表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/20

第8筆 城下町の日常


 翌日は曇りだった。


「湿気がある。インクが乾きにくい」

 白嶺(しろね)門から城外に出たリットは、不平をずっと言い続けている。


「光量が少ない。手元が見にくい。やだな」

 石畳の道を抜け、街の大通りを歩く。


「リット様……」

 荷袋を背負ったトウリが、手を額に当てる。


「なんだ?」

「爵位なしって言っても、あんた上級職位なんですよ。どうして裏門を使うのですか?」

「身の丈に合っているし、それに貴族連中に知られていないからさ」

 悪びれもなく言った。


「表の白銀(しろがね)門を使ってみろ。招待状は完成したのか、誰が招待されているのか、と貴族の方々から質問攻めに遭うぞ」

「それは確かに嫌ですが。馬車を使えば回避できませんか?」

 一級宮廷書記官は、私事でも王城の馬車を出せるはず。


「うん? 歩いた方がネタ探しになる」

「ネタ探し」

 トウリが思わずオウム返しする。


「……何の、ですか」

「話のネタに決まっている。夜会でも使えるぞ」

「はあ……?」


 気まぐれなのか勤勉なのか図りがたい。

 

目を離せば、焼き菓子屋の娘に話しかけていた。

 二言三言、言葉を交わし、小さい紙袋と銅貨を交換する。


「ちょっと、リット様! インクを仕入れに来たんでしょ!」

 トウリが主人の外套の裾を引っ張れば、くすりと看板娘に笑われた。羞恥で頬が熱くなる。


「リット様!」

「聞こえている。ほら、行くぞ」


 自由気まま、己の調子(テンポ)で歩き出した。さっさと角を曲がり、路地へと入って行く。


「ああ、もうっ。待ってください!」


 悲しい歩幅の差を見せつけられた。

 嘆きながら、トウリは後を追う。


 路地には、いくつもの店が軒を連ねていた。インク壺の看板を掲げる店にリットが入る。


「いらっしゃいませ」


 店のカウンターに、黒髪のくせっ毛が特徴的な青年が座っていた。店内に他の客はいない。


「リトン様へ、月神(クーナ)のご加護がありますように」

 青年が手元の書籍を閉じた。


「クード。元気そうだな」

 カウンターにリットがもたれる。

 おや、とクードの手元に目を留めた。


「〈悪役令嬢は~〉じゃないか。そういう趣味だったのか?」

「ご冗談を。私は何でも読みますよ」

 ふふふ、とクードが柔和な笑みを浮かべる。


「トリト・リュート卿の最新本の〈白雪騎士物語〉は、もうお読みになりましたか?」

「ああ。こいつが」

 トウリを指差す。


「はい! 面白かったです!」

 目を輝かせるトウリに、クードは眩しそうに目を細めた。


「それについて、また歓談いたしましょう」

「是非、クードさん!」


 クードが本を片付けると、リットがカウンターの上に小さな紙袋を置いた。


「そこの焼菓子屋で。土産だ」

「お気づかい感謝いたします。紅茶を淹れましょう」

「あっ、僕がやります」

 カウンターの戸を潜ろうとしたトウリを、クードが言葉で制す。


「いいえ。貴方も我が店のお客様です。お手を煩わせるわけにはいけません」

「でも……」

「いいから、トウリ。紅茶はクードに任せておけ。お前は俺たちが座る椅子を持って来い」


 リットが指の腹でカウンターを叩く。

 むっと、トウリが眉間を寄せた。


「どこの王族ですか」

 はん、とリットが鼻を鳴らした。


「フルミアだったら、どうする?」

「逆らったら、討ち首ですね」

「わかっているじゃないか。早くしろ」

 クードがポットを炭火に掛け、振り返る。


「トウリ。そこの、木椅子を使ってください」

「はい。クードさん」


「おいこら、トウリ。どうして主人より、クードに従順なんだ」

「この王国(みせ)の主なので」

 しれっと、トウリが小さな木椅子をリットの前に置く。


「あ、クード国王どの。紅茶は温めで構わない」

 リットが木椅子に座りながら言った。


「承知いたしました。リトン一級宮廷書記官様」

「皮肉で返すなよ」


 カウンターの上の、自分が置いた小さな紙袋をがさがさ開ける。リットの長い指が薔薇の形をしたクッキーを摘まみ出した。


「お行儀が悪いですよ、リット様。それに、自分が買って来たお土産へ一番に手をつけるとは!」

「なかなか美味いぞ」

 椅子に座ったトウリの口へ、リットがクッキーを突っ込んだ。


「むぐ!」

 両手で口を押さえ、もっぐもっぐと咀嚼する。


 クードがトウリへ紅茶のカップを差し出した。

 頭を下げて、紅茶を一気飲みする。熱くはない、温かな紅茶が喉から腹へとすべり落ちる。


「ぷっは!」

 急に何をしやがるんですか、という侍従の声なき視線の訴えを、リットは軽やかに無視した。


「さすが商人たち。便乗根性たくましい」

 もう一枚、薔薇の形のクッキーを摘まみ、リットがクードへ見せる。


「城下では、〈悪役令嬢は深紅の薔薇と散る〉のウケが良いですからね」

「……えー? そうなんですか?」


 クードにお代わりの紅茶を注いでもらいながら、トウリは眉根を下げた。


「貴族のご令嬢が周囲を蹴落としまくるのが、そんなに面白いですか?」

「さんざん好き勝手やっていたのに、物語の最後で王子から婚約破棄されて、元・村娘であるご令嬢に婚約者の地位を奪われる。

 その結末が、胸の空く思いで、人気なのでしょう」


 リットがクッキーを食べる。紅茶を啜る。

「勧善懲悪。自業自得だな」

 うーん、とトウリが首を捻った。


「クードさんは、どう思います?」

「私もリトン様に同意です。あと、トウリ。物語の中に、もう一つ軸があります。何だかわかりますか?」

「えーと……。民の声の代弁、とか?」

 ぶっは、とリットが吹き出した。


「あいつがそんなこと書くかよ!」

 ぶはははは、と笑い続けるリットに、トウリが顔を赤くする。


「もう! そんなに笑わないでください!」

「リトン様。トウリの答えも、当たらずともに近からず、ですよ」

「全然駄目だろ、それ」

 滲んだ目元の涙を指で拭って、リットが息をつく。


「もう一つの物語の軸は、村娘の成り上がりだ」

「あ」

 トウリが目を見開いた。


 言われてみれば、そうだ。

 村娘が、最後には王子の婚約者になる。村娘の視点に立てば、ハッピー・エンド。

 クードが頷く。


「二人の女性の運命を対照的に描いた、一冊で二度美味しい物語だから人気が出たのです」

「おお!」

 感心したトウリが声を上げた。


「こちらも、美味しそうですね」

 クードが皿に薔薇のクッキーを並べる。


 どうぞ、とカウンターの上に置いた。さっそくリットの手が伸びた。くすり、と笑ってクードが薔薇のクッキーを摘まむ。口に運ぶ。


「ああ、美味しい。幸せです」

「そりゃ良かった」

 リットが相好を崩す。


「幸せを与えた分を、俺のインク代から引いてくれると有り難い」

「さすが、リトン様。値切りの口上も優雅ですね」

「インク王国クード王への懇願だからな」

 ちょいちょい、と指先でトウリに指示をする。


 主人の意を正しく読み取って、トウリが背負っていた荷袋から文箱を出した。カウンターに乗せる。


「頼まれていた長い恋文の代筆。()()()()()()()()()()()()()

「もちろんです」


 クードが文箱を受け取った。

 カウンターの最奥にある重厚な棚を鍵で開け、文箱をしまう。


「さて、リトン様。本日のご用命をお訊ねしても、よろしいでしょうか?」

「……と、言いながら。俺のインクを出してくるのは、さすがだよ」

「光栄です」


 こん、と大きいインク瓶がリットの前に置かれた。

 握り拳ほどのサイズ。黒い液体が僅かに揺れている。


 リットが四角柱の瓶の蓋を捻って開けた。

 すかさず、羽根ペンと試し書き用の洋紙をクードがカウンターに出す。


「ん、ありがとう。時にクード。青鵞鳥(あおがちょう)の風切羽根は手に入ったか?」

「え、まだ執着しているんですか」

「トウリうるさい!」


「僕、リット様より騒いでいませんよ」

「トウリうるさい!」

「二回も言った!」


 リットが羽根ペンの先をインクに浸す。

 さらさらと、洋紙の上に自分の名を書く。インクの色は、明け方の少し軽くなった闇色。


「王城で、夜会が開かれます」

「うん?」

 唐突な話題に、主従たちがクードを見た。


「招待状が届く前から、気合いが入ったご令嬢方々は、ご準備なさるでしょう」

「うっわ。また洋扇(クリム)か!」


 リットの筆跡が乱れる。腹立たしげに、洋扇(クリム)洋扇(クリム)洋扇(クリム)、と洋紙に殴り書く。


「なんという運命のいたずらか! 青鵞鳥の羽根を逃すために、生まれついたとは!」


 青鵞鳥、と未練たらしい筆跡でリットが文字を書き上げた。


「試し書きじゃなくて、呪いの書になっていますよ。リット様」

「トウリうるさい」

「三回目!」

「とても仲がよろしいですね」


 ほわ、とクードが笑った。








評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ