第16筆 嘘と真(まこと)
「なんですって! 本当なの、お父様」
「そうだ。ヴァローナ」
あらあらまあまあ、と王妃が口元に手を当てた。
王は険しい表情で、事の成り行きを静観している。
「皆の衆も、とくと見よ。スミカ嬢の招待状には、代筆者名が書かれていない!」
手紙の最後は、タギの名で終わっている。
スピルドが代筆した招待状なら、代筆者として、スピルドの名が洋紙に記されているはず。
それが、ない。
「王家の手紙洋紙は、見たところ本物のようだが。どうせ、姑息な手を使って盗んだに違いない」
フィルバード公爵が見下す。
「そこの侍従を、そそのかしたのかもしれん」
「なっ!」
怒りでトウリの頬が紅潮した。
首を横に激しく振る。
「しません、そんなこと! 盗む、なんて!」
荒れる感情に口が追いつかない。
フィルバード公爵がうすら笑いを浮かべた。
「図星で動揺しているようだな。侍従が罪を犯したとなると、主人も同罪。いやそれ以上の重罪だぞ」
「あ、お気遣いなく」
飄々とした態度を崩さないリットに、フィルバード公爵の眉間が険しくなる。
「お忘れでしょうか、フィルバード公爵様」
「何?」
翠の目に、刃に似た光が閃く。
「この手紙には、代筆者名は不要なのですよ」
「なんだと。それはどういう意味――」
言い募るフィルバード公爵に、リットが人差し指を立てた。自身の唇に当てる。秘密、もしくは、お静かにを意味する身ぶり。
「私が書いたのだ」
本人が白状した。
「タギ?」
「本当だ、兄上。私の独断で、陛下に相談もせず、手紙を出した」
ラウルの目が微かに大きくなる。
「……ただ。何を、どう書いていいのか、わからなくて。他の宮廷書記官を通して、リットに助言を求めた」
リットが微笑む。
「よく書けていますよ、タギ殿下。記載すべき事柄をお教えしただけなのに、文面から若い熱情がひしひしと伝わってきます」
「リット。貴様!」
フィルバード公爵が怒鳴った。
「宮廷書記官の職務をお忘れか。フィルバード公」
消えた笑みに、絶対零度の声。
冷徹な翠。
居並ぶ人々の背筋が凍った。
息を吸い損ねたフィルバード公爵の喉が、ひゅっと鳴る。
「王家の代筆を担う栄誉ある職位。もちろん、夜会の招待状の代筆も行う。その際は、代筆の責任を記すために名を書き入れる」
リットが言葉を切った。
ただ、例外がある。
「――王族直筆の手紙に、代筆者名が入るわけがない」
スミカのもとに届いた手紙が、タギ自身の直筆ならば。
「本物なのですね!」
満面の笑顔で、トウリが叫んだ。
「リストに名前がなかったのも納得できます! 名前がなくても、タギ様の直筆の招待状を持つスミカ様は、夜会に参加できます!」
そう言い切って、トウリは気付く。
小馬鹿にしたように、主人が自分を見つめている。
「あれ? 僕、変なことを言いましたか」
「詰めが甘い」
はあ、とリットが深く息を吐いた。
「招待状を持っているのに、王城にいるのに。どうして、スピルドが加筆した招待客リストにチェックがなかったんだ?」
「あれっ?」
トウリの頭を、リットがはたく。
全員の視線を一身に受けるスミカは、俯いた。
ドレスを握り締めた手が、子兎のように震えている。
「スミカ」
タギが彼女の手を取る。
「大丈夫だ。何があっても、ぼくが君を守る」
「タギ様……」
第二王子と子爵令嬢が、身分差を越えて見つめ合う。
「ネタばらしは、好きじゃないんだが」
甘い雰囲気をなぎ払って、リットが言う。
「白銀門ではなく、白嶺門から入ったんだな?」
それは王城の裏口。
「何故だ?」
リットが問うた。
「よ、読み間違えました。だって、似ているのですもの」
白銀門と白嶺門。
呼び名は似ているが、用途はまったく違う。
王城の表門は、白銀門である。
当然のことながら、招待客は白銀門から入るので、出席の有無をチェックする役人は、白銀門にしかいない。
「だから、招待客のリストに印が付かなかったのか。ふーん……」
探るようなリットの目を、スミカが気丈に見返す。
「入城する際、妨害されないようにという、タギ殿下のご配慮だと思いました」
「ああ、招待状リストにさえ、載らない客だもんな」
きっ、とスミカが睨んだ。
「しかしながら、タギ殿下から正式な招待を受けております!」
タギが深く首肯した。怪訝そうにリットを見つめる。
「何か、問題でもあるのか?」
「疑問なのです」
リットが右の人差し指を立てた。
「仮にも貴族である子爵令嬢が、どうして裏口の白嶺門を知っているのか?」
無音で空気が凍りついた。
「……ええと、いや。だって。……待ってください」
呆然としながらも、トウリが口を動かす。
「リット様だって、白嶺門をお使いになりますよね?」
「俺は爵位なし。貴族じゃないから裏門を使うのが身の丈に合っている。
仮に、名誉ある上級職位だといえども、働き手――労働人の端くれだ」
その言葉は謙遜ではない。
宿るは、己の職務への誇り。
「だから仕事にケチを付けられて、ちょっと頭にきている」
「全然、ちょっと、じゃ、ないですよ……」
消え入りそうな声でトウリが呟く。怒っている。盛大に怒っている。
穏やかな表情のまま、リットの目は一切笑っていない。その翠の瞳には、抜き身の刃を思わせる鋭利な輝き。剣呑な光。
「隣国と文通する才女様」
ジンが目を丸くする。
どうしてそのことが、今、関係するのか。
「おい、リット」
「教えてくれたのはお前だぞ。友よ」
リットが唇を歪めた。
「お相手はサードか?」
三番目と聞こえ、ラウルが弾かれたように顔を上げた。
「……はい」
スミカが力なく、首を縦に振る。
「それなら、白嶺門のことは納得できる。サードから教えてもらったんだな?」
「ええ。直筆の招待状なら、招待客リストにチェックされなくても、咎められないことも」
「ふーん。親切なことで。経験談か?」
リットが王に視線を投げた。王は何も言わない。
「まあ、いいや」
リットが、タギへ向き直る。
「それで、殿下。冗談ではなく、ヴァローナ嬢との婚約破棄をお考えですか」
「ああ。ぼくの心は変わらない」
「そんな――」
ばさ、とヴァローナの手から黒駝鳥の洋扇が落ちた。
膝から崩れ落ちそうになる娘を、フィルバード公爵が抱き止める。
「失礼、陛下。我が娘の気分が優れないようだ」
噛みつくように義弟を睨んだ。
「別室で休ませる」
王の許可を得ずに、フィルバード公爵はヴァローナを連れて、紋章の間を出て行った。
後には、王族と、子爵家と、近衛騎士団副団長と、宮廷書記官の主従が残される。