第四十五話「男の淑女」
――アイン視点――
日も沈みつつある夕刻。
俺はホームへと戻るべく、遊行船を走らせていた。
「やべ……、夕食作んねえと……」
時刻は午後六時半を回った頃。
アレフ一人に任せると消し炭を食う羽目になるので、
一刻も早く、夕食の準備を始める必要があった。
六芒星を象った孤島に辿り着いた俺は、その一角に遊行船を止め、
透明の半球に包まれた我が家 (アレフのだけど)へと入っていく。
鈴の鳴る音と共に迎えられる玄関を抜け、居間を目指して歩いていくのだが……
そこには――
「は……?」
「ようやく戻ったか――、アイン」
鏡台の前で静かに佇む、一人の女の姿があった。
いや――、正確には女の形をしたアレフの姿だ。
絹糸の如き艶美さを湛える白銀の頭髪は、背部まで丁寧に梳かれており、
切れ長の瞳を更に印象付けるためか、瞼に影を差し込んでいる。
惜しむらくは一切の露出を許さない、その出で立ちだろうか。
白一色の戦闘服に包まれた、その細い肢体には僅かな起伏があるのみで、
宛ら戦場に舞い降りた、純白の戦乙女という相貌を呈している。
「うわ……。久し振りに見たな、それ……」
そんな変わり果てた相棒の姿を目にした俺は、思わずそう呟く。
俺は別にアレフの女装姿が、初見という訳ではない。
というのも女装は、時の権力者を殺める際の、有効な手段と成り得るからだ。
斯く言う俺も、一度やらされたことがある。
色仕掛けとは聊か古典的ではないか、そう思われていたりするのだが、
目標が碌な奴でないほど、その真価を発揮する。
権力者というのは、得てしてどうしようもない癖を持っていたりするものだ。
まあ、それは兎も角。
問題は、何故今それをしているのかという点なのだが……
「大丈夫か……? 頭とか……」
「――俺が趣味でやっていると思うか……?」
男の俺でもドキリとするような、冷たい視線を向けてくる銀髪の淑女。
ん……?
いや、男の俺だからドキリとするのか……?
少し混乱してきたな……
しかし趣味でないなら、一体何だと言うのだろうか。
「で――、何のためにそんな恰好してるんだ……?」
「アイン……、しばらく別行動を取らないか?」
透き通るような琥珀色の瞳に、真剣な色を宿したアレフは、
俺を真っ直ぐに見据えると、そう告げた。
*
――アレフ視点――
「――理由を聞いても良いか……?」
特に驚いた様子もなく、只、問い掛けてくるアイン。
「ヴァロワール帝国に用事が出来た。――お前には何の関係もない件だ」
別に一生の別れという訳ではない。
只、今のアインの状態を考えると、俺とは距離を置いた方が良いと判断したまでの話。
それに目的のあるアインを、
判然としない俺の旅に、同行させる訳にもいかないからな……
「そういうことか……。――分かった、そうしよう」
もう少し何かあるかと思ったが、意外と淡泊に了承するアイン。
普段であれば、「俺も行こうか?」などと言ってくる所だが……
好都合には変わりないので、まあいいだろう。
「しかし、ちょっと変わったな……。前は美少女って感じだったけど……」
そんなことを呟きながら、俺の装いを凝視してくるアイン。
別に他意は無いのだろうが、何ともまあ絶妙に気持ち悪い。
少し確認のために整えただけなので、そろそろ元に戻しておこうか。
そんなことを考えていると、視界の隅に映る二人の姿を認識した。
『『――――⁉』』
驚くような表情の中に、僅かな敵愾心を潜ませる少年――レイと、
純粋な驚愕からか、持っていた皿を床面へと叩き付ける少女――レナ。
『ど、どなたですか――?』
『綺麗な人……』
そして、「ガシャーン‼」という破砕音と共に砕け散る一枚の大皿。
「俺だ。――しかし、これなら大丈夫そうだな……」
二人の反応から察するに、女装自体に問題は無いようだ。
目的の人物に出会う前に、捕まって打ち首では流石に笑えないからな。
「水縛縄」
一先ず床に散乱するガラスの破片を、魔術によって一点に集めておく。
『アレフさんですか……⁉』
『ご、ごめんなさい‼ でも――、別人みたい……』
信じられないといった様子で、同時に頭を振る少年少女。
余り似ていないと思っていたが、こうして見るとそっくりだな……
そんな益体のないことを考えていると、
何かを思い出した様子のレイが、俺たちに向けて喋り掛けてくる。
『……あ、夕食出来ましたよ。冷める前にどうぞ――‼』
夕飯については兄妹二人が協力して、用意してくれたようだ。
一回りも下の二人に任せ切りになるとは、何とも情けない話であると、
そんな柄にも無いことを、最近は考えてしまう。
0か100か――
必要な事とそうでない事を選別してきた、自身の在り方に疑問を覚えながらも、
俺たちは、温かく彩られた食卓へと向かっていった。
*
とある帝城の一室。
薄紅・赤・橙という暖色系等を基調とした、絢爛豪華な部屋の内部。
窓辺に佇む一人の淑女の姿と、
縮こまるように跪く、貴族然とした中年女の姿があった。
「ねえ……。どうして私の許可なく税率を引き上げたのか……、説明して貰える?」
落ち着いた声音――、然れど圧倒的な威圧感を内包する、淑女の一声。
彼女は沈黙を貫く女を一瞥すると、手に携えていた錫杖を軽く投擲する。
撓やかな動作から放たれる金色の錫杖は、綺麗な放物線を描くと、
女の目の前の絨毯へと、超速度で突き刺さった。
『ヒィ――⁉』
それは帝国に古くから伝わる、由緒正しき至上の一品。
淑女はそんな逸品を、まるで量産品の槍でも投げるかのような感覚で放って見せた。
そんな彼女こそが――
『ヴァロワール帝国』第二十九代女帝「ダレット・ロイエ・ヴァロワール」その人である。
鴉の濡羽色の艶やかな黒髪と、沈む夕陽を想起させる鮮やかな朱髪。
二色のセミロングに切り揃えられた頭髪が、絶妙なコントラストを成している。
また、楔石色の麗しい薄翠眼は、見る者全てを魅了する魔性の輝きを放っており、
彼女の備える容貌は、どんな美辞麗句を並べ立てても表現し切れないほど、
人間離れした美しさを誇っていた。
そんな彼女の誰もが見惚れる美貌は、これまで数多の男たちの求婚を玉砕してきている。
そう、彼女は完璧な女性なのである。
――その内面さえ、知り得なければ。
『そ、その件に関しましては……、事情が――』
焦るような口調を以って、弁解を試みる中年の女。
しかし、女帝の興味は既に女から離れている。
彼女は心底億劫そうな様子で窓の外に視線を遣ると、その華奢な指を小さく鳴らした。
すると――
『アァァァ――⁉』
軋むような音を奏でながら、中年の女が床面へと減り込んでいく。
右腕を中心に展開する重力場によって、真紅の絨毯へと縫い付けられる女は、
徐々に砕けていく骨を知覚しながらも、苦悶に満ちる呻き声を上げていた。
「早く戻しなさい……。――次はないよ……」
息も絶え絶えといった様子の女を、氷点下の眼差しで一瞥した女帝は、
その女を退場させるべく、部屋の隅に控えていた侍従へと視線で合図を送る。
そして再び窓の外へと視線を向けると、物憂げな表情で何処か遠くの空を見詰め始めた。
「はあ……。あの頃に、戻りたいな……」
そう小さく呟きながら、色褪せた首飾りを大事そうに撫でる彼女は、
ほんの一瞬だけ、恋する乙女のような可憐な表情を見せた。




