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第19筆 幕の外の真(まこと)


「大広間に戻らなくていいのですか? リット様、ジン様」

 トウリが小卓にビスケットを置く。


「惨状に参上する義務はないな」

 執務室の窓辺に立ったリットは、桟に両手をついた。


 大広間のざわめきも、ここには届かない。

 窓硝子の向こう、蝋燭が入った外灯が回廊を夜闇に浮かび上がらせていた。


「今宵は三日月か」

 椅子に座ったジンが窓を見上げる。

 初夏の夜空に、細い月が架かっていた。雲が多い。


「それで、トウリ。俺は務めを果たしたぞ」

 くるりと身を反転させ、リットが後ろ手に窓の桟へ手をつく。


「まあ、そうですね」

「シンバル産のハイグロウンティーは?」

 これ見よがしに、トウリがため息をついた。


「今、湯をもらってきます」

「茶葉はどこにある」

 リットの目がらんらんと光る。


「侍従詰所の僕の私箱です。湯と一緒に持って来ますから、大人しく待っていてください」

 トウリがドアを開け、執務室を後にした。


 部屋には、リットとジンの二人が残される。


「リット」

「うん?」

 ジンが腰に吊った長剣の鞘を、左手で押さえた。


「お前、何者だ」

「耄碌するには早すぎるぞ。宮廷書記官だ」

「違う」

 ジンが首を横に振った。灰色の髪が揺れる。


「紋章の間で、お前は王へ(ひざまず)かなかった。それなのに、陛下と王妃様は咎めなかった。何故だ」

「御心が広大な方々なのだろう」

隠し名(ヴァーチャス)持ちだからか?」


 栄誉の名は、王から授けられる。

 その呼び名を知ることができるのは、王族のみ。


「いや、違うな」

 ジンが自分自身の言葉を否定する。


「スピルドだって、隠し名(ヴァーチャス)持ちだ」

「あいつの栄誉は〈仕留め槍(ファランス)〉だぞ。スピルド・フラス・ファランス。二年前の春の狩りの時に、王の矢が刺さったまま逃げた雄鹿を、見事仕留めたから」


「……どうして、そんなことまでを知っているんだ?」

「伊達に、王城内外の恋文代筆を請け負っていない。いろいろ楽しい話が入ってくる」

「役人や市井の民が知っている話じゃないぞ」

 ジンがリットを睨む。


隠し名(ヴァーチャス)は、栄誉の名。王族しか知らないはずだ」


 長い茶髪の三つ編みが、リットの背で揺れている。ジンを見返す翠の瞳は、時に宝石にも例えられる美しさ。


 それでも、王族の証である金髪紫目ではない。


「失われた時を求めるか? ジン」

 リットが唇を吊り上げた。

 妖艶なその笑みに、ぞくりとジンの背筋が凍る。


「お前……噂の三番目(サード)と、繋がりがあるのか」

「噂の三番目?」

「とぼけるな。仮にも宮廷書記官だろ。宮廷内で流れる噂話を知らないはずはない」

「ああ。王姉(おうし)の子が生きているってやつか」

 ジンが首肯する。


「王女が亡くなり、その恋人も処刑され、残された悲劇の子だ。 

 今まで生死は不明だったが、ここ数年から人々の口に上り出した。殿下たちの従兄弟は生きている、と」

「ああ。生きている」

「本当か!」


 がたん、と大きな音を立てて椅子が横倒しになる。立ち上がったジンが慌てて直す。


「ここにいる」

 リットが自分の胸に手を当てた。


「んん?」

「だから、俺が王姉の遺児なんだって。ジン」

「冗談はやめてくれ!」

「冗談だったら、どんなに良かったか」

 リットが肩をすくめる。


「き、金色の髪に、紫の目じゃ、ないぞ?」

「ありがたいことに父親譲りさ。いやあ、助かった。ありふれた茶髪に翠の目で」

 はっはっは、と軽薄に笑う。


「もし金髪だったら。今頃、ラウル殿下に首チョンパされていたな」

「いや、待て。待て待て待て。頭の混乱を抑えるのが困難だ」

 頭を抱えて、ジンが見る。


「話を整理してもいいか?」

「どーぞ」


 リットが小卓のビスケットを摘まむ。さくさくと食べる。

 ジンが深く息を吸った。


「リット。お前が……王姉の遺児ということを、誰が知っている?」

「陛下と王妃。ラウル殿下は調べて探しまくって、たどり着きやがったな。

 平々凡々と片田舎で代筆屋をやっていた、俺の幽雅な生活に乱入しやがって。王城に仕えるか死ぬか選べと突きつけられた。暴君の片鱗を見たね」


 ビスケットを口にくわえたまま、リットは眉間にしわを寄せた。


 これで、紋章の間で跪礼(きれい)を執らなくても、不敬に問われなかった理由がわかった。


「んんん? じゃあ、スミカ嬢と文通しているという隣国の相手――サードも、お前のことか?」

「それは違う」

 指についたビスケットのかすを、リットは舌で舐めた。


「サードは人名だ。略称でもある」

「シンバルの貴族か? 正式名(フル・ネーム)は」

「王妃が言っていただろう。サフィルドだ。サフィルド・リトン」

「お前の父君か!」

「そー」


 感慨もなく、あっさりとリットが首肯する。


「ちょっと待ってくれ!」

「お前の心の準備を待っていたら、夜が明けてしまうぞ。ジン」

 うう、とジンが図星を突かれた。


 聞きたい。

 けれども、踏ん切りがつかない。


「ほら、早く。トウリが戻ってきてしまうぞ」

 当人に急かされて、腹が決まる。


「恋人は先王の怒りに触れて、首を刎ねられたという噂だ。生きているのか?」

「噂というものは、だいたい半分真実から成り立っている」


 三日月が雲に隠れた。

 薄暗くなり、ジンからはリットの表情がよく見えない。


「右手首を斬り落とされたんだ」

 手首でも、首には違いない。


「利き手を失って、宮廷書記官としての命は終わった。俺を連れて隣国(シンバル)に逃げたはいいが、まあ、いろいろあって、今に至る」

 三日月の端が雲から覗く。光が徐々に戻ってくる。


 リットの横顔に微かな月光が降る。

 無表情だと、静かな殺気を帯びているように見えるその(かんばせ)。見慣れた友が、遠い存在に思えた。


「……なあ、リット」

 ゆっくりと、ジンが口を開く。


「おれは、お前の、友だ」

「何だ。急に改まって」


 リットは窓の外を眺めている。

 夜空には雲が多いが、風が吹いているのか、三日月を隠していた雲が薄れてゆく。


「どんなお前だって、これからだって、おれはお前の友でありたい。だが、その。訊いていいものなのか、わからんが……」

「俺の隠し名(ヴァーチャス)か?」

 真剣な表情で、ジンが頷いた。


「我が友よ。天と地の(はざま)には、知らぬほうがよいこともある」

「……そうだよな」

 凛とした声に、ジンが眉を曇らせる。


「悪かった。忘れてくれ」

「いや? 教えないとは言っていない」

「お前は本当に人をからかうのが得意だな!」

「ちゃんと相手を選んでいるぞ」

「そんな気遣いはいらん」

 楽しそうに、リットが喉の奥を鳴らす。


「俺も、お前と同じでありたかったからな」

「文学的言い回しはまどろっこしいぞ、一級宮廷書記官どの」

「リュート卿と呼ばないところが誠実だな、近衛騎士団副団長どの」

「サイン本をトウリに贈ってやれ」

「考えておこう」


 雲が晴れた。

 三日月が姿を見せる。


「……もう隠す名でもないか」


 怪訝そうなジンに、リットが振り返った。

 長い三つ編みが、尾のようにその動きを追う。淡い月光を受けた茶色の髪が金色に染まる。


「俺の隠し名(ヴァーチャス)は、フルミアだ」

 翠の目が嗤った。









応援ありがとうございます。

「【続編】宮廷書記官リットの有閑な日常」https://ncode.syosetu.com/n7890gx/を投稿中です。



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[一言] 時間を忘れて最後迄一気に読みました。 数多くの作品を読んでいますが、ここまで読み進めさせる力のある作品に久しぶりに出会えて幸せでした。 とても面白かったです。とても良質な作品でした。 次の作…
[良い点] すっごい面白かったです
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