三人称「失墜」
アッシュは咄嗟に剣を振るうも、その軌道はへろへろとして弱く、これまで骨すら一刀両断にしてきた刃は柔らかいイソギンチャクにすら全く通用していなかった。既に『ジーベ流剣術・皆伝』の祝福は剥がされ、そこに残されたのは呪縛のかかったド素人。結果は分かりきっている。
蠢く壁を松明の火が照らす。メリーが最初に見た時、それが生物の一部だと気づかなかったのは当然の事で、質感は洞窟の壁に良く似ており、境目は全くと言って良い程分からない。巨大な生物の一部が、洞窟の道に張り巡らされているらしく、その全容を把握するのは不可能だが、マーマン達が恐れているのがこの生物だという確信を得るのは自然だった。
「アッシュ! 離れろ!」
後方にいたシジマが、そう叫んで『マジックブラスト』を発動する。自身の剣の弱さに狼狽して立ち尽くすアッシュの鼻先を掠めて、光弾が壁に命中する。壁はうねり、アッシュまで伸ばした触手が引っ込んだ。どうやら痛みはあるらしい。
「おい何をしている! 戻れ!」
ストナンも叫ぶが、まだアッシュに意識はない。握りが甘いせいで床に落ちた剣を、呆然と見つめている。
メリーが前に出て、アッシュの手を引っ張る。足をもつれさせながらも、何とかその場から脱する事が出来た。呪縛をかけた事で満足したのか、触手はアッシュを追ってこなかった。
4人は恐怖に駆られながら元来た道を戻った。先頭はストナンで後方にアッシュとそれを支えるメリー。来た時とは逆だった。道中でつけた目印を辿り、1時間ほどかけて4人はダンジョンの入口まで戻ってきた。道中は全員が一言も口を開かず、アッシュ以外の3人はひたすら壁を注意深く観察していた。
「……ありゃ一体何なんだ?」
ある程度の安全が確保された後、シジマがそんな質問を投げた。誰にという訳ではなかったが、答えられるとすればストナンしかいなかった。
「知るか。馬鹿デカいタコか何かだろう」
そう言いながら、ストナンは帰りの支度をする。装備を外して服を脱ぎ、防水バッグに仕舞いこむ。シジマもそれに倣った。
「……おい。……おい。……おい! 何してんだお前ら! まさかこのまま帰るつもりなのか!?」
アッシュが叫ぶ。シジマとストナンの2人は一瞬顔を合わせた後、そのままアッシュの方には向かずに視線を作業中の手元に落とした。
「……仕方ねえだろ。コスト5の呪縛なんて、俺らだけじゃどうしようもない」
同期のよしみか、シジマがそう呟く。自分を慰めているようでもあるその言葉に、アッシュは半笑いになりながら、タチの悪い冗談を聞いた時のような反応。
「おいおい、ふざけんなって。……嘘だろ?」
無言の2人にアッシュは続ける。
「ああ、分かった。俺に良いアイデアがある。こうしよう。まずストナンが、シジマに『呪縛移動』の祝福を与える。で、俺にかかった呪縛を一旦ストナンに移す。それから俺ら3人で上に戻って助けを呼ぶ。それでどうだ?」
ストナンに呪縛が移れば『福音』が消え、『潜水』の祝福をかける事が出来なくなる。つまりは全員が地上に戻れない。破綻しているのは明らかだったが、発案者のアッシュのみがそれに気づいていない。
「……アッシュ。落ち着け。必ず助けに戻るから、しばらくここで待っていてくれ」
シジマがそう言ったが、それが明らかに難しい事はアッシュも分かっていた。
まずここは海底にある裏ダンジョンであり、その存在は国にも教会にも認められていない。つまりそれらの公共機関の助けを受ける事は難しい。
仮にこのダンジョンの存在を暴露し、国からの協力を得たとしても、アッシュがかかっているのはコスト5を必要とする呪縛。という事は、解除するには器数5を持つ死刑予定の犯罪者が必要であり、そんなのは非常に珍しい存在だった。
「気休めを言うな。お前、俺を見殺しにする気か?」
そう問われ、シジマは黙る。気休めを言ってやっただけでも感謝して欲しいと内心では思っていた。
「一応、方法はある」
そう言ったストナンをアッシュはすがりつくように見た。
「俺の知り合いに、教会を追放された器数5の元司祭がいる。何とかそいつを騙してここに連れて来れれば、お前と立場を入れ替える事が出来るかもしれない」
「騙して……って、『呪縛移動』には同意が必要だろ? ここまでそいつを連れて来れたとしても、同意するはずがないだろ」
ストナンは少し考えた後、答える。
「そいつには確か娘がいる。人質にとれば、あるいは」
「……その話、本当なんだな?」
「ああ。神を信じろ」
教会の連中が信心に訴えかける時は自信が無い時だ。
アッシュが以前飲みの席でそう言っていたのをシジマは覚えていた。
3人が沈黙すると、それまで沈黙を守っていたメリーがぽつりと呟いた。
「リンテ様なら、きっとあなたを見捨てる事は無かったでしょう」
「……あ?」
アッシュがメリーを睨む。
「何言ってんだ馬鹿が。あんな役立たず、いてもいなくても同じだ。どうせ今頃どこかで死んでる」
メリーの中に怒りが湧いた。というよりはむしろ、今まで溜め込んでいた物が噴出した。
「リンテ様はあなたなんかよりよっぽど素晴らしいお方でした。きっとこの事を知れば、どんな方法を使ってでもあなたを助ける。兄であるあなたならお分かりでしょう!」
今度はアッシュが黙った。メリーの感情的な言葉の中には、確かに真実が含まれていたからだ。
リンテが呪縛を引き受けた日、彼女が晴れやかな表情で棺桶に納まっていたのをアッシュは傍で見ていたからだ。
「悪いがアッシュ。俺達は戻る。助けは探すから、何とか持ちこたえろ」
準備を終えたストナンが、シジマに『潜水』の祝福をかける。
「……メリー、お前はここにいろ」
「嫌です」
「何だと!?」
メリーに掴みかかろうとした瞬間、アッシュの下半身に激痛が走った。足はもつれ、その場に倒れこむ。顔を岩場に打ち付けて、無様にも鼻血が流れた。おそらくは呪縛の影響だったが、アッシュにはどうする事も出来ない。
「助けを探すにも人手がいる。メリーも一旦上に戻った方が良いだろう」
ストナンがメリーに『潜水』の祝福をかけた。言葉は嘘という訳ではなかったが、戦利品を持って帰るには荷物持ちが必要だという事情もある。
「くそっ! お前ら本当に俺を裏切るのか!? 一生恨んでやるからな! な、なんでこんな事に……ああ、畜生!」
アッシュは泣きながら地面に伏し、握りこぶしを地面に叩きつけていた。
すると洞窟の奥から音がした。例の化け物ではない。ひたひたと歩く足音だ。
「マーマンの群れだ。こっちに来る」
それはアッシュにとっての絶望を意味していた。さっきまでは圧倒していた相手でも、祝福がない今、抗える術はない。
「アッシュ。とにかく……何とか、持ちこたえろ」
無責任な言葉を残し、3人は水に潜った。
1人残されたアッシュは仰向けに倒れ、宙を掻いた。




