ある夫婦の会話
その日、嶺衣奈たちの住むドゥーラ市は、ちょっとしたお祭り気分に包まれていた。ここ、香取海に面した総合公園では、コンサートやフードフェスで賑わっていた。
隣接する海軍基地でも航空祭が開かれている。
空を見上げれば、あと20年は現役であり続けるだろうと言われている戦略爆撃機「富嶽」の巨体が、往年の名機を従えての飛行中だ。
その航空祭を見物に来た若い夫婦がいる。
「あなたは、どれに乗りたかったの?」
「やっぱり疾風かな」
それはヒノモト連邦の盟主国である大日本帝国に本社を置く東洋最大の航空機メーカーが生み出した傑作機だ。第2次大戦の中盤に登場したそれは、幾度も改良を繰り返しながら、ジェット機が登場するまで10年以上もの長きにわたり、アジアの空を護ってきたのだ。
「あれじゃなかったの?」
どるるるる……
爆音とともに頭上を震電の編隊が通り抜けると、大きな歓声が上がった。
「震電も悪い機体じゃないんだがねぇ… お、いよいよだぞ」
格納庫の前では、ほっそりとした三角形の機体が、ゆっくりと――自転車が走るくらいのスピードで動き出すと、滑走路の方へ動き始めた。
「こうして近くでみると迫力が違うわねぇ」
「ランダーなんか宇宙港勤務の時に見飽きるほど見てただろ?」
「近くで見る事なんか滅多になかったわよ。管制塔からの眺めとは別物ね」
「そんなもんかねぇ」
滑走路に移動中のランダーの一機が、香取海に続くスロープに向かって進んでゆくのが見えた。
「え? ちょっと待って。あれ、海に入っちゃうじゃない」
「最近のランダーは海からでもいけるタイプがあるんだ」
「そうなの?」
「ありゃあ、去年の暮れに配備が始まった最新型だよ」
波をけたて、徐々にスピードを上げた機体は水飛沫を曳きながら、ふんわりと高度を上げてゆく。
「あなたが富士に初着陸したのって一昨年の夏… だったわよね?」
「ランダー・ゼロか。あいつは、宇宙に行って地上に帰ってくる事が出来る飛行機だったからな。海に浮かべる事なんか考えてなかったらしいよ」
私の隣でしたり顔をしているのは、今でこそ航空学校で教官なんてのをやっているけど、その前はランダーの操縦士をしていたヒト。
それも軌道上の22番造船所で作られた量産初号機、ランダー・ゼロの、だ。
「……ふぅん」
「初号機はまっすぐに飛ばすだけでも苦労したもんだ。いつ墜ちても不思議じゃなかったんだぜ。あん時は……」
結局のところ、宇宙空間で使う姿勢制御ロケットまで動員して、強引に飛んできたのね。そんな事があったなんて初めて聞いたわよ。
「へぇ? それにしては余裕があったんじゃなくて?」
新聞記者の取材に『ヒノモトの英知を結集した機に不安なぞありません』とかなんとか言っちゃってたわよね。記者会見の終わりには、記者が全員部屋から出るまで右手を振りながら、愛想を振りまいてたり。
いつまで経っても席から立たない彼に声をかけたら……
「結愛さん、つったか。す、すまねぇが… ちょっと肩を貸してくれないか?」
顔色が冴えないようだったので、医務室に連れて行ったのよ。
医務官に言われて、着替えを手伝ったけど、宇宙服の中は汗でびっしょりだったのを憶えている。そういう事があったのね。
「男には見栄を張らなきゃなんねぇ時ってェのがあるんだよ」
「はいはい、まさかその晩のうちにデートに誘われるとは思わなかったけどね」
「それはだな、医務室で色々世話になったし……」
「……あ」
おへそのちょっと下あたりで、軽くぽこん、って。
「ど、どうした?」
「いま、赤ちゃんが動いたの」
「さすが俺たちの子供だな、元気なもんだ」
ふたりは背後から聞こえてきた轟音に、ちらりと振り向くと。
ランダーが機首を真上に向け、天空の高みへ駆け上がっていくところだった。