戯作風日記
現代仮名遣い
土曜午後晴天。杏実の住まいを共に出で二人して駅へ向かう。天候前日と異ならず雲影に隠れなき日光頗る良ければ吉祥寺にて午餐を喫するためなり。
格別目当ての料理店なけれども、街を歩けばおのずと看板目につき雑踏人出賑やかにして、招きの声、広告に耳目を傾けあるいは求め、もしくは店内へ導かるるまま足を踏み入れ、明るくも眩しからざる窓際の席に着きて店員の勧める品に仲良く舌鼓打つ頃には、相対する二人面上朗らかに口元ほころび喜色あふれるほどにもなれば、幸福の陽射しいよいよ二人を柔らかに包み今更影を落とすこともなきと想えばなり。
杏実という女、当年二十三歳となりし人にて余の僅か一つ下にあたるなり。目立たぬもすっと伸びる鼻梁の隣には形よき眉と黒目勝ちの澄んだ瞳、その周囲を縁取り流れる髪の滑らかでつややかなるさま前夜から深更に至るまで我が手先と頬にて存分に知り尽くしたれども、ぽつりぽつりと浮かぶばかり日光遮る雲少なき真昼の陽光のもと心新たに眺むれば、白き肌に差す光透きとおり控えめで清楚な脂粉のされど巧みに装い彩るさま、当年二十歳と云われても聞くひと皆悉く信ずるなり。
杏実は近づきになったばかりの人あらずして学生時代からの知己の人なり。大学の後輩なりき。されどこの事知る人恐らく一人としてなきを以て、ここにも敢えて全容を述べたくなく、これ以上は口を慎むべし。
駅へ向かう中途又電車内にて杏実と二人座席に相並びながら折々心頭をよぎるのは、もし吉祥寺にて知り合いに遭遇したる時の事。余の近況、杏実とは別の女と別れたばかりにして、その日から一週間も経ずかつ初めての週末なり。若者の街たる吉祥寺には学生時代の知り合いの遊び訪れる機会およそ頻繁にしておのずから発見される危険多しと推測す。偶さかの発見者あるいは厚い心配りよりあるいは後日からかいの種にでもしようと殊更に余らを避け声を掛けぬこともあれども、それらの幸い本日限りにて今後いついかなるとき災いを被るや否や。
推量すればするほど余らの行動頗る大胆なるは論を俟たず。ふと傍らの杏実を見ればされどそんな憂慮を一顧だにする風もなく、閉じた膝の上に載せたハンドバッグへ淑やかに手を添え電車の走るに身を任せているさま、忽然掬すべき情景に遭ったような心地し、愛しの女であること既に疑うべくあらず。余俄に度胸と平安を得て杏実の手へ手を重ねたり。
駅に着けば雑踏いつもの如くなれども、既に午餐の混雑最盛を過ぎしとみえ折々覗く店々皆空席あり。テイクアウト取扱店も並ぶ面倒それほどにして頼めば忽ち受け取れる様子。余はおやつ代わりに軽食をあがない、そこらのベンチに腰かけて本日今後の成り行きを定めたくもあれども、されどそれは格別思案するほどの事あらず。今一度杏実の部屋へ直ちに引き返してこれより明日の暁に至るまで嬉嬉と二人相戯れるのをこいねがうのみ。
そうと決すれば別に選択肢はなし。然れどもそれならまずは杏実の望むままに昼飯へ付き合うのが第一の近道と知るべし。杏実に望みをきけば、望み定かならず。再三訊ねるうちハンバーガーとつぶやく声漏れたり。杏実のほっそりした肢体より凡そファストフードを連想すること能わずして、余しばし意外の感に打たれ目をパチクリさせしが、続けて杏実の云うには大衆チェーンあらずしてこだわりの店なり。杏実が携帯電話にて検索し示したのを見れば余もいずこで聞き知る店なりき。ここにて俄然興味津々たり。
大通りに沿いて三鷹方面へ歩むうち現れる例のハンバーガーショップ、バンズ、パティ共に豊かかつパティの柔らかさ肉汁のしたたり、ソースの旨味と相性これ悉く大衆チェーンの及ばずところにして、余頗る満足したりき。バンズを両手に掴んだ杏実の麗しき口もと嫋やかにひらきて齧りあるいは食らいつく姿、いつしか頬を紅潮させかぶりつき、折々ポテトをつまみ口へ入れては指先をティッシュに擦りつけ唇にストローをくわえ啜る姿、まさに愛すべき人なり。杏実終始嬉嬉として完食す。
飽食後珈琲店に寄りて一息ついたのち、余らは街にひろがる店々を冷やかさぬままひとすじに駅へ向かい駅ビルに入り、衣料品店にて必要品をあがないその足で杏実の住まいへといざなう電車に乗りしが、遂に知り合いに遭遇することなかりき。ここに於いて稀有なる安泰を得た余はそろそろ近づく深き夕べの限りなく漂い何処までも明けん事のいよいよこいねがうばかり。
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