第三十四話「ヘットの追憶 前編」
俺の名前は「ヘット・エレオス・ヴィクトール」
ミンキアーテ公国、男爵家の三男として生を受けた。
俺は兎に角、才能が無かった。
研究・軍事・芸術・政治
どれを取っても平均以下。
兄たちは疎か、弟たちにも劣る失敗作。
両親はそんな俺から、徐々に興味を失っていった。
俺だけが、何も持ち合わせてはいなかった。
俺は一人になりたかったんだ。
誰とも比較されず、只平穏と暮らす日々。
――でも、神はそれを許してはくれなかった。
『あなた、見ない顔ね?』
家を飛び出して辿り着いた城下町。
その外れで、一人の少女と出会ってしまった。
『そんな顔してると幸せが逃げるわよ。なーんて、そんなの迷信だけど』
そんな事を言いながら、はにかんで見せる一人の少女。
髪は驚くほど透き通った薄紅色を湛えており、
その丸い瞳は、日長石もかくやという朱色の輝きを放っていた。
「――誰だお前は?」
『名前を尋ねる時は自分からって、――何でなんだろうね? どっちが先だっていいのに』
何が面白いのか、彼女は笑いながらそう言うと、
俺の顔を正面から見据えて、自己紹介を始めた。
『私の名前は、パティア・セナ・フローレンス。よろしくね、えーっと……朴念仁君?』
何も知らない此奴まで、俺を虚仮にするのだろうか。
俺は足早にその場を去ろうとして――
『あ、ちょっと‼ 冗談だって‼』
腕を掴まれた。
『そうだ、お詫びに私が街を案内してあげる! 付いてきて‼』
振り払ってしまうのは、簡単だったはずだ。
今にも壊れてしまいそうな、そんな細腕。
でも何故だろうな。
彼女のその温かい手の感触を、拒絶する気にはなれなかった。
それが俺とパティアの、初めての出会いだった。
*
『ヘット君っていうのね、良い名前じゃない。――ねえ、良い名前って何だと思う?』
そんな事を真顔で聞いてくる、何処かズレた少女。
『何でそんな、この世の終わりみたいな顔をしてるの?』
かと思えば人の領域に、平気な顔をして踏み込んでくる。
「誰も俺を必要としていないから……かもな」
そして何故か、俺もそれに答えてしまうのだ。
それを聞いた彼女は、少し考えるような仕草を見せた後、
『気を悪くしたらごめんね』と前置きを入れ、続けてこう言った。
『私はね、皆から期待されているんだ……。――そんな高尚な人間じゃないのに……』
最初に聞いた時は、只の皮肉にしか聞こえなかった。
他者から期待されることの、何が不満なのだろうかと。
俺の前で態々それを言う理由は何なのかと。
でもいつからだろうか。
彼女の言葉が苦しみを帯びている、そんな風に聞こえるようになったのは。
「いっそのこと才能なんて概念、無ければ良かったのにな……」
出会いから数か月が経過した頃、俺はそんな事を口走っていた。
『――――⁉』
彼女はその丸い瞳を更に丸めると、俺の肩を揺さぶりながら話し掛けてくる。
『初めてだよ⁉ ヘット君が自分の意見を口にしたの!
今日は記念日だね、記念日! ヘット君の成長記念日だ‼』
興奮した様子で、矢継ぎ早に喋りかけてくる彼女。
しかし俺の言葉に対しては、何一つ言及することはしなかった。
やはり何かズレていると、改めてそう思った。
いや、違うか。
彼女は分かっているのだ。
才能の無い世界など、存在しないということ。
もし存在したとしても、その世界に人間は居ないだろうということ。
才能は個性の一つだ。
個性の中でもより優れた性質を持つモノを、人は才能と呼ぶ。
じゃあ優れた性質とは、一体何だ?
優れた才能が幸せを齎す訳じゃないし、劣った個性が不幸を齎す訳でもない。
あれ……、じゃあ何で俺は、悲劇の主人公を演じているのだろうか。
「ありがとう……、パティア」
『ふふっ……、やっと私の名前呼んでくれた』
多分他の人間が聞いても、理解できないだろう。
才能に悩むパティアが気付かせてくれた、俺自身の可能性だった。
*
それからは、一か月に一度ほどの逢瀬が重ねられた。
調べた所、彼女の実家「フローレンス家」は伯爵位。
それにパティアは研究や芸術といった、様々な分野で頭角を現しており、
伯爵家の希望と言われているほどの逸材だった。
だから俺なんかとは、会わない方が良い……
そんな感情は一ミリも湧いてこなかった。
その時点で俺は、パティアに惚れてしまっていたんだと思う。
きっかけは多分ない。
何度か会う内に、次の逢瀬を楽しみにしている自分が居ることに気付いたのだ。
それから俺は努力した。
何か俺に出来ることはないかと。
朝から晩まで、様々な分野に手を出した。
曲がりなりにも俺は、貴族の三男。
色々と教えてくれる人は存在していた。
――それでも俺は、成果を出すことが出来なかった。
彼女の横に立つためには、どうにかして成り上がらなければならない。
しかし、才能が無い俺の目の前には、限界という壁が高く聳え立っていた。
やはり才能は幸せの最低条件なのではないか、
そんな思考に侵されかけていた時、一人の人物と邂逅した。
「死を望む――いや、お前には希望があるな……。
だが、同時に深く悩んでいることがある。違うか?」
俺と同じ翠色の髪に、黄色玉の瞳。
そして、その長身は重厚な鎧で覆われていた。
数年後の自分を見ているかのような、奇妙な感覚。
しかし、覇気とでも言うのだろうか、
何処か勇敢なる若き王を感じさせる、そんな迫力が彼には在った。
「――だ、誰だお前は」
「そう警戒すんなって。そうだな……、俺がお前に武術を教えてやろう」
軽い口調で、唐突にそんな提案をしてくる長身の男。
明らかに怪しい存在を前に竦んでしまうが、
何故か、彼の放つ言葉は信頼に足るものだと、俺の第六感が主張していた。
「いや、でも……」
「良いから来い。変われなきゃ、変わらねえぞ?」
そんな何が言いたいのか分からないような言葉を聞きながら、
俺は男に無理矢理引っ張られて、郊外へと行く羽目になった。
そこからの一か月は地獄のような日々だった。
適当そうな口調とは裏腹に、過激すぎる修行の内容。
時には川に流され、時には森林へとぶち込まれることもあった。
辛かった。
苦しかった。
でも同時にチャンスだと思った。
パティアだって今頃、周りの重圧に耐えながらも必死に頑張っているんだと。
そう自分に言い聞かせながら、俺は死に物狂いで食らいついた。
そして二十一日が経過した頃、師匠は書き置きを残して、唐突に消えた。
『自覚している通り、お前には才能がない。
でも必死に努力することは出来る――
なんて言ってやると思ったら大間違いだぞ?
努力なんて誰だって出来るさ。
でもよ、お前にしか出来ない事は何だ?
それを自覚した時、お前の望むべき〝世界〟が見えてくる筈だぜ』
「え……?」
その書き置きを読み終えた俺は、そんな情けない声を出していた。
辛かった修行の後には、何かと優しい言葉を掛けてくれた師匠。
こんなに世話が焼けるのはお前が初めてだと、
そんな事を言いながら、夕食を食べさせてくれた師匠。
その別れの言葉が何故、こうも手厳しいのだろうか。
それに後半に至っては、何が言いたいのか全く理解できなかった。
「最後くらい優しくても……」
いや、それは違うか。
これが恐らく師匠の優しさなんだろう。
お前は凄い奴だと、そう言われればどんなに嬉しいだろうか。
でもそうなればきっと、俺は俺に夢を見てしまう。
この理不尽な世界において、個人が為せることなんて高が知れている。
人間謙虚が一番だと、そんな事を伝えたかったのかもしれないな。
師匠の真意は分からなかったが、俺はその日、少しだけ泣いた。
*
それから数年が経った頃、俺は五百人を束ねる大隊の長となっていた。
軍人としての才能が特別あったわけではない。
ただあの一か月を境に、能力の出方が少し良くなった気がするのだ。
まあ一般的に能力は完全ランダムと言われているので、運が良かっただけだろうが。
少し狡いような気はするが、そんな事はどうだって良い。
結果さえ出れば、俺にだってまだまだ昇進のチャンスはあるのだから。
『ヘット君、ちょっと変わったよね!』
忙しい職務の間を縫って、尚も続けられる、一か月に一度の逢瀬。
その中でパティアは、俺が「変わった」と、そう嬉しそうに言ってくれたのだ。
俺も当然嬉しかった。
でもそれと同時、変わっても尚遠すぎるパティアという存在に、
少し自信を失ってしまったりもした。
そんな彼女は、芸術家としての道を歩むことを決めたらしい。
親族からは貢献度の高い研究者になることを、強く勧められたそうだが、
自分の意志でその権利を勝ち取ったのだとか。
やっぱり彼女は強い。
敵わないなと。
そんな羨望と尊敬の感情を抱いて、幕を閉じた逢瀬。
その翌月――
パティアから、皇帝の側室になることが決まったと、そう告げられた。




