三人称「触手」
海底にありながら、上へ下へと無尽に繋がる道は、地上にあるダンジョンとは違ってまだ踏み固められておらず、苔に足を取られないように進む必要がある。腕1本しか入れないような隙間から光を照らせば空洞が真下にすっと伸び、落とした闇がそれを飲む。
湿った空気に混ざった匂いは、魚や貝などの生臭さ、潮の匂い。木の根っこが天井からぶら下がっていたり、枯れた葉の浮く地底湖があったりと、生き物が生きる為の環境が整っている事が伺い知れた。事実、洞窟に入ってわずか5分で、アッシュ達は敵に遭遇していた。
魚のような上半身から、人間のような足が生えている。いわゆるマーマンと呼ばれるタイプのモンスターで、その見た目通りダンジョンにおいては水場付近に生息している。むしろ陸地の方が少ないこの海底洞窟においては、おそらくは全体が彼らにとって理想的な環境のはずだ。鱗に覆われた身体はぬるぬるとしていて刃が通りにくいが、アッシュには祝福がある。
「そらよ」
アッシュの祝福
『ジーベ流剣術・皆伝』 コスト:4
「ジーべ流」創始者ジーべと同等の剣術を身につける。
1人の天才剣士が、生涯をかけて極めた剣術の全てを、ただ教会に行くだけで再現出来るのが祝福の強力な所であり、この世界において器数が不可欠な理由でもある。
アッシュの振った剣はすっとマーマンの鱗の隙間に入り込み、即座に絶命させた。出会い頭、互いが互いの存在に気付いてから僅か2秒後の出来事。残るマーマンは2人だが、まだ何が起きたかすら分かっていない。
「この調子でさくさく行こう」
あっという間に積み上がったマーマンの死体。ストナンがそれを調べ、マーマンの首にかかっていた貝の飾りを拾い上げた。
「待て。こいつを見ろ」
ストナンに言われてアッシュとシジマがそれを見る。
「金になるのか? そうは見えんが」
「そうじゃない。こいつらには群れがあるという事だ」
マーマン達がつけていたのは3つとも同じ種類の貝だった。大きさも同じくらいであり、意図して揃えられている。
「マーマンは基本単独行動だが、ある条件が揃うと群れを成して暮らす。人間よりも知能は低いが、こういう飾りや武器を作る程度の事はする。この貝飾りは、こいつらが戦士であり戦士としての階級がある事を示している」
ストナンに対し、シジマが茶化すように言う。
「驚いたな。あんたがそんなに喋れるとは」
アッシュは2人の言葉を受けつつも半笑いで、どちらかというとシジマよりのようだ。
「戦士であの程度なら、大した事無いだろ。何が問題なんだ?」
「マーマンが群れを作る条件は2つ。まずは個体数がある程度いる事。これは場所の事を考えれば当たり前に満たしていると考えていい」
「もう1つは?」
「マーマン以上の脅威が存在しているという事だ」
その時、洞窟の奥から4人が聞いた事もないような音が僅かにした。空気を大きく吸い込んだような、地面を這いずり回るような、熟した果実が潰れたような、奇妙な音だった。
パーティーの全員がその音に気付いており、お互いに顔を見合わせていたが、誰1人として疑問も意見も口には出さなかった。それが無意味な事に気付いていたからだ。
こういう場合、判断はリーダーであるアッシュに委ねられる。
「……面白えじゃねえか。行こう」
「あ、ああ。そうだな」と、シジマ。
ストナンも探索の継続自体には同意しているようで、手に持った飾りを捨てると、黙って2人について行った。更にその後ろを行くメリーは、ストナンの捨てた飾りを拾い、ポケットに仕舞った。
探索は続いていく。マーマン以外にも、巨大化したザリガニや、穴から穴に移動するウツボ、体格に似合わず俊敏な動きをする首の長い亀など、海らしいモンスター達がアッシュ達のいく手に立ちはだかった。
しかしいずれも敵ではない。待ち構えての不意打ちはアッシュの『危険察知』で防げるし、硬い殻を持つモンスターにはシジマの『マジックブラスト』を当てて打ち破る。同僚だけあって連携も良く、傷を負う事もないので、ストナンの『トリアージ』は使う事すら無かった。
3時間あまりの探索で手に入れたのは、モンスターの死骸から獲れた各種素材。浅瀬ではお目にかかる事すら出来ない見事な真珠、シジマが食べたいと言った海藻。
「そこそこの稼ぎにはなったが、もう少しデカいのが欲しいな」
アッシュの意見に男2人は同意していた。漁師達に払った金を考えても儲けは出るが、危険を犯して海底までやってきたにしてはそこまでのインパクトがない。
「おっと、こっちの道はまずい」
アッシュの『危険察知』により、呪縛や待ち伏せのある道は避ける事が出来る。安全ではあるが、それによって選択肢が狭まっているのも事実だった。
「なあアッシュ、それってさ呪縛以外にも反応してるんだよな?」
シジマの質問に、アッシュは答える。
「まあな。こっちに害意がある奴がいるってのが分かる。少し待って動いたら生物だが、動いてなかったら呪縛の可能性がある」
「でもさここなら、呪縛じゃなくても動かない生物っているよな。例えば貝とかナマコとか。あるいはそいつが単純に寝てるだけとか」
シジマの指摘は確かに正しい。アッシュの『危険察知』はあくまでも危険な物の存在が事前に分かるだけであり、種類までは分からない。
「まあそうだが、呪縛にかかるリスクは犯せねえだろ」
「俺達はそうだけどさ。ほら」
シジマはあえて名前を出さず、顎でメリーを指した。
メリーはちょうど手に入れた物を『収納圧縮』し、鞄に入れている所だった。
メリーの器数は2。それ以上の呪縛にはかかりたくてもかからないようになっている。人にかかっていない状態の呪縛は黒いもやのように視認が出来るので、3以上の呪縛がもしそこにあれば、メリーはかかる事なくそれを確認出来る。
だがもちろん、コスト2以下の呪縛がある場合、それは問答無用でメリーの身体に侵入する。
「……なるほど。アリだな」
アッシュがシジマの提案に乗った。
「おいメリー。ちょっと先を見てきてくれよ」
呪縛がかかる以外にもリスクはある。むしろシジマが言ったように動きのないモンスターである方が可能性は高いくらいだ。それはメリーも分かっていたが、ここまで来て命令を拒否すれば、アッシュがどんな態度になるかは想像がついた。
「そんなにビビるなって。もし怪我してもすぐに『トリアージ』をかけてやるし、そうなったらすぐに探索は中止して上に戻ろう。ただのモンスターだって分かったら俺らが簡単に倒せるし、稼ぎは増える。なあ、良いだろ?」
アッシュにそう言われれば、メリーの出来る返事は1つ。
「……かしこまりました」
アッシュから松明を受け取り、メリーが洞窟に入った。
10秒ほど進んですぐ、毒々しい色のイソギンチャクが壁に張り付いている事に気づいた。
道を戻り、メリーがそれを告げると、アッシュ達は胸を撫で下ろす。
「おそらくそいつが毒を持っているんだ。簡単に払えるし、進むぞ」
いざその道を進み始めると、すぐに壁が動き始めた。生物だ。
イソギンチャクが張り付いていたのは、壁ではなかった。
先程聞いた音が、今度は4人の耳元で鳴り響く。
やがて巨大な触手が、先頭を行くアッシュの腕を掴んだ。
アッシュの呪縛
『正体不明』 コスト:5
詳細は分からない。




