第三十五話「ヘットの追憶 後編」
『ごめんね……、ヘット君……』
そう言って顔を俯ける、朱眼の淑女。
パティアは今年で19歳を迎える。
その薄紅色の髪は、以前にも増してその透明感を増しており、
贔屓目無しに公国屈指の女性であると、そう言えるほどに成長していた。
「そ、そんな……。え……、ウソ……だろ……」
信じることは出来なかった。
いや、信じたくはなかった。
『ううん……、決まっちゃったの。ほら、帝国には逆らえないでしょ……?』
公国は帝国の属国だ。
これまでも何度か、有望な人材が引き抜かれた例はある。
でも……、何でその対象が、選りにも選ってパティアなのだ……
「俺はまだ……、君に何も返せていないのに……」
パティアから貰ったものは数え切れないほどある。
俺の命だって、その一つかもしれない。
『そんな事はないよ。
実はね、あの日、あなたに出逢った日。
私――死のうかなって、そう思ってたんだ。
周囲の期待が重過ぎて、潰れそうになってたんだと思う。
でもね、あなたの此の世の全てを憎んでいるような顔を見たら、
何だかどうでも良くなっちゃって……。
私はあなたに救われたんだよ? ヘット君』
違う。
それは違う。
「そんなの……、君が勝手に救われただけじゃないか――⁉」
パティアの言葉は、恐らく嘘ではないのだろう。
でも、彼女の中の俺は何をしていた?
ただ突っ立って、間抜け顔を晒していただけじゃないか。
『そうかもしれないね。
でも、だったらあなただってそうだよ。
私は何もしていない。
あなたは自分の意思で、強くなったんだから』
自分の意思……?
俺は、意思なんていう高尚なものを持ち合わせてはいない。
ただ、君の横に立っていたいと――――
そうか――――
『きっかけって大事なんだよ?
だから、私はあなたに感謝。
それで、あなたも私に感謝。
お互い様だね、ヘット君!』
そう言ったパティアは、優雅に一回転しながら距離を詰めると、
俺の顔を見据えて、はにかんでくる。
その笑顔は何処か――無理をしているような、そんな笑顔だった。
「そう……だな、ありがとう……、パティア」
俺はそれ以上、彼女に掛ける言葉を見つけることは出来なかった。
*
それから数年が経過し、俺は旅団長まで上り詰めた。
更に武勲を立てれば、帝国から声が掛かるのではないか、そんな淡い期待を抱いて。
そして、パティアとは一年に二度の文通を続けていた。
本来であれば許されるはずはないのだろうが、
彼女の芸術に関する功績が認められたため、ある程度の自由は守られているらしい。
彼女は帝都での暮らしを、事細かに綴ってくれた。
頑張って描いた絵が評価されただとか、研究者の夫婦と仲良くなっただとか、
そんな明るい内容が軒を連ねている。
俺はその手紙を読みながら、
本当はこれで良かったのではないか、そんな思考すら抱き始めていた。
勿論彼女が俺を心配させないように、努めて明るく綴っているのは理解している。
いや、本当は帝都での暮らしの方が楽しいのかもしれない。
そうであれば、彼女さえ幸せであれば、それが俺の理想なんだと思う。
俺たち公国の人間からすれば、帝国は憎き存在だ。
でも、世間一般から見ればその限りではない。
皇帝は名君と呼ばれるほどの傑物で、悪い噂も全く聞かない。
そんな皇帝の寵愛を受けて、何不自由なく暮らせるならそれも悪くない……
誰にも邪魔されず、自由に絵が描けるのではないか……と。
でもやっぱり、パティアの隣に居るのは俺で在りたかった。
*
そんなある日、俺の元に一通の手紙が届いた。
それは極秘文書扱いの手紙で、身に覚えのない代物。
だが確認しない訳にもいかない。
俺は恐る恐る、その手紙の封を切ると――
差出人の名はパティアだった。
『先ず初めに謝罪させて下さい。
この手紙は遅れて届くようになっています。
きっとヘット君は、これを聞いたら、全力で止めようとするだろうから。
私は皇帝の私室で、一束の極秘文書を覗き見てしまいました。
その内容は、帝国民の虐殺計画。
当然疑いました。
帝国がそんな事をする意味は無いと。
ですが、調べる内に不可解な情報が次々に発見されたのです。
理不尽な理由で処刑となった、人々の名簿。
急激に加速を始めた、兵器の製造計画。
そして極め付けは、私室に設置した盗聴器です。
懇意の研究者の方々に用意して貰った盗聴器には、
皇帝と宰相による、計画の密談が記録されていたのです。
私には、その凶行を見過ごす事は出来ません。
罪なき人々の命を、為政者が奪って良い道理は無い。
幸い、一緒に戦ってくれる仲間も大勢います。
私は彼らと共に戦うことを決めました。
ヘット君……、ごめんなさい。
自分勝手な私を、許しては頂けないでしょうか……。
――追伸――
もし、私の戦いが終わったら、
その時は、一緒に暮らしてくれますか?
快い返事を期待しています。
あなたを心の底から愛する者 パティア・セナ・フローレンス』
「ぁ…………」
声が出なかった。
頭が真っ白になった。
どういう事だ……?
虐殺? クーデター?
何故それに、関係の無いパティアが参加している?
いや、そもそもパティアは生きているのか?
俺との文通は? 影武者だったのか?
数多の?マークが脳内を支配する中、俺は走り出した。
そして――
帝国への叛逆者「パティア」が公開処刑されるとの通告を受けた。
*
「はあ……、はあ……」
転移結晶で帝都郊外へと移動した俺は、全速力で広場へと向かっていた。
何が何だか分からない。
でも、兎に角行かなければならない。
まだ、間に合うかもしれない。
そんなぐちゃぐちゃになった思考の中、俺は街路を駆け抜けた。
そうして辿り着いた、帝都の広場。
その高台には二人の処刑人に挟まれた――パティアの姿があった。
「パ……ティア……?」
『帝国の皆様‼ この国は、皆様を殺めようとしています‼ どうか、どうか――』
彼女は、帝国の民に向けて何かを訴え掛けては、処刑人に蹴り飛ばされていた。
どうしてこうなった。
何処で道を間違えた。
何でパティアが、こんな目に合わなきゃならないんだ。
『ギャハハハ‼ んな訳ねえだろ⁉ 見苦しいにも程があるぜ』
『自分が陥れようとしてたくせに……。これだから公国の人間は……』
『本当よね……、早く死んでくれないかしら』
それを聞いた民衆たちは、挙ってパティアへと向けて石を投げる。
やめろ。
やめろよ。
「「パティアァァアァァァァアァァァァアァァァァ――‼」」
俺は高台の処刑人目掛けて、魔法を行使した。
何だって良かった。
彼女をこの場から解放できれば。
しかし――
『パアァァァアァァァン‼』
俺の両腕が吹き飛んだ。
視界が赤く染まる。
でも、そんな事はどうだって良い。
俺は薄れる意識の中、高台に座らされるパティアを見据えていた。
処刑人が、その刃を掲げる。
「やめろ……、やめてくれ……」
パティアは俺を視認したのか、一瞬悲しそうな表情を見せたが、
最後は、笑っていた。
その口はありがとうと、そう言っているような気がした。
パティアの首が落とされた。
「「「ああああああああああああああああああああああああああああ――‼」」」
何で頼ってくれなかった。
君に言われれば俺は、誰だって殺すし、誰だって生き返らせてみせる。
でも俺は君が居なければ、何者にも成れない、そんな矮小な人間だ。
なあ、噓だと言ってくれよ……
またあの時みたいに、俺を救って――
そこから先の記憶は無い。
気付いたら公国の治療院に運び込まれており、
俺に対する処罰は疎か、言及さえ無かった。
全てが――無かった事になっていた。
まるでパティアという一人の人間が、初めから存在しなかったかのように。
俺は悪い夢でも見ていたのだろうか。
いや、そんなことは絶対にあり得ない。
俺の中では今でも、気高くあった「パティア」という人間が生き続けているのだから。
なら俺がするべき事は何だ。
慈悲なんて要らない。
全部殺すと、そう決めたのだから。




