[2-33] 解釈の自由が故 諸王は悩むのだ
「おかげさまで、いろんな事が見えてきたよ。
……姫様、まずはこれに目を通してくれないかな」
テイラカイネ脱出の顛末をふたりから聞くと、エヴェリスは数枚の古びた羊皮紙(らしきもの)を持ち出し、作戦指令室の机に投げ出した。
「姫様の話を聞いてこれを思い出した。50年前にディレッタ神聖王国に潜入してたスパイから魔王軍諜報部に上げられた報告書を私が勝手にコピーしてたものなんだけどね」
「さらっと酷いこと言ってない?」
「管理テキトーなんだなあ……」
なんとなく、その文書管理体制はエヴェリスが作り上げたのではないかという気がした。
コンサルタントとして組織構築を手伝う傍ら、自分が好き勝手するためのバックドアを仕込んでおいたのではないかという。
自分にまで同じ事をされたらたまらない。
エヴェリスからは、ルネへの叛意や『騙して利用しよう』という下心はカケラも感じないが、それでも組織の管理態勢には抜け道が出来ないよう気を付けようと心に誓うルネだった。
「以前滅月会内で、あるものが開発されてたんだ」
古い報告書を指し示すエヴェリスは、どこか忌々しげな調子で語る。
ルネはそれを取り上げて……
「ごめんなさい、読めないわこれ」
「ああ、人族共通語じゃないからね。ごめんごめん。これ使いなよ」
文学少女みの強い丸メガネをエヴェリスは取り出し、ルネの方に渡す。
試しにそれを掛けてみると、見知らぬ文字の羅列だった報告書がルネにも読める文字に見えた。
「すごいわ。こんなのもあるのね。……トレイシーは大丈夫?」
「魔族共通語なら読めるから平気ー」
ふたりは報告書を覗き込み、そして声を揃えた。
「「≪洗礼紋≫……?」」
* * *
それはもう50年も前の話だった。
「おやめください、戒師様っ! どうして私を実験台に……」
「やかましい! お前のような無能者、こうでもせねば神の道には貢献できぬわ!」
気持ち悪くなるほどに壁も天井も白一色の部屋の中。
白い石をそのまま切り出したような手術台に若き日のモルガナは拘束されていた。
その場所は滅月会の研究施設の一室。忠実なる神の僕たちが、邪神の軍勢を滅ぼすための技術研究に日夜打ち込む場所だ。
モルガナが拘束された手術台の周りの床には、複雑で細かい記号的な文字を用いて魔方陣が書かれていた。目をぎらつかせた白衣の老人が、陣に誤りが無いか確認している。
この男・ガヴィノはモルガナの上司に当たる。滅月会内での地位は『戒師』であり、研究プロジェクトひとつを任される立場。ガヴィノの研究は≪洗礼紋≫なる、新たな戦闘聖紋の開発だった。
≪洗礼紋≫。
紋を刻まれた者の意識を大神に接続し、大神の意思を心に写し取る紋だ。
ただ、開発目的は神の声を聞くことそのものではない。それだったら神殿には神降ろしを行える巫が何人も居るから、増やす必要は薄いのだ。
だが神の意識を映す鏡となれば、その者は最も忠実な神の僕となる。それが邪神の眷属たる魔族でも神の意思には逆らいがたくなるだろう。
つまるところ、目的は強制的教化。
ドラゴンや強大な魔族にすら神の教えを叩き込み信仰の奴隷とし、神の尖兵とするための魔法。
それが≪洗礼紋≫のコンセプトだった。
「おやめっ……おやめくださいっ……!」
「静かにしていろ、もうじきだ、もうじき終わる!」
モルガナの叫びも虚しく、魔方陣が輝き始め、白かった部屋が怪しげな紫色に照らし出される。
モルガナは、彼女が仕える戒師ガヴィノによって≪洗礼紋≫の実験に供されたのだ。
さすがに、一般市民を実験台にするのがまずいという程度のことは滅月会も分かっていた。概ね問題無い行為だが、宮廷からお叱りを受けて予算の締め付けを食らってしまうのはまずい。
だから神の道に反した罪人を実験台にする。死刑囚はもちろんのこと、市街占拠罪(なぜか家も持たない最貧民ばかりがこの罪を犯す)の者もよく実験に供された。これはたいへん素晴らしいことで一切問題無い。
ただ、時には内部の者を実験に使う場合もあった。
あまりにも微細な実験だから実験台に危険が無い場合とか、実験台の供給を待っていられない場合とか。
……上司の不正に気付いた研究員を密かに始末したい場合とか。
「あ、あああああああっ!」
光の中にモルガナの姿が消えて、そして。
そして、モルガナの身体には刺青のような紋が刻まれていた。
術式の余波で吹き飛んだ拘束の残骸を払いのけ、ふらふらとモルガナは立ち上がった。
「……おお? せ、成功したか!」
ガヴィノは驚き喜んだ。
半分は殺すつもりでの実験だったが、成功したならそれはそれでめでたい。なにしろこれは初めての≪洗礼紋≫刻印成功だったのだから。これでガヴィノの研究は大きく前へ進むだろう。
「はい、戒師様。私は今、とても感動しています。私は大いなる御方のお声を聞きました」
モルガナは輝くばかりの歓喜の表情だった。
そして彼女は、ガヴィノの胸ぐらを乱暴に掴むと手術台に放り出した。
「なんっ……!?」
ガヴィノが慌てた時にはもう遅い。
モルガナは予備の拘束具を手術台に向かって放り投げた。
折りたたまれたベルトのようなものは空中で自動的に広がって、獲物を絞め殺すヘビのようにガヴィノを巻き取って拘束する。そういう機能のマジックアイテムなのだ。
「研究費を流用し、あなたが度々娼館へ出向いていること……私が知らないとでも思っておりましたか?
あなたは神の道に反しています。あなたにも≪洗礼紋≫を刻み、本当に忠実な信仰の徒となっていただきます」
モルガナは宗教的感銘に満ちた穏やかな笑みと共にそう言い放った。
ガヴィノはこれに青ざめた。
「待て! 待つんだ! 私は戒師だぞ! これは大問題だ!
お、お前に試した方法はまだ定着の成功率が低い! 失敗したら死……あああああああああ!! あぎゃああああああああ!!」
モルガナは容赦無く魔方陣を起動し、ガヴィノは光の中に消えた。
そして。
「おや」
紋に生命力を吸いきられてミイラのようになったガヴィノが手術台に転がっていた。
「貴重なデータが取れましたね。背教的な戒師が神様のお役に立てました。
ああ、神様。私に正しき道をお示しくださいましてありがとうございます」
モルガナは、自分の心に語りかけて自分を導いた大神に深く感謝を捧げた。
* * *
モルガナの行動は迅速で、汚職を行っていた者や、滅月会内部で窃盗を行っていた者など、立て続けに3人が実験台にされて全員が死んだ。皆、地位や家の威光を背景に追及を免れていた者たちだった。
モルガナはすぐ、内部で懲戒審問に掛けられた。
実際の所、モルガナの考えは滅月会の中においてはそこまで突出して過激なものではない。
殺すのは稀にしても、神の道に反した者を告発したり懲罰を与えることは日常的に行われていたからだ。
だがモルガナは、政治的配慮が無かった。
地位ある者も、有力貴族も、モルガナには関係なかった。
それも当然で、モルガナは心に語りかける神に従っていたのだ。地位の違いなど所詮は矮小な人族が勝手に決めた地上の些事。大神にとっては……つまり、その声を聞くモルガナにとっては何の興味も無いことだったのだ。
さらにまずかったのは、モルガナの事例から≪洗礼紋≫の研究開発が進み、神の心を写し取る魔法の構造的不完全さが明らかになったことだ。
そもそも神降ろしや預言において、神は人族が理解できるよう、人族のレベルに合わせて言葉を紡いでいたのだ。
だが神の心を直接写し取る≪洗礼紋≫の場合、そうした編集を経る前の『原液』を飲むことになる。
人とは位階が異なる巨大な意識を映したとしても、モルガナはそれを人間の尺度でしか解釈できない。
ましてモルガナは神の視野など持たない。彼女は、自分の持つ情報と自分の視界だけで、神の思考を不完全に模倣しているだけなのだ。
モルガナの行動は、読み取り従うべき大神の意思ではなく、唾棄すべき劣化コピーに過ぎなかった。
例えるなら、大幅カットしてページ数を減らしたうえに隙間を埋めるため独自解釈を加えた聖典みたいなもの……と言えば、原理主義的な聖職者たちにとってどれほど許し難いか想像できるだろう。
そういった性質が判明したため≪洗礼紋≫の開発は中止された。そして被験者であるモルガナも、『大神の意思』という大義名分すら滅月会から否定され、過激な行動を追求された。
モルガナは、逃げた。
モルガナは既に、自分が映し取った大神の意思を実現するだけの信仰機械と化していた。それを止められるわけにはいかなかったのだ。
手引きをしたのは、モルガナとは別の女性研究員だった。彼女はとある貴族から性的暴行を受けていたのだが、加害者をモルガナが実験台にして殺したことで解放されていたのだ。
やがてモルガナはノアキュリオ王国に流れ着く。
売りにしたのは≪洗礼紋≫の前に関わっていた受肉聖獣の技術だった。
一時期は冒険者まがいの活動をしていたが、やがてとある領主に召し抱えられ、最終的に中央軍に取り立てられて特別技術顧問という立場にまで上り詰めた。そこではモルガナ本来の専門分野である聖獣ではなく、それを流用した一般的召喚獣の扱いについて研究開発をさせられていた。
だがモルガナはあまりにも使いづらい駒だった。彼女にとっては、自らに語りかける神の意思こそが至上のもの。金でも権力でもなびかない好き放題ぶりは徐々に煙たがられるようになる。
そしてついに使い捨て同然で最前線に投入することが決まった。モルガナが最も望むであろう対アンデッドの戦場へ。
もし“怨獄の薔薇姫”を倒すようなことがあれば万々歳。そうでなくても、対“怨獄の薔薇姫”の試金石となる。
どうせモルガナの技術は既にほぼ盗んでいる。ノアキュリオにしてみれば、モルガナは死んでも惜しくないのだった。
* * *
「≪洗礼紋≫絡みで処罰されかけた研究員がモルガナだとは知らなかったけどね、姫様の話を聞いて全部繋がったよ」
「じゃあモルガナは特別な加護を受けた神の使い、ってわけじゃないのね」
「姫様がモルガナを見て、特に何の力も無いように見えたならそれが正解だと思うよ。
ただ、彼女が宿した大神の意思は間違い無く本物だろうけれどね。人族としての視野しか持たないから局所解しか出せないだけで、彼女の行動が大神の意思であることは変わりない。だからこそ彼女は止まらず、決して諦めないだろう」
もはやサイコホラーだと、ホラーそのものであるルネは思う。
モルガナにも自我はあるようだが、私心が無い。
押し寄せる神の意思に心を塗りつぶされて従うだけになってしまっている。
彼女を操り人形にしているのは、大神だ。
ルネをこの世界に連れてきた者。
生きとし生ける人族の父にして母。神々を統べる天の主。
……名を呼ぶべからざる大神。
ずきり、と胸がうずいた。
自失状態から立ち直るため、自ら呪いの赤刃を突き込んだ左胸。
あの傷は魂にまで及び、未だに濁った痛みを残している。
ふつふつと、また怒りがこみ上げてきた。
大神はあまりにも強大すぎて、ちっぽけなルネを騙したことなどなんとも思っていなかった。獣か。虫か。それとも路傍の石くれか。ルネはその程度にしか思われていなかった。
「じゃあ、あの聖獣は滅月会の技術なの?」
トレイシーが元気よく挙手して聞いた。
「モルガナが滅月会を追い出された技術者って話で目星は付いてたけど、死骸を調べてハッキリしたよ。あの受肉聖獣は滅月会が使うやつだ。
……人族をベースにした受肉聖獣」
うげげっ、とトレイシーが顔をしかめた。
「人族ぅ? なんでそんな事を?」
「まず受肉させた召喚獣一般の話をすると……召喚術を維持する術者が必要ない、っていうのが一番の長所かな。
短所は、術者からの魔力供給が無いから別口で補給を必要とすること。術者のコントロールを外れて好き勝手する可能性があること。それと、出したり引っ込めたりできないってことか。
人族の肉体に間借りさせるような召喚だとしたら、人の姿になれるってことと、人並みの知能を持つっていうのが追加の長所になるねー」
「それってもしかして、使われた人族は……」
「少なくとも無事では済まないね」
「うーわー」
どん引き状態のトレイシーだったが、ルネは今さら驚かなかった。
人を、邪悪と戦うための尖兵に作り替える魔法技術。
あの大神にお似合いじゃないか。
「補給さえどうにかなれば、受肉聖獣は非魔術師でも扱えるのね」
「ただこの受肉聖獣、私が手に入れた情報だとまだ制御が上手くいってないはずだったんだけど……
姫様の怪我の功名で、仮説は立った。
あれをどうにかして聖獣に視せられたら、一も二も無くモルガナに従うだろう」
あれ。
ルネが視てしまった大神の意思。
たとえ低品質JPEG保存したような劣化コピーであっても、元が神の意思であることには違いない。何よりも、あの恐るべき圧力。あれを知ってしまえば、神聖魔法から生まれた聖獣であれば自ら膝を折って、モルガナを神の使徒と崇め仕えるだろう。
「受肉聖獣に言うこと聞かせるため≪洗礼紋≫を有効活用してるわけかー」
「召喚獣って普通、術者と精神的な繋がりがあるからね。受肉聖獣でも繋げようはある。
ま、それで繋げた先が非魔術師だとしたら、通信可能な範囲はたかが知れてるだろうけど」
「エヴェリス」
椅子の手すりを握り潰す音で、まだまだ続きそうなエヴェリスの技術トークをルネは遮った。
「話はだいたい分かったわ。
問題は、あれを惨たらしく殺す方法があるかどうかよ」
虚を突かれた様子のエヴェリスの顔に、すぐに、邪悪な笑みが昇る。
「ふふん。無ければ作るのが私の仕事だよ。
死骸を持ってきてくれて助かった。これなら……ぬふふふふふふ、面白いものができるぞぉ!」