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第6筆 兎と小鳥と囮


 部屋の入り口に立つ。


 天井まで達する大扉は開かれている。リットの姿を見た二人の衛兵が頭を下げた。


「ご苦労」

「はっ」

 職位のマントを翻して、リットは悠然と進む。その後にトウリが続く。

 つなぎの間を抜ければ、机がいくつも並ぶ大部屋だった。


「やあ、皆の衆。精が出るなあ」

 宮廷書記官たちが一斉に振り向いた。


「リット様!」

 少年が駆け寄る。職位のマントには、雉の一枚羽根――三級宮廷書記官の証がある。


「ミズハ、宮廷書記官長はいるか?」

「はい。奥の間にいらっしゃいます」

 ミズハがトウリの抱える文箱を見る。


「もう完成したのですか!」

 大部屋がざわつく。驚嘆の声が飛び交う。


「――五百五十六組だぞ?」

「――さすが、速記のリット様だ」

「――のらりくらりしているだけじゃないんだな」

「――お前、聞かれたら怒られるぞ」


「ばっちり聞こえている」

 うっと、書記官たちが息を呑んだ。


「何、怒らんよ。それに、期待を裏切るようで悪いが、あと五分の一ほど残っている」

「それでも十分にすごいのですが……」

 ミズハが苦笑した。


「期日までに間に合いそうですね」

「何事もなければな」

「あ、さっきラウル殿下からの使いが。政務官たちと検討した記録を、清書してほしいと」


 ミズハが手の平を向ければ、別の書記官が巻かれた大判の洋紙を掲げた。


「自分でやれ!」

「リット様。自己否定しないでください」

 トウリがため息をつく。


「宮廷書記官でしょ」

「田舎に帰ってもいいかナー」

「その前に近衛騎士団へ紹介状を僕に」

「やなこった」

 へっ、とリットが鼻を鳴らした。


「きっと、ラウル殿下がお許しになりませんよ。宮廷書記官長も」

 苦笑しながら、ミズハが奥の間へ促す。リットが嫌そう顔をしかめた。


「なーにが、『紅茶飲んでちょっと仕事して紅茶飲んで一日が終わる優雅な生活』だ。殿下に騙された」

 歩きながら言うリットに、トウリとミズハが目を合わせる。


「大体、その通りじゃないですか」

 トウリの指摘に、ミズハが小さく噴き出す。


「俺の慎ましい田舎生活に乱入しやがって。王城に来なかったら首チョンパって言われたんだぞ」

「今だって、働かないと首チョンパですよ」

 容赦ない侍従の言葉に、リットは天井を仰いだ。


「ああ、世知辛い世の中だ!」


「――そう嘆きながら、余裕あるではないか。リット」

 よく通る老人の声に、ミズハは頭を下げた。


 奥の間、紫檀の執務机に老爺が座っている。

 バルドが長い白髭を皺の目立つ手で撫でた。


「夜会の招待状か」

「すべてではありませんが、完成した分です」


 トウリが黒檀の文箱を机上に置く。リットが懐からリストを取り出し、バルドへ手渡した。


「うむ、確かに。招待状とリストの照合、封蝋はスピルドに――」

 堂々とした靴音が響く。


「失礼いたします」

「おお、スピルドか。ちょうどよい」

 バルドへ一礼し、執務机の前に立つリットを睨む。


「……ここに居るということは、完成したのだな。リット?」

「一部ですよ」

 にこやかにリットが笑う。


()()()()()()()()申し訳ありません、フラス様。お蔭さまで、やっと職務をお渡しすることができます」

 眉間にしわを寄せ、スピルドがバルドを見た。バルドが頷く。


「リストの照合と封蝋を、おぬしに任せる」

「……はい」


 そんな仕事は下級書記官にでも任せろとばかりに、スピルドがミズハを見た。びくりとミズハの肩が跳ねる。


「そうだ、ミズハ」

 思いついたように、リットが言う。


「先程の清書の件、悪いが俺の執務室に運んでおいてくれないか。今すぐ」

「は、はい!」

 ほっとした表情で、ミズハが部屋を出て行く。


「あと、トウリ。図書室でこの資料を探してこい」

 リットがメモを渡す。


「かしこまりました」

「兎のごとく……、素早いという意味でも頼む」

 ちらっとトウリが主を見た。翠の瞳は雄弁に語っている。


「はい。資料は、執務室にお持ちすればよろしいでしょうか」

「そうだ」

「では、失礼いたします」

 洗練された所作で、少年侍従は一礼をした。




 トウリが図書室の棚を覗けば、先客がいた。


「――スミカ様だ」

 薄ピンクのドレスを着た彼女が振り向く。

 青い目が見開かれる。


「あなたは?」

「あ! も、申し訳ありません。僕……じゃなくて、私は、一級宮廷書記官のリット・リトン様にお仕えしている侍従のトウリです」

 薄めの書籍を二冊小脇に抱え、びしりと背筋を伸ばした。


「スコット子爵家のスミカです」

 ドレスを摘まみ軽く腰を落とす。令嬢礼儀(カーテシー)を正しく行うスミカに、トウリは慌てた。


「僕はただの侍従です。そんな、畏まらないでください」

「でも。あの名高い、リトラルド・リトン宮廷書記官様の侍従を務めていらっしゃるのでしょう? わたくしより貴い御方だわ」

「僕は爵位持ちではありません!」


 動揺したトウリが赤面する。

 まあ、とスミカが頬に手を当てた。


「いけませんよ、トウリ様。爵位持ちではないから礼儀に値しないとは、巡り巡ってご主人であるリトラルド様を(おとし)めてしまいます」

「し、失礼しました」


 噂通りの才女だと、トウリは思った。

 穏やかな言葉でたしなめてくれる。


 これがスピルドやヴァローナだったら、ここぞとばかりに舌鋒鋭くかつ嘲笑する。想像して背筋が凍った。


 ちら、とトウリはスミカを観察する。

 結い上げた栗色の髪は、ゆるやかに波打っている。落ち着いた青い眼差し。


 薄ピンクのドレスはお世辞にも上級品とは言えないが、その控えめさがスミカの雰囲気に合っている。

 庇護欲を掻き立てられる可憐さ。物語の登場人物のような、薄幸のご令嬢。


「資料を探しているのですか?」

 スミカがトウリの持つ書籍に目を留めた。


「はい。ええっと、植物のスケッチ集なんですけれど……」

「それなら、これですね」


 迷うことなく、スミカの白い指が一冊の書籍を示した。

 棚から引き抜こうとするスミカを、トウリが制止する。


「お待ちください、スミカ様。書籍は重いので、僕が」

 トウリが先んじて手に取った。


「あら。侍従様ではなくて、騎士様でしたか」

 ふふふ、とスミカが微笑む。気の利いた褒め言葉に、トウリが目を輝かせる。


「ありがとうございます。――姫君に薔薇より重いものを持たせては、失礼ですから」

「〈白雪騎士物語〉ですね! わたくし大好きなんです!」


 今までの可憐さはどこへやら。力強い声に、トウリは圧倒された。


「あらっ、申し訳ありませんっ。文学のことになると、つい熱くなってしまって」

 トウリが微笑む。


「僕もです。多く語りすぎると、リット様にうざったがられます」

「それは、トウリ様が有才(うざい)からでしょう」

 才能ある人と評され、トウリが面食らった。


「適切な場面で適切な引用をなさいました。教養がありませんと、難しいことです。さすが、一級宮廷書記官様の侍従様」


 ――これは、落ちる。


 トウリは胸の中で頷いた。

 物語を愛読する某殿下の嗜好に合いすぎる。普通に話していて楽しい。物語や文学に造詣が深く、言葉の切り返しが心地良い。


「タギ殿下のこと、どうお思いですか?」


 前触れもない問いに、スミカは表情を強張らせた。

 青い瞳に警戒の光が浮かぶ。


「不躾で申し訳ありません。きっと、何人もの方に訊ねられた、しつこい質問でしょう」

「ええ。その通りです」


 リット様のせいで自分も性格が悪くなったなあ、とトウリは頭の片隅で呟く。


「少し、気になったもので」


 トウリが二冊の本の上で、植物のスケッチ集を開く。黒のインクで描かれた、複雑な蔦。葡萄の一種。


「弱小貴族の娘が、第二王子の周りをうろちょろしていることですか?」

「恋愛感情はお持ちですか?」


「さすが、侍従様。言葉(ワード)言刃(ソード)ですね」

「リット様曰く、ペンは剣より強いと。まあ、あの人はペテンがお強い」

「わたくしは臣下として敬愛しております」


 二人の視線がぶつかる。


「それに、婚約者様がいらっしゃいます。わたくしの出る(まく)ではありません」


「では、スミカ様のお望みは?」

 トウリが書籍を閉じた。スミカへ向き直る。


「弱小貴族と仰いましたが。タギ殿下のご友人として認められることがお望みですか?」

「それが一番、平穏な道です。はっきり申しましょう」


 凛と胸を張る。


「わたくしは、本が好きなのです。物語を、文学を愛しています。

 そして、文字を読む喜びを他の誰かと共有できたら、これほど幸せなことはありません」


 ふんわりと、スミカが微笑んだ。


「トウリ様も同じではないですか?」

「その切り返しは……ずるいですね」

「おお、同志よ!」

 おどけたようにスミカが言った。




「〈獅子王が参る!〉も読みましたが。僕は、やはり〈白雪騎士物語〉が一番ですね」

「わたくしも〈白雪騎士〉が好きです! 素敵ですよね、レオン騎士」


 新緑の植え込みが続く、石畳の道をトウリとスミカが歩く。


 スミカの父、子爵が勤める政務棟は図書室から離れていた。トウリが申し出て、スミカを送る途中だった。


 共通の話題があるので、二人で盛り上がる。


「僕が、レオン騎士と主君のエーヴォン王の超絶的信頼関係に憧れていて。

 リット様に無理を言って、ごっこ遊びに付き合ってもらっているんです」

 照れ隠しで、トウリが三冊の書籍を抱え直す。


「まあ。それは、レオン騎士とエーヴォン王、二人だけの暗号や仕草で通じ合うことですね。それは、とても――」


 うっとりとスミカが頬に手を当てた。


「身が震えます」

 スミカが艶めかしいため息をつく。


「主従関係でも十分美味しいですのに。二人だけの秘密。しかも、片や才色兼備の最強騎士!

 エーヴォン王が、夜会で一目ぼれしたご令嬢に声を掛けるべきか。否、身分が違いすぎると悩む場面で、『恋の金の矢に射抜かれたら、己の心に正直になるべきです』と、背を押すレオン騎士の優しさ! ああ、胸が高鳴る展開! 現実では、とうてい経験できません!」


 息継ぐ暇なく言い切った。

 はっと、スミカが正気に戻る。


「わたくしったら、はしたない姿を。申し訳ありません」

「スミカ様は、本当に物語が好きなのですね」

 トウリの笑顔に、彼女の青い目が大きくなった。


「タギ様も……、そう仰ってくださいました」


 石畳の通路が建物の傍を通る。

 瀟洒な建物が、陽光を一身に浴びて白く輝く。その代わりに石畳の通路には光が届かない。


「――スミカ様」

 トウリが足を止めた。


「どうされましたか、トウリ様」

「失礼ですが、鬼ごっこのご経験は?」

 真剣なトウリの表情に、スミカも不穏な気配を察した。


「白雪騎士に憧れる読者でしてよ?」

「来た道を建物伝いに逃げてください」

「トウリ様は……」


 衛兵の格好をした男が二人、前方から歩いてきた。


「正規の衛兵ではありません。重心の定まっていない歩き方だ」

 二人の男は、いかにも衛兵が持っていそうな長槍を構えた。穂先は鈍く光る刃。


「走ってください!」

 トウリの声にスミカが脱兎のごとく逃げ出した。


 が、植え込みの陰から、別の男が現れた。

 長槍をスミカへ向ける。


 じり、と三人の男たちが包囲網を狭める。

 トウリが叫んだ。


「貴様ら、何者か!」

「答えると思うのか?」


 前方の男が一人、長槍を突き出した。

 身を翻してトウリが避ける。


 持っていた書籍が地面に落ちた。

 トウリの顔が歪む。


「ご主人様に怒られるじゃないか!」

「安心しろ。死人に口なしだ」

 三人の男が一気に距離を詰めた。


「――なら、生きているうちに口を割らせるだけだ」


 ふっと空が陰った。

 着地と同時にマントが羽のように広がる。


「引用好きの友曰く、天国も地獄もこの世にある」

 灰色の騎士が剣を抜いた。

 日陰でも鋭利さを放つ、使い込まれた長剣。


「ジン様!」

「よう、トウリ。兎のように震えていなかったのは偉いぞ」


 トウリが精一杯、スミカを背に(かば)う。

 あとは一瞬だった。

 ジンが剣を鞘に収める。三人の男たちが気絶している。


「ええと、近衛騎士団副団長のジン様……?」

 スミカが戸惑ったように言った。


「ご存じでしたか。光栄です」

 マントを払って、ジンが手を胸に当てる。

 完璧な騎士の所作に、頭上から拍手が降った。


「よっ、さすが人たらし副団長どの」

「リット様!」

「リトラルド様」


 トウリとスミカが建物に二階を見上げる。

 窓枠に、リットがもたれていた。


「……ちょっと待ってください、ジン様。あそこから飛び降りたのですか!」

「ああ。そうだが?」


 事無げに頷くジンに、トウリは二の句が継げなかった。







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