アマビエ考
ちょっと前に書こうと思い立ったんですが、絶妙なタイミングで朝日新聞で特集組まれたり、妖怪博士なるものが解説したりしているのを見て「じゃあいいか」と思い、こんなにもタイミングが変な感じになってしまった事、とりあえず誰かと何かにお詫び申し上げますよ。
しかし本当に何で今更? とお思いでしょう。
それでもやはり書こうと思い立ったのは、肝心な部分に誰も切り込んでくれなかったからです。今夜はアマビエを多角的に解析していこうと思います。
アマビエとは
〜弘化3年4月中旬(1846年)に肥後国(現・熊本県)の夜ごとに海に光り物がおこったため、土地の役人がおもむいたところ、アマビエと名乗るものが出現し、役人に対して『当年より6ヶ年の間は諸国で豊作がつづく。しかし同時に疫病が流行するから、私の姿を描き写した絵を人々に早々に見せよ。』と予言めいたことを告げ、海の中へと帰って行ったとされる。 ―ウィキペディア参照
そしてその姿絵が珍妙なもので、鳥みたいなくちばしに毛むくじゃらの三本足、ロン毛に身体は鱗という珍妙なスタイルだった。
さて、ここで謎を分かり易く整理すると、
①予言獣はアマビエが最初か
②予言は当たったのか
③なぜ絵を描かせるのか。見せてどうするのか。効くのか。
④その姿、何事で何者?
⑤なぜ、今の世でもう一度流行ったのか
〜という事に尽きるのではないだろうか。この中の①と②はそれこそ妖怪博士たちが解明してくれている。しかし、その先が気にならないだろうか。ワタシャ気になりますがな。じゃあ調べていきましょうぞ。
①予言獣はアマビエが最初か
…まあブッチャケ、三番煎じくらいなのであまり気のりはしませんが、ざっとまとめますね。
そもそもアマビエじゃなくて「アマビコ」なんじゃないのか。アマビコというのは3年前の1843年、肥後の国に顕われた妖怪で、三本足の猿。疫病を予言し、絵を描き写せと言った所まで合致している。しかもアマビコの顔を描いた絵は何枚かあるが、モノによっては口が尖ってくちばしのように見えるモノもある。ここから見るに、アマビエの前身というのはアマビコで概ね間違ってはいないと思う。
だが、予言したのは他にも居て、1819年に肥前の国に顕われた神社姫というのが予言獣の元祖ではないかとも言われている。
「我は龍宮よりの使者・神社姫である。向こう7年は豊作だが、その後にコロリという病が流行る。しかし我の写し絵を見ればその難を逃れることができ、さらに長寿を得るだろう」 ―ウィキペディア参照
神社姫はちゃんと、絵を描けば難を逃れる事が出来ると明言しているので親切である。
逆に、アマビエ以降も「ヨゲンノ鳥」とかいう鳩サブレーみたいな奴とか、「きたいの童子」とか、まるでガンダムのプラモが流行ったからといってパチモンの「ガンガル」を作っちゃうノリが、江戸後期でもいかんなく発揮されているのである。
更に「件」。もうこれは単なる言葉遊びである。九段下とも何も関係ない。
もうここら辺の有象無象は無視して構わないと思う。
②予言は当たったのか
では絵を描けといったアマビエの予言、❶6年の豊作、❷疫病の流行…は当たったのか?
答えは否。豊作も無かったし流行もしなかった。まあ見方によっては、アマビエの啓発のお陰で疫病の流行が抑えられた…とも言えなくもないが、じゃあ❶は当てとけよ、と言いたい。自称・未来人ジョン・タイターみたいに、数打ちゃ何個か当たる方式は結局誰も信用しなくなるぞ。
因みに「アマビコ」の方も外している。こうなってくると、アマビエ・アマビコを何故か流行らせたかった存在というのが、後ろに薄く見え隠れしてこないだろうか。
最後に神社姫だが…実は神社姫、当てているのだ。つまり予言通りになったのだ。ただし、神社姫。絵を見れば分かるが可愛くない。「姫」って感じじゃない。妖怪「磯女」そっくりでキモイ。リュウグウノツカイ辺りがモチーフなんじゃないかと疑っている。思えばリュウグウノツカイも釣れたり打ち上がったりすると、「すわ、地震の予兆か!?」と騒ぐ層が一定数居る。
神社姫は当てたけど、キモかった。ここら辺がプロトタイプとなった可能性があるのを、心のどこかで留めておいてほしい。
③なぜ絵を描かせるのか。見せてどうするのか。効くのか。
さて最大の疑問である、なぜ絵を描かせるのか…という問題である。そもそもアマビエ・アマビコは外しているのだ。絵を描かせて云々以前の話である。しかも、アマビエ・アマビコは「絵を描いたら疫病が防げる」なんて一言も言ってない。無駄骨も良いとこだ。
ただ、総元である神社姫は「難を逃れ、長寿を得る」とまで言っている。流石に書いた人が長寿だったのかどうか、資料は無いけどココで、もう一つの疑問が出てくる。
③−1 絵に効力があり、悪いものが近寄ってこない
③−2 符丁であり、悪いものが仲間と認識して攻撃してこない
③−3 破邪顕正の力があり、正体を見破られた悪いものが無力化する
…さて、どれだろうか?
③−1は、天台宗の高僧・良源こと、『元三大師』と同じ効力であると考えられる。
元三大師は高熱に冒された時、自身のイメージを角が二本生え、黒色の骨と皮になった恐ろしい鬼と化して病魔を追い払った。それを弟子が書き留めたのが『角大師』である。
これにアマビエを当てはめた場合、彼は善なる使徒とみなす事が出来る。
③−2は、丑寅の金神、武塔之神と同じと見なせる。
祇園の祭神でもある疫神、武塔之神は蘇民将来と巨旦将来の兄弟を訪れ、宿を親切に貸した蘇民将来には「これから再訪する時にすべて皆殺しにするが、『蘇民将来の子孫』と書いた家には害を齎さない」とした。神道の茅の輪くぐりもこれに由来する。
(ちょっと脱線するが、京都の祇園祭はこういうご時世だからこそ逆に、こういう由来があるのだから開催してほしかった……)
これにアマビエを当てはめた場合、彼は疫神そのものである。禍の存在だ。
③−3は洋の東西を問わない、いわゆる『名前の呪詛』である。
悪魔は真の名前を言い当てられると、従わなければならなかったり、無力化出来たりするのは有名な話である。他にも妖精の名前を言い当てたり、鬼の名前を言い当てたりして難を逃れる昔ばなしをどれか一つは知っているだろう。
名前というのは「本質を言い当てる」という面と、「限定化する」効果があるのだ。名前も無く、姿かたちの定かなぬ者というのは、とても不気味で恐ろしい存在である。だがこれが例えばひとたび、「お前はドラキュラだ!」と云われると、途端にコウモリに化けるとか、ニンニクに弱いとか、日光で滅ぶとか十字架が嫌いとか、いろいろな制約が出てくるのである。対抗出来ない不可思議な存在ではなく、立ち向かえる何かに変容するのだ。
これに当てはめると、アマビエの絵を描くという行為は、「お前の正体を知っているぞ!」という『おい、小池!!』のポスターに近いものがある。ダイブ婉曲的な考え方だが、そうした場合アマビエは「ワクチン」の効果があるとも考えられる。アマビエが絵を描く効果を言わなかったのもむべなるかな、抗体としての作用だからこそである。そうした場合、やや③−2に近い存在とはなる。
では、実際どれなのか?
④その姿、何事で何者?
では姿かたちや名前からその正体を考察していきたい。
「名前」―先ず、名前が仰々しくないか?
アマビエはアマビコが正しいという路線は前述した。アマは本邦に於いては基本的に海と空を表す。
アマビコは海から現れるのでアマ=海と見るは容易い。
しかし…ヒコ。中々古式ゆかしい名付けである。
古の神々にそう言うのが居ないか…と思った時、ハタと思い浮かんだ。
『アマツヒコネ』だ!
アマツヒコネは天照と素戔嗚が誓約を行った際、誕生した神々の一人で、皇祖に連なるアメノオシホミミの弟である。
額田部や茨木の祖先とされるがそんなのは今回どうでも良い。
このアマビエ等が流行った時代に目を向けると、「ええじゃないか騒動」や「お伊勢参り」が全盛であった。
昔はどこの町にも一人は拝み屋、山伏、巫女が居たという。彼等は熊野(※主に鈴木党)や伊勢神宮の札を配り、旅のコーディネイトや札を売る事によって利益を得た。つまり、メジャーな所になればなるほど、現地特派員である拝み屋にはキャッシュバックが大きくなるという寸法だ。
この二番煎じにあやかろうとしたのが居たのではあるまいか。
お江戸や関西はお伊勢さん一色に染まってる。四国はお大師さんだ…ならば、九州だ! そう目論んだ者、アマビエ・アマビコを流行らせたかった者…それは『アマツヒコネ』を主神とする大きな神社である。
多度大社(三重県桑名市)・桑名宗社(三重県桑名市)・額田神社(三重県桑名市)辺りが気になる所である。お伊勢参りの凄さを実感している場所、アマツヒコネを祭っている場所…という薄い論拠なので、神社の方は怒らないでね。
「おせちも良いけど、カレーもね」みたいなキャッチフレーズの元、アマビコの札を九州方面にばら撒くため、まことしやかなる因縁を含めて下請けに丸投げして宣伝したのではあるまいか。
それを何を間違ったのか、無能絵師によって珍奇な妖怪の絵図となってしまい、キャンペーン失敗…そして時代に埋もれる筈だった…という構図は考えられないだろうか。つまり、伝言ゲーム失敗…である。
蛇足であるが、アマツヒコネのネは接尾辞なので、アマツヒコは本来の名前である。
「形状として」―3本足である意味。
アマビエ・アマビコは三本足である。よく見ると神社姫も尻尾に三本の剣の様なものが生えている。
まあ普通に考えて自然界に3本足の者は居ない。奇形とかは除く。そしてやはり日本神話には3本足のカラスが登場する。「八咫烏」である。
コレは神武帝を先導する存在であった。
そしてちょっと違うかもしれないが、名前からの延長で「クエビコ」が居る。古事記に登場する神で、何でも物を知っていた。そしてこれは朽ちた案山子の神様である。(※さらに蛇足だが、クエビコは山田のソホドともいう。だから山田うどんの看板が案山子なのはここから来ていると思われる)
朽ちた案山子は3本足に見えなくも無い。知恵の神として、予言を行う…アマビコはクエビコの要素も孕んでいる可能性についても捨てがたい。
更に言えば、クエビコは境涯の神でもある。つまり、地引の神だ。「ここより先に害をなす者は入るべからず」という道祖神でもあったのだ。ますますアマビコの役割に近い。
だが……いかんせん、クエビコは山田の神。海からは顕われないのだ。
その時、よく考えたら海にもクエビコのような存在が居た!
それは「澪標」である。
大阪のマークというと分かり易いか。澪標は船が通っても大丈夫な深さと、擱座する危険水域を知らせる存在なのだ。しかもよく見たら3本足の様にも見える。
澪標自体は関西より西では当たり前の存在だった。中には朽ちて藻や海藻が生い茂り、アマビコみたいな状態になっているのもあったであろう。存外そこからイメージが湧いた可能性もある。
今までいろんな可能性について言及してきた。どれも可能性は有り、もしかしたら複合的な事象が重なった結果なのかもしれない。色々な思惑で生まれたが故に、妖怪足らしめたのではないだろうか。
では最後に……
⑤なぜ、今の世でもう一度流行ったのか
先ほども書いた様に、神社姫はキモイ。そしてアマビコは原型というモデルが猿だ。やはり可愛くない。
そう、アマビエだけが持っていたモノ…それは『キモ可愛い』である。
なんか変…でもなんか可愛い。
元祖ゆるキャラとでも言えばいいのだろうか。はいだしょうこおねえさんが伝説の悪魔“スプー”を悪魔召喚してしまったかのような突飛な面白さ。
思わぬ掛け合わせによる、地獄のマリアージュ…その何とも言えない滑稽さが、現代にフィットしたのだと思う。
正直、現代人でアマビエに本気で願掛けしている者など居ないだろう。何度も書くように実績で言えば神社姫、正当性で言えばアマビコの方なのだ。
なのに何故アマビエか?
『キモ可愛い』からだったのだ。もう、本当にそうだとしか言えない。
願わくば、ヘタウマな絵を描いて、珍獣を世に放った肥後の国の柴田さんに献杯してこの文章を終える事とする。