第12筆 茶番と定番
「……挨拶の前に。何ぞ、余へ言わねばならぬことがあるな? タギ」
重々しく、王が口を開いた。
「はい。陛下」
タギが頭を下げる。
玉座の隣に座る王妃は、眩しそうに目を細めた。
「いつの間に、立派になりましたね」
ふふふ、と微笑む。
タギの眉が僅かに寄った。
「……母上、お言葉がズレております」
「あらそう? また陛下に、天然と言われてしまいますわね」
ふふふ、と楽しそうに、王妃は口元を洋扇で隠す。
「ラウルもそう思いますか?」
急に話を振られたラウルは、それでも顔色一つ変えない。
「意地悪な母上と思います」
「あらまあ。母にそんな口を利くなんて。意地悪な殿下」
「茶番は、これぐらいでよろしいでしょう」
ラウルが踵を高らかに鳴らした。
タギへ向き直る。
「我が弟に問う。汝の身の傍に置く、その女性は何者か」
「……十分にまだ茶番だが」
ぼそりと呟いたリットの脇腹に、ジンの肘鉄が入る。黙る。
「婚約者のフィルバード公爵令嬢では、ないな?」
フロアに立つヴァローナが金色の洋扇を畳み、きつく握り締めた。ミシミシと洋扇が泣く。
放つ怒気で、結い上げた髪の毛先がバサバサと揺れる。
「……こわ」
トウリが零す。
ジンが無言で首肯した。リットは痛みで声が出ない。
「そ、そんな。ま……さか」
スピルドの唇が戦慄く。
「いかがした、スピルド。お主がリットの代わりに早馬で送った招待状が、彼女の手に届いた証明ぞ?」
生気を取り戻したバルドに、スピルドが首を横に振った。視線は大広間の上座から離れない。
「――お答えいたしましょう、兄上!」
朗々と、タギの声が響く。
「彼女の名は、スコット子爵家のスミカ嬢」
深紅のドレスに金細工で栗色の髪を結い上げたスミカが、控えめに、それでいて優雅に令嬢礼儀をした。
「この私、タギ・フルミアが、真の婚約者と望む者です!」
「おお!」
人々が驚嘆の声を上げた。
上座のスミカと、フロアのヴァローナへ視線が集中する。
バキッ、と金色の洋扇が折れた。
「お待ちになって!」
折れた洋扇をフロアに叩きつける。
ヴァローナが一歩踏み出せば、人々が何も言わず道を空けた。
「タギ様の婚約者はフィルバード公爵令嬢たる、この私ですわ!」
ヴァローナが指を突きつけた。
「たかが子爵です! 王位継承権を持つタギ第二王子殿下には、相応しくありませんわ!」
「……すっごいな舞台度胸。陛下以下、王族方々の御前だぞ?」
リットの無駄口は、ジンの鳩尾への左拳で封じられた。
「あ、手加減してくださったのですね。左手」
それでも胸を押さえてリットがその場にうずくまる。
「さすがに、落としたらまずいだろう。トウリ」
「意識ですか? 命ですか?」
「それもある」
「……こわ」
自分で訊ねておきながら、トウリは顔を引きつらせた。
「ほら、そろそろ最高潮だぞ。見逃すな」
ジンがリットの三つ編みを手で掴み、引っ張る。
「おい馬鹿やめろ。しっぽが取れる!」
「馬だけに」
ジンが手を離す。
髪を押さえたリットが立ち上がった。睨む。
「鹿がお前か?」
「どちらかと言えば、おれのほうが馬じゃないか? 騎士だし」
ジンの言葉にリットが頷く。
「なるほど。じゃ、鹿は俺か。角のつけペンもあるからなぁ」
「かくかく」
リットが言えば。
「しかじか」
ジンが答えた。
「……二人でふざけないでください。収拾がつかなくなりますから!」
トウリが悲鳴を上げる。
「あっちのほうが収拾つかなくなっているぞ」
けろりとした顔で、リットが上座を示す。ヴァローナが激しく言い募っている。
「見事な修羅場だな」
ジンが他人事のように眺める。
「出るか? 夢見る無謀」
わくわくと目を輝かせるリットに、ジンが肩をすくめた。
「それを言うな」
「これから言うぞ?」
リットの唇が吊り上がる。
「――ヴァローナ・フィルバード公爵令嬢!」
頬を紅潮させ、タギが宣言する。
「貴女との婚約を、ここに破棄する!」
一瞬の静寂の後――。
「おおおおおおおおおっ!」
大広間は混乱になった。
夜会どころではない。
悲鳴、動揺、ざわめき。
ざまぁ、と冷笑を浮かべる下級貴族の令嬢たちがいる一方で、ヴァローナに追従していた三人の侍女たちが、ひそひそと今後の身の振りを相談していた。
ヴァローナの父、フィルバード公爵が血相を変えて王のもとへ現れた。
「あら、お兄様。いつも怖いお顔が、さらに怖いですよ」
ふふふ、と笑う王妃に、フィルバード公爵は震える声を絞り出す。
「……我が妹よ。あなたの、天然に、付き合って、いる暇はありません!」
「ああ。見事な声の速度変化ね。さすが、バイオリンの名手のお兄様」
「王よ!」
フィルバード公爵は妹を無視した。
「この件に関して、別室で詳しくお訊ねしたい!」
「よかろう」
玉座から王が立つ。
一斉に、人々が礼を執った。
頭を下げる招待客たちを見渡して、王が口を開く。
「皆の者。しばし、時間をいただきたい。寛いでいてくれたまえ」
畏まる第一王子を見る。
「ラウル。関係する者を、紋章の間に連れて来よ」
「はっ」
ラウルが頭を下げ、拝命の意を示した。