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メタリックシルバーの塔

 札幌市のど真ん中に、一本の電波塔が立っている。その名はテレビ塔。東京タワーだのスカイツリーだの呼ばれている東京の電波塔と違って、やたらと色気のないネーミングだ。今も昔も街のシンボルの一つには違いないが、札幌駅のJRタワーはもっと背が高い。

 そんなわけで、観光地として特に秀でた何かがあるわけではないテレビ塔だが、何だかんだで札幌市民にとっては愛着のある建物だ。テレビ塔をモチーフにしたゆるキャラは人気者だし、展望台からは大通公園を彼方まで見通すことが出来る。夏にビアガーデンが開いたら、こぞって人が集まってくる。

 だから市民達は、テレビ塔を塗り替えるという話になった時に、大抵がノーの意志を発した。雪色だのライラック色だの、数々の案が出ていたが、彼らは元の色のままにしてくれと言ったのである。


 かくして今も、テレビ塔は赤いままだ。大通公園の始点に鎮座し、札幌を見守っている。


 一人の青年が、ふらふらとすすきのの街を歩いていた。大学生になったばかりの彼は、早速サークル文化の洗礼を浴びていた。セクハラがどう、アルハラがどう、と世の中ではコンプライアンスの高まりを呼びかける声が高まっているわけだが、一地方大学の一サークルにとっては何の関係も無い話であった。

 青年はすすきのの街をふらふらと歩く。周りには誰もいない。一緒に席を囲んでいた女の子と先輩は揃ってどこかに消えてしまった。そこはかとなく良からぬ香りもしたものだが、頭が痛くて青年にはそれ以上勘ぐる事など出来なかった。川向こうにある自宅のマンションまで辿り着かねば。彼のアルコールに浸された頭で考えられたのはそれだけであった。

大通公園に出たら、テレビ塔の方に折れる。素面のうちから何度も諳んじていたから、何とか道を辿れた。

 目の前がぐるぐるする。飲めと言われたわけでもなかったが、気づくと目の前に酒が出されていた。場の空気に流されるしか能のない彼は、ただただそれを飲み続けた。その結果がこの有様である。夜中のひんやりした空気だけが彼を介抱していた。

「あ、やばい」

 創成川に差し掛かった頃、青年はポツリと呟く。酸い物が喉から上がってきた。一度は押さえ込んだが、胃の腑がひっくり返って仕方ない。彼は欄干にもたれかかると、一気に中身を吐き出した。


水面に映る月に向かって、ぴしゃりとつまみが綯い交ぜになって落ちていく。


青年はほっと息を吐く。胃を空っぽにしたお陰で、多少はスッキリした。スッキリして、隣に座っていた女の子が可愛かった事をようやく思い出した。しかし今頃どうしているかも分からない。彼女は連れていかれてしまった。

もうこんな思いはこりごりだ。そんな事を思いつつ、青年はとぼとぼ橋を渡ろうとする。

そんな時であった。


「貴様ぁっ! 何しやがる!」


鋭い叫びが辺りに響いた。かと思うと、青年はいきなり見えない何かに襟を掴まれ、宙へぐいと持ち上げられる。

「なんだ! なんだなんだ!?」

彼は蒼ざめた。手足をジタバタさせた。しかし彼を捉えた何かはそのまま彼を川の中へと引きずり込んでしまったのである。




次に気がついた時、青年は創成川の岸辺に横たわっていた。痛み始めた頭を押さえ、彼はよろよろと身を起こす。コートはぐっしょり濡れて、すっかり惨めな気分だった。

「くそっ……一体何がどうなってんだよ……」

彼はぶつくさ呟きながら空を見上げる。空は満月、右を見れば古びたビルの列。左を見れば、シルバーホワイトのテレビ塔。見慣れた景色……

「……は?」

ではなかった。彼は思わず河川敷を駆け登り、目をこすった。しかし景色は変わらない。クリスマスカラーに塗り込められていたはずのテレビ塔が、どうしたことか真っ白だ。

青年は言葉を失い、ただ呆然と突っ立っていた。

「やい!やいやいやい!」

髪の毛をずぶ濡れにした少女が、けたたましく叫びながらずかずかと歩み寄ってくる。青年は目を白黒させた。やはり今は夢現の中にいるに違いないと思った。

少女の耳は狐のそれで、ローライズのジーンズのお尻には、ふかふかの尻尾が揺らめいていたのである。

「ぼうっとすんな! なんか言うべきことはねーのかよ!」

少女は八重歯を剥き出すと、いきなり青年の腰に鋭い蹴りを入れてきた。何事が起きたかも分からぬうちに、青年はその場に突き倒される。

「な、何で……」

「何でもクソもあるか!いきなり人の頭にゲロ引っ掛けやがって!」

「は?」

「いいから謝れよ!」

「ご、ごめん……なさい」

少女の鋭い剣幕に押されて、青年は思わずぺこりと頭を下げた。少女は呆れたように肩を竦める。

「あー、だるいわ。最悪」

少女は指を打ち鳴らす。その瞬間、少女の身体は半分くらいに縮んだ。刺々しい表情をしていたその顔も、完全にキタキツネのそれである。細い腕で腕組みして、キツネはじっと青年を見上げる。

「き、キツネ……」

「てめえはニンゲンなんだろ? 他人の縄張りに向かってゲロかけんなって習わねーのか」

「い、いや。俺は川に向かって吐いただけなんだけど」

「そうだな、普通に吐くんならあたしだって言うことなんか何もない。でもお前、わざわざ『道』に向かって吐いただろ!」

「『道』?何だよそれ」

酔った頭に向かって甲高い声できんきん叫ばれ、だんだん青年もむかっ腹が立ってきた。彼も少女に負けじと声を張り上げる。

「知らないのか!創成川に映る月は、お前達の住むニンゲン世界とあたし達の住むモノノケ世界を繋ぐ『道』になってんだよ!」

「モノノケ世界……」

いきなり訳のわからないことを言い出した。ケモ耳女が現れたと思ったらケモノになったり、もうこの世界はおかしい。青年は夢なのだと信じて、いきなりその場にばたりと倒れた。

「何してんだよ?」

「見ればわかるだろ? 寝るんだよ。夢なんだから」

「夢だあ? 夢なんかじゃねえよ。蹴りが効かなかったか?」

キツネはいきなり青年の鼻に爪を突き立てた。文字通りの刺すような痛みで青年は飛び上がる。

「いってえ、何するんだ」

「寝ぼけた事言ってっからだ、うわ、酒臭いこいつ」

青年はキツネの鼻に向かって息を吹きかける。キツネはキャンと鳴いて飛び退った。

「ふざけんなテメェ、噛み殺すぞ」

「やれるもんならやってみろよ」

青年は再び起き上がると、テレビ塔をじっと見上げた。相変わらず色白だ。月の光を浴びて、ぼんやりと輝いている。

「こっちのテレビ塔は白いのか」

「白いさ。別に塗り直す必要なんか無いだろ、むしろ、どうしてお前達は赤色に塗り替えたりしてるんだ」

キツネはつっけんどんに応えた。塗り替える。青年にはその言葉の意味がわからない。札幌に来たばかりの彼にとっては、テレビ塔は最初から赤色だったのだから。

「塗り替える……っていうと、テレビ塔は昔白かったのか?」

「そうさ。白かったんだ」

キツネはこくりと頷く。

「ニンゲン世界とモノノケ世界が二つに別れちまう前まではな」

「……当たり前みたいに言ってるけど、モノノケってなんだよ」

 だんだん酔いが醒めてきた青年、ようやく眼の前の『異常』に目を向ける余裕が出来てきた。当たり前のように二足で立つキツネは、青年を嘲るように鼻を鳴らした。

「モノノケはモノノケだ。お前らの当たり前の外にある存在さ。来てみろよ」

 キツネはひょこひょことテレビ塔へと向かう。青年はそんなキツネの背中を眼だけで追う。ふかふかの尻尾が、ふらふらと揺れている。

「どうした、来いよ?」

 キツネはそう言って笑う。

「何も怯える事なんかないぜ。とりあえず来いって」

 くるりと宙で一回転、Tシャツにローライズの少女に変身して、その八重歯をちらりと覗かせた。どこか小馬鹿にしたようなその表情を見た青年は、思わずむっと顔を顰めた。拳を固めて、古びた道路をずんずんと渡る。少女は笑うと、テレビ塔の土台を軽やかに駆け登った。額に手を翳して、彼女はほうっと声を上げる。

「ほら見ろよ。やっぱりやってた」

 渋々付いていく。目の前の噴水を取り囲んで、何匹ものウサギが一心不乱に餅をついている。

「ウサギが、モチ突き……」

「あいつらは『望月ウサギ』さ。満月を見ると思わず盛り上がって、餅をつきたくて仕方がなくなるように出来てる」

 ついた餅を手に取って、ウサギは夢中になって食べ始める。人間がテレビ塔の下に突っ立っているなんて、気づきもしないらしい。

「当たり前の外にある存在……か」

「そうだ。ニンゲン世界のウサギに餅をつくような奴はいないだろ。こんな美少女に変身できる狐だっていやしないはずさ」

「……けど、伝説には残ってる」

 青年はぽつりと呟いた。月のウサギが餅をついているなんて話、日本人なら誰でも知っているだろう。美女に化けるキツネなら、妲己や玉藻前やら、枚挙に暇がない。

「そうさ。昔は間違いなく、お前とあたしの世界は一つだったんだから。餅をつくウサギはいたし、女に化けるキツネだっていたんだ」

「でも今は違う」

「今はバッサリさ。世界のどこだってそうだ。次々ニンゲンの世界の外に追い出されて、みんなこうしてモノノケだけで暮らしてる」

 青年はちらりと少女を見遣った。どこかつまらなそうな顔で、彼女はウサギ達の餅つきを眺めていた。

「だからあたしは考えてるんだ。せめて、このサッポロの街で、どうしてニンゲンとモノノケが別れて暮らすようになったのか、その理由を探してみようってさ」




「あたしは霜星。ま、ゲロ引っ掛けたのは水に流してやる。仲良くしようぜ」

「俺は恵野由だ。……よろしく」




 続く 


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