第二話「龍骨の洞窟」
「また、あの夢か……」
窓から入り込む爽やかな風が頬を撫でる。
鳥たちの唄声は天にも届きそうなほど清く高らかで、直前まで感じていた恐怖が、
徐々に和らいでいくような錯覚を覚える。
俺は少し皺のできた専用の枕からカバーを取り外すと、洗濯籠に投げ入れた。
そしてそのまま洗面所へと向かうと、コップ一杯分の水を注ぎ――
「いつまで寝てんだ。早く起きろ」
「…………!? ……痛ってえ!! 鼻入ったんだけど!!」
顔面に水をくらったアインがひとしきり悶えた後、恨み言を吐いてくる。
「頼むから、起こすときに水使うのやめてくれない?」
「お前の気持ち良さそうな寝顔を見てると、無性にイライラする」
「酷え……」
現在の時刻は朝の6時5分。
起床時間は6時丁度のはずなので、文句を言われる筋合いはない。
「嫌ならもっと早く起きろ。早く着替えて朝食行くぞ」
「お前も着替えまだじゃねえか……。(今度絶対仕返ししてやる……)」
アインの決意に満ちた眼差しを受け止めながら、戦闘服に袖を通す。
いつ何時敵が攻めてくるか分からないこの世界では、
油断一つで命を失うこともあるのだ。
*
宿屋の一階――やや広い食堂には、既に何組かの先客がいた。
「日替わり朝食二人分」
「なあ、いい加減内容確認してから注文しないか?」
「安い方がいいだろ。食えないものは出てこない」
「俺たち駆け出しじゃないんだから、そこまで倹約しなくてもいいだろ……」
アインの嘆きを無視して朝食を受け取ると、隅の席に陣を取る。
「朝からステーキかよ……。これ昨日の竜人だよな?」
特大の肉の塊を前に、アインは嫌そうな顔をする。
竜人の肉は美味くもないが、別に不味くもない、
一般的な宿屋ではよく見かける食材だ。
「大方死体漁りが持ち帰ったやつだろう」
「なんか複雑な気分だな……。あー……そういえばクエストの達成報告行ってないだろ」
観念して肉の塊に齧り付いたアインが、咀嚼しながら器用に話す。
因みに昨日の「双頭の竜人」殲滅の依頼は冒険者ギルドから出されたもので、
不特定多数を対象としたものだ。
ギルドは傭兵用・冒険者用・研究者用の三つが存在しており、
俺たちは研究者以外の二つに所属している。
一応階級なんかもあってF~Sに分かれているが、
それが実力を示す根拠とはならないのが面倒な所だ。
俺たちの階級は傭兵がA、冒険者がB。
といってもこの二つには明確な境界線はなく、ほとんどの奴が掛け持ちしている。
強いて言えば、傭兵は人殺しで冒険者は魔物殺しといったところだろうか。
世間では傭兵の方がランクを上げるのが難しいなどと言われているが、
結局は精神的な問題でしかなく、
人を殺せない奴は大抵魔物も碌に殺せないことが多い。
まあ、それが正しい価値観なのだろうが――
「今日行っている暇はないぞ。食事が終わり次第すぐこの国を出る」
「忙しないな……。それはそうと作戦会議って話すことあんのか? どうせ暗殺一択だろ?」
今月のステイタスを見る限り、取れる手段はかなり限られてくるからな。
「当たり前だ。目標は把握してるか?」
「第一から第三王子。あと第一王女だろ? 王家にしては少ないよな」
「ああ、あそこの王は種無しらしい。王女に至っては養子だそうだ」
「へー、そんなもんかね。一応聞くけど参加する国は?」
「オーラヘイム帝国一択だ」
『オーラヘイム帝国』は『リヴァリエ王国』の南東に位置する国で、
大陸有数の軍事国家である。
基本的に俺たちは傭兵として参加するとき、最も勝利する可能性の高い国を選んでいる。
そういった国は他と比べて、報酬はやや少ない傾向にあるが危険度はかなり低くなる。
「暗殺で出し抜くんだったら、危険度はあんまり変わらないけどね」
「失敗したときのことを考えろ。
脱出さえできれば、あとは大砲部隊の後ろを付いていくだけでいいんだ。
あとは目標の少なさもリヴァリエの魅力だな」
「異論はないけど……。何か他に――」
アインの言葉を遮るかのように、大声で会話しながら男の二人組が宿に入ってきた。
双方とも厚手の鎧に腰から大剣をぶら下げた格好で、
如何にも傭兵といった雰囲気を纏っている。
「おい、聞いたかよ。リヴァリエの王が死んだって話。
周辺国が戦力集めに躍起になってるらしいぜ」
「ああ、俺もさっき聞いた。今からでも向かうか?」
「おう、それにあそこの聖女様こと王女様は豪い別嬪らしいじゃねえか。
殺す前に楽しませて貰おうぜ」
新しい情報が得られるかと耳を傾けていたが、どうやらハズレだったようだ。
「はぁー……何かTHE傭兵って感じだよな」
「……? 俺達と何が違うんだ?」
「それは……まあ……清潔感とか?」
「何の話だ……。食い終わったなら早く行くぞ」
俺たち傭兵の仕事は他者を殺すことだ。そこに優劣なんてものは存在しない。
生き抜くための殺人、快楽を得るための殺人、誰かを守るための殺人。
動機が何であれ、殺される側からしてみれば、それは些事でしかない。
結局俺たちはどこまで行っても――利己的な殺人鬼でしかないということだ。
受付口に金貨を一枚投げ入れると、俺たちは宿屋を後にする。
「しっかし移動の度にこの大荷物、嫌になるよなー」
「同感だが、全部置いていくわけにもいかないだろ」
スキルやステイタスがランダムに変動する影響で、
俺たちは戦闘スタイルを都度変える必要がある。
そのため武器や防具を大量に所持しており、
目欲しいものは移動の度に持ち歩くようにしているのだ。
宿屋に置いていったものは、基本的に盗られていることが多い。
「この前アレフの戦闘服が盗られたときは、マジで傑作だったよな」
「思い出させるな、忌々しい」
――三ヶ月ほど前、いつものように遠征から帰還すると、戦闘服の予備が盗まれていた。
別段珍しいことでもなかったため、特に気にはしていなかったのだが――
「『白猟犬の戦闘服』とか言って競売に掛けられてるんだぜ?」
アインは心底楽しそうな表情で、俺の顔を覗き込んできた。
「この話は終わりにしないか?」
「でも珍しいよな。いつもならああいう手合いは放置するのに……。
あの時は速攻奪い返しにいったっけ?」
「…………」
「あの時の蒼褪めた表情ときたら……。いやー、いいもの見してもらったぜ」
「お前碌な死に方しないぞ」
「死ぬ時は一緒だろ? 相棒!」
アインの戯言を無視して先へ進むと、洞窟へと続く道が見えてくる。
「今更忠告するまでもないと思うが、盗賊と魔物には警戒しておけよ」
「分かってるって。今月は賊がいないといいけどな」
俺たち傭兵が身の振り方を変えているように、
奴らも常に同じサイクルで活動しているわけではない。
ステイタスやスキルによる団員の選別、及び頭決め。
またその時の戦力によって襲撃地点を変えるなど、
臨機応変に動いているのが奴らの厄介な点だ。
今回の遠征で使用する洞窟は行商人の行き来が盛んで、
それに伴い護衛の冒険者や傭兵なども多い。
そのため襲撃が行われる場合は、それ相応の戦力を携えているということを意味する。
「ようやく着いたな……。いつも思うけど、この壁の彫刻明らかに場違いだよな?」
「そうだな。この洞窟を開通させた奴らは余程酔狂な連中だったんだろう」
入口のすぐ横側に模られた彫刻を見上げながら、アインは率直な疑問を口にする。
彫刻の中央部――荘重に描かれたるは、異形の怪物。
頭部には『贖罪の山羊』の角。
背部には『鮮血の蝙蝠』の翼。
脚部には『地獄の魔鳥』の爪。
凶悪な怪物たちの〝象徴〟が渾沌と描かれている。
左右を飾るは月と太陽。
全てを抱擁するかの如く描かれる五芒星はその頂点を天に捧げる――
(本当に只の酔狂なのか……? 何かメッセージのようなものを感じるが……)
「早く来いよアレフ! 置いてくぞ!」
一足先に洞窟の中へと入っていたアインが俺を呼んでいる。
「分かってる」
軽く返事をすると洞窟への一歩を踏み出し、中で待つアインの元へと急いだ。