第10筆 幕が上がるその前に
夜の王城に、明かりが灯った。
正面の白銀門へ、二十を超える豪華な馬車が横付けされ、招待状を手にした貴族諸侯たちが続々と到着する。
侍従や料理人たちなど労働人が使う裏口の白嶺門も、バタバタと出入りが激しい。
椅子に座ったリットが呟く。
「俺もう必要ないだろうに」
宮廷書記官の正装を身に纏っている。
「期日の三日前に、俺は招待状を仕上げたぞ?」
行儀悪く脚を組み、そう不満を零した。
「そうですね」
「おい。主の言葉を受け流すなんて無礼だぞ、トウリ」
「そうですね」
リットが座っている椅子は、背もたれがないといえども、赤のビロード張りの高級品。決して、片膝に脚を乗せるという行儀で座っていいものではない。
編まれた茶の三つ編みが、やる気のなさを主張するように、だらりと垂れていた。それでも、胸の白鷲の三枚羽根は蝋燭の明かりを凛然と弾く。
「しゃんとしてください、リット様」
短いながらも、黒の燕尾を着たトウリが注意した。同じように、正装姿の侍従たちが忙しなく動き回っている。
「あなたが代筆なさった招待状を手に、皆様お見えですよ。こんなところで時間を潰していないで、挨拶に出てください」
「やだ」
ぷい、とリットがそっぽを向いた。
「子どもですか。いい歳した大人が、何をやっているのですか」
ちらちらと、侍従たちがリットへ視線を寄越す。その意味に気付いているくせに、無視を決め込んでいる。
トウリが盛大にため息をついた。
「リット・リトン一級宮廷書記官様。はっきり申し上げます」
「どうした。改まって」
「どうした、じゃ、ありません!」
トウリが両腕を広げる。
「ここは、侍従控室です!」
背もたれのない椅子は、侍従たちがひと休みするためのもの。決して、一級宮廷書記官が腰を下ろして良いものではない。
「あなたの御身は大広間にあるべきです!」
侍従たちが一斉に頷く。
「わかっている。もう少ししたら、出る」
「そう言い続けて、何分ですか? 三十六分経ちましたよ!」
「細かいぞ、トウリ。持病の腰痛が良くなるまで、あと少し」
すっと、トウリの目が冷徹に細められた。
「……宮廷医薬師を呼びましょうか?」
「いや待て。それには及ばん。こうして大人しく座っていれば治る」
「往生際が悪い」
顔をしかめて、トウリが揃えた指で額の横を押さえる。
「いつ、大広間へ行くのですか。王族の方々より前にいないと、討ち首ですよ?」
「急な腹痛で」
「では、王城の医薬室へ。早く」
「うっ、持病の腰痛が!」
「医薬室に行かないのなら大広間の壁の装飾掛布になっていてください! 侍従部屋は邪魔になります!」
おお、と侍従たちがざわめいた。主人にはっきりと物申したトウリに、何故か拍手が湧いた。
「……くっ、お前たち後で覚えていろよ!」
捨て台詞を吐き、トウリに背を押されて退出した。
「……リトン様は、何をしたかったのでしょうか?」
年若の侍従が、傍に立つ黒髪の青年侍従に訊ねる。
「いつも通りのことだよ」
「そうですか」
「リトン様は労働人の味方でね。置物としてではなく、ちゃんと我々を見ていてくれる」
「そうなのですか?」
「君は、夜会は初めてかい?」
年若の侍従が首肯すれば、黒髪の青年侍従は微笑んだ。
「そうか。では、覚えておくといい。こんなことをするのは、リトン様だけだよ」
「おーい、そこの二人。悪いが、運ぶのを手伝ってくれ!」
仲間が手招きしている。
「白き三枚羽根の御方から、差し入れだ!」
わっと侍従たちの顔が明るくなった。仲間の一人が持つ大きな籐の籠、薔薇の形をしたクッキーが零れんばかりに入っている。
「まだ、あと十は籐の籠がある!」
「……白き三枚羽根って」
「ね。言っただろう?」
黒髪の青年侍従が片目をつぶって見せた。優雅さを失わない速さで、仲間へと駆け寄る。
年若の侍従も、笑顔でその背を追った。