。
「大丈夫? ケガは……、ありそうね」
「――――」
少女は血塗れのアレフを見据えると、心配するような言葉を掛ける。
そして一方のアレフはというと、今度は驚愕の余りか沈黙を貫いていた。
*
場所は移り、薄暗い倉庫の中。
嘗て商館の保管庫として機能していた建物も、
時代の流れと共に風化し、今では廃墟と化している。
人気のない密室に、うら若き二名の男女。
当然、甘味と酸味の入り混じる、青春な雰囲気が流れ――てはいなかった。
「聞いてるの?」
「…………」
「助けて貰っておいて無視っていうのは、どうかと思うのだけれど……?」
「…………」
血を流したままのアレフと、対話を試みる美少女の構図。
アレフは満身創痍の状態で、少女に無理矢理引っ張られてきたこともあり、
彼女に対する敵愾心をMAXにしているのである。
当然そこには、先程少女が齎した超常現象に対する警戒心も含まれている。
「もう、仕方ないわね……」
諦めたような声で小さく呟いた少女は、
美しい二色の髪を束ねていた簪を外すと、その華奢な手で掴む。
と同時――、刹那の一閃。
「は……? アァ――⁉」
目にも止まらぬ速度で弧を描く金色の簪は、
アレフの右親指を――、根元からスッパリと切断した。
「あ、やっと喋ってくれた」
右手を抑えながら悶絶するアレフを見遣ると、少女は嬉しそうに一言。
鮮血を帯びながら地面へと落下する母指は、沈黙を貫いたアレフへの罰か否か。
孰れにせよ、少女にとっては物理的にも精神的にも、造作もないことなのである。
「冗談よ。はいこれ、万能治療薬」
アレフは激しい痛みの中で、少女の言葉を認識する。
冗談、とは一体何のことであろうか。
たった今、紛れもない身体の一部が失われたというのに。
そんな思考に陥っていたアレフであったが、
少女の手によって治療薬を浴びせられると、忽ち全身の傷が癒えていく。
身体を蝕む痛苦は浄化され、アレフの顔色は徐々に生気を取り戻していった。
「か、感謝する……」
このまま無言を続けると、今度は腕ごと持っていかれる。
そう直感したアレフは、慌てて謝礼の言葉を口にする。
明らかに尋常でない少女の存在は、しかし、現状トータルで見ればプラス。
礼を言うくらい、確かに人として当然の振る舞いであると、そう思い直し――。
「別に感謝の言葉なんて、要らないのだけれど」
「………」
思わず額に青筋を立てそうになるのを、既の所で回避するアレフ。
謝礼を求めていないのなら、今の一幕は一体何だったというのか。
そんな理不尽な少女の存在は、アレフの心中を大きく搔き乱していた。
と、同時。
殆ど失われていた筈の感情を、取り戻しつつあることに驚く。
持ち物を全て簒奪された際も、男娼として売り飛ばされた際も、
特段何も感じていなかったアレフであるが、
今この時だけは、自棄に感情が昂っているのを自覚していた。
そんなアレフの心情を知ってか知らずか、少女は続けて言葉を紡ぐ。
「それよりもちょっと戦ってみない? アナタの自由を賭けて」
「自由……?」
「そうよ。私がアナタを助けたのだから、アナタは既に私のモノ。違う――?」
「は……?」
少女の言葉に、思わず絶句するアレフ。
何と傲慢。
何と自己中心的。
違うも何も、とんだ勘違い女である。
これまで様々な傭兵や冒険者たちを見てきたアレフであったが、
それでも他に類を見ない――、理不尽の権化。
しかし、此処で否定しようものなら、即座に第二の刃が飛んでくるだろう。
「違……わない」
「それで良いのよ。でも――、アナタが勝ったら、解放してあげるわ」
「負けたら……?」
「解放しない、それだけよ」
渋々といった様子のアレフに、淡々と返す二色髪の少女。
何とも不遜なもの言いであるが、アレフに拒否権など存在しないのである。
嗜虐心の塊のような少女の所有物になるなど、命が幾つあっても足りない。
そう考えたアレフは即断即決、抗うことを決意する。
戦いにおける定石、それ即ち先手必勝。
アレフは懐に忍ばせてあった短剣に手を掛けると、
一閃――。少女の脚部目掛けて、漆黒の剣戟を見舞う。
あわよくば踵骨腱を穿たんという、致命には至らぬ不意打ち。
一応は、恩義のある相手だ。
殺しまでする必要は無いだろう、と。
そんな甘い考えで放たれる剣尖が、少女を捉えられる筈も無く――。
次の瞬間、少女の姿はアレフの視界から消えていた。
「期待外れ、かしら……?」
動きを先読みしていたのか、少女はアレフの背後へと回り込むと、
投擲――。華奢な指先から放たれる超速度の簪は、
アレフの頬肉を軽く削ぐと、倉庫の壁面へと突き刺さった。
「――――⁉」
驚愕――、と同時、アレフは己が認識の甘さを痛感する。
間違いなく、少女は殺す気で狙っていたのである。
虫の知らせとでも言うべきか、アレフの感じ取った濃密な死の予感。
咄嗟の回避行動が無ければ、脳髄は今頃串刺しとなっていたことだろう。
「へえ、意外と動けるのね……。何故、さっきは抵抗しなかったのかしら?」
「――後々面倒になるからだ」
額からダラダラと冷や汗を流しながらも、少女の問い掛けに応えるアレフ。
恐らく先程の傭兵の話をしているのだろうが、そんなことはどうだって良い。
今はこの女から逃れる術を、一つでも多く考えなければならない――と。
「嘘ね。――アナタ、殺すのが怖いんでしょう?」
「――――⁉」
「優しさとか、そんな高尚なモノでもない――。只、臆病なだけ……」
「――お前に何が分かる……」
少女の嘲笑うかのような言葉を聞いたアレフは、その瞳に始めて憤りの感情を灯す。
直前まで脳内で展開されていた、逃げの思考が全て吹き飛んでしまうほどの憤怒。
「やっと良い顔になったわね」
そんな少女の嬉しそうな言葉も、既にアレフの耳には届かなかった。
周囲の世界を置き去りにして、己が思考の檻にその身を委ねる。
速く。
より速く。
今の能力で出来るのは、只速く疾走すること。
美しい容姿も、培った経験も、少女の前では全て塵芥に同じ。
ならば、全てをかなぐり捨てて突貫するのみ。
アレフは一歩、そしてまた一歩と、強く地面を蹴り上げると超速度で少女へと迫る。
その姿は正しく、獰猛な獅子に立ち向かう小さな猟犬のようであった。
「ガァァ――‼」
らしくもない咆哮を上げながら、勢い増して疾走するアレフ。
しかし――、その決死の刃が少女へと届くことは無かった。
「悪くない……。けど、まだまだね」
少女が懐から取り出した、二対の扇。
両手に構えられたそれらは美しい舞いを演出すると、
垂直方向へと伸びる小規模の竜巻を発生させた。
自身の上空――、顕現した竜巻を諸に受けたアレフは、
強烈な風圧に抗うことなど出来る筈も無く、地面へと縫い付けられる。
「ぐっ……」
少女の足元へと無様にも這い蹲るは、牙を捥がれた哀れな猟犬。
豪奢なハイヒールと床面による圧迫を受けて、端正な顔立ちが痛苦と屈辱に歪む。
しかし、そんな絶望的状況において尚、アレフの瞳は鋭く少女を睨み続けていた。
「アナタ気に入ったわ。私好みの男になるまで調教してあげる」
未だ諦念を宿さぬアレフの眼光を受け取った少女は、
絢爛たる扇を口元に当てると、嗜虐的な笑みを浮かべて尚も言い放つ。
「私の名前は『ダレット・アルドール』。以後よろしくね?」
これがアレフとダレット――、災厄の出逢いの始まりである。




