第14筆 悪女と退場
「疑惑! そうです。諸悪は、スコット令嬢よ!」
ヴァローナが、新しい黒駝鳥の洋扇でスミカを指した。
「その小娘が、タギ様をたぶらかしたのだわ! なんという悪女!」
その剣幕に、スミカの肩がびくりと跳ねる。
「待ってくれ」
マントをさばき、タギが立ち上がった。スミカを背に庇う。
「私は、自分の意思で婚約を破棄したのだ。フィルバード公爵令嬢どの」
タギの他人行儀な呼び方に、ひっ、とヴァローナは悲鳴を上げる。
「ヴァローナで結構です、タギ様!」
王族の証たる、タギの紫色の目が眇められた。
「敬称で呼んでいただきたい。もう婚約者ではないのから」
「ですが!」
「王の御前だということを、忘れたのではあるまいな?」
仮にもタギは第二王子である。
王族に従わないということは、少なからず王へ叛意を疑われる。
「ご、ご無礼を。タギ殿下……」
わなわなと唇を震わせ、ヴァローナが押し黙る。
言質を取られ、本当に正当に婚約を破棄されたら、堪らない。
「で、ですが。これは何かの陰謀ではなくて?」
ヴァローナが言い繕う。
「何故、後ろ盾も財力も権力もない、弱小貴族の小娘が、王家主催の栄誉ある夜会に参加できて?」
成り行きを見守っていたジンが首を捻った。
「王宮から招待状が届いたからじゃ、ないのか」
「そんなことはありませんわ!」
ヴァローナが金切り声で叫んだ。
怒り狂う公爵令嬢に、ジンが圧倒される。
「い、いや。しかし。フラスどのが持つ招待状リストに、スミカ嬢の名はあったのだろう?」
ぶるり、とスピルドが体を揺らす。
視点の合っていない目で、上座に控えるジンを見上げた。
「そうなのだろう? フラス一級宮廷書記官どの?」
純朴なジンに見つめられ、フラスは緩慢な動きで頷く。
「……仰る通り、私が持つリストには、スコット子爵令嬢の名が、あり、ます」
「渡しなさい。スピルド」
懐からリストを取り出し、スピルドはバルドへ手渡した。
「ふむ。確かに……何度見ても、スコット・スミカ子爵令嬢の名がある」
バルドが白い顎鬚を、悩ましげに撫でる。
「大広間での説明では、リットが書き漏らしたと。それに気付いたお主が、早馬でスコット家に招待状を送った……。そうだったな? スピルド」
「……はい」
スピルドの顔色は、蒼白を通り越して死人のような土気色をしている。
「知っているか、トウリ。首を刎ねるのは、結構難しいんだぞ」
話の流れを華麗にぶった切った。
「リット様! あなたの首が刎ねられますよ!」
「首は腕より太いし、振り下ろす刃の角度によっては、骨に当たって弾かれてしまう。中途半端な斬り方だとな、激痛だし、絶叫だし、血は飛び散るし、刃は食い込んで抜けないし、散々なんだ」
リットが右手でとんとん、と自分の首筋を叩く。
「物語みたいにスパッと斬るのは、高度な技術がいる」
「どうして今そんなこと教えてくださるのですか!」
主の暴挙に、トウリ半泣きで訴えた。
「軽口には場違いですよ!」
「公文書の改竄は死罪だ」
リットの不吉な言葉。
それは、決して軽くはない。
「陛下がお決めになり、ラウル殿下が俺に代筆を命じた招待状。世界でたった一枚だと思ったか?」
王家の紋章で封がされたリストが、ラウルが手元にある。
「これは写しだ。夜会が何事もなく終了すれば、燃やされる運命」
ラウルが封蝋を剥がした。
折り畳まれていた紙が、パタパタと音を立て、開かれる。
ラウルが言う。
「招待状リストは、そのまま夜会当日の招待客リストとなる。出欠のチェックがつけられたリストだけが、公文書として保存される」
パタ、パタ、パタ、パタ。
折り畳まれていたリストが、ラウルの手にから床へ流れた。
五百五十を超える名前が記されたリストは長い。軽やかに、床へ広がっていく。
パタ、パタ、パタ、パタ。
パタ、パタ、パタ。
パタ、パタ。
パタタッ。
「おや?」
腑に落ちない様子で、ラウルが紙の端を手に取った。
リストの最後。
五百五十七番目。
スコット・スミカ子爵令嬢の名は――ない。
「これは、どういうことか?」
第一王子の紫の目が、身を震わせている一級宮廷書記官を射る。
「……タギ様の、御心を慮って……、書き加えました」
血を吐くように、スピルドが白状した。
「スピルド! お主、なんてことを!」
主の言葉が繋がり、トウリは青ざめた。
「……公文書の、改竄は、死罪」
「連れて行け」
ラウルの命令に、座りこむスピルドを近衛騎士団団長が無理矢理に立たせた。扉の向こう、続きの間に控えていた衛兵とともに、紋章の間から消える。
「第二王子殿下を口実にしたから、不敬罪も追加かな?」
「ふん。検討しよう」
リットの言葉に、ラウルが鼻を鳴らした。
広げられた写しのリストを、バルドに押し付ける。
「ああ、なんということか」
リストの洋紙に、ぱたぱたと宮廷書記官長の涙が落ちる。
「ラウル殿下」
バルドが第一王子を見上げた。
「スピルド・フラス一級宮廷書記官は、我が部下でございます。私の監督不行き届きでございます。私にも罰をお与えくだされ。そして、スピルドの罪を軽くしてくだされ」
ラウルは顔をしかめた。
「バルド宮廷書記官長よ、耄碌なされたか。懇願する相手が違うぞ」
全員の視線が王へ集まった。
すべての権限は、王にある。
「追って沙汰をする。下がれ、バルド」
「……はっ」
膝をついたまま、バルドは退去の礼をする。ゆっくり立ち上がると、リットを見た。
老人は、何も言わない。
「沈黙は雄弁ですね」
そのリットへ応えず、バルドは退室していった。
「さて」
場に似つかわしくない、リットの声の軽さ。
「気になる本編へ参りましょう」
リットの翠の目が、彼女を映す。