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消えたモノノケ


 振り返った男は、由の姿を認めるなり、歯を剥き出しにして襲い掛かろうとする。霜星は咄嗟に由を蹴飛ばした。

「うわっ」

「下がってろよ、面倒だから」

 駆ける男の前に立ちはだかると、霜星は何処からともなく木の葉を取り出し、男の眉間に向かって投げつける。霜星が一つ眼を閉じて念じた瞬間、木の葉は蒼い炎に包まれ、ふわりと浮かんで男の顔面に炸裂した。

 響き渡る鈍い悲鳴。男はぐんにゃりとその場に崩れ落ち、その身体から黒い靄がすっと飛び出した。霜星は顔を顰めると、塀の上に素早く跳び上がり、細い縄を宙から取り出し投げつけた。するすると蛇のように伸びた縄は、飛び去ろうとする靄をがんじがらめに絡め取る。

「諦めろよ。これ以上は苦しいだけだぞ」

 靄は呻くように波打つ。その波打ちを見つめて、霜星は顔を顰める。

「ああ、化け狐なんて誰も忘れやしないさ。悪かったな」

 霜星は力任せに縄を引く。縄はぎゅっと絞まり、靄をバラバラにした。そのまま彼女は縄を振り回し、黒い靄を闇の中へ霧散させてしまうのだった。

「……終わったよ。いつまで寝てんだ」

 縄を脇へと放り出し、霜星は地面に座り込んでいる由を顰めっ面で見下ろす。肩で浅い息をしながら、由はよろよろと立ち上がった。

「消えたのか?」

「まあな。だからってモノノケが死ぬわけじゃないけど。まああんなんだったから、もう新しく何かに憑りつく元気も残ってないだろ。そのうち本当に消えていなくなっちまう。それがモノノケの死ぬ時さ」

「一体アイツは何だったんだ?」

 由は何の気なしに尋ねる。霜星は溜め息交じりに首を振った。

「教えない」

「別に減るわけじゃないだろ? 教えてくれたって――」

 彼女の隣で食い下がろうとした由だったが、霜星は顔を顰めて由の額を小突いた。

「ダメだ。それがどういうことか、お前わかんないのかよ」

「え?」

 乱暴にアパートのドアを開ける霜星。ずかずか上がり込んで振り返ると、眉間に皺寄せ由の鼻先に指を突きつけた。

「私がアイツの事をお前に教えてみろ。お前はアイツの事を知っちまう。覚えちまう。そしたら、アイツはまたあのもやもやのまま消えられなくなる。お前ひとりが知っていたくらいじゃアイツの存在は確立されないし、お前ひとりが知っている事でこの世界から消える事も出来なくなるんだ」

「……ごめん」

 たじろいだ由には、謝るくらいしか出来なかった。霜星は溜め息をつくと、狐へ姿を変えて布団へ飛び乗る。

「だから、さっきの奴の事は、もう一切合切忘れろ。そうしてやらなきゃ、苦しいのが続くだけなんだよ」

 口を結んだまま、由は丸くなる狐をじっと見つめ続けていた。

「君も……」

 ふと、彼は狐に尋ねた。

「君も、人間に忘れられたら、消えるのか?」

「そうだよ」

 あっさりと答える狐。立ち尽くす由。やがて狐はけらけらと笑い始めた。

「心配すんなよ。あたしはそう簡単に消えたりしない。なんたって、狐はただのモノノケじゃない。天下のお稲荷様なんだからな」


 翌日、由はまた大学図書館に居た。縮刷版新聞の冊子を脇に重ね、彼はぱらぱらと捲っていく。霜星もまた、いつものように傍の机に腰掛けその様子を眺めていた。

「今日もまた勉強かよ?」

「違うよ。今日はちゃんと君のために調べものをしてるんじゃないか」

 由は開いたページを霜星に突き出す。そこには、小さな小さな見出しで札幌テレビ塔が塗り替えられることについて淡々と紹介されていた。

「白黒写真じゃ良く分からないけど……昔は銀色で、この時期に今に近い色に塗り替えられたんだってさ」

「んな事、調べるまでもなく知ってるっての」

 霜星は退屈そうに欠伸をする。由はむっと眉を寄せた。

「そんな顔すんなよ。見たろ、あたし達の世界にあるテレビ塔。銀色だっただろ」

「ああ」

「あれが昔のテレビ塔の色なんだ。テレビ塔が塗り替えられるよりも前にニンゲンの世界とモノノケの世界が分かれて、それからニンゲンの世界でテレビ塔が塗り替えられた。だから二つの世界のテレビ塔の色が違うんだよ」

「へえ……よく知ってるんだな」

「それくらいは年上の連中から聞くんだよ。肝心要の事は答えてくれないんだけどな」

 彼女は不満げに鼻息を荒げる。由が開いていた本を乱暴に閉じ、取り上げてぶらぶらと振ってみせる。

「なーんかぱっとしねえなあ。あたしらの世界じゃわかんねえことが分かるんじゃないかと思ったんだけどな。こんなゴマみたいに小さな文字の羅列じゃなくてさ、もっと違うところを調べてくれよ」

「……はいはい。検討しとく」


 図書館を後に、やってきた大学の食堂。そばを啜りながら、由はぽつりと尋ねた。

「なあ、霜月って一体いくつなんだい?」

「何だよ、藪から棒に」

「いや、ちょっとだけ気になって」

「あたしは見た目通りさ。今年で生まれて十九だよ」

 由は目を丸くする。霜月はそれを見てへらりと笑った。

「何だ。あたしが実は百年生きてるとでも思ったかよ」

「別にそんな事は……」

「百年生きてりゃ昔の事だってわかる。調べる必要なんかないだろ」

「それは確かに……」

 歯を見せてへらへら笑っていた霜月だったが、ふと眉間に皺を寄せて首を傾げる。

「つーか、さっきから何で電話片手で喋ってんだよ?」

「だってそりゃ、ただ黙って喋ってたら変な奴じゃないか。君の事、僕以外には見えてないんだから」

「まったく、一々細かいことを気にするんだな……」

 腕組みをしていた霜月は、不意に机から飛び降りた。入れ替わるように、眼鏡を掛けた長髪の女が彼の隣に腰掛ける。

「あのー……お取込み中ですか?」

「へ? あ、いや。別に……」

(そんなんじゃ結局変な奴だろ?)

 慌てて携帯をしまう由に、霜月がからかうように囁きかけた。由は僅かに顔を顰めつつ、女に向き直った。

「あの、えーと……」

「あ、いきなりすみません。私、こういう者なんです」

 女はポケットから名刺入れを取り出し、由に差し出す。


 オカルト研究サークル部長、住川真弓。そこにはそう記されていた。


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