第7筆 主従たちのひそやかな劇場
「お勤め、ご苦労」
執務室でリットが窓際の椅子に座っている。
脇の小卓には書籍が三冊。一番上に積まれた植物のスケッチ集を、リットの長い指が叩く。
「皮肉ですか」
トウリは紅茶をカップへ注ぎ、ソーサーごと主人へと渡した。
「純粋な褒め言葉だ。素直に受け取れよ」
「あんたが言うと不純に聞こえます」
「危ないところを助けてやった主人を、あんた呼びするんじゃない」
「実際に助けていただいたのは、ジン様です」
賊の身柄は近衛騎士団の詰め所に移された。ジンが直々に取り調べている。
「けろっと全部吐いてくれれば良いんだが」
リットの言葉に、トウリが眉を寄せた。言った本人は、優雅な所作でカップに口をつける。
「近衛騎士団ですから、拷問なんて、ないですよね?」
「そういう展開は物語の中だけだな。現実は、某副団長が脅しで大机を一刀両断して、後で管財の役人に怒られる」
「十分に物語の中の話です」
トウリが二煎目の紅茶を自分のカップへ注ぐ。一煎目より格段に香りが劣るが、茶葉が良品なので水色と味はまだ出る。
「まあ。悪役令嬢もしくはスピ坊の差し金だろう」
手元が狂った。
カップから紅茶が床に零れる。
「な、ん――」
「悪かったな。兎にして」
翠の瞳は笑っていない。刃のような光を宿している。
「本気で愛想が尽きたら、近衛騎士団へ紹介状を書いてやる」
「……いえ」
首を横に振ったトウリに、リットが僅かに目を見張った。
「今なら間に合うぞ」
「それが何を示すのか、僕にはわかりませんが。でも、途中で舞台から下りる気はありません」
真っ直ぐに、主人を見返す。
「どのような劇であったとしても」
それは喜劇か悲劇か。
リットが唇を歪めた。
「――わかった」
満足そうな、艶然とした笑み。
「とりあえず床を拭け。それから話をすべて聞こうか」
「兎のごとく、耳に仕入れた話ですね」
カップを片付け、トウリは雑巾を手にした。一方で、悠然とリットは長い脚を組む。
「なかなかに面白いな。主従ごっこ」
「ごっこ、ではなく本物です」
「近衛騎士団への紹介状は、しばらく不要だな」
リットが紅茶のカップに口をつけた。
「すまん」
執務机に座るリットへ、ジンが頭を下げる。
「三人の賊は、どいつも下請けの下請けの下請けの下請けだ。本当の依頼主が誰だが、さっぱりわからん」
「そーだと思ってた。気にするな」
リットが羽根ペンを走らせる。
執務机全面に広げられた大判の洋紙。トウリが手に持つ草稿を見て、清書用の洋紙に視線を落とす。
「よくある手だろ。ジン」
「そう言われたら、近衛騎士団も形なしだが……」
顔を上げずにリットが言う。
「それでも、わかったことはある。近衛騎士団が辿ることができないほど、下請けの下請けの下請けの下請けを雇える人物さ」
顎に手を当て、ジンが唸った。
「財力のある人間か」
「それも、裏稼業の窓口を知っている人間だ」
リットがペン先を布で拭う。
羽根ペンを置いた。金の羽根ペンに持ち直して、洋紙の右下に署名する。
「俺のインクが少なくなったな」
ぽつりとリットが零す。
銀蓋の瓶には、インクが四分の一ほど残っている。
「買い付けに行くか」
羽根ペンを片付け、リットが両腕を上へと伸ばした。あくびも、ひとつ。
「僕が行ってきますよ」
持っていた大判の洋紙を、トウリが器用に丸める。
「いや、ついでの野暮用もあるし」
「サボりじゃないですよね?」
トウリの目がじとりと据わる。
「実用を兼ねた息抜きと言ってくれ」
「サボりじゃないですか」
「宮廷書記官の命でもある利き手が腱鞘炎になったらどうする。実用を兼ねた息抜きさ」
リットが椅子に背を預ければ、ジンは腰に吊った剣に触れた。
「用心棒は必要か?」
「仕入れるのは、インクだけだから。大丈夫だ」
「本当か?」
「心配性だな、我が友は」
執務机の上に肘をつき、リットが両手を組む。その上に顎を乗せた。
「構い倒すのは女性だけにしておけよ」
「おい待て、その発言は聞き捨てならん。いつも女性を追い掛けているみたいじゃないか」
「違った。逆だった」
丸めた洋紙を棚へと片付けながら、トウリが主の言葉を引き継ぐ。
「ジン様がご令嬢方に追い掛けられるのですね。モテる男はつらいですね」
「トウリ。急にリットと結託するな」
「と、仰られても。トウリめは侍従でございます」
声真似をしたリットを、トウリ本人が睨む。
「全然、僕に似ていません」
「だろうな。俺も思った」
トウリが頬を膨らませた。
「もともと、似せる気がなかったでしょ」
「お、よくわかったな」
「それぐらい、わかりますよ」
「吹き替えは難しいなあ」
「執務中です。ふざけないでください」
「……お前たちがな」
二人が揃ってジンを見た。
何が、と二組の目が問い掛ける。
「部屋の外では、やるんじゃないぞ」
前科がある主従たちに、ジンが深くため息をついた。
「平気、平気。バレなきゃ、平気」
へらりと笑うリットに、ジンがすらりと長剣を抜く。