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第4筆 謎かけはランチの中で


「忙しいんじゃなかったのか?」


 スープの碗を手に、ジンがリットの隣に座った。

 人々のざわめきの中で、木製の長椅子が微かに鳴る。


「腹が減っては戦ができん」

 リットが言う。トウリがパン籠と紅茶の入ったポットを持って来た。リットとジンの二人へ、紅茶を注ぐ。

 ジンがため息をついた。


「昼食だってことはわかるが……、騎士団の食堂に来るなよ」


 団員たちの声に食器やカップがぶつかる音が混じる。

 笑い声に、パンの香り。紅茶の湯気に肉や魚や野菜や脂の匂い。

 賑やかな喧噪は、アーチを描いた高い天井へ吸い込まれていく。


「こっちのほうが落ち着くし、便利」

「果てしなく周囲から浮いているぞ、リット」


 宮廷書記官のマントさえ羽織っていないが、リットは見るからに貴族風の優男。帯剣もしていないので、文官だとすぐわかる。


「ジン。多くの者が、優雅な食事とは、豪華な食事を豪華な部屋で豪華な人物と食べることだと考えている」

「お前は違うのか」

 そう言うジンへ、リットはスプーンを突きつけた。


「どこで、何を、誰と食べるのか。王城だろうと田舎だろうと、関係ない。俺の()()とは、そういうことだ」

「行儀が悪い」


 ぺしん、とジンがリットの腕をはたく。

 手をはたかないのは、宮廷書記官への配慮だ。ペンを握る利き手は命に等しい。


「何だ、ジン。照れるなよ」

「団員たちから遠巻きに見世物にされて。おれの気持ちがわかるか?」

「嫌われているんじゃないのか」


 ジンが机の下でリットの脚を蹴る。


「僕はジン様のこと大好きです!」

 向かいに座っていたトウリが身を乗り出した。きらきらと、その無垢な瞳が輝いている。


「ありがとうな、トウリ。やっぱり騎士団に来るか?」

「是非!」

「ちぇ、俺だけ除け者扱いかよ」


 不貞腐れたリットが、様子を見ていた二人の騎士に気付いた。こいこい、と手招きをする。


「副団長は嫌いか?」

「いえ! 滅相もありません!」

「敬愛しております!」


 びしっ、と背筋を伸ばして宣言した騎士たちに、ジンは無表情になった。


「モテるなあ、近衛騎士団副団長どの」

「からかうのはやめてくれ、宮廷書記官どの」

 ジンが指で眉間を揉む。


「タルガ、ユーリ」

「はいっ」

「はいっ」


「そんなに畏まらなくていい。座れ。メシが冷める前に食おう」

「失礼いたします!」


 二人の騎士がテーブルの向かいに座った。トウリが席を立ち、二人に紅茶をサーブする。


「どっちがタルガで、どっちがユーリだ?」

 スープを食べながらリットが訊ねた。


「オレ……げふん。私がタルガです」

 黒髪の騎士が、隣の同僚を紹介する。


「こっちがユーリ。最近、彼女ができて調子に乗っております」

 茶髪の騎士が涼しい顔で頭を下げた。


「ユーリと申します。タルガは僻んでいるので、どうぞお気になさらず」

 タルガとユーリが無言で睨み合う。火花が散る。


「彼女持ちか。え、侍女? 美人?」

 きらっとリットの目が光った。


「街の花売りです。美人です」

 ユーリが真っ直ぐな瞳で言い切った。


「ふーん。恋文を書くなら、二回まで無料で請け負ってやろう」

「本当ですか!」

「その代わり、ちょっと教えてほしい」

「ええ、私でわかることなら」

 ジンとトウリが目を合わせる。


「城下で人気の物語があると聞いてな。そこの侍従がどーしても読みたいって、せがむんだよ」

 勝手に口実(ダシ)にされた。トウリが目を据わらせる。


「リュート卿の〈白雪騎士物語〉かな?」

 ユーリの言葉に、トウリが主人を見た。


「えーと……」

 リットが右手で紅茶のカップを持つ。

 卓上の左手は軽く握られている。ノーの意味。


「ち、違うんです。面白いって聞いたんですけれど、物語の名前を忘れてしまって」

 リットの左手が開いた。イエス。そうだ、と無言で語る。


「もしかして、ピルオードの〈悪役令嬢は深紅の薔薇と散る〉か?」

 タルガの言葉に、リットとジンが顔を上げた。


「ええと、そんな感じ、でした」

 しどろもどろのトウリに、タルガが苦笑する。


「好き勝手やっていた悪役令嬢が、最後にやり返される。それが、ざまあみろで人気らしい。が、ちょっと侍従君には早い物語かもな」


「僕はもう十四です。子どもじゃありません」

 唇を尖らせるトウリに、軽い調子でタルガが謝る。


「すまん、すまん。宮廷書記官様の侍従が、貴族の没落を面白おかしく書いた物語を読んでも平気なのかと、心配で」

 リットは平然とスープを口に運ぶ。


「俺は貴族じゃないから、別に気にしない」

「そうなんですか?」

 タルガとユーリの声が重なった。


「第一王子の側近と名高いですが……」

 困惑する二人の騎士へ、リットが鼻を鳴らす。


「こき使われているだけだ」

「信頼を得ていると思うんだがなー」

 ジンの呟きを無視して、リットはスプーンを動かした。


「あ、こら。ニンジンを寄越すんじゃない」

「よく食べよく働かねばならんだろう。副団長どの」

「いい加減、ニンジン嫌いを直せ。リット!」

「もう生涯分を食べたから俺はいい。友よ、分け与えてやろう」

 はっと、ジンが気付く。


「役人用の食堂を使わない理由はこれか!」

「無駄にならんからな。ニンジンも喜んでいる」


 うんうん、とリットが神妙に頷いた。ジンが非難の目を向ければ、トウリが首を横に振った。


「監督不行き届きで申し訳ありません」

 タルガとユーリが、口を引き結んでプルプル震えている。


「笑ってもいいぞ。俺の前で感情を殺すな」

 リットの許しに、タルガとユーリが噴き出した。爆笑。何事かと周囲の耳目を集める。


「そういえば」

 リットが籠からパンを取る。小さくちぎりながら、口に運ぶ。


「〈白雪騎士〉とかの影響で、入団希望者が増えたそうだな」

 タルガが首肯した。


「ええ。若さっていいですよね。叩きのめし甲斐があります」

「おっと。腹黒タルガだったか」

 感心したリットに、ジンが額に手を当てた。


「いつも通りです。リット様、ジン様」

「しれっと同僚をけなす策士はユーリか」

「光栄でございます」

 ユーリが胸に手を当て、リットへ簡易礼をする。


「物語の影響力は偉大だな。これじゃあ、ピルオードの〈悪役令嬢〉に感化されるご令嬢もいるんじゃないか?」


 リットの言葉に、タルガとユーリの肩が揺れた。微かに吊り上がった友の口元をジンだけが見逃さない。


 普段の様子で、リットはパンを食べている。トウリが紅茶をサーブする。

 タルガとユーリが視線を交わす。


「……副団長の前で、言いづらいのですが……」

「構わん。タルガ。ユーリも。共通認識を図る一環だと思え」

 ジンの言葉に、ほっとタルガとユーリの肩が下がる。


「城内の巡回で、高貴なる方々をお見かけすることが多いのですが……」

 タルガが声をひそめる。


「物語から抜け出したような、ご令嬢がいらっしゃいます」

「そうなのか? 知らなかった」

 リットの目が瞬く。


「政務だけに励んでいると、城内のことに疎くなってしまうな。はっはっは」

 ジンとトウリの冷たい視線を無視して、リットが続きを促した。


「第二王子、タギ様の婚約者で……」

 タルガの言葉をユーリが引き継ぐ。


「フィルバード・ヴァローナ様です」

「へえ。そのご令嬢の振る舞いが、凄まじいのか?」

 二人の騎士が首肯した。


 タルガ曰く。気に入らない城内の侍女にコップの水を浴びせたとか。

 ユーリ曰く。婚約者だからと言って第二王子に高価な宝石を強請ったとか。


「最近の標的は、スコット家のスミカ嬢です」

 ため息をつくタルガに、リットは首を傾げる。


「スコット家は弱小貴族だろ。どうして公爵家ご令嬢が標的にする?」

「文学好きのタギ様と話が合うからです。――ああ、可愛そうな小鳥! その美しい鳴き声のせいで、孔雀にいじめられるとは!」


「タルガに詩の才能はないんだな」

「その通りです。リット様」

 ユーリが相棒を肘で小突く。


「なるほどな。詩のひとつも作れないと、彼女だってできんぞ」

「はっ。肝に銘じておきます!」

 ユーリが死んだ魚のような目でタルガを見た。


「風紀を乱す書物なら、物語といえども禁書にはならんのかね?」

 リットがテーブルの上に肘をつく。両手を組んで顎を乗せる。


「お前……、本当に知らないのか」

「何が」

 ジンが呆れたように言った。


「ピルオードは筆名だ。

 正しき王前名(おうぜんめい)は、スピルド・フラス・ヴァーチャス。侯爵家の長男で、お前と同じ一級宮廷書記官だぞ」


「うわ、かっこ悪。王の御前での名を知られているなんて。そんな奴いたんだ」

 主の反応の薄さに、トウリが顔を引きつらせた。


「まさか、同僚を忘れていませんよね?」

「あー……。スピ坊は、宮廷書記官の大部屋で仕事をしないからな。趣味の悪い金ぴかの執務室から出て来ん」

 リットが人差し指でこめかみを押さえる。


「栄誉ある隠し名(ヴァーチャス)持ちか。それなら禁書にはできないな。

 むしろ、上級貴族が直々に訓戒を書いている、と世間の評判も悪くはないだろう」


「同じ影響なら、僕はリュート卿の〈白雪騎士〉のほうが真っ当だと思います」

 トウリに同意して、三人の騎士たちが頷いた。


「あー……、あれは、あれだ」

 歯切れの悪いリットに、ジンが首を傾げる。


「何だ? 読んで思うところがあるのか」

「いいや、読むには及ばない。侍従の熱弁を聞くので間に合っているということだ」

「いくらでも語れますよ!」

 トウリがテーブルに身を乗り出す。


「……話に付き合ってやっているのか?」

 ぼそり、とジンが訊ねた。


「大部屋でも、執務室でも。俺の休憩時間が長いとな、騎士様の忠義やら義務やら振る舞いやらを引用しつつ、弁舌を振るうんだ……ははは」

 力無い笑みとともに、リットは遠く天井を見上げる。


「ああ、なんと優雅な生活か!」


「お前がサボらずに働けば済む話じゃないか」

「我が友がいじめるぅー。宮廷書記官なんてやめてやるぅー。田舎に帰ってやるぅー」

 リットがテーブルに突っ伏した。


「そ、そんな。副団長の冗談ですよ」

「そうですよ。リット様の身を案じているのです」


 慰めの言葉を口にするタルガとユーリに、トウリは手の平を向けて制止する。


「あ、いつも通りなので。お気になさらず」







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