閑話「If or Heaven」
ヘットとパティアの話です。
昔から、寝起きは良い方だ。
毎日、決まって同じ時間に目が覚める。
夢の中では、自分を蔑む人々の声が聞こえてきて、
その声から逃れようと、飛び上がるように起きてしまう。
でも、いつからだろうか――
それが愛おしい、天使のような声へと変わったのは……
天井。
何度も見上げた、純白の天井。
窓から吹き込む柔らかな風が頬を撫でると、俺の意識は覚醒への一途を辿る。
そして――
徐々に明瞭になる視界の隅で、幸せそうに眠る最愛の人を認識した。
『ヘット……、そっちじゃないよ――。むにゃむにゃ……』
寝ているのか疑わしくなるほど、鮮明に言の葉を紡ぐのは、一人の淑女。
太陽に照らされて光り輝く薄紅色の長髪が、俺の心を支配したかと思えば、
身を包むネグリジェが少し開けて見える美しい鎖骨に、視線を奪われてしまう。
その寝顔は幼い少女のように純粋無垢で、
思わずメチャクチャにしてしまいたくなる、そんな魔性の魅力を放っていた。
愛おしい彼女をずっと見ていたい、そんな衝動に駆られた俺は、
しかし、その欲望を心惜しくも断ち切ると、華奢な肩を揺すり話し掛ける。
「なあ、パティア……。今日は折角の二人の休日だろ? 何処か出掛けたくはないか?」
『ん……』
俺の声が届いたのか、薄っすらと瞼を開けて此方を見据える――パティア。
彼女の丸い瞳は、いつ見ても惚れ惚れするほど、綺麗な橙色をしている。
『えー……、じゃあヘットが起こしてよ。おはようのキ――』
未だ覚醒し切らぬ意識の中で、悪戯っぽく微笑む桃髪の淑女。
そんな彼女の言葉を受け取った俺は――、迷わずその唇へと口付けをした。
『――――⁉』
不意打ちを食らったように赤面するパティアは、暫しの間抵抗を見せていたが、
やがて観念したのか、その細い身体を俺に委ねてくる。
良いよと言われて、我慢する方が無理な話なのである。
柔らかい唇の感触を心行くまで堪能した後、
俺たちは、自然の奏でる美しい旋律を耳にしながら、早朝の甘いひと時を過ごした。
*
『「いただきます」』
手を合わせて、食材に感謝を述べる。
そんな何とも利己的で、日常的な風景が広がるのは、とある一軒家の居間。
食卓を彩るのは、円柱型の生地と果物の搾り汁のみ。
ふわふわに仕立てられたそれは、所謂スフレパンケーキという奴だ。
パティアの友人だという御夫婦に教えてもらったのだが、これが何とも難しい。
完璧に仕上げるまでに半年もの時間を要したことからも、
その努力が垣間見えるというものだろう。
まあ、そんな苦労も彼女の笑顔を見れば、全て吹き飛んでしまうのだが。
『美味しいっ‼ やっぱりヘットは、主夫の才能があるよ‼』
パンケーキを口へと運んだパティアが、目をキラキラと輝かせながら褒めてくれる。
基本的に時間の合うときは相互に食事を作り合って、
それを称え合うというのが、俺たちの間に存在する習慣となっている。
尤も俺は軍隊の師団長、パティアは宮廷画家としての務めがあるので、
毎日のように食事を共にするという訳にはいかないのだが。
『軍服姿のヘットはカッコイイけどさ……、あんまり無理して欲しくないかな……』
「いや、それは流石に……。俺のプライドが許さないというか……」
『えー……いいじゃん、別に専業主夫でも――』
可愛く頬を膨らませながら、そう訴える桃髪の淑女。
因みにパティアは、国家有数の天才画家である。
故に、俺が働きに出る必要は無かったりするのだが――
流石にパティアに養ってもらうだけの、ヒモ男には成りたくないからな……
そんな他愛ない会話を続けていると、時間とは過ぎていくものだ。
時に食べさせ合いながら、なんてやっているとそれは更に加速する。
四十分にも及ぶ長くも短い朝食を終えた頃、パティアが徐に問い掛けてきた。
『そう言えば、今日は何処行く? 水浴びとか……?』
「それも魅力的だが――、実はもう決まってるんだ。付いてきてくれるか……?」
『――ん? 良いけど……』
頭に?マークを浮かべつつ、了承の意を示すパティアに愛おしさを感じながらも、
俺は一世一代の大勝負に出るべく、その神経を研ぎ澄ませていた。
*
『わあ……。何だか、懐かしいなあ……』
「そうだな……」
太陽も頂点へと上りつつある時刻。
俺たちはというと、城下町の外れへと足を運んでいた。
周囲には数件の質素な住宅が存在するだけの、町から見放された地区。
凡そ男女のデートには似付かわしくない、そんな寂れた空間が広がっていた。
しかし此処は俺たちにとって、掛け替えのない大切な思い出の場所である。
何せパティアと――、初めて出逢った場所なのだから。
『此処で死んだ目をした、ヘット少年と出逢ったんだね……』
「うっ……、改めて言われると恥ずかしいな……」
そう言いながら、感慨深げにうんうんと頷く桃髪の淑女。
先程までの妖艶なネグリジェに代わって、
身に着けられた緑色のワンピースは、何処か快活な印象を齎している。
俺はそんな彼女を真っ直ぐに見つめると、短くその名前を呼んだ。
「パティア」
『……はい』
今から何を言われようとしているのか、恐らく勘付いているのだろう。
頬を僅かに赤く染めたパティアは、静かに、続く俺の言葉を待っていた。
「二人で幸せになろう――パティア」
『――――‼』
一瞬――、世界が止まったかのような錯覚を覚える。
ドクドクと高鳴る鼓動だけがその存在を声高に主張し、
幾度となく重ねてきた練習の記憶が、全て空白に染め上げられていく。
しかし、いつまでも突っ立っている訳にはいかない。
もう俺は、あの日の俺とは違うのだから。
短く告白の言葉を紡いだ俺は、その美しい朱眼に涙を湛えるパティアの前に跪くと、
懐から取り出した純白の箱を開き、輝く指輪を彼女へと捧げる。
指輪に選んだ宝石は当然、日長石。
太陽のようなパティアに、ピッタリの宝石だ。
それと俺たち二人の、輝かしい未来への願いも込められている。
俺が求めるのは、パティアの幸せと――、ついでに俺自身の幸せ。
俺の思い描く幸せな未来図に、パティアが居ないなんて事はあり得ない。
彼女もそう思っていてくれたら嬉しいと、
そんなことを思いながら、尚も言の葉を紡いでいく。
「俺一人でも強くなれるんだって、教えてもらったよ……。
でも、幸せを掴むには――、君と二人でなければ無理だ」
何とも自分勝手な物言いであると、自分でもそう思う。
でも知ってしまったんだ――
君の優しさを。
君の温もりを。
「俺と――、結婚して下さい」
『はい――、お願いします』
パティアの美しい瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。
宙を舞う雫の行く先を見届けた俺は、彼女の小さな手を優しく包み込むと、
その華奢な薬指に、朱色の輝きを放つ指輪を嵌めた。
これから先、どうなるのかは分からない。
この世界は、不条理に満ち溢れている。
それなら――
世界が、常に変わり続けるというのなら、
せめて自分の意思だけは、変えずに生きていこうと思う。
もう――、迷いなんて要らない。
全部守ると、そう決めたのだから。
此れにて二章完結です。
お読み頂きありがとうございました。
少し忙しく、投稿が遅くなっていますが、
三章もお付き合い頂ければ幸いです。




