リンテ視点「祝福」
ああ。なんて素晴らしい朝なのでしょう。
私はベッドから足を下ろし、両手を広げて伸びをしました。
窓を開けて新鮮な空気をお腹いっぱいに吸い込み、通りがかった小鳥に挨拶します。
昨夜の雨は止み、太陽は眩しく地上を隅々まで照らしています。庭の緑は透明な露のドレスを身に纏って、鮮やかに輝いているようです。今日はきっと、良い1日になる。
「お嬢様、準備の手伝いを致します」
そう言って頭を下げるメイドのメリー。
「今日は随分とかしこまっているのね。緊張してる?」
「……そうかもしれません。何といっても今日は、お嬢様にとって初めての『祝福日』ですから」
「ええ。でもあなたが不安がる必要はないですわ。こんなに心地よい日に、問題など起きるはずがありませんもの」
メリーはにこりと笑って、「仰る通りです。お嬢様」と言いました。
それから髪を整え、この日の為に用意していた服に着替え、薄く化粧もした後、私は屋敷の1階に降りました。そこでは既にお父様とお母様が待っていて、外には大聖堂に行く為の馬車が用意されていました。
「おはよう、リンテ」
「お父様、おはようございます。お待たせしてしまいましたか?」
「何、気にするな。今日の主役はお前なのだからな」
そう言って、お父様は嬉しそうに笑いました。
「そうよリンテ。それにまだあの子が来てないんだから。全く困ったものだわ」
お母様がそう言って、私はこの場にお兄様がいない事に気がつきました。
「すまないすまない。ちと探し物をしていてね」
ドタバタと音をたてて、お兄様が階段を降りてきました。
上着も半分脱げかかっていますし、相当急いだ事は分かりました。お兄様に憧れを抱く方たちが見たら少し幻滅なさるでしょうか。
「よし、揃ったな。ではリンテの輝かしい未来へ向けて出発だ」
こうして、私達家族は屋敷を発ちました。
それは私が12歳になった日の事でした。
お父様が仰った通り、その時まで私の未来は確かに輝いていました。
この国で祝福を受ける為には、大聖堂か教会に行く必要があります。貴族の場合はほとんどが大聖堂であり、私達家族のように王都近くに住む者ならシュレイムル大聖堂となります。
神の前で祈りを済ませて、司祭様からありがたいお言葉を頂戴し、その後立会人の前で祝福を得ます。
受ける祝福の種類は事前に相談して決めてあり、私の場合は『ホーリーヒール』です。人々の傷を癒す事の出来る立派な祝福であり、スキルとしても大変に貴重なのだそうです。
そして立会人には、愛すべき家族の他に、婚約者であるレオルス王太子様と、なんと国王陛下御自身もお見えになるそうです。
自分で言うのは憚られますが、やはり器数20というのは歴史を振り返ってみてもかなり異例なようで、初祝福が無事に終わるように見届けたいと希望されているそうです。
「『ホーリーヒール』を貰った後は、何にするつもりなんだ?」
馬車の中でお兄様にそう尋ねられ、私は少し考えました。
「特に決めてはいませんわ。必要とする方が多い物なら、私は何でも……」
「かーっ。我が妹ながら無欲な事だ。それなら『ジーベ流剣術・皆伝』なんてどうだ? コスト4の剣使いと1度は手合わせしてみたかったんだが」
それを聞いたお母様は、眉をしかめながら言います。
「何を言ってるのアッシュ。リンテがそんな暴力的な祝福を選ぶ訳がないでしょう」
「おいおい、暴力的とは聞き捨てならないな」隣に座ったお父様が言います。「剣術の祝福はこの国を守る為に重要な物だ。……が、まあリンテには似合わないだろう。優しい子だからな」
お父様が私の頭をそっと撫でました。
「分かってる。冗談だよ。ただなあ、リンテ程の器数があれば、複数の剣術を極める事だって可能なのになと思って。俺がもし器数20に生まれついていたら、レオルスの奴にも負けなかったのに……」
「アッシュ」お母様が真剣に言います。「様をつけなさい。いくら将来的にはあなたの義弟になるとはいえ、王太子様である事は変わらないのよ。敬意を払いなさい」
「へいへい。申し訳ございませんでした」
「正式に剣術の稽古相手に選ばれたのだから、自覚を持ちなさい。いくら怪我しても治せるとはいえ、あまり痛めつけるような事はしてないでしょうね? 大体あなたは昔から……」
また説教が始まった。という呆れ顔をお兄様は私に向けました。ごめんなさいお兄様。お母様がこうなってしまっては、助けてあげる事は出来ません。
やがて馬車が大聖堂につくと、そこには既に人だかりが出来ていました。私の器数の噂は、生まれた時から王都中に広がっていますし、一部には私自身の存在を神格化している方達もいます。
私自身は決してそのような大した人間ではないのですが、これも高い器数を持って生まれた定めと受け止めて、出来るだけ丁寧に皆様へ挨拶をしながら大聖堂に入りました。
「お待ちしておりました。早速ですが、リンテ様だけこちらへ」
出迎えてくださった司祭様がそう言った時、お兄様が言いました。
「あ、ちょっと待ってくれリンテ。渡し忘れていた」
そして取り出したのは月とイルカのペンダント。
「プレゼントだ。祝福が上手く行くように願いを込めた」
「お兄様……」私はペンダントを受け取り、強く握り締めます。「ありがとうございます」
それから私は司祭様に案内された別室で準備をしました。
そこでは、祝福を受けるにあたっての心得を教えて頂きます。内容としては、以前から学校でも説明を受けていた物だったので、初めて聞いた話はありませんでしたが、それでも大聖堂で司祭様から直接話を伺うと、身が引き締まる思いがしました。
準備が終わり、大広間に移動すると満員になった観覧席が目の前に飛び込んできました。レオルス王太子様も既にお見えになっており、私と目が合うとひらひらと手を振りました。少しはしたないですが、腰のあたりで重ねた手を解いて小さくそれに返事します。顔が赤くなっていないと良いのですが。
「これより、リンテ・グレイシアの祝福の儀を始める」
大司祭様の宣言を合図に、私は神の像の前に歩み出ました。
大きな喝采と共に、荘厳な音楽が鳴り始めます。
「汝、リンテ・グレイシア。最高神フェリクスの名の下に祝福を受け、それを平和と信仰の為に使う事を誓うか?」
私は跪き、両手を組みました。
「誓います」
「では、これより汝に『ホーリーヒール』の祝福を与える」
目を閉じ、呼吸を整えます。
大司祭の祝福
『福音』 コスト:3
使用者の理解している祝福を対象の合意の上で与える。
眩い光が私の身体を包みます。
何か柔らかくて暖かい物に全身が包まれたように感じ、それが頭と心にゆっくりと浸透してくるのが分かりました。
これが……祝福。初めての経験でありながら、どこか懐かしいような、そんな尊い感覚に私は涙が溢れました。それと同時に、『ホーリーヒール』という力が、実感として湧いてきます。私はそれまで、祝福を受けた人がすぐに様々なスキルを使える事を不思議に思っていたのですが、自分がその身になってみると、なんだか妙に納得していまいました。この力をすぐにでも使えるとそう思いました。
私を包む光が収まり、万雷の拍手が大聖堂に鳴り響いています。
大司祭様に礼を述べようと立ち上がろうとした時、私の身体に異変が起きました。
「うぷ」
何かが喉の奥から込み上げてきたのです。
それは空気を押し上げて、物凄い勢いで私の鼻や口を逆流していきました。
「おぇ……おろろおろろろろ……げほっ……」
あろう事か、私は皆様に見守られながら、朝に食べた物を全て吐いてしまったのです。
初日の更新はここまでです。
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